夏目漱石のレビュー一覧
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入院中に自宅の本棚から供給してもらった。何年か購入してあった著書だ。
本著は純文学にカテゴライズされるだろうか、このジャンルを読むのは久しぶりだ。
本著は私小説としての議論があるようだが、今回は小説として十分に愉しめたとおもう。主人公とその細君の世の中の見方の違いが主人公の独白を通じて語られるところがいい。水と油のような性格の違いがある、例えば、娘に対する愛情のあり方にもその性格の違いを細君に語らせている。しかし、小説中で3人目の娘が誕生することから夫婦の関係が破綻的なものではないことがうかがわられる。この時代の夫婦関係なのか、こんな関係も面白い。そして最後に主人公が養父にお金を工面して関係を断ち切る段になっても主人公と細君ではその割り切り方が違いが明らかになっている。どちらがいいということではなく、考え方や気持ちの処理の仕方の対照性がこの作品の醍醐味だ。必要以上の修飾がなく大変読みやすい一冊だった。 -
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当時は延子の様な女性は人気が無かったのだろうか?現代に生きる自分には延子は自分の思いをストレートに表現出来、端々に可愛さが滲み出てくるいじらしい女性と感じるのだけれど、どうも主人公にとっては(また漱石にとっても)、魅力的に映っていない様である。
片や清子だが、主人公は彼女の何に惹かれたのか?書かれている文章からでは、取り付く島のない、KY気味で、自主性にも欠ける様な女性に思える…となると、結局は美人だったからなのか?だとしたら非常に残念……
考えてみれば、漱石の作品に於いて、女性は大きな役割を持っているものが多いし、恋愛を扱うものも多いのだけれど、女性の描かれ方や在り方について、何故だか違和感を覚えてしまう…
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夢十夜は、最初に“こんな夢を見た”とされ、、多少の理不尽や非合理性は、許してね、ということになる。その絵を描くというのはあまりに許容範囲が広すぎて難しかったでしょうねと思います。
第一夜
死んだ女が百合の花に転生する夢。
愛する女を失った男の夢。
「もう死にます。百年 私の墓の傍で待っていてくださいね。」
星の破片の墓石、その破片の丸み、苔むす様子などから、長い時を演出する。
女の死から再生の百年は、男にとって幸か不幸か、読む人によるかなあ。
百年経って百合となる。
第二夜
侍が悟りを得ようとする夢。
入室参禅で無を追う。
夏目漱石は鎌倉円覚寺で参禅していて、その経験は、小説「門」となる。本人の投影かな。
時を打つ音に、時さえ意識する侍には悟りはこないと読んだ。
第三夜
自分は6歳の子供を背負い歩く。
盲目の自分の子。
子は、大人びた口調で風景さえも言い当てる。
子は、自分が百年前に殺した盲目の人であった。
背負った子供に追い詰められていく様子。罪を思い出し認めた時に、背中の子供は重くなる。
背負う罪の重さ。
第四夜
酒を飲む一人の爺さん。
家は臍の緒、歳は忘れた、手拭いを蛇にする。
そう言いながら、河原に沈む。
“神さん”あたりに意味があるのか?掴みどころがないですね。生から死。話かける女性を“カミさん”。蛇は、神の使い魔。
第五夜
神代の頃か、戦い敗れ、男は敵に囚われる。
死ぬ前に愛する女と会いたい。
朝、鶏が鳴くまでの猶予。
天探女(あまのじゃく)が鳴き真似をして、合わせない。
女は、かけおち、男はおそらく殺される。
天邪鬼の原型らしい。真意を探るものという意味もあるようだけど。
そして、六夜から、雰囲気が変わる。
第六夜
運慶(鎌倉)が護国寺(江戸)の山門で仁王を刻む。
人々(明治)が集まり、適当なことを言い合う。
運慶は、木から仁王を掘り出している。
それならと、明治の木で掘ってみるが埋まっていない。
鎌倉時代の力強い日本文化への回顧。
第七夜
自分は大きな舟に乗る。
一人なく女(インド)、天文学を知る偉人(西洋)。
ピアノを弾く女。唱う男。
甲板から海へ 飛び込む自分。死ぬ前に命が惜しくなる。
西に進む舟。西洋化への懸念。
第八夜
床屋。鏡に向かう。
次々鏡に映り通り過ぎる西洋化していくものの象徴。
第九夜
世の中は戦いに向かっている。
若い母親は、子を背負い、お百度を踏む。
願い虚しく、夫は死んでいた。
という話を夢の中で母から聞く。
第十夜
一人の男が水菓子屋から女に連れられていく。7日目に戻る。山で絶壁から飛び込めと言われ、死にたくないので、豚の群れに襲われる。
うーむ?
やみくもに進む西欧化への危惧をバレない様に、
小説家らしく物語にした感じでしょうか。
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ネタバレ漢語調の絢爛な文体は漱石の領分といっても過言ではないでしょう。東京帝大の講師を辞め、専業作家となってから書いた初の小説とだけあって、眩暈がするほど難解かつ華麗な文章からは、並々ならぬ覚悟が伝わってきます。
大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才・小野清三。彼の心は、美しく裕福だが傲慢で虚栄心の強い女性・藤尾と、古風で物静かな恩師の娘・小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさから抜け出すために、一旦は小夜子との縁談を断るが…。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。
「潺湲(せんかん)」「瀲灩(れんえん)」「冪然(べきぜん)」「窈窕(ようちょう)」等々、これは正気の沙汰なのか?という語彙が乱れ咲く万華鏡の世界。その高雅な文体で綴られるのは、意外にも月並みなストーリー。真面目だが内気な青年・小野が、裕福な悪女・藤尾と貧しい乙女・小夜子の間で揺れ動くという安っぽいメロドラマを、「厚化粧」(小宮豊隆評)とも取れる絢爛たる舞台装置で見せられるというのはちぐはぐさ。まずもって人物の造形が平板かつ硬直的で、人間というよりは操り人形が話しているようなぎこちなさがついてまわります。漱石の豊饒な漢籍の素養と、迸る文才を疑う余地はありませんが、その漱石がなぜこのようなありふれた内容の小説を?という疑問を禁じえませんでしたね。 -
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国語の教科書に載ってた印象があり、大人になってみてから読むとどのような感想を持つのだろうと思い読んだ。
読む前の印象に残っていたのは、先生とKとお嬢さんの三角関係の物語だと思っていたが、想像以上に重々しく哀愁的な作品だった。印象に残っていた話が登場するのが、三部の「先生と遺書」だったので、一部と二部の内容は飛ばしてもよいくらい薄く感じた。
先生の人柄が今で言う引きニートで、コミュ障であるゆえのもどかしさが生んだ悲劇だとも思ったが、時代的な側面を知ると少しは気持ちに寄り添えるのかもしれないと感じた。
遺書を受け取った「私」や妻が、この後、どのような行動をするのか考察してみたい。
解説を読んで、海外では同性愛の本として読まれていることには驚いた。