夏目漱石のレビュー一覧
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一言一句まで言葉の調子やリズムを整えることに苦心して書いている感じが伝わってきて、これは、かなり気合を込めて書いた小説なんだろうと思う。
漢文調のめんどくさい言い回しが多いので、そういうのがなければだいぶとっつきやすいんだろうと思うけれど、それも味と思って読み進めるうち、だんだん馴染んでそれほど気にならなくなってきた。
作者が登場人物の説明をする時の呼び方が面白い。「糸子」や「小夜子」は普通なのだけれど、他の人は「宗近君」だったり「小野さん」だったりで、どういう基準で呼び方を決めてるのかよくわからない。「謎の女」にいたっては、本名すら出さないで最初から最後まで通してしまう。このあたりは、書き -
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語り手の画家は、都会での日々の生活に疲れてか、自身の芸術的思考で最も重視している“非人情”を求めてある山村を訪れる。そこでは彼が期待していた以上の非人情が溢れていて、日々絵になるものに包まれてのんびりした生活を送っていく。彼が居住いさせてもらっている家の美しい一人娘が少々問題アリの性格ということで一部ではキ●ガイ扱いすら受けているが、彼はこの娘に非人情を感じ絵にしてみたいと思う。 この作品は当時大変な人気を集め、そしてこれがきっかけで職業作家に転向したとまで言われています。この草枕の語り手の台詞に「小説は自分の好きな部分を気ままに開けて読むのが非人情である」みたいな部分があり、なるほどと思わさ
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これは、「修善寺の大患」と呼ばれる事件の前後のことを語った自叙伝になります。 漱石は1910年に胃潰瘍で入院し、その年の夏、療養のために伊豆の修善寺に赴きます。そこで800gもの吐血をし、一瞬生死の狭間をさまようことになります。ここにはその時のことも詳しく書かれていました。自分では血を吐いたと思った直後に目の前の入れものに大量の血が入っていたのですが、その一瞬と思われた時間が後で聞くと30分程度あり、その間漱石は意識を失っていたそうです。 またここには入院中のメモ(漢詩を書き残していた)を頼りにその頃のことを振り返った記録も記されています。容体に反してその頃の精神はすこぶる平穏であったといいま
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語り手二郎の兄、一郎は旅先で自分に嫂の不貞を試してほしいと持ちかけてきた。結局、嫂とは何もなかったのだが、そのことの報告をするのが進まなかった二郎は結局それを後延ばしにしてしまう。それが原因で兄と喧嘩をし、家の空気が気まずくなったため、家を出ることにした。その後もしばしば実家を訪れる二郎の耳に、兄は最近では他の者ともあまり口を利かなくなったということを耳にする。元来、学者であった兄は自分の頭で考え続けた結果、ついに他人と共に生活をすることができなくなったほどにやりこまれてしまったのであった。最終的に二郎は兄の親友Hに彼を旅行に連れてってもらったのだが、彼からの書簡によって、現在の兄の実態が明ら
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学校を卒業したばかりの主人公敬太郎は、自分の職を探しながらも冒険に憧れていた。友人である須永に職の斡旋をしてもらい、結果的にその親族との交友を持つことになった。そして大人しい人間だと思っていた友人須永が実は結構な冒険話を抱えていたことを知る。この話を通じて、結局話を聞くだけに終わった敬太郎は、平凡である自分が歯がゆくもあり、また幸せであるとも思ったのだった。 最近、夏目漱石ばかり読んでいるので、この人の文体に慣れてしまったようです。しかし一人の人に絞ってその著作を読んでいくと、一冊目よりも幾冊か読んだ方がその理解がより深まると思います。しかし、私の心中は専ら明治時代にあります/(^o^)\ナン
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「吾輩は猫である。名前はまだない。」苦沙弥先生の家に拾われた猫の「吾輩」から見れば、人間社会はこっけいそのもの。無名猫の視点から、軽妙洒脱な文体にのせて放たれる文明批評と渋いウィットは時代を超えて読者の心をつかんできた。見識とシャレ気あふれる漱石のエンターテインメント文学。いうまでもなく有名な書き出し。漱石を他にない文豪にした作品、というか書き出し。他のなにがなくても、この書き出しを書けたということで、全てに超越したんじゃないかな。物を書くなら、こんな文を書きたいと思う。でも、書き出しのあまりの素晴らしさに、後が霞んで…という評も、確かにな、と思ったり。