夏目漱石のレビュー一覧
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夏目漱石の後期三部作1作目。
後期三部作は本作「彼岸過迄」、「行人」、そして「こころ」です。
本作はいくつかの短編が集まってできており、それぞれの短編は別の時期に別の雑誌に収録されました。
各短編は一続きとはなっておらず主人公も異なりますが、物語としては一貫しており、全く別の作品というわけではありません。
序文に夏目漱石は「個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうか」と述べており、本作はその思惑を元に作られています。
各短編は主人公が異なりますが、基本的には主人公は「田川敬太郎」という青年で、他処から話を聞いているところで話者が主人公となる形で物語が展開されるような内容となります。いわゆるオムニバス形式というわけではないです。
非常にわかりにくい作品でした。
プロットはシンプルなのですが、話途中で主人公が変わるのと、主題にたどり着くまで回り道が多く、今読んでいる内容の意味が計りかねることが原因かと思います。
文章は読みやすいのですが、場面を理解するのに苦労する作品だと思います。
1つ目の短編では、敬太郎は隣に住む森本という奔放な男と懇意になります。森本は去り、後には彼が使っていた洋杖が残されます。
2つ目の短編で、敬太郎は大学の友人である須永に就職を相談し、実業家の叔父の田口を紹介してもらいます。
また、須永の家に女性が入るところを目撃し、なんとなくこの女性のことが気にかかります。
田口にはある停留所から降りる男性の行動を探偵し、報告しろという不思議な依頼を受けます。
斯くして男性が停留所から降りてきたのですが、その男性は須永の家に入っていった女性と会って街を歩くところを目撃します。
3つ目の短編は2つ目の短編の種明かし、4つ目の短編は話者がその女性となり、女性「千代子」の話。
5つ目の短編がメインの話で、今度は話者は須永となり、須永と千代子の話。
最後の6つ目の短編は停留所の男性「松本」が話者となり、話が締めくくられます。
基本的には主人公は敬太郎ですが、須永の生い立ち、そして須永と千代子との間に過去にあった出来事の話がメインです。
本作において敬太郎は、物語を進めるための狂言回し的な役回りとなっており、序文で述べていた複数の短編から一つの長編を構成するという意図において、本作は成功だったのかと思います。
ただ、個人的にはテーマが朧で読みづらく、読んできた夏目漱石作品内ではあまり好きな方ではないです。
面白くないわけではないのですが、頭にクエスチョンマークを浮かべながら読んでいました。
後半になって、特に本作のメインテーマである5つ目の話の後ろの方からが面白くなるところなので、そこまでははてなと思いながらも読むことをおすすめします。 -
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夏目漱石が教職を辞して職業作家として執筆した第一作目の作品。
漱石は教職の傍らに発表した作品、「吾輩は猫である」、「坊ちゃん」、「草枕」、「野分」ですでに文名が大いに上がっており、大学の講義ノートを作ることが苦痛であることを漏らしていた時期、白仁三郎(後の坂元雪鳥)の仲介から朝日新聞社に入社しました。
当時の新聞社は今で言うベンチャー企業のようなもので、不惑を過ぎた数えで41歳の漱石には、その転職は冒険だったと思います。
また、部数も影響力も今と比較してそれほどないとはいえ、多くの人に目が留まる新聞紙上での連載であること、新聞社から異例の待遇を持って受け入れられていることから、漱石の緊張は想像するに難くなく、その真剣さが作中からも感じられました。
それまでの作品と比較すると構成がしっかりしていてラストに向けてのプロットがあるように思います。
ストーリーは、とある男女の恋愛の縺れを主軸にしたもので、巻末解説の桶谷秀昭氏の言葉を借りるならば中世から連綿と続く勧善懲悪の文学イデオロギーに即したお話になっています。
メインとなる人物が6名登場します。各々の関係を箇条書きに書くと以下の通り。
甲野欽吾:
神経衰弱により療養中の男性で、物語は彼とその友人の宗近一の京都遊行のシーンから始まります。
継母と妹の藤尾と住んでおり、財産を全て藤尾に譲ろうと考えています。
甲野藤尾:
欽吾の腹違いの妹で虚栄心が強く、美貌の女性。
藤尾の父が生前、宗近一に嫁に出すことを発言しているが、別に小野清三という親しい男性がいる。彼の心を誑かしている。
宗近一:
外交官の試験に落第し続けている。外交官となり藤尾と結婚することを望んでいる。
豪放な父と、しっかり物の妹、糸子がいる。
宗近糸子:
しっかりもので何者にも怖気ない性格。
欽吾のことが好きだが、彼を理解しているがゆえに思いを打ち明けずにいる。
小野清三:
欽吾と同窓で、博士論文を執筆している。小夜子という将来を誓った仲がいるが、藤尾に惹かれてしまう。
小夜子の父、井上孤堂は清三の恩師でもある。
井上小夜子:
京都に住んでいるが、清三との縁談をまとめるために父と共に上京する。
ストーリーが進むにつれてこの関係はどん詰まりになってゆきます。
どうにもならない状況へ向けて進み行くストーリーには無駄な場面がなく、迷いなく追い詰められてゆく。
ラストはカタストロフがあるのですが、どうにもハッピーエンドと言い切れないところがあり、面白かったかと問われると、唸らざるを得ないです。
作中の文章は一応口語ですが、文語に近い文体となっていて、少し苦労すると思います。
夏目漱石的な表現が爆発していて、例えば適当に開いた5章は以下の文章から始まります。
「山門を入ること一歩にして、古き世の緑りが、急に左右から肩を襲う。自然石の形状乱れたるを幅一間に行儀よく並べ、錯落と平らかに敷き詰めたる径に落つる足跡は、甲野さんと宗近君の足音だけである。」
要するに、甲野欽吾と宗近一が山門に入ったわけですが、それだけのことにここまで言葉を紡ぐ必要があるのかと、言うまでもなくそうすることでより細やかな情景が伝わるわけですが、万事この調子で続くので、この表現を好むか否かが本書を楽しめるか、ひいては夏目漱石を楽しめるかの分かれ目となると思います。
ただ、読み方さえ心得れば、知らない表現が出ることにより知的好奇心がくすぐられる感じや、言葉遊びに似た会話の軽快さに楽しさを感じると思います。 -
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夏目漱石の代表作の一つです。
冒頭の一文、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と、「吾輩は猫である」の脱稿から約2週間ほどで完成させたということで有名な作品。
夏目漱石の初期の作品の一つで、本作発表時はまだ職業作家ではなく、夏目漱石は教職の傍ら執筆活動を行っていました。
氏の初期の名作と名高く、エンタメ色の強かった全2作(「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」)と違い、芸術に対する考え、存在意義や、西洋文化と日本の世の中のあり方に関する考えが滔々と論じられており、比較的読みにくい作品となっています。
人の世に嫌気がさすも人以外の世に暮らすこともできず、絵描きを生業とする主人公は、単身熊本まで「非人情」の旅に出る。
立ち寄った茶屋で宿の場所を聞くのですが、その宿には嫁ぎ先から出戻った娘がいて、その娘には悪い噂が立っていることを聞く。
宿にたどり着いて最初の晩、寝付けない主人公は宿の湯殿で不思議な女性に出会う。
この女性は結論として、この宿の娘「那美」であったことがわかるのですが、主人公はこの女性と、以前、身投げをしてこの世を去ったという別の女性をハムレットのオフィーリアの姿に重ね合わせます。
度重なる不幸な出来事に気が狂い溺死したオフィーリアを静物然とした姿で水にある儘の姿でミレーは絵画にしているのですが、そのミレーのオフィーリアと、画題としての那美の対比、そして芸術の有り様を、主に独白する形で書かれたものになっています。
物語として筋と呼べるものはあるにはありますが、この独白がメインで、ストーリーはその呼び水のようなものだと感じました。
つまりは作者の論説を呼ぶためのダシとして、オフィーリアを彷彿させる背景を持つ那美と、非人情の旅をする主人公が設定されており、ストーリーを楽しむというよりは、山奥の温泉旅館という幻想めいた舞台設定と主人公の芸術論、難解ですが卓越した文章を楽しむ小説だと思います。
ちゃんと読めば面白いですが、楽しめない人はダメなんだろうなと思いました。
主人公は結構おとぼけで、芸術について意識の高い論述を一人ブツブツ唱えながら、いざ実践しようとすると素っ頓狂な出来となるシーンが多々有り、そういう意味でも楽しめました。
個人的には夏目漱石は肩肘を張って読むものではなく、文豪では親しみやすい作品だらけなので、本作もラフに読むのが良いと思います。 -
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文体も主題もそれぞれ違う短編集の中でも、一際鮮やかかつ濃い存在感を放つのはやはり表題作?の一つである倫敦塔。過去の風景がまるで今現在見聞きしているかのように描かれる様は、その内容の凄惨さと相まってより艶やかに、湿り気のある感を読者に抱かせる。決して読みやすくはなかったけれど、過去の空想を現在形の文章で表す手法は面白かった。幻影の盾、一夜、薤露行は文体が読み慣れないせいかそもそも意味がよく分からなかったし、カーライル博物館、琴のそら音、趣味の遺伝は、漱石の小説としては少し物足りない感じが、、、でも現代の小説でもそんなの腐るほどあるよなあ。この全体的に薄暗い短編集を、吾輩は猫である、坊ちゃんと同時期に書いていたというのが面白いところ。色んな表現の仕方や文体を漱石なりに試していたんだろうと伺わせる、その探究心、向上心に拍手!
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ネタバレ 購入済み
キチガイ、下等、田舎者・・・。
学生時代にとりあえず有名な小説だからと読んだ。ただ。その時の記憶は「読んだ」こと以外ない。内容も感想も記憶が曖昧で、読了したかどうかすら定かでなかった。
一方で。漱石は学生時代に読むのと漱石と同じ年代になってから読むのとでは感想が変わってくるという評論家の話も頭の片隅にずっとあって。。。たまたま鬼のように暇な時間が出来た&今やスマホで&&タダで読める!とうい時代になったので再度じっくり読んでみた。
読んでみて記憶にあったのは冒頭の数ページで。ある意味新鮮に楽しめた。
どこが新鮮だったかというと。タイトルにあるとおり。とにかくやたら「気違い」「~だから田舎者は下等である」「教養がないから仕方がない」みたような表現が目立った。これは今の差別反対・和気藹々・平和主義な表現世界からすると驚くべき言葉の羅列であって。同じこというにしても今ならもうちょっと相当マイルドな表現になるハズだ。恐らく今の時代に漱石先生がタイムスリップしてこのスタンスのまま新作を発表しようとしても、まず第一に編集者が赤ペンで原稿を真っ赤にし、先生のエリート意識をズタズタにしたことであろう。
あとは自分自身、今や文章で飯食う世界に身を置く者として思うのは、まぁ習作?というか。お試しで「自分自身、小説が書けるかどうか分からんけれども一応らしいモノを書いてみる」感が見て取れてそっちの方が内容そのものよりも楽しかった。
前提として主人公のキャラクター説明があって。そのままダラダラ本文突入では飽きるので一旦舞台を東京から松山に転換し。まじめで実直な主人公が早とちりで失敗しつつも最後は勧善懲悪のような結末に至るというのはまさに「小説の書き方」的教科書を丁寧になぞったぞ感満帆の出来映えである。
もしかすると。当時もストーリーより作品全体にちりばめられた「痛烈な上から目線」的言語表現がウケたのかも知れない。
現代であれば。少なくともヒエラルキー的理不尽さを暴力でねじ伏せるような結末を書いてもあまりに破滅的で読者ウケしないであろうから。赤シャツ先生をぶん殴ってギャフンと言わせるっつーよーなまとめ方よりも。ココはもっと知的に。エリート意識プンプンの悪役先生のさらに上行くスマートさで一発逆転大団円!っつーほーが今的には○であろ。 -
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私小説と言われているようですが、夏目漱石本人がモデルと思しき健三がひたすら親戚面々から金を無心される話です。えーなにこれー!
いい加減にしろと呆れながらも何だかんだ都合をつけてやる健三に、私も妻・お住と同じように苛立ちが募ってしまいました。
漱石って夢十夜とか三四郎の美彌子とか、儚く透けてみえるような幻想的な女性を描いてるイメージが強くありましたが、お住は地に足の着いた芯のある女性。
当時はまだまだ亭主関白な夫に三歩下がって付き従う妻、という夫婦観だったのでしょうが、夫にお小言もぶつけるし、気に入らないことがあればガンガン言い返して諍いを物ともしない強さが素敵でした。
「単に夫という名前がでて付いているからというだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分にはできない。もし尊敬を受けたければ、受けられるだけの実質をもった人間になって自分の前に出て来るがいい。夫という肩書などは無くってもかまわないから」
って格好いい。
健三もムキになって反論するが結局お住の正しさの前に空回りしてしまうところが可愛い。
おれ自身は畢竟どうなるのだろう、と自分でも分かってる様子でおかしかった。
世の中に片付くなんてものは確かにないよなぁ。
形が変容するだけで、一ぺん起こったことはいつまでも続いていくという健三の考えに、思わず深く頷いてしまいました。
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夏目漱石の最後の大作、そして未完の作品。漱石の小説の特徴でもある、登場人物の心理描写がかなり詳しく描かれている。また漱石お得意の、仕事をしないでふらふらしている人も出てくる。
明治時代の、若く結婚半年の夫婦と取り巻く家族や友人の物語。未完なのでテーマは想像するしかないが、夫婦であってもお互いを理解しあい、信頼しあうのは簡単ではないということだろうか。
夫の津田は、延子との結婚の前に付き合っていた女性がいたが、その女性が突然他の人と結婚をしたため、津田もすぐに延子と結婚した。延子は夫の自分に対する愛情に自信が持てず、持ち前の勘の鋭さでその女性の存在に気が付く。津田は手術後の療養の名目で温泉に行くが、そこに例の女性が泊まっていることを知っており…。
延子にとっては津田の愛こそが自分の存在意義を確認する唯一の手段であるが、それを感じられないためにもどかしい気持ちでいる。津田も延子に愛情を感じることが出来ない部分もあるが、こういうものだと諦観している。
本心を言い合えない夫婦というのは昔は普通だったのだろう。読んでいるともどかしい部分もある。例えば、見舞いに来てほしいと思っても、夫はそう口に出さず、妻はその気持ちを推し量りながらも、見舞いに行かないと夫の機嫌が悪くなることを知っている、という風だ。
夫婦関係は完璧を求めると破たんすると思う。期待をそこそこに、相手を束縛するのではなく、自由にすることがうまくいく秘訣なのではないか。 -
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小野は学問に優れた男で、東京帝大の銀時計を授与されるほどだが
性格は優柔不断で、人の意見や雰囲気に流されるばかりだった
宗近は呑気でいいかげんな性格のために、軽く扱われがちだ
しかしその実、有言実行の男でもある
甲野はいつも深刻な顔で超然ぶっており、周囲の反感を集めるが
それは財産を独占しようとする母親への、愛と不信に引き裂かれてのこと
藤尾は甲野の妹、美人で、才気走ってて、高慢
クレオパトラに自らを重ね、男を意のまま支配することを愛情と信じる
糸子は宗近の妹で、家庭的な女
詩情を解さないとして、藤尾からひそかに軽蔑されているが、気にしない
小夜子は小野の恩師の娘にあたり、暗黙のうちに許嫁とされている
古いタイプの女だから、小野の心変わりに泣いてばかりいる
これら男女6人の、友情と恋愛をめぐる青春残酷物語
かなわなかった夢のつづきが、いずれ小野の未来を苛むのだろうが
その意味で「こころ」の原型と呼べるのかもしれない
「虞美人草」は、大学教授の地位を捨てて専業作家になった夏目漱石が
朝日新聞に連載したはじめての作品で
気負いはあったのだろう
りきみ返った美文調をこれ見よがしに連ねており
その読みづらさから
今では漱石作品のなかでも敬遠されがちな印象にある
ただし個人的には
日本の小説で文章の美しさといえば、この時期の漱石と思うんよね -
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大学進学のために上京してきた三四郎が、構内の池のほとりでひとめぼれした女性との顛末と、その周囲の人々との学生生活を描いた青春小説。
美禰子という女性の知性的でミステリアスで、落ち着いた魅力に三四郎のみならず私まで惹かれてしまった。魔性感を感じさせない魔性の女だ。三四郎の気持ちにも気づいていたのは言うまでもなく、なんなら美禰子も三四郎のこと好きだったんだと思うけど、ああいう将来を選んだのは何故なのか。ストレイ・シープ。なんたる思わせぶりで危うげなことか。ヘリオトロープの瓶。四丁目の夕暮。ストレイ・シープ。
偉大なる暗闇とか、哲学の煙とか、ほかにも印象的な言葉がいくつかでてくる。
全体的に遅々として奥ゆかしく、もどかしくてしかたなかったんだけど、それがこの時代の恋の精一杯だったのかなぁ。