最果タヒのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
言葉にしてしまうと零れ落ちてしまうもの、物語が、関係性がある。しかし、人間が人間であるには言葉が必要だ。言葉にする以前の想いと言葉にしてしまった気持ちの差異というかうっすらした膜のようなものを僕らは伝えたいし聞きたいし見たいと思う。
物語という装置はそれを孕んでいる、孕める可能性がきっとあるんじゃないかって思う。きっと最果さんはそう思って詩だけじゃなくて小説も書いているんじゃないかって読みながら思った。だけどこうやって言葉にするとなにかが零れ落ちていく。それは個人個人の物語の中でふわふわと浮かんでいて形にしようとするときにほんのわずかな部分だけは表出できる質のものなのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
縦書きではなく横書きなのに意味があると思う。文字が横に並ぶときに見える形(キャラクター的な)をかなり意識して書かれていると思う。同じ言葉でも縦書きより横書きだからこそわかる感覚、ひらがなが特に視覚的に。読むという行為は文字を見ることだから。最初の一篇『星か獣になる季節』は岩井俊二監督『リリイ・シュシュのすべて』を思い出してしまった。蓮見と星野の関係性のように。『星か獣に~』はコミュニケーションと関係性についてふたりの地下アイドルファンの少年について書かれている。その後が書かれたもう一篇『正しさの季節』はふたりの少年と関係があったものたちの話。どこかに行ってしまった者と置いていかれた者の物語としてもこの一冊は読める。星(超越者)になるか獣(地に足をつけて生きる者)になるか。たいていのものは後者であり誰でもない自分を受け入れたくなくて誰か他者を軽蔑しながら自分の足元を確かめていた季節、それが十七才であり人を傷つけながらそれにより自分が傷ついてその痛みや血で安心すらする。見上げた星の輝きに絶望しながら咆哮(彷徨)している。僕らはその季節を通り抜けてきたがその残骸を抱えながら生きている。
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ネタバレ私は選んでしまったんだなと思った。
ちゃんと懸けてきた。図星を突かれたような文章だった。
本当に一つのことしかやってこなかったからつまづいているような感覚になった。
選んだことさえ不器用と感じなからやってきた。
それでも楽しかったり、嬉しかったりするとやってて良かったと思ってしまう。
説得してもらえたような気持ちになった。
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・夢を見続けようという、それだけの覚悟を決めるのだって想像以上に困難な、そんなジャンルはいくらでもある。好きなもので生きていきたいという気持ちと、好きなもので生きていけないという苦しみの中で、引き裂かれるのに才能の有無など関係なく、ただ自らの才能を信じて、そしてだからこそその世界だけを信じて生きてきた人ほど、痛く痛く、しみる。私はそんな痛みを、きっと永遠に理解できない。
・なにかをきっかけにして出会ったものを心から信じてしまった時、人はすべてをそこに懸ける。好きなものを「たった一つの取り柄」にしてしまっているのはその人自身なのだろう。他をまったく見てこなかったから、他の選択肢を見失って、寄り道なんてしてこなかったから、他のことを何も知らず不器用になっていく。好きになればなるほど、自分の首を絞めていく、というのはきっと、なんだってそうなんだと思うし、私は自分がまだまだ器用すぎるとも思う。
・苦しみすらも受け入れるほど、愛せるから、そこまで来たんじゃないか。 -
Posted by ブクログ
260520-0603
「ただ幸せを願うことは踏み込まなくても思いやれる唯一のことなのかもしれない。」
ひたすら宝塚の好きなジェンヌへの想いと気持ちが読める。
期待してるけど負担になりたくない気持ち、ファンレターで想いを伝えることについて等、最果さん自身の好きの気持ちの扱い方を詳細に述べられている。
私には2015.11〜2021.2頃、宝塚に最もハマっていた時期があります。
贔屓が退団してからは観劇することが減り、スカステも解約、現在は退団後の贔屓を時々チェックする程度に落ち着きました。現在はどこからか「宝塚」というワードが聴こえると、スッとそちらの方向を見るくらいには大切な言葉として刻まれています。
たまたま宝塚というワードをキャッチしたので、これは読むしかねぇと高まり読みました。
最果さんはふわっと包み込むベールのような気持ちでファンをされている…!と驚きました。
はっとした一文。
「ただ幸せを願うことは踏み込まなくても思いやれる唯一のことなのかもしれない」
ファン時代マジで祈ってました。
明日は初日だから晴れますようにという事から、贔屓にとって嫌なことがありませんように、お忙しい時期だけどちゃんと眠れてますように、千秋楽だから終わったらご飯いっぱい食べられますように…等
どんな立場?ということは置いといて好きな人に対して嫌なことや辛いことが起きませんようにと常に願っていたなと。
「好き」は善悪どの方向にも動いてしまう気持ちだと私も思っている。
迷惑になりたくない、これが正しい!と突っ走る人になりたくないし、危ない道へ暴走する人にもなりたくなかった。
私は好きな人に何もしてあげられる立場ではないけれど、祈ることだけはしてたなと思い出し、思いやりの気持ちを持てていたんだなと勝手ながら思えて嬉しかった。
好きな人の幸せをただ勝手に願っていたファンがここにもいます!! -
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ライブや舞台など「生きている人」を推す事についてのエッセイのようなラブレターような空に投げるポエムのような。一方的な愛、否憧れ?それは恋愛感情でもなく母性でもないのに、ただその人が健康で幸せで美味しいものをしっかり食べてゆっくり熟睡できる事を純粋な気持ちで願ってやまない事を「推す」って言えるんだと思う。
生きてる人を推すという事はライブや舞台に行くことで実際にこの目で見たあの「本当に生きてる!!」という当たり前の感動を浴びる事はただ幸せなのだけれど、その幸せの中に私という存在は沢山の虹色のような心の中を抱えつつ推している。同じ舞台、同じライブでも何度もみたいのはその「生きてる人」は今一瞬1秒も生きててさっきとは違う表情や言葉や声色すべて私が見ても許される範囲イコール舞台上でずっと見ていたいからという熱量は、推しがいる人すべてが抱いたことのある感情。そこからタヒさんのいつもの言語化の天才的文章で頷ける1冊。
そうなんだけど、今の私は少し推しへのピークが落ちついたタイミングで読んだので解る〜と思いつつも少し熱量が一緒じゃないから読み進めるには至らず。
でも、それすらも推しがいた時虹色の心の中にもあった一瞬。同じ人やグループが好きな友達ができても熱量が少し違えば一緒に推す事に少し遠慮や気を使ってしまって、自分の心の思うまま自由にこの溢れ出る好きをとどめたくないハッピーな私!生まれてきてくれてありがとう推し!!という感情の熱量が一緒でなかったので途中まで読んだまま。
きっとまた推しに対してふつふつと熱量があがって「君が好きだと叫びたい!!」となった時にまた再読したい。 -
Posted by ブクログ
今まで世に出た漫画に出てくるキャラクターたちをピックアップしてその人生観や人柄を紐解いて解説してくれる、文庫本の後ろの方の解説みたいな、解説入ると感じ取れてない部分を掬い取ってくれて視界がひらけてくるような。
愛のある見解が見事でキャラがよりキラキラ光って見えたな。
らんまのシャンプーとムースの関係性から人の愛し方優しさ距離感を説いてくれるし、エヴァのミサトさんの保護者観、鬼滅の炭治郎の過度な優しさについて、PEANUTSのルーシーの嫌われ具合について。
ただ言い回しが独特で哲学的で私には汲み取りが難しいなって文章がちらほら。
漫画の作者もそこまで考えてキャラを生み出してないんじゃ、、?とまで考えちゃうくらい奥深く解説してくれていて、受け取り方って人それぞれだなーってそのこと自体おもしろかったな。
そしてとんぼせんせいのこのイラスト、にっこりしてて可愛いんだけど読み進めるとちょっと不気味に。
炭治郎なんて血まみれでこの顔だから猟奇的でこわい。笑