金原ひとみのレビュー一覧
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全然ハッピーな話じゃないけど、とても面白かった。金原ひとみさんの本を読んだことがなくて、ずっと読みたいと思ってたのですごく達成感(笑)
この作品の登場人物は、みんな男女関係に問題がある。不倫してたり不倫されてたりパパ活してたり。これが一人称小説だったら「なんでこいつ不倫してるのに反省しないんだよ」とか、「なんでこんなに子供や親への当たりが強いの?」とか、登場人物に対する不満が出てくるんだろうけど、章ごとに語り手になる登場人物が変わってそれぞれの事情が見えてくるから、それぞれの苦労や心労が如実に見えるので、そんな不満は生まれない。むしろ、「どうしたらこの人は幸せになれるんだろう」って一緒に悩んでしまった。
どの人物も幸せではないので、この本を読んだら「私の生活って平凡で幸せだな」って感じられるかも。 -
Posted by ブクログ
自分にとって高カロリーな小説だった。
ここまで書き上げる金原さんのエネルギーがすごいと思う。
最初娘との会話における志絵の言葉が機械的に感じて没頭できなかったけど、友人や中津川さんとの会話を通して純度の高い志絵が見れた気がした。
志絵の生き方に、人によっては嫌悪感を抱くだろうけど、倫理的、法的に正しい道は決まっていても、個人にとって正しい道はそれぞれだと思う。
絶対的な正しさを武器にした掲示板の書き込み、YouTubeのコメント欄などに共感を持ちつつも息苦しく感じるのは私だけだろうか。
そして「そもそも小説に求めるべき価値は、社会的正当性のない言葉を如何に伝えられるか、だけです」という言葉に共感し、私がなぜ小説が好きなのかを思い出させてくれた。
個人的にりかりの誑かす論が大好きで何度も読み返している。
私も感じたことをもっと言葉で表現できるようになりたい。 -
Posted by ブクログ
いろいろな作家さんの話が読めるので、短編集はさくさく読めてしまいます。今回は、『最後の晩餐』をテーマに7編が収録されていました。『最後の晩餐』というと、イメージとしては悲しかったり、切なかったりというマイナスな感情が先にたっていたけれど、どの話も前向きな話で自分の『最後の晩餐』についても考えてみたくなった。
どの作家さんの話も好きだったけど、個人的には金原ひとみさんの話が好きでした。コンプラが叫ばれる社会でこんな集まりがあって、ひたすら高カロリーな物を食べまくる…素敵な最後の晩餐だなぁと羨ましくなった。ちょっと学生時代を思い出した。
井上荒野さんの「本当の話」も心がじんわり温かくなる素敵な話でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレなるほど、まさに「藪の中」ですね。同じ出来事でも、語り手が変わればまったく異なる姿を示します。しかし、芥川の『藪の中』と異なるのは、「何が起こったか(真実)」ではなく、「それをどう評するか」が問われている点です。本作で扱われる出来事も、語り手ごとに評価が大きく異なっています。
特筆すべきは、過去の出来事が現在の価値観・基準で裁かれている点です。橋山美津に告発された木戸悠介の性加害は約10年前の出来事であり、橋山自身も当時は「被害者である」という意識を持っていなかったと述べています。自分が搾取されたという概念は、その後の10年間で形成されたものだといえます。
法の世界では「法の不遡及」により事後法で裁かれることは原則ありませんが、SNSの世界ではこの原則は通用しません。木戸悠介はSNS上で断罪され、すべてを失ってしまいます。非常に容赦がない世界です。
しかし、作中で長岡友梨奈が指摘するように、価値観や基準は常にアップデートされており、そのサイクルもどんどん短くなっています。現在の視点だけで誰が悪か、誰が加害者かと決めつける行為は、どこか空虚なのかもしれません。
とは言え、年齢層が近いからか、僕は木戸祐介には同情的。息子の越山恵斗は苦手です。そして、よく考えるとリコもとっても恐い気が、、、以下は、気になった登場人物についての考察です。
長岡友梨奈
間違ったものを徹底的に排除しようとする正義感は苛烈で、目についた者を次々と刺していく狂人のようにも見えます。当初は「言葉」を武器にしていましたが、後半では「暴力」そのものを武器とするようになります。敵と見なした相手には徹底的に不寛容である一方、木戸悠介への追及だけはどこか生ぬるい印象があります。それは長岡と横山一哉の関係が影響しているのかもしれません。男女が入れ替われば、長岡と一哉の関係も木戸と橋山の関係と同様、完全に黒だといえるでしょう。長岡友梨奈の正義は、個人の思惑が混入したダブルスタンダードな正義なのではないかと感じました。
木戸は長岡を「この女は世界平和を望みながら世界が滅亡する小説を嬉々として執筆する女だ」と、ある意味高く評価していますが、実際の長岡の言動を見る限り、それは木戸の買い被りであったように思えます。木戸は長岡に「俗世を俯瞰する冷徹な表現者」であってほしいと願っていましたが、現実の彼女はもっと泥臭く、狭量で、感情的でした。「言葉」で世界を変えるはずの作家が「暴力」を行使し始めた時点で、その歪みは限界に達していたように思います。
木戸悠介
現在の価値観で見ても、彼はそこまで悪人とは思えません。アップデートが追いついていないものの、そのことに自覚的である分、五松武夫よりも善良だといえるかもしれません。自らが裁かれる中で、長岡だけは「本物の表現者」であってほしいと願う文学的ロマンを捨てきれない姿は、哀れみすら誘います。
加害者と断じられる一方で、木戸は離婚した妻や妹夫婦に金銭的に搾取され続ける被害者でもあります。しかし寄生者たちは、木戸が性加害者と告発された途端、容赦なく非難し切り捨てます。「過去の恩恵」を簡単に忘れる妹夫婦、「薄っぺらな正義感」の息子。木戸は家族に恵まれず、やはり哀れだと感じます。
五松武夫
徹底した小市民であり、性欲と利己主義だけで動いています。スケールの小ささゆえに悪人というより「ただの愚者」。哀れというより滑稽な存在です。
越山恵斗
自分の感性を根拠なく信じられるのは若者の特権ですが、底の浅い正義感と処罰意識で行動しており、父親である木戸への言動は非常に冷酷です。現在はいかにも正義側の越山恵斗も、10年後には断罪される側に立たされている可能性があります。
長岡や木戸には人間的な弱みや痛みが見えます。長岡の「狂った思想」、木戸の「古いロマン」、妹夫婦の「世俗的な欲」も、良くも悪くも人間的です。しかし越山恵斗だけは、中身がスカスカのモンスターのように見えます。SNS世代のクリーチャーといえる存在です。
リコ
エピローグともいえる短い最終章の語り手であるリコは、つかみどころのない人物です。ラストの「自分を責めないで塞がないで口を閉じないでもっと自分を信じて立ち上がらなくてもいいでも崩れ落ちないで」という言葉は、現代を生きる人への応援歌のようにも聞こえます。しかし、その直前でリコが長岡と同じ「無敵メンタル」を自認していることを踏まえると、どこかモヤモヤします。「無敵メンタル」から発されるエールは、一種の「正義の押し付け」にも見えます。長岡友梨奈という怪物が死んだあと、リコという「次の怪物」が誕生したのかもしれません。 -
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2021年第57回谷崎潤一郎賞受賞の短編集。
収録された五編はいずれも文芸誌『新潮』に2019年から2021年にかけて発表された作品です。
コロナ禍を振り返って描いた小説ではなく、その時代の まさに”ライブ”のような短編集でした。
「ストロングゼロ」
アルコールに詳しくない私でも、その商品名だけは知っていました。
精神的に不安定な同居人に寄り添い続けるうち、自らも共感疲労にも似た状態へと追い込まれ、ストロングゼロに依存していく女性。読んでいて、この息苦しさや閉塞感をどこまで計算されて描かれているのかと考えずにはいられませんでした。
「デバッガー」
年下の恋人との年齢差という”バグ”を修正しようとするかのように、美容整形へと依存していく女性。
若さは、ときにホラーです。思わず「わかる」と頷いてしまう心理描写でした。
ラストはぜひ読んで味わっていただきたいのですが、林真理子のある小説を思い出しました。設定は異なるものの、年齢差への不安がたどり着く結末には、どこか共通するものを感じました。その重なりが、とても印象に残りました。
「コンスキエンティア」
初出時のタイトルは「アンコンシャス」。単行本化にあたり改題されています。
「無意識」から「良心」「自覚」「自己認識」へ。対照的なタイトルの変化が、この作品に何を与えているのか考えさせられました。
夫との関係を存続させるため、不倫という関係性に依存していく女性。
ここまでエネルギーを注ぎ続けられることに、私はただ「元気だな」と思ってしまいました。
「アンソーシャル ディスタンス」
タイトルを見て「どこかで聞いた言葉だな」と思いました。それもそのはず。コロナ禍であれほど耳にした「ソーシャルディスタンス」をもじったタイトルです。
コロナ禍での恋愛、対話、触れ合い。閉塞感に満ちた社会に押しつぶされる前の、必死の逃避にも思えました。
若さと無知は、同罪ではない。そんな気がしました。
「テクノブレイク」
今回、この小説で初めて「テクノブレイク」という言葉の俗語的な意味を知りました。
その意味を知ると、このタイトルが作品そのものを表していることがよくわかります。
今回も 金原さんは攻めていました。 -
Posted by ブクログ
恋愛小説かと思ったらそんなことなかった。
「これでこそ感情だ。人間だ。」というのを嫌というほど感じさせる物語だった。
何のためにこんなことをしているのか、続けているのかもはやよく分からない、けど衝動や無意識が自分を突き動かす。これでこそ人間だ。
主人公の中にはわたしが軽蔑しているようなタイプもいた。そのような行動をする彼女らの一人称で語られることで、喜び、怒り、悲しみ、戸惑い、諦念、虚脱感、葛藤など一つでは言い表すことの出来ない感情について、理解は出来なくとも知ることができた。
私がこれを理解しないというのは、理解するのが怖いということでもあり、本当は理解できるし知っている感情達なのだと思う。
整形沼に陥る主人公も最初は整形する人の気持ちが分からないと言っていたのに、気付いたらその沼にハマってしまっている。後戻りできない世界に飛び込んでしまったんだと言っている。
当事者から見る世界がこれでもかと視野狭窄に描かれていて疾走感や焦燥感がすごい。
人間が隠している、抑えている部分がこれでもかといくほど溢れ出していた。
タイトルの通りコロナの話も出てくるのだけれど、コロナが怖かったのは、個人の考え方や価値観の違いが浮き彫りになるところだったな、と改めて思い出したりもした。
朝井リョウさんが解説の中で主人公達の視野狭窄について触れており、イン・ザ・メガチャーチと通ずるものがあった。