あらすじ
キャバクラ嬢のアヤは大学時代の同級生であるホクトと些細なきっかけから同居を始めた。彼は小児性愛者で、大人の女には見向きもしないのだった。ある日、ホクトの知人である村野という冷淡な男に出会い、アヤは強い執着を抱く。しかし、ホクトが家に赤ん坊を連れ込んだことから、すべてが歪み始めた…。欲望の極限まで疾走する愛を描き、いびつな真珠のように美しく衝撃的な恋愛小説。
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Posted by ブクログ
案の定、レビューの評価がめちゃくちゃに割れていて、思わず笑ってしまった。
それを書いてしまうのか、という驚きのある作品だった。テーマのキツさはあるが、文章が巧いので、読まされた。
狂った小説を読みたいときにオススメ。
Posted by ブクログ
この小説から金原ひとみさんにのめり込みました。
この日常的に感じる感覚の表現や思考回路等全て好きです。
人間らしさがよく出てるんじゃないでしょうか?
好きな作家さんの1人です。
Posted by ブクログ
私はどうしようもないバカですが、久しぶりに本が読みたくなって手に取ったのがこの本でした。
読もうと思ったキッカケは、お笑い芸人のバービーさんのラジオ、お心理研究所のゲストで金原ひとみさんが出演されていて「アッシュベイビー」がやばいみたいな事を言っていたから興味を持ちました。あのバービーさんがやばいんならきっと面白いはずと迷いなく購入しました。
一般的な下ネタも大丈夫だし、大概のゲスい事も笑える方だけど、小説の内容は結構グロかった。
痛いのは勘弁だけど、女性の繊細な描写とクレイジーな表現が惹き込まれる。
自分にはファンタジーな世界として捉えて、とても面白かった。
Posted by ブクログ
とても好きだったかもしれない。
金原ひとみさんの作品は初めて読んだが、
アヤやホクトのバックグラウンドがずっと見えてこなかった。なぜアヤがこんなにも空虚で薄情で明るく陰湿なのか、掴めそうで掴めなかった。
まぁでも人は他人の思考の至る範囲だけで生きているわけではないだろうし、すべての言動に根拠があるわけでもないだろうし、そういう諦めに近い感覚と妙なリアルさを感じた。
読者に寄り添っている感じはないが、文章のリズムがよく読みやすい。
この方の作品を他にも読んでみたいと思った。
Posted by ブクログ
意外にも(自分の中で、ってこと)、初の金原作品。こういう作品に触れると、現代文学、面白いじゃんって思えるんだけどな。ある程度の分かりやすさ・読み易さが必要なのかも、自分程度にとっては。あと、ダメな作品の次に読んだという、そのタイミングもあったかも。なかなかのエロ描写が繰り返されるけど、それ以上に、ときに繰り出される間断ない独白部分が最高で、思わず笑わされることもしばしば。個人的に、川上未映子の作品が思い浮かびました。他の作品も読んでみたし。
Posted by ブクログ
ある意味「人間失格」
人間失格では太宰治の人生が投影されていた。
あの作品の葉蔵は戦後の人々の「エゴ」に絶望を感じ、そんな世界と戦うために自分の中に潜む「エゴ」と戦い続けた。
この作品は「エゴ」に憎悪を感じ、「エゴ」だらけの世界に同化して「エゴ」に包み込まれた女の話。
金原ひとみの力強く、主人公の内面を包み隠さない内面に感動した。
最後は胸を痛めながら村野にアヤを殺してほしいと祈った。
「こうであってくれ」と一番祈った作品。
Posted by ブクログ
いわゆるメンヘラマインドを描いている。同居人は特殊性癖の持ち主。かなりどうしようもない感じ。それゆえになにか伝わるものがある。食うに困らないのに闇が深い。という現代日本の特殊な部分を切り取れていると思う。これはすごい作品だと思う。
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一気に濁流に飲み込まれるような小説だった。この一冊でトリップできてしまう。
愛に飢えて歪んでいく心理描写がリアルだった。辛くて痛い。わかるなー。
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狂気に満ちた異常な愛と欲望の物語。
全編主人公アヤ視点で進行し、そのほとんどがアヤの心理描写となっている。また章分けなどもなく冒頭からラストまでで一つの構成である。
登場人物全員が欲望に狂っているが現実も似たようなものかもしれない。
アヤの異常なまでの愛情への執着は、多くの矛盾をはらみながら、また極端に歪だが美しいほどの表現力で描写されている。
一方でホクトについては異常性欲とアヤからのプレゼントを含め胸糞が悪くなる。
まさに現代文学といった作品だが、文学にしてはかなり読みやすく、大長編でもないので読んでみてもいいかもしれない。とはいえかなり人を選ぶのでおすすめはしない。
Posted by ブクログ
『アッシュベイビー』
金原ひとみ さん
『蛇にピアス』の次の作品
パンチ 効いてんなぁ…ってね
刺激的だわ
キャバ嬢のアヤは大学のゼミで一緒だった
ホクトとルームシェアをしている。
彼は小児性愛者で、大人の女には見向きもしない。ある日、ホクトの同僚の村野という男に出会ったアヤは村野に強く惹かれてしまう….
…って入りです。
本作の『アッシュベイビー』は…
『蛇にピアス』のときよりも激しい性行為
だったり、性的描写がリアルに描かれていて
嫌悪する人も少なくないような気がします。
ただ、文章は繊細で力強く(これは蛇にピアスにも言えますが)…アンバランスな感じが堪らないんです。
「初めまして」
そう言って名刺を差し出す男の指を見て、私はため息をついた。こんなに完璧なフォルムの手は初めて見た、というくらい彼の指は美しかった。彼の手は、美しく、かつ高貴な微笑みを浮かべていた。
アヤが村野と初めて会い、急速に惹かれてしまう場面…素敵♡でしょう?
蝶のように舞う、彼の手は、蜂のように私を刺す。
はぁぁぁ…
この表現も好きだなぁ♡ 堪らん♡
もっともっと 金原ひとみの作品を
読んでみたい と思ってしまう
言葉や表現が繊細で心地よくって
なんだろう…
性行為や性描写すらもそう感じてしまう
なんか そういう描写もキラキラ✨してるような
(全然…そんなんじゃないんだけどね)
この作品を出すにあたって
どんな気持ちだったのだろう
いろんな葛藤があったのか…なかったのか?
今から20年程前の作品なのに
全然色褪せずに読めるというのは
凄いことなんじゃないのだろうか…
金原ひとみ 沼りそう ಠ_ಠ
Posted by ブクログ
小児性愛者や動物虐待の描写がメインで、終始ドロドロ鬱展開。
セックスが話の中心。
ドロドロにどっぷり浸りたい時には良いかも知れないけど、読後感は気持ちの良い物ではない。
でも、惹き込まれるものはある。
自分の中の醜い部分が呼応しているのか。
荒んだ心の時に読むと、不思議とスッキリする。
ピタリとはまるときは、はまる。
Posted by ブクログ
嫌いじゃなかった。
ホクトもアヤも同じぐらい狂ってて気持ち悪い。
でも、嫌いではない。読んでるだけで痛い生々しい描写もあり、人を選ぶ作品だと思う。
人間味。
1年後にまた読みたい。
Posted by ブクログ
金原ひとみ最高。頭の回転早すぎて、かっとんでて、全速力で駆け抜けてるみたいな文体最高。感覚っていい〜生々しくてまじ人間してる〜という感じになる
小説を読んでるちこんなにも人のことを知っちゃって嬉しい〜ってなってた入試の時の最果タヒさんを思い出した。
Posted by ブクログ
常軌を逸してるとしか言いようがない話
登場人物にまともな人は一人もいない…
みんな、自分でもどうしようもないんだろうなあ
でもこういう話、割と好き
Posted by ブクログ
恐ろしいほどに互いを知り合っている女たちを見ると悪寒がする。彼女たちを見ていると、いつかどちらかを刺し殺してしまいそうな気がしてしまうのだ。あまりにも他人を知ってしまった時、人は死ぬか殺すかの二択になってしまうのではないかと、思う。_____p.19
Posted by ブクログ
現代風俗を描いて同時代性を訴えるのが効果的なのは、村上龍で終わったのでは、と思っていた。
つまり風俗描写が訴求力を持つ時代ではすでにない、という認識。
しかしこの作品を読んで、ある程度見方を変えた。
もとは表紙を見て、
ベルメールだ! そこらのギャル作家が使うなよ!
と反発感をもっていた。
サティの曲を勝手に(?)使うピンクポルノを見たときのような気持ち。
作中の半分以上が、マンコだのチンコだとセックスだのオナニーだのイッただの殺してだの割れ目だのという語彙の繰り返し。
「きぇえー」と自傷して内腿に裂け目を作り出したころ、すなわちルームシェアニストのホクトが赤ん坊をさらってきたころから、いろいろなものが歪み始める。
その描写は龍と同質のリアルさで縁取られている。
「好きです、そう呟くと、マンコが一粒涙をこぼした」という一文は、さすがにやりすぎで笑った。
決して悪くない。他の著書にも興味を持った。
Posted by ブクログ
『女としての価値を見出してもらわなければ、自分の無力感に泣き出してしまうから、この仕事をしている。』
『ベッドのシーツがどんどん赤くなっていった。ああ、いいね。とっても綺麗。この赤が私の体に流れていたなんて、想像出来ないよ。とっても綺麗だよ。私、血だけならこんなに綺麗なのに、どうして私はこんなに汚いんだろう。』
『裂けてるんだ。私たちは、裂けてる。いつもいつも、マンコを裂けさせて、いつも待っている。いつも、何かが入ってくるのを。そして祈っている。それが茄子とかキュウリでない事を。』
『ああ、あいつはまだ生きてるんだ。こんな生きる価値が微塵もない世界で、生きてるんだ。可哀想に、ともおめでたい奴だ、とも思った。』
Posted by ブクログ
金原ひとみさんの作品を少しずつ読んでいく予定。
私の中では村上龍氏とどこか同じカテゴリーに属していて、かつては村上龍で手一杯だったと思う。
本作は二作目にあたり、初期作らしいきりきりとした緊張感が漂う。社会なのか、家庭なのか、何かに抵抗している若さを読むことになる。
「アッシュベイビー」は、ベイビーという生命を扱いながら、それを灰色の存在へと変形させる。そこにこそ金原ひとみの挑戦的な文学性は際立つが、同時に文芸としての限界さえ感じさせられる。
眩しい世界を避けながら、しかし個として沈むことにも抵抗する。そんな難しい生き方。
金原ひとみにとって、作家であること以外に道はなかったのではないかと思う。
これを入口として、時間はかかっても現行の作品までたどりつきたい。金原ひとみという作家の軌跡と彼女の生活の変化を感じれるといいなと思う。
Posted by ブクログ
思ってたより激ヤバ暴力倫理観皆ってほどじゃなかったから拍子抜けしちゃった。
小児性愛やばすぎ云々って書かれてたからてっきりガチガチにやってんのかと思ったけど全く無いに等しかった。期待しすぎた。
とにかく感情の描写が上手いし美しすぎて素敵。
終わり方が超クール❕❕
刺さるのに刺さりたくない
私には小説の好み的な意味でも性癖的な意味でも性格的な意味でもすごく刺さる作品だった。
アヤの生きることへの無力さ、死にたいと思っているにも関わらずこの人を知りたい欲しい、仕事での地位などの小さいものにもこだわっているところが『生』というものへの執着を感じた。
ホクトの小児性愛すらも超えた性癖には言葉にできない程の嫌悪感を抱いたが、何が彼をそうさせたのかと気になってしまったり、彼は何を考えているのかと何故か嫌いにはなれなかった。
アヤの死にたいけど生きたい、でも死にたい、でも勇気はない、だから『何故か愛したっぽい』人(村野さん)に死を要求して『生』という責任から逃れようとしているのだろうか。村野さんは生にも死にも執着しているのかどうかも分からない程何も答えをくれなかった。分からないからこそ惹かれ自分の生死を彼に委ねたのではないかと思った。
そんなアヤと自分を重ねてみたり、ホクトと村野を自分が向き合うとどうなるのかと考えてみたり、とてもヘビーで終わった時にはしんどくて泣いてしまった。
何度も読み直したいし2度と読みたくないとも思う。
登場人物みんなを大嫌いだし大好きになった。
刺さるのに刺さりたくない、いや刺さるべきではないと私はおもう。
Posted by ブクログ
"小児性愛"というワードに釣られて読んでみたが、行為の相手は赤ん坊でかつ動物とも可能で、大人の女性相手でも行えるというなんだかよく分からない異常者だった。
上記の男性ホクトの異常ぶりが分かる描写や語り手の女性の動物虐待の場面が非常に惨たらしく素晴らしかった。
語り手の女性の心理描写や登場人物達の行動原理が全く理解出来なかったものの、たまにはこういった作品も良いかなと思えた。
Posted by ブクログ
セックスセックスってセックス以外にないのかって思うけどセックス以外何もないんだろうなあと思う。自分に足りないものを他人に補ってもらうのが愛ならセックスも愛だし。でもそこまでしても二人同じものを見れない、自分の体と心のラグと、他人の心と体との温度差みたいなのはよくわかる。ただもう少し伝えようとしてほしい、ブログとか日記ならこれで良くても小説ならもう少し核心を見せびらかしてほしいといつも思います。ハイドラとかのほうが筋がしっかりしていて好き。
Posted by ブクログ
最初はこんな世界もあるんだなと思って読んでましたが、だんだん狂ってくるというか、いつの間にこんなおかしな展開になってたんだろうという感じです。
振り切れてる感じが独特で面白かったです。が、もう一度読もうとは思いません。
Posted by ブクログ
はじめに女がいて。その次に男がいて。あと付属品がある。これが金原ひとみの世界だ。どうしてこんなことになってしまうのだろうか。蛇とピアス以来、行ったり来たりずっとぐるぐるしているように見えるのだけれども、それは違うのだろうか。私は金原ひとみのどうしようもないくらいに女性に執着して逃れられずじたばたしているその感じがとても好きなんだけれども、手を変え品を変えっていう風に少し思えてしまうのが残念だ。蛇とピアスの爆発的な勢い、みたいなものがあまり感じられない。しかし読み物としては私はこれはまた面白いと思ってしまう。この前蛇とピアスの自室原稿を見たのだけれども、ホテルのメモ用紙みたいのに横書きでがりがりと、スプリットタンのあの描写があって、わたしはほんとうに、それが好きだなあと。
Posted by ブクログ
前作の『蛇にピアス』も読んでいるのだけど、その2作を通して感じるのは、「身体」に対する異常な「執着」。
あたし自身は、自分の体にあまり興味がないから実感としてはあまりピンと来ないのですが、「身体」の何がそんなに重要なのか(あるいは重要でないのか)、気になるところ。
小説としておもしろいなぁと思ったのは、一番最後の一行。
「。(句点)」がないってだけで、なんていうか、だいぶ終わりの感じが変わるんだなぁと。
フェードアウト…っていうか、むしろ崩壊の始まり、あるいは終わり的な…。
不思議な感じ。
んで、解説がなけりゃもっとよかったのに。。。
というか、帯の村上龍の宣伝文句も、解説の斉藤環も、なんかなぁ〜…。
村上龍の小説は(あんまり読まないけど)とくに好きでもキライでもないし、斉藤環の新書もたまに読むから、自分たちの本を書くぶんにはべつによいのだけれど、この人たちの書評はホントに微妙。(…と思うのはあたしだけ?)
「若い子の気持ち、わかってます」的な雰囲気がイヤ。
んで、「理解ある」風に、必要以上に賛美するところがイヤ。
なんか、それまで本読んでて盛り上がってた気持ちが一気に萎えるというか…。
金原ひとみの本なんかは、解説いらずで、各人、読み終わったときの消化不良感を存分に味えばいいのになぁ…と、思ってみたり。