雨宮処凛のレビュー一覧
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コロナ禍では弱者が大きな被害を受けています。
非正規労働者や、本来しっかりとした教育を受け
るべき学生たちがその最たるものです。
しかしコロナは単なるきっかけであって、以前
より社会の弱者との格差は問題とされていまし
た。
それでも関係のない人にとっては、その問題は
「見えない」のです。
その見えない問題に鋭くメスを入れる対談が本
書です。
特に「相模原事件」に関する下りは、新聞報道
とは違った切り口で論じられています。
雨宮処凛氏は裁判も傍聴していたので、彼女自
身の持論も交えた真実には引き込まれます。
「相模原事件」も、弱者が犠牲になっているの
です。
社会的弱者に目を向け -
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雨宮さんと私とではアウトプットの仕方は違うけれど、親に反論もしない真面目ないい子ちゃんが女の子として育てられて感じてきた閉塞感とか違和感にはすごく共感した。
著者とはほぼ同世代だけど、自分と同世代でもずいぶん古くさいこというんだなーと気になるところはいくつかあった(メンヘラで自殺未遂した人が結婚して幸せな専業主婦になっているのを「成功例」みたいな言い方をしていたり)。でもこれも、ちょっと前のコラムを掲載しているみたいだから、今書いたら他の表現をされているかもしれない。
なので、巻末の文庫のための対談は一番納得で、痛快で、面白かった。
同世代の友人から「女の人は結婚すればすむけどさー」という言 -
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内田樹さんんが呼びかけて「中高生向き」に書いてもらった,オムニバス本。わたしが知っていた人は6~7人だが,それぞれの呼びかけが面白かった。
本書のメッセージは,30代~70代の年代別に分かれていて,70代なんて,中高生が大人になった頃はほとんど現役ではないわけで,だからこそ,なにを呼びかけているのかが,気になる。
新型コロナによって暴き出された現代社会の矛盾は,コロナ禍が過ぎ去ったとしても,なんらかの修正を迫られるはずだ。会社に行かなくても仕事ができる…と分かったからには,満員電車に乗って会社へ行くこと自体が,すでに「必要なこと」ではなくなってしまった。密を避けることは,過疎地域では当た -
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僕にもできた国会議員
山本太郎 雨宮処凛 筑摩書房
〜泣けるほどに面白い〜
ショックハゲができたり
ストレス肥満になったりしてたあの頃を
絵に描いたように飲み込めると同時に
涙があふれてしょうがない
しかも
10分前には死にたいと思うような中
尽きることのない利他と言う目的を持ち
一人でも行政の一端を動かせる現実に触れ
乗り越えてきた今の太郎さんを目の前にして
感動の涙に喜びが湧き上がる
それを支えながらも背中を押し続けてきた
鬼のようなスタッフの存在にも頭が下がる
この意識の連帯が固まったり
タルンだりしないことを祈る思いで
私も遠くから臨機応変に繋がりながら
勇気をもらって
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私はあまり読書をしない。本屋にはよく行くし、小説コーナーでは2時間くらいふらふら彷徨うことはよくある。だけど本を買いすらしないこともある。「私は映画でも演劇でも本でも音楽でも、"自分の気持ちと重なるか否か"でしか見れない(本著p106)」から、そんな作品を、そんな著者を見つけ出すことがなかなかできないからだ。しかし雨宮氏のこの言葉に同調できるのと、自分も中学あたりからサブカルに偏っているので知っている文化人や作品の名前が出て来て、ほくそ笑んでしまった、ああそんな作品と出会えた、と久しぶりに思えた。中途半端にサブカルに傾倒し始めて、全然同級生と馴染めなくて人殺しみたいな目をし
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今から9年前に発行され、後に文庫化(ちくま文庫)されたが、今の雇用情勢は当時より悪化している。本書では「労基署は何もやってくれない」と訴えているが、今や労基署の窓口で失業者に対応する職員も、そのほとんどが「非正規社員」である。安倍政権は発足以来、国会で「自民党政権になって以来、雇用情勢は回復している」と強調するが、雇用が増えているのは「非正規社員」であり「正社員」は減少傾向が止まらない。工場の多くが非正規社員になったことで、日本企業の技術力は完全に失われた。
とある投資家が「日刊ゲンダイ」に執筆しているコラムで
「スーパーの『ダイエー』が凋落したのは、人件費を削ったからだ。パート社員が売り場の -
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ネタバレ本書で度々指摘されているように、フリーターやワーキング・プア等の若年労働力を巡る問題を複雑にしているのは、彼らのプライドに関わるデリケートな部分である。本書のタイトルのように「生きさせろ!」とストレートに叫ぶことを彼らの多くは忌避するし、むしろそう叫ぶものを侮蔑することで自らの優位性を確認する。「社会のせいにしたくない」という台詞は、この世代が大人になる過程で刷り込まれた「中流的」プライドが吐かせるギリギリのつぶやきなのだろう。
そのような彼ら心のタガをさらに固めるものとして、自己責任論や「犠牲の累進性」(典型例として曽野綾子「貧困の光景」を挙げよう)を強調する言説が存在する。「第三世界の貧困