あらすじ
プレカリアート(不安定層)問題について運動、執筆し、注目される著者の自伝。激しいイジメ体験→ビジュアル系バンド追っかけ→自殺未遂→新右翼団体加入→愛国パンクバンド結成→北朝鮮、イラクへ→右翼をやめてから現在に至るまで。息苦しい世の中で死なないために。
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Posted by ブクログ
こわれ者の祭典の会長でありワーキングプアの問題に取り組む雨宮処凛さんの自伝。
アトピー性皮膚炎が原因のいじめに苦しんで楽になりたくて足掻いた日々親に言わないことでかろうじて自分を保っていた。
ビジュアル系バンドの音楽に救われ音楽雑誌の読者投稿欄を通じてビジュアル系バンドのファンと繋がり自分の居場所を見つけビジュアル系バンドの追っかけにはまっていく日々。
追っかけをやっていても出口が見えない中でリストカットや家庭内暴力に走り、天野可淡という人形作家の写真集に触発され人形作家を目指すもアトピーで挫折。
地下鉄サリン事件をきっかけに右翼バンド結成、自分の中の漠然とした自分や世の中に対する怒りや違和感を初めて言葉で表現することが出来て生き甲斐を見つけるが、自分の価値観を右翼団体に委ね自分の弱さから目をそむけているだけじゃないか、本当に変えたいのは情けない自分じゃないかという迷いの中で右翼バンドを結成し映画「新しい神様」の撮影の中で借り物の言葉で自分の怒りを表現出来て、自分のことを少しは好きになれた。そして右翼団体の脱退。
プレカリアート運動や反原発運動など絶賛世直し活動中。自らの正義感と生きる実感と居場所そして本当に信じられる物を求めて疾走する人生。
青春が美しいなんて誰が決めた?
汗まみれ涙まみれになって、コンプレックスや無力な自分にいらだったり、決して美しくないけど、良識や常識を疑い自分が感じる違和感と怒りに忠実に立ち向かう、そんなやり方でしか自分の居場所、生き甲斐は手に入らないことを教えてくれる熱い自伝です。
「怒りを忘れ、意味のない理性や良識の中に逃げ込んで、無責任と無気力に浸かりきったオマエラ!オマエラがまずこの退屈な平和から脱却せよ!当たり前の怒りを言葉にしてみろよ!」
Posted by ブクログ
私はあまり読書をしない。本屋にはよく行くし、小説コーナーでは2時間くらいふらふら彷徨うことはよくある。だけど本を買いすらしないこともある。「私は映画でも演劇でも本でも音楽でも、"自分の気持ちと重なるか否か"でしか見れない(本著p106)」から、そんな作品を、そんな著者を見つけ出すことがなかなかできないからだ。しかし雨宮氏のこの言葉に同調できるのと、自分も中学あたりからサブカルに偏っているので知っている文化人や作品の名前が出て来て、ほくそ笑んでしまった、ああそんな作品と出会えた、と久しぶりに思えた。中途半端にサブカルに傾倒し始めて、全然同級生と馴染めなくて人殺しみたいな目をしてた自分に読ませてあげたかった。社会に出て行くのに不安しかなかったし希望も感じられなかったし、けれど若くて社会に属していないからこそできたことがたくさんあった。しかし中学、高校と卒業し学生である今でも重さは違えど彼女と似たような自傷行為や逸脱した性行動に走ったり何かに不満がある状態が不安定に続いていて、最近になってその問題に気づけたしこの本を読んで自分と重なるところがたくさんあり彼女の方が苦労しているし飛躍もしているから本当にリアルで個人的に面白かった。たくさん頁に折り目をつけた。また、読み返したい。
Posted by ブクログ
特定のイデオロギーに傾倒すると何処かでなにか間違ってしまうような気がしてたが、雨宮処凛が同じことを言ってくれて、このまま行動してもいいのだと、勇気と元気が湧いた。
Posted by ブクログ
今労働問題など運動を繰り広げ、「プレカリアートのマリア」と呼ばれる雨宮処凛の自叙伝です。イジメ。リスカ。バンギャ。民族運動…。よくこんなにいろんなことを経験したもんだなと、最初はあっけにとられました。
現在、貧困・労働問題などで、活発な執筆および労働運動を展開し、『プレカリアートのマリア』と呼ばれる雨宮処凛の自叙伝です。一読して唖然としました。壮絶な人生です。いろいろな意味で無茶苦茶です。イジメ。リストカット。自殺未遂。バンギャ。民族運動。そして転向して、プレカリアート問題と、本当に驚かされました。この前、某無料動画サイトで彼女が当時組んでいた右翼パンクバンドの『維新赤誠塾』のライブおよびドキュメンタリー映像を観る機会があったので、ここに今回彼女の自叙伝を取り上げてみました。
彼女はバンギャ時代を経て上京後、キャバクラ嬢をしていたそうなのですが僕がその中で爆笑したのは『軍歌が歌えるキャバ嬢』というフレーズで、キャバクラ嬢という職業とのあまりのギャップに大笑いしたことを覚えています。この本は人によっては非常に不愉快な内容を含みますのであんまり人にはお勧めできませんが、ある1人の女性の軌跡というものを知るには悪くないとは思うんですが・・・。
それは実際にこの本を手にとって読まれる方にお任せします。
Posted by ブクログ
初めて彼女を知った時、とても衝撃を受けたのを覚えている
リストカットに追っかけ自殺未遂にバンド結成
はたまた北朝鮮やらでもデモやら映画やら。
読んでいて「ああ、私だけじゃないのね」ってとっても安心した。
多分、世間で言う普通の人間には全くもって理解しがたい内容だろうが
ショッキングな文章に私はとてつもない安らぎを感じたのは事実。
生きにくいこの世の中に一人ぼっちなんかじゃないんだと
世界のどこかで私と同じ思いをしているダメ人間が沢山なんだと万歳気分で明るくなれる
これは同じ仲間以外に、私は普通ですと言い切る幸せな人達にも読んで欲しい。
たぶん鼻で笑われるだろうが(笑
Posted by ブクログ
2000年に出版された25歳の時くらいまでの雨宮処凛の自伝の文庫本バージョン。
文庫版になって2007年に最終章を付け加えたようだ。
右翼団体に入ったところ辺りから「自由からの逃走」記録という感じ。
Posted by ブクログ
生きる意味が見つけづらい時代だ。いや、ただ余裕ができて「考える余裕」ができただけなのかもしれない。それまではそもそも「生きる」こと自体が目的であり、その「意味」を見つけようとする余裕なんてなかったのかもしれない。
この世の中に、或いは生きることに意味なんてないと、そんな風に思う。この本は雨宮氏がどうやって意味のない自分に、意味のない社会に、それぞれ"意味付け"を行ってきたかという記録の本である。いじめにより心が空洞になり、空洞を実感したからこそ彼女は意味を求め続けた。ある時はミュージシャンに、ある時はサブカルに、そしてまたある時は右翼団体に。
社会は自分たちに明確な意味を見出せていない。でもたとえ何らかの意味付けできたとしても、その意味に納得できない人は必ず出てくる。つまり、結局は自分自身で自分を、社会を、定義付けしていくほかないのだと思う。特定のプロパガンダが支配しない自由な社会を持ったその代償として、我々には自力での意味付けが求められる。現代版そのための思考力が強く求められているのだ。雨宮氏は少なくとも体当たりでその意味を模索していた。そのやり方に賛同、反対など様々な意見があるだろうが、少なくともその姿勢は悶々としている人たちへの強烈なメッセージになり得るだろう。