【感想・ネタバレ】「生きづらさ」について~貧困、アイデンティティ、ナショナリズム~のレビュー

あらすじ

多くの人が「生きづらさ」をかかえて生きている。これは現代に特有のものなのか? 不安定な労働や貧困、人間関係や心の病など、「生きづらさ」を生き抜くヒントを探っていく。

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萱野  完全に居場所がないという状態だったんですね。で、その後、右翼団体にいくわけですね? 雨宮  はい。こういう言い方は変かもしれませんが、右翼はすごく居心地がよかったですね。ある意味、いまかかわっている労働組合と似た感じがあります。労働組合に入ってくる人たちも、ここではじめて人間に対する信頼感を取り戻せたというんです。「この人を蹴落とさなきゃ」とか「競争しなきゃ」とかいう感情ぬきで、はじめて人と話すことができた、と。私にとっては、そういう体験をしたのは右翼団体がはじめてだったん



右翼にいったのは、いまから分析すると、「誰にもどこにも必要とされてない」という心情とすごく関係があったと思い



学歴のある人や上の世代の人なんかは、若者が「大いなるものと結びつきたい欲求」によってナショナリズムや愛国に走るんじゃないかと指摘したりします。それもあるとは思うんですが、実際に最底辺の現場で、アジアの人や他の貧しい国の人と働いていると――なぜか日本でそういう「外人部隊」にぶち込まれて働いていると――、日本人であるということしか拠り所がなくなって


フランスに、ジャン=マリー・ル・ペンという有名な政治家がいます。「移民はフランスからでていけ」ということを公然と主張している人で、フロン・ナショナル(国民戦線)という極右政党の党首をしてい



左翼はどうしても「こっちが正しいんだ」という態度で、相手のいうことを否定し、説得することに向かってしまいがちですから。で、相手が直面している実存的な問題やリアリティを見落として


無条件に認めてくれる


コミュニケーション重視型の



たとえばイケメンだったりキレイだったり、トークが冴えていたり、あるいは他人にアピールできるような特別な能力や資格、ステイタスをもっていないといけませ



共同体というのは、人びとに安定的な承認をもたらしてはくれますが、同時に排他的だったり、ややこしい共同体のルールやしがらみを押し付けたりもし



ただ、確実にいえるのは、まったく共同体的な承認なしにコミュニケーション重視型の社会を生きていくのは相当キツイということ



それから、コミュニケーション重視型の社会では、承認される人とされない人のあいだの格差も広がっていきます



そういう状況なので、フリーターをやればやるほど承認に飢えるという逆説的な部分がある。それがキツかったです



格差の問題って、経済だけじゃなくて顔面格差やコミュニケーション格差など、いろいろあるんですよね。それによって生き延びられるか、生き延びられないかが決まる。お金がなくても人間関係で生き延びられることってありますよね。 萱野  そうなんですよね。たとえば早い段階で学校教育からドロップアウトしても、コミュニケーション能力があれば、なんだかんだやっていけたりする。たとえばヤンキーとかで、地元の先輩・後輩の 絆 が強い人は、それほど職能的なものを身につけていなくても生きていけたりするんです


私も、右翼団体に入る二一歳ぐらいまでは、何でも自分のせいにしていました。自分のせいにして、死のうと思ってリストカットばかりしていたし、バイトをクビになるたびに「おまえはこの社会に必要とされていない」といわれてる気がして、ダメな自分を責めて、オーバードーズして救急車で運ばれたりしていました。でも、右翼団体に入って、全部アメリカと戦後民主主義が悪いんだ、とアメリカのせいにしたら治ったんです。ある意味、つねにクスリが効いてる状態というか、一発決めているような状態だったんですね。でも、その過程は自分に必要だったし、必要だったからこそそっちにいったわけで、そのおかげで生きやすくなった部分は確実にありまし

福島みずほさんや森達也さん、若松孝二さん、鎌田 慧 さん、斎藤貴男さんなど、いわゆる「左派」系の著名人たち



でも私は靖国にいったり、右翼の団体に入ったりしたとたんに、リストカットが治ったんですよ。うーん、靖国とリストカットのつながりって言語化するのが難しいですが、靖国参拝する人のなかにはメンヘラーの女の子なんかも多いんです



さらにいえば、どんなギャンブルや宝くじでも、一番儲けるのは、賭けをしているプレーヤーではなく、それを開帳してテラ銭(賭け金のなかに含まれる参加料、主催者の開催手数料)を手にする主催者です。つまり賭博をすればするほど、労働者は――誰が勝とうが――トータルとしてどんどんお金を吸い上げられていく。飯場で稼いだお金よりも、借金のほうが膨らんでしまうことだって珍しくありませ

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2023年07月06日

Posted by ブクログ

靖国神社に参拝したらリストカットがやんだ。

という言葉が印象的でした。

右翼活動や靖国参拝で自己肯定ができたのだと思います。

自己肯定感は自分で培うものですが、初期の頃は他人からの肯定が必要です。

それなのに世間も親も否定ばかり…

自己否定感がなければ行動を起こしやすいのだけど。

元日本一のニートphaさんは自己責任は50%と言っています。

残り50%は誰の責任かを知れば自分を責めて生きづらくなることもないのではないでしょうか。

残り50%を責めること=右翼活動やアメリカ批判でもアリだと思いました。

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2022年02月15日

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フリーター、派遣からみた社会が書かれている
ナショナリズムにより貧困を隠蔽している。そしてアイデンティティを殺すことにより、反乱を抑える
社会で「生きる権利」を奪い取っている
国が搾取しているのに、原因を国民に押し付ける
一部の人間だけが豊かな国
問題の側面がよく分かる本

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2011年04月03日

Posted by ブクログ

中国に行く前に空港で買った本。
現代の日本を取り巻く生きづらさについて原因を探った本。解決策が十分提示されているとは言えないと思うが、とてもよく現状を捕らえていると思う。

持論では、人間の欲求はマズローの欲求段階説に従っており、これらが満たされないことに人は不満や生きづらさを感じるものだと思う。

現代の日本に生きづらさが蔓延しているのは、もっとも基本となる生存欲求が満たされない人(働きたくても働けない人)ばかりでなく、働いている人の中でも所属の欲求や承認欲求が満たされないことに原因がある。

本の中で「犠牲の累進性」という言葉が出てくる。世の中にはもっと苦しんでいる人がおり、、下を見ることで現状に満足させるエクスキュースの言葉として否定的に使われているが、様々なレベルで不満が渦巻いているというのは事実だろうと思う。

生存のレベルで苦しむ人と承認のレベルで苦しむ人の課題はそれぞれ解決されなくてはならないと思うが、問題はこれらがトレードオフではないかということである。

本にも書いてあったが、我々は生まれてすぐに他人と競争する主体として存在し、誰かを犠牲にすることでしか我々の社会や暮らしは成り立たないのではないか。

実際自分はそういう会社で働いているし、多くの同僚は同じ感情を抱いているのではないかと思う(実際にそういう発言をした上司はいた)。

もちろん生存の欲求は承認の欲求より優先されるべきだと考えているが、これが社会全体の問題である以上、トレードオフ・合成の誤謬・囚人のジレンマが生じ、個人の努力によっては解決されない問題だと考える。知恵と合意によってルールとして社会が選択しなくてはならない。

知恵として個人的に魅力を感じているのは、ベーシック・インカムという仕組みである。最低限の生存欲求を満たすことですぐに救える命があると思うし、生存欲求を離れて人がよりリスクをとって生きることのできる社会で、人はゼロサムではなくよりwin-winな関係を築けるのではないだろうか。

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2010年01月05日

Posted by ブクログ

面白かった。
対談形式なのも読みやすかったし。

「高いコミュニケーション能力を求められる世の中で、KYを意識し過ぎている」ことが、精神的な面での「生きづらさ」に繋がっているという内容はすごく納得できた。

それと、社会問題化している派遣や貧困問題についてもとても勉強になった。

アイデンティティをナショナリズムに求める過程がちょっと厳しいが、読むに値する一冊。

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2009年10月30日

Posted by ブクログ

私はオバサンで、正社員一筋で働いてきました。派遣の実態を正確には知りません。所詮他人事なんです。昔から、下層の労働者は搾取されるもので、じゃあ何故生活を安定させるために努力をしないのかと、思ってきました。この本を読んで、どうしようもない現在の仕組みが少し判った気がします。昔とは大きく違うのですね。特にショックだったのは、最近の人はネットで繋がっているから、そこで何らかの「承認」を得られていると思ってました。「バーチャルな承認」だけでは駄目なのですね。現実の人間関係の中での承認がやはり必要なのですね。私は年寄りなので、バーチャルな世界は二の次だから、ネットだけでは孤立していると思うのだと思っていたのです。所属する場所がないのはキツイことです。私は今の職を失えば、清掃か介護の仕事にありつけるかどうかという立場ですが、あえて言えば、「正社員」を失くし、新しい雇用形態を全体で考えるべきではないでしょうか。「希望は、戦争」しかないでしょうか。

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2011年07月17日

Posted by ブクログ

「行きづらさ」について書かれている。
この本では、精神的な「生きづらさ」と社会的・経済的な「行きづらさ」が渾然一体であるとして語られている。
そうやって押し付けられるダブルの「行きづらさ」。
どうにかしたいものです。



興味深い箇所。

P9 L4〜L5
(萱野稔人)「おそらく精神的な「行きづらさ」と社会的・経済的な「生きづらさ」って、どこかで重なってるんですよね。」

P10
空気を読んで自殺する

P13
空気を読むことの重圧

P14 L5後半〜P15 L5
(萱野稔人)「生きていくうえで、空気を読む必要がものすごくあるわけです。人間関係のなかで要求されることのレベルがとても高い。
 いまの社会では、場の空気を読んで、相手の感情や行動を先回りして、互いにコンフリクトがけっしてあらわれないようにふつまえっていう要請がすごくあるじゃないですか。そうしないと、自分のことをまわりから認めてもらえないし、自分の居場所もつくれない。そういうハードルの高い人間関係のかたちがあるから、一度それにつまずいてしまうとなかなか立ち直れない。つまり、コミュニケーションのあり方が行きづらさのもともとの原因にある。
 コミュニケーションのなかで要求されるスキルや繊細さって、時代のなかでどんどん高度になっているんですよね。だから勝ち組の年長者は、いまの行きづらさのリアリティがまったくわからなかったりする。いまでは小学生でさえ、相手の期待や場の空気を壊さないようにするにはどうふるまったらいいかを、すごく考えています。でも、要求されるレベルが高いから、それがちょってでも狂うと―たとえば友達の機嫌をそこねてちょっとでも無視されたりすると―学校へ行けなくなる。そして、一度不登校になると、コミュニケーションのハードルが高いから復帰がすごく難しい。引きこもりになりやすいんです。」

P36 L8〜P37 L2
他者からの承認
(萱野稔人)「空気を読んで、まわりに過剰に同調するというコミュニケーションのあり方って、いいかえるなら、それだけ人びとが他者との関係に依存しないと自分を維持できないってことをあらわしていますよね。他者から否定されたら自分の存在を支えられなくなるからこそ、空気を読んで、まわりに自分の存在を受け入れてもらおうとするわけです。自分の存在が他者からの承認に依存している度合いがとても高い。他者とのあいだにズレやコンフリクトが生まれて、他者からうっとうしがられたり見切られたりすることを極度に恐れて、無理にでも他者に同調してしまうんです。」

P37 L6〜L14
(萱野稔人)「やっぱり、人から認められることが、自分の存在価値を証明する一番の回路だと思いますよ。もともと人間って、自分の存在価値を自分では証明できないから、他者にそれを認めてもらうしかないんです。どうしても他者からの承認を求めてしまうんですよ。
 ただ、どれくらい他者からの承認を必要とするかという度合いは、人によっても時代によっても違ってきます。おそらく、高いコミュニケーション能力が要求されるいまの社会って、その度合いが強い社会なんでしょう。そうした社会では、他者とのコミュニケーションのなかでそのつど自分の能力や価値を認めてもらわないといけないという圧力がものすごくあって、そうした社会の圧力にあわせて、個人のほうも「自分の価値を証明しなきゃいけない」、「他者に認められないといけない」っていう衝動に強く駆られてしまうんです。」

P39 L3〜L14
(萱野稔人)「いまニートの話がでましたが、こうして見てくると、精神的な「行きづらさ」のなかに、すでに社会的な「行きづらさ」の要素が一通りあることがわかります。
 たとえば、貧困や不安定労働における「行きづらさ」って、たんにお金がないから行きづらい、ということだけにはとどまりませんよね。そこには、社会からまともに扱われないとか、居場所がないといった行きづらさも含まれています。そういった生きづらさの原型は。すでに精神的な生きづらさのなかに見いだされるものです。
 もともと、要求されるコミュニケーション能力がどんどん高くなり、他者からの承認を得るためのハードルもどんどん高くなるなかで、多くの人が生きづらさを抱えるという状況があって、さらにそのうえで、ある時期からいきなり就職が厳しくなり、労働条件も厳しくなっていったということでしょう。それによって「行きづらさ」が、もっと社会的な問題まで広がってきたわけです。」

P65 L5〜L7
(萱野稔人)「おそらく左翼の陥りがちな誤りはそのへんにありますよね。左翼はどうしても「こっちが正しいんだ」という態度で、相手のいうことを否定し、説得することに向かってしまいがちですから。で、相手が直面している実存的な問題やリアリティを見落としてしまう。」

P85 L5〜P86 L14
フリーター、アイデンティティ、承認―なぜアカデミズムはフリーターの問題に対応できないか
(萱野稔人)「フリーターこそ実は自立させられていると言う話は、本当にそうだと思います。
 ここで「所属」の問題をもう少し考えてみたいのですが、「所属」というのは、一方で、いざというときに頼りになって生活を保障してくれるものであるのと同時に、他方で、「私はここに所属している」というかたちでアイデンティティを保障するものでもあると思うんですよ。
 たとえばフリーターは、どこにも所属していないアルバイターとして、社会的には何者でもありません。これに対し、学生のアルバイトなら、大学という所属する場所があるわけですよね。だから少なくとも社会的には何者かとして認知される。「フリー」の人間はそれがありません。もちろん有名人なら、どこに所属していなくても自分の名前だけは社会的に認知してもらえますが、しかし、普通の人にはそれは無理です。実際、有名人だって、自分の名前が知られていないところでは、「日本人」だとか、職業だとか、どこどこの会社(組織)の人間だとか、役職とか、そういうところで認知されるほかありません。要するに、所属というのは、物質的なレベルにおける社会の保障と、精神的なレベルにおけるアイデンティティの保障の、両方にかかわっているのです。
 僕の属しているアカデミックな思想の世界では、これまでずっと「所属がないことはいいことだ」といわれてきました。「あらゆる所属をふりはらって、所属先のさまざまなしがらみとか、共同体的な縛りから逃れるのが自由なんだ」、と。ラディカルぶりたい研究者ほど、そういうことを得意げにいっていたわけです。でも、自分は大学の研究者として確固とした所属先をもっているのに、口先では「所属やアイデンティティをふりはらえ」なんていうのは、ちょっとおかしいですよね。実際、彼らはいまの流動化した社会の状況やフリーターの問題にはぜんぜん対応できていません。」

P90 L5〜L8
(萱野稔人)「「おまえなんていてもいなくても同じ」という立場におかれるのは、ひじょうにつらいことです。人は誰でも自分の存在価値を認めてもらいたいわけですから。「おまえじゃないとダメだ」とか「おまえのおかげだ」って誰でもいってほしいものですよね。自分が存在している価値なんてないんじゃないかという状況に人間は耐えられません。」

P104 L4〜P108 L9
(萱野稔人)「・・・・・。雨宮さんは、最初に左翼の集会へいったものの、ここは自分のくるところではないと思って、右にいった。しかしその後「プレカリアート」という言葉に出会って、フリーターの労働運動や反貧困の運動にどんどんコミットするようになった。このように、左右両方の世界に身をおいた人間から見ると、右と左はどう違うんですか?」
(雨宮処凛)「「ミニスカ右翼からゴスロリ左翼へ」とよくいわれるんですが(笑)、自分としてはあまり変わっていません。『右翼と左翼はどうちがう?」という本にも書きましたが、右翼と左翼の人たち何人かにお話を聞いた結果、違いは、憲法と天皇しかないように思いました。その二つ以外は、ものすごく入り組んでいる。その団体によってまったく違うし、極左と極右が同じことをいってたりする。憲法と東大以外で違いを見つけられませんでした。
 あとはファッションセンスの違いでしょうか(笑)。右翼はベルサーチとかが好きで、左翼はラフなというか、貧乏くさい格好していますよね(笑)。だから、憲法、天皇、あとちょっと服も違うみたいな。・・・・・」

P163 L9〜L12
(萱野稔人)「つねにシノギを削り、そのつどのコミュニケーションをつうじて自分の能力や価値を認めさせる、というのが、いまの人間関係の基礎になっているんですよね。なかなか安住できる人間関係がない。」
(雨宮処凛)「やはり最悪の出会い方しかできないのが、行きづらさの根本問題だと思いますね。」

P165 L9〜L12
(萱野稔人)「リストカットをしている子に話を聞くと、やっぱり自分を責めているんですよね。自分を責めて、否定して、その結果として自傷行為に走る。たとえば自分への罰としてリストカットをして、罪滅ぼしするという子がいました。自分の手首から流れる血が見ていると、罪悪感が消え、心が安らぐ、と。」

P177
メンヘラーが労働運動で自己を回復する

P180 L11〜P183 L6
自己を肯定する二つの宣言

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

○津田塾大学准教授の萱野氏と作家の雨宮氏の著作。
○非正規雇用者の労働状況や思想(右翼左翼)関係をテーマに、現代社会の労働のあり方についての対談をまとめたもの。
○雨宮氏の非正規雇用(フリーター)やメンヘラーについての考察や指摘は、自身の経験に裏打ちされたものでもあり、大変分かりやすく、また、実態をリアルに伝えてくれるもの。
○本書で提示された問題点や課題については、大変本書の発行から5年たった今でも、変わらずに存在し続けており、むしろ、「貧困」への流れなどは加速しているように感じる。
○思想云々ではなく、このような現場が間近にあるということについて知るには、大変良い本だと思う。

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2014年01月31日

Posted by ブクログ

見えにくく隠されている問題点を具体的に引き出し、わかりやすい。
人間の社会的支えである経済性あるいは精神性の貧困状態を現象面で具体的にとらえ、てその構造の矛盾を指摘している。
貧困の詳細を社会(政治・行政・司法・企業・)と個人のギャップから見つめて実名で開示していることが、わかりやすい内容にしているのだろう。
しかしその反面ドップリと入り込んでいる文体には、一般に通じにくい単語が多く、読者を狭くしているようにも思える。
プレカリアート・ネオリベ・ガテン系・・・などなど。
コミュニケーションなど、対談している二人の中でさえ単語の意味がずれているように思えるものもある。

賃金の格差や最低賃金の意味についてなど、現象面だけで結論付けることなく、もう一歩踏み込んで矛盾の根源に迫ってほしかった。
小手先の解決ではなく一歩一歩確信を得ながら生きて行くには、本質をとらえた上で手順を踏まえることが大事なように思える。
例えば、物価と賃金は社会の両輪なのだから、最低賃金が生活可能賃金でなければその意味を失うということを掘り下げて欲しい。
更に、社会が責任転嫁している個人責任についても、企業がつぶれるのは別の浪費原因があるからに他ならないということを示して欲しい。

昔は個人経営・自営業が社会の多くの部分を支え、社会はその自営業の流れで成り立ち政治はその流を円滑にすることに力を注いできた。
しかし企業が肥大化し、数の暴力で社会の前面に出てしまった現在は、まるで独裁のように横暴になり、基本であるはずの個人が運営する自営業とそれに順ずる中小企業を使い捨ての奴隷化と見下し、政治と大型企業が結託することで脅かしている。
こうした支配体制は社会の目的を見失って、共食いの如くに自分の足を食べようとしている結果の現れである。
社会と個人の関係をまともに戻すには、金の卵を産む鶏を殺してしまう童話を思い出して、欲張った社会が目先の利益に我を忘れている現状の矛盾に気付く必要がある。

ブッシュと共に政治に組した小泉純一郎とそれをバックアップした竹中平蔵たちが推し進めた構造改革は、我欲を達成するための詐欺的手腕であって、社会の底辺を救済する自営組織である暴走族などの共同体の相互扶助までも突き壊した。

生きやすい社会というのは左翼でもなく右翼でもなく、生活に根ざした家族を単位にして成り立つ。
けして数のリンチ的責任不在や物量のベニスの商人的価値観や知識の机上の論理的暴力で成り立つものではない。

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2012年03月08日

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「生きづらさ」の原因は自分を肯定できない環境にあるため。自己肯定は何らかの集団(会社、学校等)への所属→他者からの承認のプロセスが必要。そういった集団から抜け落ちてしまったニート、引きこもり、フリーターはナショナリズムに傾倒。しかし、現代はナショナリズムに傾倒するのも困難な層(ネットカフェ難民、ホームレス)が存在。原因は労働力の流動化。。。
雨宮氏が実体験ベースで語り、萱野氏がそれを論理的に分析(フランスと日本の状況比較等)していく形になっていて読みやすい。

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2011年07月01日

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[ 内容 ]
いま多くの人が「生きづらさ」を感じている。
一九九八年以降、自殺者数は毎年三万人を超え、毎日のように練炭自殺や硫化水素自殺のニュースが報じられている。
鬱病など、心を病む人も増える一方だ。
これらの現象は、現代社会に特有の「生きづらさ」と無縁ではない。
その背景には、もちろん経済のグローバル化に伴う労働市場の流動化が生んだ、使い捨て労働や貧困、格差の問題もあるだろう。
他方で、そういう経済的な問題とは直接関係のない「純粋な生きづらさ」もあるだろう。
本書では、さまざまな「生きづらさ」の要因を解きほぐしながら、それを生き延びていくためのヒントを探っていく。

[ 目次 ]
第1章 「生きづらさ」はどこからくるのか?(「生きづらさ」と現代 空気を読んで自殺する ほか)
第2章 貧困とアイデンティティ(いろんな意味で状況が変わってきた 盛り上がるフリーターや反貧困の運動 ほか)
第3章 認められることの困難とナショナリズム(「希望は戦争」論争 格差とルサンチマン ほか)
第4章 「超不安定」時代を生き抜く(二〇〇八年インディーズ系メーデー ニートや引きこもりは労働問題 ほか)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年04月09日

Posted by ブクログ

貧困、アイデンティティ、ナショナリズム 他人を蹴落としてでも勝ち残れ、あるいは自分を押し殺してでも社会にとけこめ、それでだめなら自己責任という重苦しい空気。その先に死があるとすれば、「甘えるな」の一言で片付けるのはいささか乱暴にすぎる。

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2010年09月15日

Posted by ブクログ

この本は「週刊ブックレビュー」で2009年1月に紹介されました。
映画監督の佐藤忠男さんが取りあげました。
著者の雨宮処凛さんはNHKの「私の1冊 日本の100冊」や「派遣切り」の問題を扱ったテレビ討論番組にも出演しています。

佐藤忠男さんは敗戦後の貧困を経験していますが、当時の貧困は「努力すれば乗り越えることが出来た」と言います。
貧しくても誇りに思うことが出来たといいます。
いまは、競争社会で負けたものが、正社員になれずにフリーターになるという見方があります。
「自己責任にしてはいけない」と著者は言います。
中江有里さんも「次のチャンスが訪れない閉塞感は恐ろしい」と言っていました。

「フリーター」という言葉が肯定的にとらえられていた時代もありました。
仕事のために好きなことを犠牲にする必要がなく、夢を追える、そうしたポジティブな意味が消えたのは2003年頃でしょうか。
フリーターは、風邪を引くとそのまま失業することになります。
正社員は風邪を引いてもクビにならないと聞いてびっくりしたと雨宮さんは言います。
フリーターに住宅ローンを組ませてくれる銀行はないとも言います。

いまのコミュニケーション重視型の競争社会の中では、共同体は避難所の役割を果たしていると言います。
親子という共同体では、優れているから認められるわけでなく「無条件に認めてくれる居場所」になります。
「おまえのおかげだ」「おまえじゃないとダメだ」と言われることは生きる支えになります。

正社員は休日のない長時間勤務に喘ぎ、非正規社員は低賃金と不安定な雇用にさらされているという閉塞感、何とかならないのでしょうか。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

派遣労働者や現在の経済格差、労働環境の問題を対話形式で論じている。
一貫してアイデンティティの問題を主題としている。
いつの時代でも経済格差は多かれ少なかれ存在するだろうが、貧困層が社会的に包摂されているかということが重要なのである。

まあこういう問題に興味がある人は読んでおいていいだろう。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

もっとこう、精神的な悩み的な生きづらさかと思えば、どちらかというと社会的なことかな。

まぁ、そこから精神的なものに来るわけだけれど。
時代というやつですかね。

雨宮さんは何度か名前は見かけた事があるけれど、書籍にはあまり触れた事が無くて、こんな方なんだと。

僕自身もそうだけれど、いつの時代も「生きづらさ」に悩む人は多い。それゆえに、いろいろな活動を起こす人もいれば、内に入る人もいる。

何かの助けになれればと、いつでも思っているけれど、何が出来るかわからない。
案外そういう人も多いのだろうな。

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2023年09月09日

Posted by ブクログ

持たざる若者が、何々人であることにしかアイデンティティを見出せず右化する。それは日本でも同じようだ。
元持たざる者である筆者の率直な意見を記載している点は興味深い。
共感は難しい部分も多かったが、異なる視点からの意見を知るのは自身の視野を広げるには有用かな。

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2020年01月24日

Posted by ブクログ

対談という形式上、問題提起とその共有が本書の中心だろう。

その問題提起において、萱野氏は抽象的・一般的な傾向を、雨宮氏は具体的な体験についてお話になる傾向があった。

特に雨宮氏が提起し、萱野氏が補足する個々の事件(もしくは“それ未満”の体験談)の生々しさは壮絶である。

ただし、対談の記録である以上仕方ないのかもしれないが、もう少し注記を充実させて欲しかった。
せめて、新聞記事などになった事件などについては、詳細が知りたい。

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2013年06月09日

Posted by ブクログ

萱野稔人と雨宮処凛の対談本。
何回かの対談をまとめているので,重複するやり取りが多く見られる。
編集して,重複する部分を省いてもよかったと思う。

右傾化とか左傾化とか,リストカットとかODとか,いじめとか,
空気を読むとか,まぁ,色んな事象があるけど,
コアなところにあるのは, 自己承認欲求なのでしょう。

皆が繋がれば空気を読むのにシンドくなるし,
孤独になれば誰にも承認されずにシンドくなる。
どちらに振れても,生きにくいことに変わりはない。

ならば,もう,いっそのこと,
承認を求めるのをやめてしまえばいいのでは?
と暴論的なことを思ったりもする。

まぁ,そんなことができるほど人はタフではないし,
人の輪から疎外されて,生きていくこともできないかもしれないけど…。

生きづらさが根本的に解決されるってことはないのかもしれない。
悟りの境地に至れば,楽になるかもしれないけど。

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2013年04月30日

Posted by ブクログ

「生きづらさ」に対する共感によって社会的弱者の状況を読みあさり、下には下がいることに安堵して自尊心を満たす。
 山の高さではなく谷の深さに目を向けて、今いる場所に納得する。それは極めて利己的な納得であり、心地よい居場所を求めてしまう本能的なものでもある。
 その場所まで登ってきたのではなく、ただ降り立ったのがその場所であっただけで、私と彼らは何が違ったのかと自問して、それは自己決定とか自己責任の範疇には収まらない至って先天的なものなんだと思い至り、それが先天的なものゆえに、何かの弾みで転げ落ちることを恐れ登ることを躊躇する。
 つまるところ、登るという行為を知っているかどうかの違いにすぎない。

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2013年04月05日

Posted by ブクログ

データ的な部分がないからエスノグラフィーということになるのかな。「生きづらさ」の正体、過度に「空気を読む」コミュニケーション能力が求められる、絶えず競争に晒される、労働やコミュニティの流動化、などによる生きづらさ。それによるナショナリズムへの傾倒。「自分を責めたら死ぬ」
レビュー登録日 : 2011年01月08日

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2012年11月21日

Posted by ブクログ

細かくいえば評価は3・5。納得できるところとできないところがあったが、社会的に立場が低いと見られている人たちがどのようにしてその状況から脱却しようとしているか。というのが書いてあった。国や国民が利己的ばかりになるなってことだったのかな。

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2010年06月01日

Posted by ブクログ

派遣問題、ニート、自殺、右翼左翼がほとんど同じ問題を抱えていることを対談?で解説されている。
正直、共感はできませんが内容と考え方、プロセスは面白い。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

「生きづらさ」というタイトルに惹かれて購入した本です。
新しい貧困問題について,当事者の視点に触れています。福祉事務所等がこれらの貧困問題に対して対応できていないことについても書かれています。生きづらい状況について,心理的なことと社会的なことが関連していることについては分かりますが,ナショナリズムとは強引に結びつけているという印象です。確かに,社会システムや国の施策と大きな環境があるのですけど。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

対談なので多少冗長な感は否めないが,問題を考えるヒントは散見される。特に,第3章「認められることの困難とナショナリズム」は示唆に富む。日常生活で承認を得られない弱者が,日本人でさえあれば受容されるコミュニティとして右翼を見出すというのは,ありうる話だと思う。フリー=どこにも所属しないという定義付けも有用だろう。どこにも所属しないからこそ,徹底的に自己責任に追い詰められる。他者からの承認を過度に要求される社会において,承認を得られないことは,厳しい疎外感を生むことは身をもって感じている。ただ,そこから生まれる「連帯」は,常にナルシスティックなものに堕する危険を孕むのではないだろうか。僕が,インディーズ系メーデーの盛り上がりや素人の乱に素直に共感できないのは,ここの問題なのかもしれない。それとも自己責任の呪縛から抜け出せてないだけなのか?

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

「生きづらさ」についてはわかりやすく説明している。
解決ではなく、「生きづらさ」の原因、プロセスである。

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2009年10月04日

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