司馬遼太郎のレビュー一覧
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「彦助、犬死ができるか」
途中、継之助がいった。
「おれの日々の目的は、日々いつでも犬死ができる人間たろうとしている。死を飾り、死を意義あらしめようとする人間は単に虚栄の徒であり、いざとなれば死ねぬ。人間は朝に夕に犬死の覚悟をあらたにしつつ、生きる意義のみを考える者がえらい。」
「はい」
彦助は提灯の灯を袖でかばいつつうなずく。
「いま夜道をゆく」
継之助はいう。風がつよい。
「この風が、空だを吹きぬけているようでなければ大事はできぬ」
「と申されまするのは?」
「気が歩いているだけだ」
「ははあ」
「肉体は、どこにもない。からだには風が吹きとおっている。一個の気だけが歩いている。おれはそれさ -
Posted by ブクログ
この小説が面白いのは、幕末の動乱期の物語でありながら、薩摩藩や長州藩のような、維新の本筋的な諸藩や人物や出来事はほとんど直接関わってこないことで、安政の大獄や大政奉還のような事件は、遠い国での話しのように、時代の中の点景として描かれているところだ。
主人公の河井継之助が属している長岡藩は、越後にあるという、土地の悪条件のせいで、江戸や京都で繰り広げられている情勢からは遠い距離にあるために、どうしても風雲の中心に加わるということが出来ない。
どちらかというと、幕府側の立場から出来事を見ているので、福沢諭吉や福地桜痴のような、幕末の江戸周辺にいる人物が詳しく描かれているというところが面白い。
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Posted by ブクログ
やっとこやっとこ読み終えました。
最近、韓流の歴史ドラマをよく観るようになったので、かろうじて理解できるかなという感じです。
日本と朝鮮半島との関係は、それはそれは、語れば長い歴史になるわけで、この「街道をゆく」のための旅を司馬遼太郎さんは、1971年になさっています。
日韓国交正常化6年後のことなのですね。今とは、当然、それぞれの人が持つ感情も違うわけですが、司馬さんは、そんな近い時代の話を追おうとしたわけではなく、
もっともっと前の時代の、古の人たちの交流史を感じられたかったのだと思います。
それにしても・・・話を追うのが大変でした。