司馬遼太郎のレビュー一覧
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秀吉の朝鮮出兵のさいに薩摩の武将島津義弘によって日本に拉致された朝鮮人達がいる。かれらは陶器を作り生活している人々。茶器がある種のステータスとなっていたこの時代の日本にとって朝鮮の陶器は価値が高く、それゆえにそのために日本に拉致されたようだ。
彼らは現在の鹿児島県串木野あたりに漂着し、故郷を思って生活の場を求め歩き、故郷の風景に似た場所を選んでそこに住み着き 陶器を焼いて生活した。
薩摩藩からは厚遇を受けながらその苗代川という地においてその後代々生活し、白薩摩 御前黒といった素晴らしいできの陶器を作っていく。
その生活の中における日本人からの差別。世代を越えた故郷への思い。日本で生まれ日本で育ち、しかし朝鮮の血を受け継ぐ自分自身に日本人とは何かと問うアイデンティティの模索。世代を超えて、見たこともない故郷朝鮮に帰ったさいの感動。など。
そういった鹿児島の歴史と朝鮮との関わりのなかにおける一人一人の人間の繊細な心の機微を表した作品。
鹿児島に住む身として、いやそんなことは関係なくひとりの人間として 登場人物の心の動きをリアルに感じられた気がする。 -
Posted by ブクログ
西郷どんは温泉町によく見かける狸の置物なのか、それも人物大の巨大な狸を思わせる。死に場所を求めて戦をするにしては、あまりに犠牲者が多すぎはしないだろうか、そこを考えると政府軍と戦をして勝利するつもりでいたのは明らかである。ならばこの体たらくはいったいどうしたことか、どこの国の革命家も晩年は誰もがさえない幕切れを迎えるのだ。
8巻で、西郷どんが木の切り株で頭を強打したとある、その後15日ほど寝たことはあまりしられていないという内容の手紙が残っているらしい。9巻では全てのページを割いて、西南戦争の悲惨さを記している。そんな状況を尻目に、呆けた西郷が奥座敷に狸の置物になっている姿はあまりに痛々しい。 -
Posted by ブクログ
ー故郷忘じがたく候
友人の好きな司馬遼太郎の一作、と聞き大いに長風呂しながら拝読。
この作品が友人を何を惹き付けたのだろう?と思案を巡らせながら読む。
答えは出ないまま、私個人の感想。
一、薩摩人の魅力。
一、日本人の定義を考え続けた沈寿官少年の日本人以上の情熱。
一、見た事のない語り継がれる故郷の情景。
心象の風景、というのだろうか?
それから、「あなたがたが36年の歴史を語るなら、私は370年の歴史を語らなければならない」という、身体から滲み出てきたような言葉。
司馬遼太郎自身は、この移住の経緯と移住当時の出来事などについて善し悪しを論じていない。
日韓のセンシティブなテーマを非常にニュートラルな視点で描いており、クライマックスのシーンとなる講演のシーンで、両国が前を向いて考えることが大切なのではないかと問いかける。
そもそも故郷への想いとは、実体がない想念であり、ひいてはナショナリズムや民族問題を引き起こすような、抗いがたく、複雑でとてもとても強い思いなのだろう。
自分自身が海外に移住したとして、自分の子や孫は日本という国へ強い執着を示すだろうか?
もしそうであれば、それは人間が求め続ける「自分とは何か」という問いに答えるべく自分のルーツを辿るという、ごく自然な欲求なのだろう。
ー酒と胡桃
ひとりの知性あふれる戦国の女性が、時代に翻弄され、でも心を乱される事なく、醒めた目で自分の運命を見つめ続け最後には自分の運命を受け入れ短い生涯を終えるまでの話。
はじめて聞く言葉。
「悋気」
悋、という言葉の響きから、最初けちな気質を表すものかと思った。
吝嗇、という言葉があるが、本来やきもちというのは、恋や愛情から生ずるものというより、個人の性質からくる独占欲などの欲の強さからくるものではないのか。と、感じた。
異常に感情の起伏が激しく、自分の感情をコントロールできない幼稚な精神性への深い軽蔑の念には、共感を感じた。
純粋なところや美的センスなど、離れていれば好きな点もあるはずなのに、本人を目の前にしてそのあまりな性質を目の当たりにした時の絶望感。
幼稚で他者への配慮や愛情が欠落している事に対する、蔑みや失望、諦めなど。うんざりする気持ちがよく分かる。
作品中では「食べ合わせ」と表現されていたが、愛する男女が噛み合ない、ことは非常な悲劇だと思う。 -
Posted by ブクログ
政府のやり方に異を唱える不満分子が各地方で決起する。その指導者たちは何の成果も上げることなく犬死するに至る。政府は事前に反乱分子を内偵し、未然に防ぐすべを確立していたのだ。そのやり口が思わぬ事態に発展する。どちらが仕掛けたのか、歴史の闇からはうかがい知れないのだが、結局は薩摩と明治政府が激闘することになる。
緊迫する状況のなかで、西郷が側近に担ぎ上げられる辺りはものすごくマンガじみていてユーモラスでもある。その様な空気のなかではなんでもありうるのだ。後になると「なぜ」がいっぱい頭の中をかけめぐる。結局、修羅場には声の一番大きい者の発言が優位なのだった(笑