松岡正剛のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「1・編集は照合である
2・編集は連想である
3・編集は冒険である」
→情報と情報をつなぐときに大事なのは、まずふたつを比較してどこが似てるのか、どこが違ってるのかをチェックすること、すなわち照合することだよね。つなぐ相手は連想で探して引っ張ってきてもいい。時に、全然無関係に見えるものに対して大胆にジャンプしていってもいい。つまり冒険が必要なんだ。
「こんなことを書くと結論めくが、編集でいちばん大事なことは、さまざまな事実や事態や現象を別々に放っておかないで、それらの「あいだ」にひそむ関係を発見することにある。そしてこれらをじっくりつなげていくことにある。」
→男と女の「あいだ」には何がある? 日本とアメリカの「あいだ」には何がある? 平安時代と鎌倉時代の「あいだ」には何がある? さまざまなものの「あいだ」に目を凝らそう。
「編集術とは、われわれがどのように世界とかかわるかという「方法」に目を凝らそうという、いわば「気がつかなかった方法を気づくための方法」というものである。」
→そして「わたし」と世界の「あいだ」をつなぐには、そのための方法がある。それが本書に収録されている「六十四編集技法」。これは必見だ。 -
購入済み
分厚い(のが判らない)
読めども読めども%が進まず....2巻読むのに3ヶ月近くかけてしまった。電子書籍はボリュームが判らないのが難点(利点?)ですね。内容は伝説に相応しい濃厚さ。
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Posted by ブクログ
少なくとも本書が創刊された1995年の時点で、松岡正剛は今流行りの「ネットワーカー」「ノマド」としての生き方に着目をしている。
この松岡正剛の見方を持ってすれば、現行の「ネットワーカー」や「ノマド」に注がれる意識の欠陥は、まさにその「『欠陥』を認識していない」というところに集約される。
「ネットワーカー」にしろ「ノマド」にせよ、それは本書のサブタイトルに示されているように「弱さから出発」するものであり、そこを無視した「ネットワーカー」や「ノマド」に深みが生まれるはずもない。なぜなら松岡正剛の指摘によれば、「弱さ」こそが深みをもたらすのだから。
表舞台にたった「ネットワーカー」や「ノマド」たちだが、もともとが底辺が故に頂上とつながることのできた彼らだ。
その過程をや性質を無視して、そのまま頂上に放り出されてしまえば、ある時そこから放り出されたときに、そのまま高いところから地面へたたきつけられるだけだろう。
「ネットワーカー」や「ノマド」の強さは底辺から、すなわち弱さから出発しているというところにあるのであり、その背景を忘れない限り、彼らは頂点でいると同時に底辺と接続し続ける。
それ故、彼らには頂点から放りだされて地面に激突するという事態が起こるはずもないのだ。「ネットワーカー」や「ノマド」とは、底辺と頂点との混合物なのだから。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ<目次>
第1部
第1章 テスト氏との一夜
第2章 死者の書
第3章 サイの国から
第4章 黒板銀河鉄道
第2部
第5章 アインシュタインの林檎
第6章 生命の塵
第3部
第7章 虹色のトロッキー
第8章 ZEAMI条々
第9章 ぼくの読書編集術
付録 ぼくの読書術
<内容>
2012年におこなわれた連塾のライブトークイベントを活字化したもの。これを編集中に松岡自身が亡くなり、遺作のような形に。ただのトークショーではなく、森村泰昌、山本耀司氏や安田登氏のパフォーマンスもあり、生で聞きたかったと思う。
本読みの達人による、読書術(「千夜千冊」中の抜粋)も役立つ。白川静などはちゃんと読んでみなくては… -
Posted by ブクログ
松岡正剛氏の幼少期や学生時代などの経歴に関する記述と読書方法と選書の仕方、および編集工学について書かれている。私は松岡正剛=千夜千冊の人、程度のイメージしかなかったため、あまり氏の経歴については興味を持てなかった。(氏のファンなら楽しめると思う)読書術や選書についても、いまいちピンとこなかった。(面白いとは感じたが)
著者や本への向き合い方については、賛成だと思う記述が多かったが、逆にそれが印象に残りづらい。本を読むのが好きな人は氏の意見に反対する人は少ないのではないかと感じた。
編集工学については興味を持ったが、この本でわざわざ学ばなくてもいいかなぁという印象。
インタビュー形式で本が進むので肩の力を抜いて読める。
全体的にいいことは言っているのだが、相性が合わなかった。
ただ、読書嫌いの人はこの本を読めば読書に興味を持てるかなと感じた。読書嫌いの高校生や大学生にはお勧めできるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
圧倒的な知識、知見、センス。読書量がすごい人はごまんといるだろうが、理解、記憶してる人って意外に少ないんじゃないかと思ってる私にとって驚愕のインタビュー内容でした。恥ずかしながら、編集工学という言葉を初めて知った私には概念とか思想が深く理解できたわけではないけれど、救われる助けになる言葉がたくさんあったのは意外だった。何かができない自己を重視する、他力感覚とか、いくつもの自分の置き方とか、見方がかわることは何かがわかること、とか。黒とか白とか何かを突き詰めて答えをだすことに価値を見出しがちだったけど、そうじゃなくていいのかも?と力を抜けたというか、こうじゃなきゃダメだという枠をなくしていいんだと言われたような。
幼少期セミの羽化を見たと。うちも家族で見たのにな。確かに感動した。でもそれをなん度もなん度も繰り返し見て分析するのが違うところだわね。岡田のアレ発言のくだりとか、ちょこちょこ軟派なワードが出てくるから意外に読みやすい。
「世界のほうがおもしろすぎた」ストレス、トラウマ、ウツには無縁だって!最強やん! -
Posted by ブクログ
遅ればせ
肩書やアイデンティティに関心がない スピードを要求する社会や産業にも
チグハグ(鎮具/破具)
自然界はチグハグ状態 ハッキリさせない わずかな差分を行ったり来たり
レクジット バラエティ 最小多様性
粗より=少しの情報から見分ける認知力 分析ではなく 編集(矛盾や相反も残す)
2社バインド広告 (歩合制で 2倍のスピードの借金返済)
見開きで同じコンセプト お出かけ=全日空とマックスファクター
「スクールライフ」 高校生向けに参考書と一般書も紹介する新聞 楽譜も 「情報」
いちばん大事なことこそ子供に言うべき
いちばん難しいことこそ子供に教えるべき
「遊」 1971~1982年
変異や事変 イメージの揺らぎ (多数の人が理解できることに寄せすぎない)
結合術 組み合わせる編集
「工作舎」 ワークショップの意訳
自分が動いて人とつながっていた時代 今はメディアでしかつながっていない
転移 方法の実験 アナロジー 連想力 編集工学
「情報の歴史」 1990年~ NTT 電話サービス100年
生命は情報を作った 負のエントロピーを食べている
「編集の国」2000年~
クラブ経済 イギリスコーヒーハウス 茶の湯 メディアの仮の宿
ブラウザに類推力 ソフトフォーカスで引っかける
「千夜千冊」
読む行為の本質 継続が人を変える エディション=長丁場の編集力
もてなし ふるまい しつらい 場
「スサビ」
荒び 遊び 隙間を透く 室町 元禄 大正 -
Posted by ブクログ
お気に入りの…という枕詞から、なじみの…に変化するくらいにここ最近、来店頻度があがった工夫舎さんで購入。
昨年亡くなった松岡正剛さんの、
生前最初で最後の自伝的内容がインタビュー形式で綴られている。
合間合間に過去の著作を挟み、
より深く濃く松岡さんの人生を振り返る内容になっている。
はじめの始めからもう面白い。
松岡正剛という人間について、
その肩書きや過去の経緯から追って行ってもどうにもこうにも正体が掴めない。
その理由を
「自分のアイデンティティの同一性というものに常々懐疑している」
ということを松岡さん自身はあげている。
少年の頃から独自の自然観と科学観を持っており、自分が男であるとか、日本人であるとかの以前に、動物であり、場合によっては植物から分かれてしまった生物である、ということを考える方に魅力を感じていた、と言う。
この感覚を少年の頃から持っていた、
というところが松岡正剛さんを松岡正剛たらしめているように思う。
私がこういう境地に至ったのはここ数年くらいで、読みながらめちゃくちゃ共感しつつも、
人生のこんなに早い段階で自我の確立をそこまで抽象的な視点で把握するなんてどれだけの知性だよ…と、
空恐ろしくなった。
そのうえ松岡さんは、生命の前段階にまで遡る。すなわち、
自己同一性など持ちえない「素粒子」にまで。
ここまで遡って考えるとなると、
次元が違いすぎてもうひれ伏すしかない。
観察によって振る舞いが変わる素粒子にまで自己を分解して、同一性を懐疑するとは。
ここの部分でそれまで以上に松岡正剛さん自身について興味をそそられたが、
このあとは、このような理性と知性がどのように誕生し、どのように育ち、
どんな経緯を経て編集という手段と方法で世界に相対してきたのかがよくわかる刺激的なインタビューになっている。
昨年お亡くなりになっているのは分かっているので余計にその生涯について、
成してこられた仕事、
そこを貫く柔軟だけど堅牢な思想について、読み終わるのが惜しいとさえ思ってしまう素晴らしい内容だった。
松岡さんがその生涯の仕事の初期で独立してつくられた「工作舎」を、「工夫舎」と空目しては、工夫舎さんのあの本の空間を想起する。
正体不明で世界を全力で面白がる松岡正剛さんの著作をまた探しに行かなくては。 -
Posted by ブクログ
松岡正剛さんの名前を初めて知ったのは、3年前の誕生日に夫に買ってもらった「情報の歴史21」からだった。
ちょうど自分的に世界史ブームで沸いていたころ、世界同時年表さえあれば横の繋がりでよりダイナミックな歴史がわかるのでは⁈と大変興奮した。
こんな編集ができるなんて!
そして前書きやところどころに書いてある文章、なんて意味わからなくて面白いんだろう!
大きくて重たい「情報の歴史21」はめくってしまうと秒で時間が溶けるので最近は本の部屋に封印してある。
さて、わたしにとってはそれ以来の松岡正剛さんの著作。
「フラジャイル」とは、壊れやすいもの、傷つきやすいもの虚弱さ弱さ…などの意味を持つ。
一言で表せば、「弱さ考」とでも言おうか。
実にさまざまな弱さについて、ここからあそこ、あそこからあっちへと、わたしにとっては難解で、意味がわからないながら、めちゃくちゃ興味深い内容のトピックで考察されている。
弱さはなぜ、深いのか。
普通に生活してたら、こんな浮世離れした問いは思いつかない。
だけど、この本を読んでいると、あるある、わかるわかる、と思う瞬間も、難解すぎてわからない…って思うことと同じだけ出てくるから不思議だ。
わたしが今まで生きてきて感じていたこと、あの本やあの映画、日常に経験する些細な出来事について、誰かとの出会い、誰かとの会話…それら全ての中にそっと潜んでいた伏線を、あらっ?と思うようなトピックから回収してくれる。
そして、たぶん難解だな、わからないな、と思うような所は、これから回収される可能性がある新たな伏線になるんだろうな。
それにしても、「弱さ」について考えると、松岡正剛さんの手にかかれば、こんなにたくさんの情報や物語を経由することになるのか…。
昨年お亡くなりになった時も、少なからず思うところはあったが、今回、みっちりとその文章に触れて、偉大な知性の喪失に心許ないようなさびしさを覚えた。
千夜千冊にも手を出してみようかな。