松岡正剛のレビュー一覧
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現代の知の巨人の対談を通して、130年の日本と世界を語る150冊の書籍を選ぶ教養書。150冊のうち、専門書として50冊は日本、50冊は海外、残り50冊はそれらを一般向けに理解できるような通俗本として 紹介されています。
圧倒的な知識をもつ2人なので、対談で出てくる単語、キーワードが双方通じているものの、知識が浅い私はついていくのがやっとでした。断片的ながら高校の倫理をかじっていれば多少は単語はわかるものの、それぞれの言葉の意味のつながりまでは洞察できませんでした。「知」を極めた人であればこれくらい簡単なことなのか、、、
ただ、この本のいいところは、専門書としての100冊の後に、通俗本が紹介 -
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重厚な書評ブログ「千夜千冊」で知られる情報文化学者の著者が「編集」という行為について語ったもの。
ブログの縦横無尽な引用、相互に関連づけられた本は知の体系というべく、これぞ知識人!といった風格があります。
白髭におおわれた風貌も含め、古き良き学者そのもの。
◯編集の裾野はそれくらい広いのだが、それを一言で言うのなら「コミュニケーションの充実と拡張に関する方法」というものだ。
◯そもそも人間の歴史は編集に始まっていた。直立二足歩行をして脳を肥大化させて言葉を喋り始めた時に、もう編集の冒険は始まっていたのだ。むろんそのあとの神話時代も編集だったし、ローマ帝国も漢帝国もキリスト教も、情報をど -
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正直、良く理解できなかった。もちろんこれは私めの理解力不足に起因するものではあるとは思う。
一つ一つの章はまあ難しいというわけではなく理解可能な範囲ではあるのだが、総体として何が言いたいのか。カルチャーセンターでの「イメージの誕生」という講座を元にしているとのことで、講座自体を聞いていればもう少し判ったのかもしれないのだが。
章立てされた一つずつのコンセプトは理解できるが、それが花鳥風月ということばで表現されるモノのコンセプトとしてどうまとめ上げられているのかが理解できません。かなりこった章立て「山 道 神 風 鳥 花 仏 時 夢 月」に編集の妙があるのだと思うのですが、もうこの順番が判らない -
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花鳥風月は、『美しい自然の景色やそれを重んじる風流を意味する。』と
ウィキペディアには書いてある。
日本の文化の 象徴的な言葉として使われる。
読み始めると、
『花鳥風月の科学』は、ミステリーのような展開となる。
女性のあわれ、無常で死ぬ。
男のアッパレ、戦場で死ぬ。
おなじことなのだとはじまる・・・対。
山、道、神、風、鳥、花、仏、時、夢、月
の10個のワードを 多面的にとらえていく、
それが、重層的な展開になり、
万葉の世界から、中国、インドまでまきこんで、
日本の中に流れ込んだ文脈を説明し、科学する。
山への畏怖。
道がつながり、まじわる情報が流れる。
神が音づれる。マレビトのお -
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松岡正剛の本は、いろんなイマジネーションがでてくる。
編集の考え方が、あらゆるところに、関連しているという。
編集は、「遊び、対話、不足」から生まれる。
編集は、「照合、連想、冒険」である。
編集とは、「コミュニケーションの充実と拡張に関する方法」
編集は「文化」と「分脈」を大切にする。
編集はつねに「情報の様子(しぐさ・くせ)」に目をつける。
編集は日々の会話のように「相互共振」をする。
編集には「堅い編集」と「柔らかい編集」がある。
21世紀は、「主題の時代」ではなく、
「方法の時代」である。
主語ではなく、述語の時。
「ごっこ」
「しりとり」
言葉遊び、しゃれ、
「たか -
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編集は遊びから生まれるという概念がおもしろい。子どもの遊びは、ごっこ、しりとり、宝探しの3つに分類でき、それぞれ、模倣、言葉やイメージのつながり、ヒューリスティックな思考を学習するための基礎になっている。カイヨワは遊びをアーゴン(競争:スポーツ)、アレア(運)、ミミクリー(真似)、イリンクス(忘我、夢中)の4つに分類した。編集の本質は遊びにあるというのは大きな発見だった。
出版界の編集者のほか、武満徹などの作曲家、ビートたけしなどの芸人、古館伊知郎といった面々を編集の名人としてあげている。
<技法>
・12の編集用法
・64の編集技法
・編集12段活用
・編集8段錦 -
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多少全員に読みやすいわけじゃないので星4つ。セイゴーせんせに怒られそうではあるが。
日本文化のなんとなく知ってると思っているが説明できないようなもやもやしたものをキーワード(山、道、神、風、鳥、花、仏、時、夢、月)に分けて原初をたどりつつ意味を理解しその現代における意味を探るって云う。セイゴー入門としてはやさしい の かな。我々の普段埋没している所作や土地や廃れてしまった風習やそんな中にある意味やなにかを明晰な言語で再構成してくれる本(たぶん)。ただ『再構成してあげよう』というサービス精神ではないところは注意。日本再認識、というには全体の情報量が膨大なので見返しつつ理解という感じではあります -
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いっぱい本を読みたい!と思い書店に行って、出会った一冊。
新書大賞2010に載っていたので読んでみた。(入賞はしてない)
何千冊も本を読んだことがある松岡さんが本の読み方について語っている。
さまざまな視点から読書が何かを提示してくれていて、新しい考え方を得ることができた。一方で、到底私には理解しがたい深い捉え方もあった。
・読書を高尚な行為であると思わないこと。読書の仕方にはさまざまなアプローチがある。食べるような感覚で本を読もう。
・言葉には限界がある。自分が言った言葉、書いた言葉が必ずしも完璧に当人の考えを表さないこともある。そういったことから、読書は編集行為であるといえる。
・いつも -
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松岡正剛(セイゴオ)氏による読書論。
筑摩書房の編集担当者が聞き手となり、セイゴオ氏から話を聞きだす形式となっている。対話形式なので、読みやすい。
語られているのは以下のようなことである。
・幼少期からの本との出会い。セイゴオ氏はどのように本と付き合ってきたか。
・どのように本を読んでいるか。
・どうすれば本をたくさん読めるか。
読書論は多岐にわたるが、『多読術』というタイトルなので、多読に関することをひとつ抜き出しておく。
書物を「良書」と「悪書」に分けるのはやめた方がいいとし、言い方を変えて次のように述べている。
理解できるかどうかわからなくとも、どんどん読む。(中略)