松岡正剛のレビュー一覧
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新年早々ヤマザキマリラジオに出演されていたのをたまたま聞いてすごく心を動かされたので、読んでみました。
NHKのサブカルチャー史にも出演されていました。
何冊も同時に読むことを自分も最近始めたので、達人にコツを聞いてみたいと思ったのだが、やはり、この人は並のお方ではない。
ジュリア・クリステヴァのいう「インターテクスチュアリティ」(間テキスト性)についての紹介
「本来、書物や知は人類が書物をつくったときから、ずっとつなかっている。書物やテキストは別々に書かれているけれど、それらはさまざまな連結と関係性をもって、つながっている。つまりテキストは完全には自立していないんじゃないか、それらの光景をうんと上から見れば、網目のようにいろんなテキストが互いに入り交じって網目や模様をつくっているんじゃないか」
「どんなテキストも自立的に思想的にかまえたものではあっても、何かと関連しあっているし、ちょっと緩めにソフトアイで本やテキストを見れば、その本やテキストは、その大きなインターテクチュアルな網目の一部として、いままさにここに突起してきたんだというふうに感じられるんです。」
その複線的で複合的な読みのネットワークの中で、「キーブック」というものが必ずあるという。確かに!と膝を打つ感じだった。その「キーブック」たちが結節点になって、柔らかい系統樹を示すという。
セイゴオさんの「キーブック」
宮本常一「忘れられた日本人」
ヘルマン・ヘッセ「デミアン」
フーコー「知の考古学」
モンテーニュ「エセー」
洋の東西を問わず、古典の方が断然きわどいものが多いという。まさに古典はリベラルアーツ。
さらに「千夜千冊」の巻立に従って「フランケンシュタイン」「嵐が丘」「地球幼年期の終わり」「時の声」「生物から見た世界」「パンダの親指」「幻想の中世」「アレゴリーとシンボル」「世界劇場」「パッサージュ」「かたち誕生」「アンナ・カレーニナ」
読まずに死ねるかという本が続々と…。
セイゴオさんの哲学は
読書は、第一に現状の混乱している思考や表現の流れを整えてくれるものであり、第二に、そもそも思考や表現の本質は「アナロジー」であり「連想」であるということ、第三に元気が出てくる源泉は「曖昧な部分」「きわどい領域」「余分なところ」であると確信しているということだと言う。
「暇と退屈の倫理学」で紹介されていたドゥルーズが語ったという「攫われたい」というフレーズ、ここでもセイゴオ先生が「本に攫われたい」と語っている。さすが達人は同じ境地に達するというわけだ、と納得。
その時代に悪書とされたものはのちの名作であるらしい。
その例としてマキャベリ「君主論」、「アラビアンナイト」「デカメロン」、スタンダール「赤と黒」、フロベール「ボヴァリー夫人」、マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」、ディケンズ「オリバー・ツイスト」、ストウ夫人「アンクル・トムの小屋」スタインベック「怒りの葡萄」、フォークナー「サンクチュアリ」、ヘンリーミラー「北回帰線」パステルナーク「ドクトル・ジバゴ」、ジョージ・オーウェル「動物農場」バロウズ「裸のランチ」ナボコフ「ロリータ」を挙げている。
…何冊よめるか?
いい本に出会う打率は最高でも三割五分、普通は二割五分くらい。その打率を上げるために「駄本」を捨てるのではなく、むしろ三振したり見送ったのがあるという思いが重要だという。どんどん空振りして相手を褒めるつもりになった方がいいと。
セイゴオ先生は今癌の闘病中とラジオで話しておられた。まだまだ活躍してもらいたいと心から思う。
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難しい・・・何を言ってるのかわからん・・・けど面白い!?という不思議な本。
少し前にも津田一郎先生の『心はすべて数学である』を読んだけど、こちらも難しくてよくわからないのに面白く読めてしまう(しかし全く理解できた気はしない)不思議な本だった。
本書もよくわからないけど読めてしまう・・・ので、少し頑張って精読はしてみたのだが、やっぱりわからない、汗。
それでも面白く読めてしまうのは、「生命の起源」や「言語の起源」といった大きなテーマについて、お二人が読者に忖度することなく、持てる知識を総動員して大真面目に議論されているからだと思う。まあ、私は思いっきり置いてけぼりにされているわけだが、熟練したアスリートの走りにほれぼれするような感じなのだろうか。
印象に残っているところは色々あるが、p.152津田,ジョン・ニコリス共同論文の話が出てくるあたり。津田・ニコリスによれば人間が瞬時に記憶できるチャンク(文節)数は7±2の範囲とのこと、だから「物語」を持つと非常に大きな容量のカテゴリーが記憶できるとある。
そんなこと考えたこともなかったけど、原始社会で文字などの記録ができない社会では、情報の伝達手段として「物語」があったというのはありうるかもなあ、と思った。そして当然口承であり、旋律やリズムがあれば音楽の起源もそこにあるのかも、と思ったり。
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松岡セイゴオさんの白川静先生の漢字学説明書。
白川さんの本は沢山の漢字を平等に扱っているから、うわ~、凄いなあと思いながらも体系だった説明が欲しいなあと思う処。セイゴオさん云う処の漢字マザー、サイや工を最初においての説明は判りやすい。サイが載書から名づけられたという説明は有難い。長年の疑問が氷解した。
詩経と万葉集についての著作も読んでいる。共通の呪能があるという説明は成程と思われた。日本でその呪能は短期間に失われたという一文には虚を突かれたが。
最後は漢字は国字であるという主張について。
漢字をどのように受容していったかという歴史を判りやすく説明している。知ってはいることだけど、改めて納得。
ひらがな、カタカナが漢字から生まれるように、漢字も国字となったという。確かにそうだよなと思う。
白川さんは漢字の学者にとどまらず、東洋学の系譜にあった人という。
四半世紀前、偶々テレビで白板に「遊」の成り立ちを書いて講演している老人を観た。氏族の王子が旗を持ち、進む。旗がよりましとなり、神が遊ぶ。人が遊ぶのではないという講演に驚いた。凄い。誰、このお爺さんと思い、見ていたが、ああ、白川さんだと気付いた。宮城谷昌光さんの小説や諸星大二郎さんの漫画で名前だけは知っていただけだったから。
甲骨文字や金文を何度もトレースし、古代の民俗を解き明かしていく研究。この白川先生の研究は中国には伝わっているんだろうか。 -
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本屋でセイゴオさんの本を見かけ購入。浅学でドミニク・チェンさんのことは存じ上げなかった。
チェンさんがセイゴオさんの「空海の夢」に没入したとあり、ドキリとする。前に読んだが、歯の立たなかった本。
二人の対談は最初ITコミュニケーションの進化についてなのだが、ヘルメティックとかアフォーダンスとか、知らない言葉が出てきて、PCで検索すること数度。現代の知性に触れるには勉強不足だと自覚した。
(引用)
松岡:自分の認知と対象とのあいだに場所を空けておくということかな。それこそエピジェネティックな風景の中に置いておくという感じですね。ただし、いつでもそこに向かえるようにしておくわけです。そうした仕掛けによって、若干面倒くさいんですが、便利技術や便利思想をジャンクフード化しない状態で維持できているという感じなんです。
お二人とも知性を身体化していると感じる。自分はお勉強として頭に詰め込もうとしてるんだな。
後半は、例えばトランプ大統領の出現は、ITが自分が見たいものにしか誘導している結果という指摘。現在のITに欠けている部分を補正しようとするチェンさんの試みから、糠床の発酵のコンテキストへと話は発展していく。
刺激的な本だった。もう少し関連図書を探そうかな。
僕自身は森博嗣さんのWシリーズ、WWシリーズのようにAIやトランスフォーマーと会話が出来たらいいなあと夢想するけれど、道は遥か彼方かな。 -
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ネットでHeveneseのラストトークを見ていて、本書に言及があったので購入。令和の語源である万葉集をほとんど知らなかったので、とても興味深く読んだ。8人の著者の、改元をきっかけに書かれた万葉集に関するエッセイ集。
鈴木大拙は「日本人の霊性」の中で万葉集を「稚拙」だとか「幼稚だ」とか、あまり良い評価をしていなかった。しかしながら本書から万葉集の他の歌集との違いがわかり、納得した。
曰く、万葉集には中近東的な雰囲気がある、とか、万葉集は文字ではなく大和言葉の響きを口にうたうための歌集である、とかなどと言うように書かれていた。また万葉集には代作という表現があるとの事。これについては日本人が原作を尊重しつつも模倣する、現代のコミケの同人誌の根底にあるものの起源のように感じた。模倣は多文化では真似や盗作だが、万葉の代作からくる日本の「なぞらえる」とか「あやかる」文化は、まねる、まなぶ、につながるのではないかと思った。
星四つ。 -
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以前、「週刊ポスト」に連載した内容を書籍化し、「現在の日本から何が連想され、暗示され、寓意されるのか」を訴えることを意図したとあります。494ページもありますが、半分は写真なので気の向いたときに読める感じです。
とは言っても、松岡正剛氏の博覧強記には圧倒されます。日本の伝統・文化・風物・風習などの様々な側面を、見開き2ページで記載していますが、日本人でありながら知らないことだらけ。「三猿は実は四猿」、「近世日本の稀にみる軍縮(江戸時代に木版活字や鉄砲製造をやめ、浮世絵・花火などに転換)」、「漢字の『運』は軍を動かす意で、転じて福禍が動く意」、「正月に歳神を迎えるため門松を立て、火を使わないおせちを用意し、客神が帰るまでを『松の内』」、など備忘録的に書かせていただきましたが、「君が代」の原意も恥ずかしながらこの年で初めてしっかりと知ることができました。
知っていても何の得にもならないのですが(笑)、古来からもつ日本の伝統・文化の奥深さを改めて感じさせてくれる1冊です。 -
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ネットで公開されている「千夜千冊」はパラパラと見ていた。ただスマフォやタブレットだと長い文章を読めない私は、本屋でそれを再編集したらしい文庫本を発見して狂喜した。
第一巻の本書は、稀代の本読み正剛さんの本への向き合い方が、26冊の本を通して記されている。
渋そうな本、難しそうな本が並んでいるが、私も親しくそれらの本と「交際」したい。少々出来の悪い小生は先方から「交際」を断られそうな気もするが・・笑
考えようによっては積読状態になっている我が家の本も、それなりに縁があって我が家に来ているのだろうから、出来ればどの本も全部読みたい。
中々読み応えのある、千夜千冊の第一巻であった。けっこう難解で分からない部分も多かったが、読書筋、読書脳を鍛えて多くの本と「交際」したい。まずは「正法眼蔵」あたりに挑戦しようかな。 -
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日本文化を本当に伝えることができているか?
本書の掲げる問いに、ちょっと虚を突かれた思いがする。
内村鑑三、岡倉天心、西田幾多郎など、恐ろしく外国語が堪能な人々が、それでも伝えられないと思い至ったギャップとは何だったのか。
俄然そんなことが気になってくる。
それにしても。
相変わらずこの人の持つ情報量のすごさに圧倒される。
ポケモンと桃太郎、一寸法師から、スクナヒコナに遡る。
過差とバサラの関係。
そういったハッとするような見方を提供してくれる。
もちろん、細かいところでは自分の見方と異なるところがある。
鴎外の「ヰタ・セクスアリス」はそれほど軽い作品なのか?とか。
根本的なところでは、文化は「情報」なのか?とか。
(情報とみなしてしまうことで見落とされていくものはないのだろうか。)
結局「日本という方法」とは何なのか。
すっきりわかった気がしない。 -
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セイゴウさんの本は見かけたら、なるべく買う。
難しくて頭抱える本もあるけれど、本書はスラスラ読めた。
柿本人麻呂、紀貫之、松尾芭蕉から現代作家までの書評を編集工学から構成したもの。
近松門左衛門の名文を披露しているが、文楽を聞いているときでも、太夫の語りには聞き惚れるけれど、名文なのかどうなのか判らないんだよな。情けない。亡くなった橋本治さんだったら、こういう義太夫の文章も書けたかな。
二葉亭四迷「浮雲」や関川夏央さんが四迷について書いた本は読んだ。
(引用)ここに四迷の最も求めていた「はぐれた私」の彼方というものがある。これはのちに九鬼周蔵が希求しつづけた「意気」というものの近代的な自覚の最初であり、その前駆体であり、また日本人にひそむ「偶然性の哲学」の風前のニュアンスというものだったにちがいない。
う~ん。僕は四迷の迷いについて判っていなかったんだな。
泉鏡花「日本橋」
(引用)「これがダメなら日本は闇」は、一介の芸者の啖呵である。けれども鏡花は芸者にこそ、そう言わせたい。それをもって社会を自然主義に捉えるなどという野暮な連中に切り込みたかった。大正デモクラシーにも吉野作造にもぷいと背を向けたい。実際にも書いている、「自然派というのは、弓の作法も妙味も知らぬ野暮天なんじゃありませんか。」
BSの「ぶらぶら美術小村雪岱の装幀を紹介していた。(山田五郎さんの解説で美術館、博物館巡りしてみたいなあ。)「日本橋」探してみようかな。
その他、沢山思うことがあった。読みたい本も増えた。暫く手元に置いておこう。 -
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千夜千冊という単語を聞いたことはあったが、それがなんのことなのか松岡正剛氏が何をしてる人なのかは知らないまま本書を読んでみた。
これは、非常に面白い!多読術というより、松岡正剛氏の読書における哲学を語る本。
目次をしっかり読むこと、背表紙を眺めてる時から読みが始まる、読む時の状況、メモしながら読む、などなど自分の持っている読書哲学と同じような部分が多く共感しながら読み進めた。
そして松岡正剛氏のやっている千夜千冊が気になり、HPを見に行く…情報量に圧倒された。これはすごい。ちなみにいくつか読んでみたがなかなか難解で理解が追いつかなかった。『松岡正剛』という新しいジャンルに興味が湧き、これこそ「未知のパンドラの箱が開く」という読書の醍醐味を感じた。