見開き2ページに歌と作者、そして意訳とその歌の背景や作者の生涯についてが書かれている。
この本の特色は、なんといっても意訳の部分。
教科書で習ったものとは多分全然違う解釈の歌が多い。
歌に詠まれているものだけを見てもわからない。
そこには恋愛模様だけではなく、歴史との対話あり、今現在の政争の顛末あ
...続きを読むりと、実にドロドロと人間臭いのだ、という。
それは、歌は詠んだ人のものでありながら、あとからそれを読んだ人の解釈を付け足して、どんどん膨らませていくものであるという著者の主張である。
世のなかはつねにもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも
鎌倉右大臣=源実朝の歌
“男女の仲にはじまって世は無常といわれるが、常凡の人情としてはやはり常に変わらずあってほしいもの。常の穏やかな日なら渚をゆっくり漕いで行く漁師の小舟が、今日は波が荒いからか、曳舟の曳綱に曳かれて行く。それをうち眺める自分とて、いつ運命の曳綱に曳かれないとも限らない無常の身だ。”
これを実朝が本当に意味して詠んだとしたら、それはすご過ぎるだろう。
あくまでも彼の運命を知っている、のちの人の解釈に過ぎないとは思う。
それでも、頼朝は男子を二人ももうけて、孫も男子であったのに、結局あっという間に権力は妻の実家である北条氏に移る。
平氏を滅ぼした源氏の頭領の血は、受け継がれて行かなかったんだなあと、最近私もしみじみ思ったところだったので、なかなかにタイムリーな解釈でした。
あまたある和歌の中から100首を選ぶこと。
それだけでも大変な事業だと思うのに、この選集は歌の順番にも意味があるらしい。
天智天皇から始まり順徳院で終わる100首。
“かくして天智天皇に始まる王朝時代は終わり、武家政権時代が始まる。定家もその家も生き延びるためには時代の趨勢に従わざるをえず、公的な単独撰の『新勅撰和歌集』からは後鳥羽・順徳両院の御製は省かざるをえなかった。その償いとして両院御製で止めたアンダーグラウンドの王朝詞華集決定版が、私的な単独撰『小倉百人一首』だったのではないか。”
副題の恋する宮廷とは、恋情すら世渡りの手段であり、政治であるということ。
全然甘くない恋する宮廷。
西洋の貴族たちが恋愛の詩を作り始めるのは、これから数百年もあとのことなのだそうで、そう考えると、日本って昔から平和だったんだなあ。
何しろ平安時代だし。
戦争に明け暮れているときは、恋の歌などで世の中は渡っていけないのである。