高橋睦郎のレビュー一覧
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漢詩百首
日本語を豊かに
中公新書 1891
著:高橋 睦郎
出版社:中央公論新社
漢詩100首のうち、40首は、日本人の漢詩である
論語の子罕編 から始まる。詩経が漢詩の出発点で、詩経を編集したのが、孔子とある。だから、論語の一節が紹介されている。そして、最後は、毛沢東。漢詩と政治というのは、関係が深いようだ。
1詩人に1首という感じで、淡々と紹介が続いていく。自分としては、李白、杜甫の詩が複数あったらいいとは感じた。
日本人の漢詩の中で、とりわけ、目立つのは、乃木静堂(希典)、漢詩とはほとばしる感情を表現するにふさわしい
皇師百万 強虜を征す 野戦攻城 屍山を成す
愧ず我何の顔(かんばせ)もて 父老に看えん 凱歌今日 幾人か還る
目次
はじめに
漢詩百首
漢詩は、日本語の財産
漢詩への感謝
おわりに
ISBN:9784121018915
出版社:中央公論新社
判型:新書
ページ数:264ページ
定価:780円(本体)
2007年03月25日発行 -
Posted by ブクログ
ネットでHeveneseのラストトークを見ていて、本書に言及があったので購入。令和の語源である万葉集をほとんど知らなかったので、とても興味深く読んだ。8人の著者の、改元をきっかけに書かれた万葉集に関するエッセイ集。
鈴木大拙は「日本人の霊性」の中で万葉集を「稚拙」だとか「幼稚だ」とか、あまり良い評価をしていなかった。しかしながら本書から万葉集の他の歌集との違いがわかり、納得した。
曰く、万葉集には中近東的な雰囲気がある、とか、万葉集は文字ではなく大和言葉の響きを口にうたうための歌集である、とかなどと言うように書かれていた。また万葉集には代作という表現があるとの事。これについては日本人が原作を尊重しつつも模倣する、現代のコミケの同人誌の根底にあるものの起源のように感じた。模倣は多文化では真似や盗作だが、万葉の代作からくる日本の「なぞらえる」とか「あやかる」文化は、まねる、まなぶ、につながるのではないかと思った。
星四つ。 -
Posted by ブクログ
文学や編集に携わる8名の手による万葉集エッセイ集、といえばよいか。
出だしから中西進氏による『旧約聖書』と『万葉集』のリンクが展開され、度肝を抜かれる。良き文学とはほかの文学と共鳴するものとはいうが、まさかそんなところと響き合うとは。しかも万葉集の第一人者の一人中西進氏からそんな。おみそれしました。
川合康三氏の「山上憶良と中国の詩」、高橋睦郎氏の「いや重く謎」あたりは若干硬めの印象を受けるかもしれないが、基本的には一流の文化人たちによる平易な万葉集エッセイである。いや平易と言ったが完全に万葉集知りませーん何書いてあるんですかーな人には向かないかもしれない。ちょっとは齧った人向け。だが、ちょっと齧って関心がある人には気軽な万葉集読み物として勧められると思う。個人的にはこの本で松岡正剛氏を少し見直した(?)。
難点があるとすれば取り扱われる歌に多少の偏りが見られる気がすること。ただ明らかなほどではなく、寧ろ私の気のせいかもしれない。総合的にはバランスの取れたよい本です。 -
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ネタバレ見開き2ページに歌と作者、そして意訳とその歌の背景や作者の生涯についてが書かれている。
この本の特色は、なんといっても意訳の部分。
教科書で習ったものとは多分全然違う解釈の歌が多い。
歌に詠まれているものだけを見てもわからない。
そこには恋愛模様だけではなく、歴史との対話あり、今現在の政争の顛末ありと、実にドロドロと人間臭いのだ、という。
それは、歌は詠んだ人のものでありながら、あとからそれを読んだ人の解釈を付け足して、どんどん膨らませていくものであるという著者の主張である。
世のなかはつねにもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも
鎌倉右大臣=源実朝の歌
“男女の仲にはじまって世は無常といわれるが、常凡の人情としてはやはり常に変わらずあってほしいもの。常の穏やかな日なら渚をゆっくり漕いで行く漁師の小舟が、今日は波が荒いからか、曳舟の曳綱に曳かれて行く。それをうち眺める自分とて、いつ運命の曳綱に曳かれないとも限らない無常の身だ。”
これを実朝が本当に意味して詠んだとしたら、それはすご過ぎるだろう。
あくまでも彼の運命を知っている、のちの人の解釈に過ぎないとは思う。
それでも、頼朝は男子を二人ももうけて、孫も男子であったのに、結局あっという間に権力は妻の実家である北条氏に移る。
平氏を滅ぼした源氏の頭領の血は、受け継がれて行かなかったんだなあと、最近私もしみじみ思ったところだったので、なかなかにタイムリーな解釈でした。
あまたある和歌の中から100首を選ぶこと。
それだけでも大変な事業だと思うのに、この選集は歌の順番にも意味があるらしい。
天智天皇から始まり順徳院で終わる100首。
“かくして天智天皇に始まる王朝時代は終わり、武家政権時代が始まる。定家もその家も生き延びるためには時代の趨勢に従わざるをえず、公的な単独撰の『新勅撰和歌集』からは後鳥羽・順徳両院の御製は省かざるをえなかった。その償いとして両院御製で止めたアンダーグラウンドの王朝詞華集決定版が、私的な単独撰『小倉百人一首』だったのではないか。”
副題の恋する宮廷とは、恋情すら世渡りの手段であり、政治であるということ。
全然甘くない恋する宮廷。
西洋の貴族たちが恋愛の詩を作り始めるのは、これから数百年もあとのことなのだそうで、そう考えると、日本って昔から平和だったんだなあ。
何しろ平安時代だし。
戦争に明け暮れているときは、恋の歌などで世の中は渡っていけないのである。 -
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選者定家を第二の作者、自らを第三の作者とし、明治以降の海外の詩歌など多くの知見も援用して、
「後読み」によりこの詞花集を読み解いていこうというもの。
百首の現代語訳は、詞書や出典元の勅撰集の配列などを参照にした詳しく行き届いたもの。
個々の解釈では、詩人らしい深読みが多く、踏み外しであってもまた興味深い。
業平『ちはやぶる』では「血やは降る」と読み替え、祖父平城上皇の寵姫藤原薬子の血と
政変の記憶が「からくれない」に込められているとし、
良暹『さびしさに』は優れた抽象詩・思想詩であり、比べれば西行・寂蓮・定家の「三夕の歌」
は書割のようだと評し、
基俊『契りおきし』は受け取った相手がじつに後味の悪い思いをするような人事の恨みで、
作者の屈折した性格がどことなく定家に似ているという指摘など…
帝王の恋歌が感応して五穀の豊穣を約束する(丸谷説に似ている)という考えから、
冒頭と掉尾それぞれに置かれた「帝王父子と二人の宮廷歌人」を通して全体の構成にも言及。
巻末の対談「王朝を葬送する」では、定家がいなければ、王朝は閉じず、その文学の位置が定まらないと。
『王朝全体を柩に入れて、蓋をした。自分も中に入って、内側から蓋を閉じて、殉死した』 -
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百人一首について、お勉強のために読む。
ひとつひとつの歌について、著者なりの丁寧な「読み」がされており、歌の解釈は本当に多種多様だな、と思った。
時には「うがちすぎでは?」と思うような読みもあったものの、表面的な読みだけではなく、当時の政治的背景を透かして見せたり、作者の生涯にしっくり照らしあわされていたりと、納得のいく読みも多かった。
私は小学生のとき、担任の先生によって百人一首を中途半端に覚えされられた生徒だったので、その時に暗記した歌ばかりが今でも印象深く残っており、それ以外の歌とどうしても愛着に深い差がある。
好きな歌はどれだろうと考えてみたところ思い浮かんだのは、
春すぎて夏来にけらし白妙のころもほすてふ天のかぐ山(持統天皇)
わたのはら八十島かけてこぎいでぬと人には告げよ蜑のつりぶね(参議篁)
ちはやふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは(在原業平朝臣)
最初のほうの歌ばかりである・・・。
それと、これは蛇足だが、最近とある人から「春すぎて~」の歌を「あなたの名前の漢字から、この歌を連想した」と言われて嬉しかった。 -
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ネタバレ[ 内容 ]
『小倉百人一首』は、万葉時代から新古今時代まで五百年余に作られた和歌から精選された名歌集だが、そののち、古代から当代までを通覧してのアンソロジーは普及しなかった。
そのことはわが国の詩歌の中心が短歌から連歌、俳諧へと移っていったことと無縁ではない。
本書は『古事記』から現代俳句まで、旋頭歌の片歌や連歌・俳諧の発句を含めた五七五の名作を通時代的に選んで、日本人の美意識の本質と変遷を探ろうとするものである。
[ 目次 ]
新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる・雑 倭建命
佐保川の水を塞き上げて植ゑし田を・夏 佐保禅尼
白露のおくにあまたの声すなり・秋 簾外少将
標の内に杵の音こそ聞こゆなれ・冬 賀茂成助
かからでもありにしものを春霞・春 良岑よしかた女
浅みどり春のしほやの薄煙・春 後鳥羽院
初時雨はるゝ日かげも暮れ果て・冬 前中納言定家
うば玉の黒髪山の秋の霜・秋 従二位家隆
春や疾き古としかけて立ちにけり・冬 前大納言為家
芦の根のうき身はさぞと知りながら・夏 後深草院少将内侍〔ほか〕
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