松岡正剛のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
久しぶりによむ松岡正剛さんの日本文化論。
新書なの気軽に読み始めたのだが、350ページくらいで厚めで、16の角度から日本文化に接近していて、内容的もかなりの圧縮度で、読み終えるのに数日を要した。
松岡さんの仕事をそんなにおかっけているわけではないのだが、これはちょっと日本文化論の集大成なんだろうな〜と思う。
書いてあることは納得感があるし、自分がここ数年、考えているんだけど、思考の行き詰まりを感じていたことへのかなり直接的なヒントをいくつかもらった。
あ〜、やっぱ、欧米的なロジックの世界で考えていくと、自分が納得できるような出口はなかったんだ。でも、ちょっと角度を変えて、多様な日本という視点でみてみると、問題だったものが、すこしゆるまったり、ほどけてきたりする感じがある。
これはしばし維持したい視点。
次に進むためには、どのあたりの本を読めばいいのかも教えてもらった感じで、お得感があった。
う〜ん、この本のコスパって、かなり高いと思う。 -
Posted by ブクログ
『知の編集術』松岡正剛氏
1.購読動機
松岡正剛さんの著書だからです。
本屋にいくと彼だけのスペースがあります。
その書籍内容、タイトルの広さにまず関心がいきました。
一冊めがこちらです。
理由は、仕事を通じて文章を書く機会があるからです。
2.書籍のお得度
松岡正剛さんが知るところの編集とは?を定義から方法論まで開示してくれているところです。
3.こんな方にオススメ
松岡正剛さんに関心があるひと。
また、関心がなくても、文章を読むよりも書く方面に関心があるひと。
そんな方にはオススメです。
4.文章における分母と分子。
たとえば、彼はピアノがうまい。
この文章を
プロのピアニストのなかで
とするか?
会社員かつピアノ演奏家として、
とするか?
そう、主体の文章 分子にたいして、分母をどのようにするか?で、読み手の印象は大きく変化するということ。
5.最後に
松岡正剛さんの読書方法も記載あります。
だから、なかなか読み応えある書籍です。
#読書好きなひとと繋がりたい
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Posted by ブクログ
ネタバレ日本文化
ハイコンテキスト(以心伝心)で
一見わかりにくいと見える文脈や表現に真骨頂
柱=神々 :客神
産霊(ムス ビ)
「稲・鉄・漢字」の伝来 →漢和リミックス
紀貫之 土佐日記
仮想トランスジェンダー 仮名
→枕草子、源氏物語へ
しつらい・もてなし・ふるまい
多神多仏
七福神
恵比寿:日本の漁業の神
大黒天:ヒンドゥー教のシヴァ神
福禄寿:道教の神
毘沙門天:仏教の四天王 ・・・
侘び≒詫び
寂び≒荒び(すさび)≒遊び:夢中な状態→数寄=好き
小さきもの
ポケモン、かぐや姫、一寸法師、桃太郎、根付、
コギャル
メディアとしての器、器用と器量
貨幣
弊=神への捧げもの →賽銭 銭を洗う
日本の情報文化 ニュースと笑い
わかりやすさ 編集力の低下
(情報=編集されたもの)
日本=システムなきシステム
「権力中枢の不在を補うシステム」
おもかげとうつろい
記憶の中の面影を編集し情報化し編集を加えていった -
Posted by ブクログ
サクッと読めていい
年表をかくにしても、ノートをとるにしても、人に推薦してもらうにしても、どれも言えるのは、「リンクを増やしていく」ということだと思う
本をそれぞれのニューロンと思って、ニューロンひとつひとつじゃなくて、大事なのはいくつのニューロンとシナプスがリンクしてるか、ということ
そうしたリンクを強く複雑に意外にしていくと、インターテクストなネットワークの構造ができていく
そこに、「意味」が立ち現れてくる
人と人とのコミュニケーションは、情報でなくて意味をやりとりするものであって、そのネットワーク構造を編集しあってるということ
ってか。 -
Posted by ブクログ
およそ授業ではつまらない時間を過ごしたはずの、あれやこれといった分野の、実はなんと魅力的なことか、と理系エッセイを読むと感嘆させられる。
松岡正剛さんって、こんな人だったっけ?
と思うほど、一冊一冊への想い入れがすごいというか、むしろ想いがガツンと先行して、感動詞ばっかりになっていたりする(笑)
ただ、その高揚感で、読みたくなる。
この人にビブリオバトルをさせたら、まさに魔法の五分間になるに違いない。
きっと出ないだろうけど。聞いてみたいわー。
敢えてラインナップを見ずに読み始めた。
後々、この時の自分を振り返って、博多華丸・大吉の「天ぷら」の漫才を思い出す。
行きつけの居酒屋さんで出る季節の天ぷら。
大吉さんが「えびと、しいたけと、」という風に紹介していく内に、「ああ、次にそれが来るのっ⁉︎」と華丸さんの顔がキラキラ輝きだす。
(チュートリアルのBBQ串ネタもあったな)
寺田寅彦『俳句と地球物理』
中谷宇吉郎『雪』
野尻抱影『日本の星』
湯川秀樹『想像的人間』
朝永振一郎『物理学とは何だろうか』
ですよ!!
うっひゃー!もう途中から「あああああ、そうきちゃいますかぁーっ!」って悶えました。
あー。興奮したー。
この章は割とベタなんだろうけど、他の章は松岡正剛さんに所縁のある方や、これは自分では出会わないな、という本ばかりで楽しめます。
とりあえず、お互いにテンション上がる本です。
「ポアンカレは書いている、『突如として啓示を受けることはある。しかしそれは無意識下で思索的研究がずっと継続していたことを示しているのだ』。ポアンカレはこのことを『数学的発見における精神活動の関与』とよんだ。」
最近、この話聞いた気がするんだけどな。
どこだったかな。
「ぼくは(人間)水棲説には好感をもっている。そもそもヒトが流線型の体形をもっていること、体毛が背骨にむかって生えているということ、サルとちがって著しい皮下脂肪に富んでいることなどは、どうもわれわれが一時期水の中にいたことを暗示しているような気がしてならないのだ。かつてジョン・C・リリーとこの話をしたときは、リリーさんは『そんなこと言うまでもない、当然のこと』というように、自分の両手をフリッパーにしてクジラとイルカの真似をしてみせた。」
なんとなく、このくだりに夢があるというか、イメージすると微笑ましかったので引用。 -
Posted by ブクログ
本好きの多くにとって師匠のような存在である松岡正剛氏のライフワークともいえる(本人は「ささやかな千日回峰」といっている)「千夜千冊」が、ついに文庫本になった!(2006年に1,144冊分がハードカバー大型本/全7巻+特別巻で出版されているが、一介の本好きには金銭的にも空間的にも購入は難しい)
私は文庫本の出版を知ったとき、歓喜する一方で「これは悩ましい。。。」と思ったのだが、それは、「この千夜千冊エディションが今後次々とでてきたときに買い続けることは可能なのだろうか。。。」と感じたからだ。ネットで公開されているのは既に1,700夜に迫ろうとしており、仮に全夜を本にすると、本書同様に1冊に26夜分を載せたとして、60冊でも足りない。この不安は今のところ解消されていないが、記念すべき1冊目を買わずにはおれず、差し当たり問題は先送りすることにした。
私もネットの「千夜千冊」は数えきれないほどアクセスしてきたものの、一介の本好き程度に「「千夜千冊」とは」を語ることは到底できない。松岡氏は本書の中で、「ぼくはそういう本たちとのべつ交際しながら、人生大半の時間を費やしてきた。そして56歳のとき、その体験の一部を互いに連鎖する感想録のように綴って「千夜千冊」としてウェブに公開することにした。書評ではない。その本との「めぐりあい」の事情と「印象」と「言わずもがな」を綴った。」、「ほくは「千夜千冊」を書き手と読み手の結託を示すために綴ってきた。書評ではない。批評もめったにしない。」と語っている。
そして、本巻は、シリーズ1冊目に相応しく、松岡氏曰く「第一には、ぼくが本に接するたびに試みてきた「読み」の手法がわかるような千夜を選んだ」、「第二に、そもそも本はどのように編まれて著されてきたのか、どう読まれてきたのか、そのプロフェッショナルな「しくみ」に言及した千夜を並べた」、「第三に、本というもの、・・・いまやその多くが電子化されて、ネットの中にも生息するようになってきた。それなら、本の読み方や本との交際の仕方は変わるべきなのかといえば、いやいや、そんなことはない、もっとラディカルになったほうがいいという主張者たちの本を選んでおいた」というものである。
収められた一夜一夜については、冒頭から、道元『正法眼蔵』、パスカル『パンセ』と続き、難解なものも少なくない。が、読み易い一夜から読んでも、随所に散りばめられている松岡氏の本読術や読書思想に触れることはできるように思う。
例えば、
『記憶術と書物』(メアリー・カラザース)・・・「古代ギリシアでも、ある哲人に多くのことがしっかり記憶されているときは、しばしば「世界がアタマのなかに書きこまれている」と言っていた。・・・中世、書物はそのように「頭のなかの絵を見ること」のために作成されていた。そこでは、記憶は実践そのものなのである。執筆は読書であり、読書は記憶であり、記憶は執筆なのである。」
『棚の思想』(小川道明)・・・「本屋に入ってついつい本をすぐに手にとりたくなるのだが、これをなんとか我慢する。・・・本のばあいもそれを選び並べている「棚」の思想を見ることになる。・・・こうした棚組みを前後左右に存分にたのしみ、自分なりの「見方」を確立する。このとき著者のほうの思想に負けてはいけない。本はそれ自体がモードやフードなのだから、自分がほしい(自分の関心と好奇心にふさわしい)モードとフードの思想のほうを感じることになのである。」
『本は死なない』(ジェイソン・マーコスキー)・・・「もともと本を読むという行為は、さまざまなアフォーダンスを出入りさせる身体的な行為として発達してきた。目も手も使うし、体の姿勢も関係ある。車中の読書や寝転び読書は、まさに体ごとのエクササイズなのだ。」
まさに「千夜千冊」の入り口として相応しい一冊目といえるのではないだろうか。
(2018年10月了) -
Posted by ブクログ
読みながら
引っ掛かりながら
調べながら
考えながら
しばし、
休息しながら
読み進めていった
知的な好奇心が
これでもか と 思われるほど
揺さぶられるのが
うれしい
田中優子さんが
これまでの日本の歴史は
誰が何をしたか、誰が勝ったか、誰が何を作ったか
の 主語の歴史である。
名を持たぬ人々の営みは埋もれ、彼らによって作られた無数のアート(優れた技術で生み出されたもの)も語られない。しかし「おおもと」は、その中にある。
の 視点から繰り出される
「日本のこれまで」と
「日本のこれから」は
まことに 興味深い「問答」に
なっている
ぜひ、続編を読みたいものだ