河合隼雄のレビュー一覧
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もともと論文をまとめた『心理療法論考』に他に発表したものを追加したということで、かなり心理学的に詳しい内容となっているが、詳細な事例研究が多く、難解といわれるユング心理学について、わかりやすく書かれていて、大変引き込まれた。
p242
「すべての問題が幼時の経験へとさかのぼって関連づけられるとは限らない」
p318
「一つの夢に対するとき、まずそれはいかなる自我の状態を補償せんとして生じたものであるかを考えてみる」
p542
「現象を全体としての布置としてみるとき、われわれの頼みとするところは、このような事態の意識的な把握によって、人間はその強力な布置から抜けでることができるということである。あるいは、意識による適確な把握ができたとき、元型的布置は自らその力を弱めていくとさえいいたい」
p595
「自我の一面的な固定化を排除し、それが常に高次の全体性を求めて発展してゆくことを目的とするのであるが、この常に発展してやまぬ心の過程を、ユングは「自己実現の過程」と呼んだ」
p1730
「感情の表現を通じて、自我が他者の理解を得ようとしているとき、それはとりも直さず、自らの心の深層へのつながりを模索していることになる」
p2001
「ノーマルな人の自己実現の過程を促進する手段として、箱庭療法を用いることも行われている」
p2034
「人間関係を媒介とせずには、表現が成立しない」
p2162
「自らの無意識へと深く沈んでゆく、そこにおいてこそ、クライエントの無意識と出会うところがあり、自己実現の力が活性化されるだろう。それが「深い」転移なのである」
p2365
「母性原理には個人差はない。すべての子どもが「努力されすれば総理大臣にだってなれる」と信じて疑わない」
p2395
「わが国の青年の多くは、その自我を確立すべきときになって、キリスト教に関心をもつようになる」
p2424
「土居は「甘え」を自我に発する依存欲求としてとらえ、英語でも"desire to be loved"などと表現している」
p2464
「母なるものは、常に自我を飲み込み、自我の発展をとどめようとのはたらきももっている」 -
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自分が不惑を迎えることもあり、また疲れた時は河合隼雄が効くとどこかで見かけたこともあり手に取った本。内容もさることながら、一つの物語からこんなに多くのことを考えたり読み取ったりすることができるのだなぁ、ということにまず感動した。紹介された本で読んだことがあるのは砂の女だけであり、あらすじだけ読んだだけならまず読もうとしなかった本ばかりである。この解説を読んで、特に漱石の小説は読んでみたいなと思った。門や道草などの潜在的なXや自分はなんなのかという根源的な問いには引き寄せられるものがあった。中年って第二の思春期みたいなものなのかしら。若い頃、第一の思春期の時は黒か白か、善か悪か、のような二元論しか受け付けなかったけれど、中年になって世の中はかえってグレーの方が多い、どちらも正しいし正しくない、というような曖昧さを受け入れること、今時の言葉で言うならネガティブケイパビリティが育ってきたなと感じられたなら、多少は自身も成長したといえるのかもしれないと思った。
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面白かった。河合隼雄先生の本はよく読んでいたけど、この本で先生の知識の広大さ深さを初めて知った気がする。
シェイクスピア作品というだけでもいろいろ深いのに、河合先生が一刀両断に解釈するのが痛快。
心理学系の本より自由に語っている気がする。
この本を読むために「リチャード三世」(超簡易版)を読んだけど、演劇も見たいな。
p163
「自分自身になるのは死ぬ時ですよ」
「永遠の少年はね、自分自身でありたいなんて安易に思うわけですよ」
p179
「次男は特に権力への意志が強くなると、アドラーは言っています。それから劣等感」
p188
「大体、善人というのは反省しない。これが一番怖いです。(中略)つまり反省しないと他の面が出て来ない」
p217
「裏切りによってしか自立できない」
p218
「裏切られたと思うときは、その相手の人間とのあり方を考え直すのが本当なんですよね。」
p219
「強迫神経症の人というのは、心のものすごく深い所が動いている。そういう深い所と、日常の自分が接触するのは怖い事なんですよ。それこそ、人を殺しかねない恐怖や衝撃」
p222
「自分のネガティブな欲望は、全部女性のせいにする」
p227
「癖というのは個人の儀式なんです。例えば論戦だと、自分が通常使っていないエネルギーを流し込まないといけない。すると儀式が必要になる」
p249
「目がくらむほど豊富な知識と経験、そして明敏な洞察力」 -
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河合隼雄さん、小川洋子さん、お二人の作品は読んだことがあり、どちらも好きだったので、二人の対談ということで楽しみに読んだ。
この本を読んで強く感じたのは、物語とは単なる娯楽ではなく、人が死や別れ、後悔や矛盾といった、理屈だけでは受け止めきれないものと折り合いをつけるために必要なものなのだ、ということだった。
特に印象に残ったことは大きく三つある。
一つ目は、現代では「死」が日常から遠ざかりすぎているということだ。
本の中で語られる「やさしさの根本は死ぬ自覚だ」という言葉が強く心に残った。医療の発展や生活の便利さによって、私たちは普段、死をあまり意識せずに生きている。特に、親しい人が死ぬことや、自分自身が死ぬことは、どこか心の中で遠ざけてしまっている。
けれど、「あなたも死ぬ、私も死ぬ」ということを本当に共有できていれば、お互いへの接し方は変わるのだと思う。相手の弱さや欠点も含めて受け入れようとする気持ちや、限りある時間を大切にする感覚が生まれる。死を意識することは暗いことではなく、人を大切にするための感受性につながるのだと気付かされた。
二つ目は、物語は現実逃避ではなく、現実を受け入れるための営みだということだ。
人は、生きていく中で受け入れがたい現実に直面する。そのとき、現実をそのままの形で受け止めることは難しい。だからこそ、自分の心の形に合うように現実を物語化し、記憶として整理していくのだという考え方が、とても腑に落ちた。
小説や漫画、映画などの物語に触れたとき、なぜか心が軽くなることがある。それはきっと、作品が自分の中にある言葉にならない感情を表に引っ張り出し、自分なりの物語を作る手助けをしてくれているからなのだと思う。以前は、漫画や小説などの物語にはどこか「子供のためのもの」という感覚もあった。しかしむしろ、人生経験を重ねるほど、物語に支えられたり、救われたりする場面は増えていくのかもしれない。
三つ目は、カウンセリングとは、相手を励ましたり、正解を教えたり、無理に引っ張り上げたりすることではないということだ。
子供を亡くした母親の後悔について語られる場面で、「荷物を礎にする」という言葉が出てくる。苦しみや後悔をなかったことにするのではなく、それを抱えながらも、生きていくための足場に変えていく。その過程に寄り添うことが、カウンセリングなのだと感じた。
これは簡単なことではない。相手の苦しみに対して、つい励ましたり、前向きな言葉をかけたりしたくなる。でも本当に必要なのは、相手が自分なりの答えや物語にたどり着くまで、そっと隣にいることなのだと思う。
この本を通して、物語が持つ不思議な力の秘密に少し触れられた気がした。
自然科学や論理では、「人はなぜ死ぬのか」に対する説明はできるかもしれない。しかし、「なぜ私の大切な人が死んだのか」「この悲しみをどう抱えて生きていけばいいのか」という問いには、それだけでは答えられない。そこに必要になるのが物語なのだと思う。
生きるとは、自分にふさわしい物語を作っていくこと。
その言葉の意味が、少しだけ分かったような読書だった。 -
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人間とかその心理って複雑に考えてしまいがちなのだけど、こうして読むとある程度根源的な欲求や心地の良い生き方というのは類型化できてしまうものではないのかという気になった 脳みそというのは精密なもののようで意外と騙されやすいというか
先生をやっている友人から職場に関する悩みを聞いていたときに真っ先にこの本のことを思い出した
講演での内容をそのまま文字起こししたものなので、普段の本を読む感覚で読み始めると少しびっくりして馴染むまでに時間がかかったけれども、文字起こしだからこそ感じられる先生のお人柄や軽快な口調など、文字から温もりが溢れてる感じがして良かった
もっと若いときにも一度読んでみたかったし、もう少し歳を取ったときにもまた読み返したい -
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「物語」は今年少し強めに関心を持ってみようかなと考えているテーマの一つ。まずは導入ということでこちらの本から。何の気なしに手に取りましたが河合隼雄さんの最後の対談本で、しかも途中で終わってしまっていたものだったのですね。『ブラフマンの埋葬』を題材にした会話はぜひ読んでみたかったので残念ですね。
物語というものが持つポジティブなパワーについては既に学んでいたり実感している部分もあるのでそういう意味では心理師としての河合さんのいう物語の効用についてはまぁそうだよね、という感じで、むしろ小川さんの物語ることに対しての使命感のような感覚や創作についての感覚が面白かった。今後探っていきたいのはむしろ物語の力が持つ負の効能や影響面について。それがあったとして物語の効能を使わないということはそもそものホモサピエンスとしての認知の構造としても無理だと思うが、考えどころや工夫のしどころについて色々な観点から考えてみたい。 -
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この本は河合隼雄のエッセイ集とも言うべきか。文体が平易で優しく気軽に読めるので、数年に1回読み返す。
毎回読むたびに新たな発見が。というよりは自分が年齢を重ねた分、経験値が少しは上がっているようで、理解に深みが増してくる感じが嬉しい。私の心が惹きつけられる箇所も毎回違うからおもしろい。その時々の自分の悩みを本に投影しながら文章を解釈していく作業を行なっているだろうから、心が揺さぶられる文章に出会って、癒されたり、新たな考えが浮かんだりする。
心理療法家は基本的にスーパーバイザーのもとに通っている。心理療法をしていると辛い話を聞くことが多く、1人では抱えきれないのだ。スーパーバイザーに話を聞いてもらい支えられて仕事をしている。さらにはスーパーバイザー自身も抱えきれない時があるので、その時はもっと度量の大きいスーパーバイザーがさらに話を聞いていくのだが、河合隼雄はその1番後ろのスーパーバイザー的存在であった。では、河合隼雄のスーパーバイザーは誰だった思いますか?
答えはバッハやモーツァルト。彼らの音楽が河合隼雄を支え、浄化してくれていたのである。このエピソード大好き。 -
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平成初期に出版されたエッセイ。著者の河合隼雄さんは随分前に、解説の谷川俊太郎さんも昨年鬼籍に入られた。あとがきで河合さんは、「自分は常識について書いてきたのだ。そんな本を作らなければならない世の中なのだ」と発見する。解説の谷川さんは「常識はアップデートするもの」と補足する。ともに知性の素敵な働きを見せていただいた。昨今は自分の考えに凝り固まって、このアップデート感覚を忘れている人、知らない人ばかりだ。新しい事象が出てきても、そのお大事な常識の範囲で解釈してしまうし、解釈しきれなければ、例外だ、と無視をする。そういう社会になってしまった。自分の職場にも自分の正義、合理性にのみこだわって部下を抑圧する上司がいる。ネット上にもたくさんの弁慶たちがいる。知識以前の知性、の復権が必要だ。
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河合隼雄はやっぱりすごいな。いつ読んでも何かその時の自分に響くものがある。
この薄い本の中にも。
特に心に残ったのは二つ。
・大学時代の仲の良い友達が自殺してしまい、傍にいたのにその辛さに気づけなかった自分は臨床心理士にはなれないと思って慕っている精神科医に相談に行くと、「人は親しい人のことは分からないものだよ」と言われたという話。
自分の経験からも本当にそうだなあと思うし、河合隼雄もそうであることに元気づけられる。
・過去に共有している思い出を語り合うのが友達、未来や目標について語り合うのは友達というより仲間、同志なのかもしれないという話。
中高の友達と仕事や社会の話があまりできないということにくよくよしていたけど、それって当たり前なのかもしれない、と気付かされた。