河合隼雄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
日本の心理学者の中でも著名なユング派河合隼雄氏と詩人の谷川俊太郎氏の対談集。
この二人を対談させようと考えた人に金一封。肩を抱いて赤提灯の下で熱く語り合える気がする。
なんて素敵なチョイス!
濃いよ、ホント濃い。
物事は突き詰め過ぎると、いつしか物凄く簡略化されていく・・・っていうのの見本みたいだ。
特にこの世界の第一人者、的な二人が揃って話しているわけで。
お互い常人には測り知れないところがアベレージなわけで。
もうそこに行きつくのは無理だよなあって達観して読むと割とあっさり頭に入ってくるから不思議。
学者と詩人という、言葉や心理面においてカテゴライズする側とされる側って組み合わせも面白い。
小学校の頃に心理学というものを初めて知ったのは河合氏。
谷川俊太郎の詩は教科書に載ってて詩集を初めて手に取った詩人。
そういう意味では私にとっては特別な二人。
谷川ファンには嬉しい詩の分析もあります。ただ心理学を学問でユングだフロイトだと語るのが嫌いな人は難しいかも。
私はフロイト嫌いだけどね(笑) -
Posted by ブクログ
子供をこの現代社会で育てようとすると、本当に
いろんな問題に日々直面します。(ちなみにうちは
共働き家庭です。どちらもハードなお仕事です。
しかも、結婚してから旦那の家に同居しています。
7人家族いれば、いろいろあるわけで・・・。)
私達の小さい頃とは違って、スーパーに買い物をお願いして
お遣いさせるとか、寄り道をたくさんしながら、
暗くなるまで四つ葉のクローバー探すとか、
ザリガニを毎日とって残酷な遊びをしたりとか、
学校で誰かが泣くまで雪合戦とか誰かができるまで
鉄棒遊びとか・・・私はそうやって育ってきました。
しかも、夫婦げんかとか平気でしたり、おばあちゃんのことは
大事にするものだと教えられて育ったし。
ただ、物わかりのいい親というよりは、どちらかというと
気持ちを全くわかってもらえなかった部分の方が
大きいです。
でも、そういう経験があったからこそ自分で考える癖が
ついた気がするし、それが自分で考えてよりよく生きる
ってことなのかな?って思ってます。
うちの子育ては、まだまだ始まったばかり。
でも、ただの物わかりのいい親にだけはなりたくないし、
やっぱりちゃんと成長する過程の中でいろんな
困難とちゃんと向き合わせたいです。でも、
本当にピンチの時は全力で助ける、そんな親になって
いきたいです。
ただ、のほほんと暮らしてきた人や今の状態がベストの
人が読んでもピンとこないかもしれないので、
本当に悩んでる人、家族のために笑顔で尽くしてるのに
なかなかそれが旦那の家族に伝わらない人なんかは
是非読んでください。 -
Posted by ブクログ
女性の社会進出にともなって、「社会の中での女性の地位を男性と機会平等に」「家事・育児もすべて平等に」などの意見をきくことがあるように思う。
その一方で、性別の違いに伴い、本来果たすべきと期待される役割も異なる面もある。それが一番顕著になるものが「家族関係」「育児」のようなものだろう。
本書では、人が「家族」として背負っている役割を、どの時代にも通用するマクロな視点から捉えつつ、現代社会で表出している家族間の問題にも言及することでわかりやすく説明している。
いわゆるハウツー本的なものとは違う、時代性・特殊性などを捨象したシンプルな描写が特徴。
以下、メモ。
・子どもは一般に親の言うことよりも、していることによって教化されるようだ
・子どもたちの一見非行とも思われる行為:その両親に既成の枠組みや固定した人生観を超えて、より個性的に「生きる」ことを要請していることが多い
・母子の一体感を破るものは父親。子どもは父親を通して「他者」の存在を知る
・母性原理は「包含」、父性原理は「断絶」
・夫婦はその共通部分を関係の維持のために必要とし、対立する部分をその発展のために必要としている:川の中の2本の杭の話
共通目標をもって努力しているとき、対立する部分は相補性を担う
・母・娘の結合の強さ。同化する。
・嫁姑の関係を直線的ではなく範囲的になものとして解説。;関係が関係に関係するの話
・きょうだいは他人のはじまり
・兄弟喧嘩 親の考えが単層的なことが原因になることも
・思考の逆転:
「おじいちゃんがうるさいから放っておかれる」
↓
「放っておかれるからうるさくなった」
・孤立は他人が自分の領域に入るのを拒む。自立は「ゆるぎない自分」を持っているので他の人間が入ってきても大丈夫。大人になっても孤立をつづけたら問題。
・物事を批判的に考える:父性原理、いざ行動する:母性原理
・息子は父親が高所から安易に接してくるのを拒否したい
・自分のエネルギーを機械のそれと考えてはいけない
・家族の中心をどこに置くか。:不可思議な中心 -
Posted by ブクログ
友情について河合先生の視点で書いてある、興味深い本。これまでに河合先生が読んだ本を引用したり、心理学の視点から説明したり。たとえば、同一視。友情の中の愛情を、同一視とし、坊ちゃんのKと先生もこの関係であったのではないかとする。同じ人物は同時に存在し得ないために、自殺という悲劇が起きたと。なるほど。
カウンセラーとしての表現として、「本当の友人は心が通じていることが肝心。と思っているので、「形式的儀礼など無視すべきだ」と考えているが、友人と思っていた人と疎遠になり、「結局、人間なんてそんなものでしょうかね」という相談者に、「なんだか、自分の考えに納得しておられないように感じますが」と言っている。(p99)そして、相談者は、いろいろ考え、自分の放漫さに気づくのである。
ほかにも、贈り物に関する章では、贈り物をするのが好きな婦人にたいして、「今お話をうかがっていて、『別にお返しとか感謝を期待しているわけではありませんが』というのと、『だからと言って何も怒っているのじゃないですよ』というのを繰り返しておっしゃるのが気になりましたが」と返している。ここでも、本人が考え込み、「私はやっぱり何かお返しを期待しているのでしょうか」といったそうである。(p174-175)
そうだとか違うとかいった判断ではなく、カウンセラーが感じた印象を返すことによって、相談者が本当は自分でもうすうす気づいているながらもそうではないと否定しているようなことについて、振り返り気付きを促すことができるのだろう。
これらの気付きをした人たちがその後どのようになったのか気になるところである。 -
Posted by ブクログ
ユング派の心理療法家であった河合隼雄氏が、その心理学的な考察に基づいて主にグリム童話と日本の昔話をいくつか挙げて読み解いている。
今まで読んだことのあった河合氏の他の著書同様、なかなか興味深い内容。ではあるが、以前心理学にも興味を持っていた時期ではなく、なぜか今…
ふと書店で目にして読んでみようと思ったのは、ほかならぬこの本の結びとなるくだりにあった“第三の道”という言葉であった。
「あれかこれかという断定は既存の何らかの価値判断に従うかぎり決められるものである。しかし第三の道はその人個人の個性を必要とし、既存のものにたよらない創造的行為となる。…」
つまり、ユングはこのような意味で“自己実現の道を個性化の過程”としてとらえていたという。
しかも、昔話は結末を持つが、実際それは自己実現の成就ではなく、あくまで一コマとして意味をもつもので、「ひとつの段階の成就の次にはまた次の段階が待っているのである」というわけである。
常に成長過程である人生には…というか、なるほど第三の道、か…やはり示唆に富むくだりでした。 -
Posted by ブクログ
私が手元にあるのは1976年に思索社から出版されたものだが、今では講談社学術文庫で手に入る。数多い河合の著書の中でも代表的なものの一つだろう。ユングの 「影」の概念を中心にしてユング心理学の世界が語られ、「影」という視点からのユング心理学へのよき案内ともなっている。
自我は、まとまりのある統一体として自らを把握している。しかし、まとまりをもつためには、それと相容れない傾向は抑圧される。その生きられなかった半面が、その人の影である。ただ、影の概念は多義的であり、狭義には、夢に現れてくる人物像で、夢を見た人と同性のものを影、異性のものをアニマ(男性の夢の中の女性像)、アニムス(女性の夢の中の男性像)と区別することもある。
影は、もちろんすべての人間が背負い、その大きさや濃淡、影響力を変化されながら人生の歩みに付き添ってくる。それは、しばしば意識を裏切り、自我の意図とは逆の方向に作用する。自分の影につき動かされて行動し、自らの破滅を防ぎきれないことすらありうる。
ときに影は、個人だけではなく、人間関係や集団の動向にとってもきわめて大きな力をもつ。 個人に影が存在するように、人々が集団をなし、共通の理想や共通の感情によってまとまるとき、そのような自覚的な共同幻想からはみ出す部分は影となるのである。 集団の影を背負う人は、予言者、詩人、神経症、犯罪者になるか、あるいは一挙に影の反逆に成功して独裁者になるか、何らかの異常性を強いられるという。誰が選ばれるにせよ、そこには運命としか呼びようのない抗しがたい力が働く。
集団の影が、その集団自身に反逆するだけならまだしも、その巨大な影を外部に投影して破壊的な行動をとるとき、どんな悲劇が生まれるか。しかし、現実には、そのような集団の抑圧された破壊的なエネルギーが、悲惨な結果を積み重ねてきたのが、現実の歴史だろう。ユングは、たとえばナチスの動きをキリスト文明の影の顕現と見ていたという。私は最近、集団にとっての影というテーマにとくに強い関心 をもっている。
影は、自我に受け入れられなかったものであり、元来は悪と同義ではない。しかし、 創造性の次元が深くなるにつれて、それに相応して影も深くなり、普遍的な影に接近すると、悪の様相をおびることもある。自己実現の要請は必然的に影の介入をもたらし、それは社会的な一般通念や規範と反するという意味で、悪といわれるものに近接するのである。その時に、社会的通念に従って片方を抑圧しきるのでもなく、 また、影の力を一方的に噴出せしめるのでもない。あくまでも両者を否定することなく、そこに調和が到るのを「待つ」ことが大切だという。
影の得体の知れない奥深さ、不思議さと豊かさ、そして恐ろしさ。この本からは影のそうした多様な姿が伝わってくる。ただ単に抑圧されたものを解放すれば覚りにいたるというほど、ことは生易しくはないのだろう。 神話や説話、文学作品、河合が接した事例や、報告された夢などの具体例に触れながら、ユングの元型論をベースに「影」をめぐる考察が豊かに展開される。影の創造性、善と悪の関係、影の存在の無限の広がりが示唆されて、私たちの心の深層の不思議さを強く印象づける本である。