河合隼雄のレビュー一覧
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海に隠された神秘について。
タイセイヨウサケはグリーンランドの海から、自分が生まれたブルターニュの小川の香りを感知し再び故郷の河口に辿り着くことができる。クジラは特別な海水の温度域を使って何千キロも離れた場所まで自分の声を届け、仲間と歌で呼び交わしている
“耳に水が入った時に聞こえる
「ごぼごぼ」という音の中には
遠くの火山や姿を見せないクジラの歌声の響きが含まれている” (p32)
自分のヒゲをかき鳴らして耳障りな音楽を奏で、捕食者を追い払うイセエビ、歌を歌うクジラ、イワシの群れを見つけて鳴き声を上げ、その場にいるすべての動物を奮い立たせるアジサシ。
“海が僕たちに語りかけてくる。会話を始めるために、返事をするのはどうだろう?” (p203)
海に住むものはお喋りだ。この本はその美しさを讃える歌で、一冊を通して穏やかで乱れのないテンポで歌い上げられる。極めて落ち着いていて、キラキラした美しい音楽を聴いているような本でした。とても良かった。 -
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小説家・小川洋子さんと心理学者・河合隼雄さんの対談本。
最近、私のなかで対談本が、アツい。
この本を読む前に、村上春樹さんと河合隼雄さんの対談本を読んだ。
宙をただよう概念が、思いもよらぬところで、ふっとつながるような体験が、なんとも快感だった。
その熱量をそのままに、今回この対談本を手にしたのである。
個人的には、次の一節が、心に響いた。
「世界中にあふれている物語を書き写すのが自分の役割だとすれば、私はもうちっぽけな自分に怯える必要はないのです。物語は既にそこにあるのですから。」
小説家・小川洋子さんが、河合隼雄さんとお話しして得た気づきである。
書くときに、人はものを作り出そうとする。
けれども、作り出す必要はない。
なぜなら、物語は既にそこにあるのだから。
引用するのも畏れ多いくらい、私はとてもそんなレベルにはたどり着いていない。けれども、この言葉を読んで、スッと心がラクになる感覚が、確かにあったのだ。
書くことを考えたいときに、また読み直したいと思った。 -
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最近は対談集をよく読んでいる。この本もその流れで買った。村上春樹と河合隼雄。小説界と心理学界の大御所対談。やはり面白く、読むたびに自分のなかで立ち上がる何かがある。
「深く病んでいる人は世界の病いを病んでいる」という言葉が印象的だった。
病むということは、その人が病んでいる、というよりも、世界や社会、時代の病いをその人が引き受けている、というニュアンスで書かれており、なるほど確かにそうかもしれないと唸らされた。
私はこれまで社会と個人を分けたものとして考えていたかもしれないが、それは渾然一体としているのかもしれない。
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このレビューを書いている現在、衆議院選挙が行われている。政治について、あまりにも状況が複雑化していて、どこからどう考えればいいか、私は分からなくなっていた。
けれどもこの本を読み、もしかすると、私個人、もしくは目の前にいる個人について考えることが大切なのかもしれない、と思うようになった。
私のなかの井戸を深く掘っていったとき、そこには時代に共通して流れる水脈のようなものがあるのではないか。
もっといえば、社会的課題とされる、ときに目を背けたくなるようなドロドロとしたものが、認めたくないけど、自分のなかにもその欠片みたいなものが確かにあって。そのことを認めたうえで、ではそれをどう社会と共存可能な形で、表現していくかなど。
つまりは、自分と向き合うことが、そのまま社会や世界について考えていくことにほかならないのかもしれない、と考えるようになった。
うまく言葉にはまだできないけれども、個人と社会の関係性について、新たな視点を得ることができた一冊である。 -
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こどもの豊かな発想力や感受性に驚くことがある。私たち大人と言われる人たちも、かつてそうだった。子供と大人は分断されたものではなく、徐々に精神が成熟して、宿命観を持つようになってくるのだ。しかし、子供の時に触れたキラキラした世界や疑問に思ったことはこの歳になっても容易に思い出させてくれる。どうでもいい教科書の暗記は全く覚えていないのに。こどもの時に見ていた、主語が大きくて何事も大袈裟な(三島由紀夫は、幼年時代を時間的にも空間的にも紛糾した舞台である、と述べたがまさにその通りな)世界と、今の見えている世界を行き来できるような自由な精神が欲しい。
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知人のおすすめで手に取った、小川洋子さんと河合隼雄さんの対談本『生きるとは、自分の物語をつくること』。
この本はまさに、私の「読み、聴く」という営みが深く意味づけられる内容でした。
対談されているお二人は、小説家と臨床心理学者であり、「物語をつくる」という共通点をお持ちです。
臨床心理では、人々が自分の物語をつくるのを手助けする。
小説家は、意識的に物語を生み出し、それを読んで人が救われる。
「もしや私がやっていることは、本を読むことで、物語を豊富にストックし、他者の物語化の材料として差し出すことではないか」と自らの行いに輪郭をもらえた心持ちです -
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物語は既にそこにある。
小川洋子さんにかけられる「なぜ小説を書くのか」という問いは、私が人に「なぜ山に登るのか」と問われる時と似ているものかあった。「なぜ登るのか」と聞かれるのは「なぜ生きるのか」と問われるのに等しい。説明できないからこそ、自分は山に登っている……。なんて、私における山の存在って、小川洋子さんにとっての小説くらい、知らぬ間にこんなに大きくなっていたのか、と驚いた。
河合隼雄さんのトークセンスが光に光っていており、一気に大好きになった。今まで存じ上げなかったことがもったいないくらいに素敵な方。谷川俊太郎さんとバカ飲みしたエピソードだけでも面白かったのにその勢いは留まることを知らず、荒唐無稽文化財のところでトドメを喰らって思わず電車でニヤついてしまった。新幹線のくだりも好き。そういうユーモアのある人が新幹線を命名したのかな、とか想像。
『ブラフマンの埋葬』を読んでいたので、ぜひ続きの対談が行われてほしいところだった。きっと著者が一番そう思っていることだろう。
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「子どもの宇宙」という題にふさわしい。
誰しも子どもの頃に宇宙を持っていた、その宇宙は果てしなく広く、大人は何もわからないし、分かろうとしてくれただろうか。
「大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。」1
子どもに接する機会のある方(いわゆるすべての方なのだが)にぜひ一読していただきたい。ふとした言葉や行動を何気なく子どもたちは見ている。それら行動の一つ一つが子どもの宇宙にどのように影響するのかはわからない。分かろうとすることはできるが、それが正解かもわからない。
詰め込み教育といわれ、数字のみで評価したりされたりする機会が増えてきた。大人だけでなく子どもたちも数字で評価している。それだけでは何も生まれない。子どもたちに自分自身の宇宙を探るような導きをしたいものである。
読書メモ
秘密をもつということは、取りも直さず「これは私だけが知っている」ということなので、それは「私」という存在の独自性を証明することになる。48
秘密を打ち明け、それを共有してゆこうとするとき、それに伴う苦しみや悲しみの感情も共にしてゆく覚悟がないと、なかなかうまくはゆかないものである。59
この世の何らかの存在を「絶対的」と思うことは素晴らしい。しかし、それは必ずどこかで裏切りに会わなければならない。この世のものには、そもそも、絶対なんていうものはないのだから、これは致し方ないことである。121-122
方向性が明確に定まっているところでは、指導者や教師が活躍する。彼らは「正しい」かについて確信をもっており、同じことを繰り返し言っておればよい。135
この文章は本質をついていると感じる。このような大人ばかりでは子どもたちもつまらないだろう。
恋は人を盲目にし、自分と恋人以外のものは目にはいらなくなる。しかし、人間がこの世に生きていくためには、どうしても自分たち以外のものへの配慮が必要であるし、それに気づいたとき、恋するものの苦悩がはじまる。この苦悩によってこそ人は鍛えられ、成長するのだ。苦しみのない恋はあまり意味がない。193
権威とぶつかる勇気もなくて、異性と出会おうとするのは虫がよすぎるのである。202
これらはすべて本書にある文章で、子どもを知ることは自らの成長につながることが分かるのではなかろうか。子どもと接することを忌避することなく自らを成長させていきたいものである。 -
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「努力によってものごとは解決しない、とよくわかっているのだけど、私には努力ぐらいしかすることがないので、やらせて頂いている」
とか、
「自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう」
とか。
肩の力がふっと抜けるような言葉がたくさん。
でも、きっと忘れてしまうから、本棚に置いてまた思い出したら読みたいです。
河合隼雄さんの本は初めて読んだのですが、この本はエッセイでわかりやすく、サラッと読めました! -
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中学生の頃初めて読んだ源氏物語(と言っても漫画)は、光源氏の節操のなさや不誠実さばかりに腹が立ち、途中で挫折してしまいました。大人になった今、源氏物語は光源氏を主人公とした物語ではなく、それを取り巻く女性たちの生き方についての物語だったのだなあと思えるようになり、面白く読めるようになりました。
女性(だけに関わらず男性も)の生き方が多様化し、どう生きるかへの答えをそれぞれ個人で見つけ出さなくてはならない現代において、異性との関係や一般的な価値観だけによって、自分の幸せや生き方を定めていってもよいのか、それとも自分だけの生き方(物語)を模索し続けるのか・・・重い課題です。
河合隼雄氏ならではの、心理学的見地からの源氏物語論です。著者の昔話論やおとぎ話論などの中でも、これほど深く人(特に女性)の生き方に迫るものはないと思います。それは源氏物語自体の深さによるものかもしれませんが。。。 -
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河合隼雄 [著]. -- 講談社, 1987. -- (講談社学術文庫 ; [811])
目次
第1章 影(影のイメージ、ユングの「影」概念、影の種々相)
第2章 影の病い(二重身、二重人格、夢の中の二重身)
第3章 影の世界(暗黒、不可視の影、地下の世界)
第4章 影の逆説(道化、トリックスター、ストレンジャー)
第5章 影との対決(自我と影、影との対話、影と創造性)
-感想-
読み終わって、あまり感想を書く時間も無いのだけれど、やはりぼーっとしている。自己実現とは、自分の自我に無意識を少しずつ統合していくこと。本当の自己を実現(現実に顕在させる)という意味で、「自己実現」というっぽい。今まで、夢や目標を叶えることを自己実現と考えていたので、少し驚き。自分は、この本を読んで、何を今までから抽出して考えて、将来に何を向けていくのか、考えている。「影の存在」は、自分でも、最近よく感じる。「本当の自分はどう思ってるんだろう」とか、「本当の自分が言いたいことは、何なんだろう」とか、「本当の自分は、何がしたいんだろう」とか。今まで何となくて、今もずっと何となくだし、これからも何となくだけど、前よりは少し、実際的に考えるよう努力している。当たり前に人が出来ている部分で、自分は苦手だなと思う部分。実際的に考えようとしてる部分が新鮮で、それゆえに逆に無意識,内面へのベクトルも強くなった気がする。ここ数年、どちらもだいぶずっと希薄だった。こういうのも、「一生考えていく問題」だと、少し思うし、「途中のまま死んでいく」問題なのかなと、思ってる。だから、焦らず、目先から、手の届く範囲の現実から固めて、生きていく姿勢を崩さないでいたい。自分が求める理想も、その延長上にしか無いから、当たり前だけど。話が大きく逸れたけど、「影の現象学」について、自分は、影との付き合い方が、あまり上手くないような気がしてる。よく、それに振り回されがちだし、ベットの上でどうしようもなく焦って身悶えすることが多い。それを客体化して、言語化して、論理的に整理して、実際に繋げる事が、苦手というか、あまりそのプロセスを大事にしてこなかった、気がしてる。今は内面への意識が凄く強いけど、少しずつそれを現実に形にしていく方法を探していけたら、いいなと、本を通して、改めて思った。