河合隼雄のレビュー一覧
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ネタバレ【自己治癒的な作業】
1995年11月に、村上春樹さんが京都にいる河合隼雄さんのところへ行き、対談されたときのお話。
書きおこしに加えて、それぞれのコメントの追記があり、より話の内容への理解を深められる形になっていました。
阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件があった年。
そして村上春樹さんは、
1994年に『ねじまき鳥クロニクル』の第1部、第2部を出し、
1995年にはアメリカから帰国後に、8月第3部を出されたところでした。
この作品を取り巻く思考が、河合先生とのお話の中で続けられていて、
とても興味深く、
私は昔に一度読んだのですが、
まったくの無知でしたので、
この対談を -
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P199
人間がどうして生まれ、どうして死ぬかは、科学的に説明される。しかし、「私は一体どこからきてどこにゆくのか」という点について、こころの中に納得いく答えを得るためには、つまり、心の奥深く基礎付けるためには、神話を必要とする。
私:神話イコール物語ですね。
p183
つまり、ユダヤ人として父権の強い家庭に育ち、父親との年齢差が非常に大であったフロイトにとっては、エディプスコンプレックスが大切であり、次男として生まれ、軽いせむしであったアドラー、しかも、精神分析学会に参加した時、フロイトは既に偉大な人として頂点にあり、その下の方につかねばならなかった彼としては、劣等感コンプレックスを重要と考 -
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結婚する前に、一度読みました。38年以上前です。
この本の中のテーマのひとつである「母親殺し」の概念は、その後、私の母が死ぬまで、ずーっと引きずっていて生きてきました。
「母親殺し」の概念を知る前は「母の恩は海よりも深く山やよりも高い」という気持ちで母より大切な人はいない、と思っていました。
しかし、結婚を決めてからは「ほんとうに申し訳ないが、私はお母さんと親子の縁は切ります」と、この本の河合さんの意見を参考に宗旨替えをおこないました。
具体的な行動としては、結婚後、私の実家に行くときは常に日帰りで、妻と一緒に私の実家に泊まることは一回もしませんでした。
ま~、これは「母との決別」の覚悟を心の -
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この小説は、世界文化社発刊の「家庭画報」に連載されていたが、著者が脳梗塞で倒れ、帰らぬ人となったため、それまで書き溜めていた執筆分を新潮社が受け出版された。
あとがきの妻の河合嘉代子さんによると、「この本の舞台は自身の出身地、兵庫県・丹波篠山です。話はフィクションですが、夫の少年時代のイメージそのものと言っていいと思います。夫は両親と大勢の兄弟で過ごした篠山の思い出を大切にしていました」と書いています。
全十二話で構成され、どれもが秀逸です。
主人公の「ハァちゃん」(城山隼雄)は感受性が高く国語と算数が好き、唯一の欠点は、泣き虫である。でもその泣き虫が瑞々しいばかりの清らかな感情表現で -
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小川洋子と河合隼雄のキャッチボールが見事だ。河合隼雄のダジャレやわかりやすい例えが実に効果的だ。聞くことを専門にしている河合隼雄の手法が、ツッコミを入れて楽しんでいる。小川洋子は『博士の愛した数式』を読んで、なんとステキな文章と体温のある物語を書くのだろうと感心した。それ以降、あまり注目していなかったが、最近の小川洋子の言っていることが興味深いので、読み始めた。
「生きるとは自分の物語を作ること」という言葉がいい。
小説家は、いろいろと妄想を働かせることが仕事。河合隼雄は、「小説家と私の仕事で一番違うのは、現実の危険性を伴う。作品の中なら父親を殺すこともできるが、現実に患者さんが殺すと大変です -
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優越感もコンプレックスの1つ、他人より優れた自分でありたいというありのままの気持ちを愛せない気持ちの現われ。人間は同時に矛盾した気持ちを持つことがあり、その時に選ばれなかった方の気持ちを忘れたり、合理化したりする。コンプレックスというのは悪いことではない、コンプレックスも自分の中で消化して認められるようになれば、自分の1つとなり、人間的に成長出来る。夢のなかでは自我が弱くなるため、コンプレックスのイメージが表出しやすくなる、しかし言語化されずイメージのためどう解釈するかが大切。コンプレックスを人格化することで対決しやすくなる、例えば肺がんの場合、肺がんのままとらえると生理的な恐怖だけしか捉えら
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2001年12月5日刊行された「河合隼雄著作集 第2期 1巻『コンプレックスと人間』」には河合さんを応援する人々のエッセイ(冊子)が付属しています。その中に、宇宙飛行士の毛利衛さんが書いた「こころの処方箋」に関しての、大変おもしろいエピソードが語られています、以下全文です。
最初のミッションが社会的な使命だとしたら、今回は自分のプロの宇宙飛行士としてのプライドへの挑戦だった。ジェット機の操縦やサバイバル訓練なども含め、NASAの宇宙飛行士としての資格を取るための2年近くの多岐にわたる訓練。それは、ダフさを誇っていた自分の精神的余裕を想像以上に失わせるものだった。すでに宇宙経験があるゆえから来