河合隼雄のレビュー一覧
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ユングに対して抱いていたイメージが、全く変わったフロイトの弟子という認識でいたけれど、それも全く違った。フロイトとユングはそれぞれ別の道から心理学を探求して近づいて、そして離れていったそうだ。
ユングは西洋人でありながら、東洋哲学的な思想を持っていたり、光と影が常に存在していることを意識していたそうだ。
私たちは近代の学習で西洋哲学的な思考回路になっているものの、実はその闇というか影と言うものを認識しないでいたのだろう。私の専門分野の医学においても、エビデンスと言われるものは、ユングの言う光の部分しか見ていなくて、そこで切り落とされてきた情報やそれぞれの人たちの感情など、様々な影の部分というものが、実際にはすごく価値のあることなのだと改めて感じられた。
この本をきっかけに、私はユングファンになった。もっとユングの本を読んでみようと思う。
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Posted by ブクログ
100%正しい忠告はまず役に立たない
マジメも休み休み言え
自立は依存によって裏付けられている など
見出しから、どれも内容が気になって
予想通りのものもあれば
逆説的なものもあって面白かった。
全体に言えると思うのは、
極端な考えがないことかな?
やっぱり河合さんは、
自分はこう思うがいかがだろうか、
と押し付けがましくない感じが好きだなあと思った。
バランスを大事にしている、行きすぎない感じが
自分のスタンスと合っていて、
こういう風に考えられるような人になりたいと思う。
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男女は協力し合えても理解し合うことは難しい、
という章が特に印象に残った。
中年や老年近くなると、
夫婦間の危機を感じる人が多い理由が書かれていた。
ローンや子育てなど共有の目標を持つ間は、
知らず知らずお互いの欠点をカバーし合い協力できる。
協力しているときは相手のことなど深く考えず、
とにかく前進しているが、そこで自分が喜んでいるとき
相手の方は支える苦労で半泣きになっていたりしても
気が付かない。ところが目標を達成し、
やれやれと二人向き合ってみると、お互いのことを
本当に知らぬままここまで来たことに思い当たる。
今まで仲良くやっていた夫婦が、
急にギクシャクしだすのは、
多くの場合、協力から理解へと至る谷間に
さしかかっているときである。
「協力関係」を「理解」と取り違える人は、
相手が急にわからずやになったか、
今までの協力は偽物だったのかと思ったりするが、
男女が理解し合うことは実に大変であることを
よく自覚していると、少しの不理解で驚いたり、
怒るのではなく、あらたな気持ちで
努力を続けていこうという気にもなる。
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協力と理解は別なんだと、はっとした。
周りでは最近、「夫に無視された」とか
「別に喋ることないし」と
話しているのを聞くことが多い。
それが頭にあったので、
このお話が引っかかったのだと思う。
この考えを、心に留めておきたい。 -
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色々と多忙を極めている中、自分を見つめ直すことの大切さを痛感した時に、縁が重なって手に取った本。多くの方が辛い時に手にした本と語られるが、肩の力を抜けるような、心が落ち着くような語りである。
ある著名な臨床心理士が、「河合隼雄の本には言語化しづらい魅力がある」(趣意)と評していたが、まさにその通りに感じた書籍。
『無意識の構造』『ユング心理学入門』『明恵 夢を生きる』など河合隼雄の著作は数多くあるが、本書は見開き2ページのエッセイ風に仕上げられている。平易に綴られ、言ってしまえば道理なのだが、それでも私たちが日頃見過ごし、見落としていたことを言語化してもらうような、腑に落ちる瞬間を多く感じることができる良書だった。 -
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小説家・小川洋子さんと、臨床心理学者・河合隼雄さんとの対談集です。
小説家は、例えば、生きていくうえで辛い出来事や厳しい現実に直面して苦しむ人間の姿を、言葉というものを紡いで、「物語」として表現することを仕事としていて、
臨床心理士は、それぞれの人生の物語のを見失った人に対して、新たな物語を発見して自分の物語を生きていけるよう手助けすること(いわゆるカウンセリングと言われるもの)を仕事としていることから、
小説家が小説を書けなくなったときに、どうしたら書けるのかと悶え苦しむのと、人が「どうやって生きていったらいいのかわからない」と言って苦しむのとは、どこか共通するところがあるのではないか、すなわち、人々の物語作りの手助けをする専門家として、人間と向き合っている臨床心理士と、意識的に人間の物語を創っている小説家とは、どこか通じ合うものがあるのではないか、ということで実現した対談です。
この対談の中で私が最も印象に残った言葉は、「厳密さと曖昧さの共存」というタイトルの中で、河合隼雄さんがお話しされた「人間は矛盾しているから生きている」という言葉でしたが、奇しくも、この文庫本に巻かれた帯(裏面)に書かれていた言葉でもありました。(読み終えてから気づきました)
最後に、「少し長すぎるあとがき」として、河合隼雄さんへの小川洋子さんの想いが綴られています。2007年に河合隼雄さんが亡くなられてから書かれたものですが、河合隼雄さんへの心からの敬意とそして慕情に溢れた内容でした。 -
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幸福についての河合隼雄さんの考え方が、
色んな切り口で書かれていた。
語り口が断定的でないからか、
こちらに考える余地を残してくれているようで
すんなりと言葉が入ってきた。
幸福を第一と考えて努力するのは、
あまりよくないようである。
結果的に幸福になるのはいいとしても、
はじめから幸福を狙うと、
かえって的がはずれるようなところがある。
要は、かけがえのない自分の人生を、いかに精一杯
生きたかが問題で、それが幸福かどうかは二の次。
「フルートで習うことと、心理療法に通じるものとして
一度にひとつの音しか出せない、
人間の口はひとつしかない、でも、同じメロディ(言葉)
の下にはいろいろな和音が隠れている。
言われていない、音のない音に耳を傾ける態度が、
他人を深く理解するのに必要であると思われる。」
自分の体験ごとに、深く考えるからこそ
こういったつながりが発見できるんだなあ、と思う。
他にも、「満ち足りる」とはどういうことか、
人間にとって「儀式」とはどんな意味があるか、
人間は「自立できない」など、どれも面白い。
生涯学習の項では、最後に
「生涯学習の実験は必ずしも幸福につながるとは
限らない。成功も失敗もある。しかしそれを
繰り返しつつ生きるのが人生ではなかろうか。
幸福というのはそれにつきまとっている一種の副産物
と考えておくほうがいいだろう」
とある。やっぱり、幸福のために、というよりは
学ぶことそのものを、ただ夢中でしていると
自然と良い方向に流れていくんだろうな、と感じた。
色んなことを勉強することそのものを
楽しんで生きていきたいな、と思う。 -
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学ぶについてのスペシャリストたちが、学ぶについてどう捉えているのか気になり読みました。
私の学ぶの定義は、「資格、試験の為に勉強をする。」でした。
しかし、この本を読んで勉強と学ぶの違いを理解する必要があると思いました。
「勉強」では、テスト範囲は決められたものを何度も解き直すことで合格することができます。
こらは、本人以外の人の評価を目的としています。
「学ぶ」は、歳を重ねてから楽器を演奏をしてみたり、遊び心(心の余裕)があり、また他人の評価を目的としません。
仕事をする際は、勉強の色が強く心の余裕がなくなってしまう。仕事、プライベートの中に「学ぶ」を入れることで考えの幅が広がり人生を楽しむことができる。
これが、生涯学習の真髄なのだと思いました。
キーワード
できる→わかる→学ぶ
遊び心
ムリとムダとムラを生かす
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ネタバレ若松英輔・山本芳久『危機の神学』で、現代の私たちにとり「コスモロジー的な生き方」が重要であるという示唆を得た。また、河合隼雄『明恵 夢を生きる』を読み、それは「出会うできごと全てが、自分と意味のある関係がある」と受け入れる人生態度のことだと理解した。
そこで、この考え方をより身近な観点で深めたいと思い、以前読んだことのある本書を再読した。
まず、本書における「友情」の範囲の広さが改めて印象的であった。
著者は、いわゆる「同性の友達」だけでなく、男女、夫婦、家族、上司と部下、師弟関係にも友情は働いているという。それだけでなく、石やぬいぐるみなどの「もの」、ペットや植物、そして「神」との間にも友情は働くとする。(神との友情など想像したこともなかった。)
さて、この「コスモロジー(目に見えないつながりをも含めた世界観)」という補助線を入れて本書を読み直してみる。
本書では、利害関係や社会的な役割(鎧)を離れたところに生まれるつながりを重視する。そして良い面ばかりではなく、親しくなった人の影の部分が現れたり、善悪の判断があいまいになったり、相反する感情が結びついたりすることからも目をそらさない。この「影」を受け入れる観点があってこそのコスモロジーなのだ。
友人の影の部分が明らかになってなお友情が続くのは、そこに「やさしさ」があるときだと著者は言う。友人の欠点や時には悪事を知り、それを肯定できないとき、「外から批判する以前に、内側に共に立って感情をわかちあう、やさしさが友情を支える」のだと。
そしてこのやさしさは、自らの「死」を自覚することから生まれる。互いに「死すべき者」と感じるとき、善悪や貧富などの世俗的な評価を超えて、束の間の生を共にしている者に対するやさしさが湧いてくるという指摘には、どこか深い層で納得させられるものがあった。
著者は友情を、心や感情の触れ合いにとどめない。心も体も超えて、人間の存在にいのちを与えているものを「たましい」と呼び、そのレベルでの触れ合いにまで言及する。
「コスモロジー」の補助線により見えてきたのは、「すべては目に見えない大きな生命の循環のなかで、お互いの宇宙を認め合うプロセスなのだ」という、本書の骨格であった。
本書の中では触れられていないが、「大人の友情」は、自分自身(の弱さ)に対する態度も含めて考えて良いのではないかと感じた。
まだまだ消化不良ではあるが、「コスモロジー的な生き方」について、身近な人間関係を通して理解を深めることができた。
『危機の神学』で描かれていた「分断の時代における異宗教間の対話」のような大きな歩みも、突き詰めれば、こうした一人ひとりの「たましいのレベルでのやさしさの交わし合い(=大人の友情)」の積み重ねの先にあるのではないだろうか。 -
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ネタバレキリスト教(カトリック)の世界の本にしばらく立ち寄ったのち、河合隼雄のユング心理学に戻ってきた。人の霊性とその表現ということを考える時には、私にはやはりこの分野が一番わかりやすい。
先に読んだ若松英輔・山本芳久『危機の神学』に、「私たちにとって重要なのはイデオロギーではなくコスモロジーなのではないか(註)(第二章)」とし、「コスモロジー」を説くものとしてこの本を引用されていたので、読んでみることにした。
著者は、「イデオロギーよりコスモロジーへの変換が現代において生じつつあると思われるので、明恵に対する評価は(高いほうへ)急激に変化するのではないか」(第二章)としている。明恵は、法然や親鸞のようにイデオロギーを説くことはなく、生きざまそのものが思想であったと言う。
まだ十分な理解には至っていないが、コスモロジー的な生き方とは、「出会うできごと全てが、自分と意味のある関係がある」と受け入れる人生態度のことだと、私は受け取った。もちろん人が受け取ることである以上、意識するしないに軽重があり、それも含めての「コスモロジー」なのであろう。
第四章では、霊性の高みに登る夢を、仏教者明恵と現代人ユングで比較している。
明恵は、塔を登り日月を超え、塔頂の九輪の上にたち、眼下に世界や太陽や月や星を見た。
ユングは、宇宙の高みに登り、はるか下青い光の中に地球を見た。
魂が至る「高み」の本質は同じ(宇宙的・全体的な視点を得る)であっても、鎌倉時代の仏教者には「華厳の塔と日月星宿」として現れ、科学を知る現代人には「青い地球」として現れる。
拠って立つものが異なれば、似たような体験に対して、描かれるイメージはこれほど異なるという事例として分かりやすい。
宗教の表現の違いなども、案外このようなことに端を発しているのかもしれないと考えさせられた。
(註)
イデオロギー:政治、社会、道徳、宗教などにおける、人々の行動や考え方の根底にある価値観や思想の体系
コスモロジー(宇宙論・世界観):自分をも含めた世界をどのようにイメージし、生きる意味を見出すかという関係性・秩序の枠組み -
Posted by ブクログ
全体的に心の自然さを肯定してくれる温かさがあった。
常識を書いたと言っていたけど、新たな視点の獲得にも役立つ!
印象に残った箇所
・ふたつよいことさてないものよ
→いい事があれば悪いこともある。悪いことは良いこととのバランスのために存在している。
・自立は依存によって裏付けられる
→ 自立と依存は対立しない。必要な依存が自立を助ける。
一見ストレッサーとなることや、悪い出来事・ネガティブな感情や行動は、排除しようとするのではなく、その中に意味や役割を見いだし、受け入れることが大切で、さらにそれらに自覚的であることも必要。排除しようとしてきたものにも価値があり、それを認めることで生き方に厚みや深みが出る。
ネガティブをなくそうとするよりも、その存在意義を認めて抱えながら生きることの重要性を教えてくれた。