河合隼雄のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
私が手元にあるのは1976年に思索社から出版されたものだが、今では講談社学術文庫で手に入る。数多い河合の著書の中でも代表的なものの一つだろう。ユングの 「影」の概念を中心にしてユング心理学の世界が語られ、「影」という視点からのユング心理学へのよき案内ともなっている。
自我は、まとまりのある統一体として自らを把握している。しかし、まとまりをもつためには、それと相容れない傾向は抑圧される。その生きられなかった半面が、その人の影である。ただ、影の概念は多義的であり、狭義には、夢に現れてくる人物像で、夢を見た人と同性のものを影、異性のものをアニマ(男性の夢の中の女性像)、アニムス(女性の夢の中の男性像)と区別することもある。
影は、もちろんすべての人間が背負い、その大きさや濃淡、影響力を変化されながら人生の歩みに付き添ってくる。それは、しばしば意識を裏切り、自我の意図とは逆の方向に作用する。自分の影につき動かされて行動し、自らの破滅を防ぎきれないことすらありうる。
ときに影は、個人だけではなく、人間関係や集団の動向にとってもきわめて大きな力をもつ。 個人に影が存在するように、人々が集団をなし、共通の理想や共通の感情によってまとまるとき、そのような自覚的な共同幻想からはみ出す部分は影となるのである。 集団の影を背負う人は、予言者、詩人、神経症、犯罪者になるか、あるいは一挙に影の反逆に成功して独裁者になるか、何らかの異常性を強いられるという。誰が選ばれるにせよ、そこには運命としか呼びようのない抗しがたい力が働く。
集団の影が、その集団自身に反逆するだけならまだしも、その巨大な影を外部に投影して破壊的な行動をとるとき、どんな悲劇が生まれるか。しかし、現実には、そのような集団の抑圧された破壊的なエネルギーが、悲惨な結果を積み重ねてきたのが、現実の歴史だろう。ユングは、たとえばナチスの動きをキリスト文明の影の顕現と見ていたという。私は最近、集団にとっての影というテーマにとくに強い関心 をもっている。
影は、自我に受け入れられなかったものであり、元来は悪と同義ではない。しかし、 創造性の次元が深くなるにつれて、それに相応して影も深くなり、普遍的な影に接近すると、悪の様相をおびることもある。自己実現の要請は必然的に影の介入をもたらし、それは社会的な一般通念や規範と反するという意味で、悪といわれるものに近接するのである。その時に、社会的通念に従って片方を抑圧しきるのでもなく、 また、影の力を一方的に噴出せしめるのでもない。あくまでも両者を否定することなく、そこに調和が到るのを「待つ」ことが大切だという。
影の得体の知れない奥深さ、不思議さと豊かさ、そして恐ろしさ。この本からは影のそうした多様な姿が伝わってくる。ただ単に抑圧されたものを解放すれば覚りにいたるというほど、ことは生易しくはないのだろう。 神話や説話、文学作品、河合が接した事例や、報告された夢などの具体例に触れながら、ユングの元型論をベースに「影」をめぐる考察が豊かに展開される。影の創造性、善と悪の関係、影の存在の無限の広がりが示唆されて、私たちの心の深層の不思議さを強く印象づける本である。 -
Posted by ブクログ
心理療法家の目から見た猫の登場する作品の猫の役割・解釈を紹介した本。
猫には様々な顔がある。
長靴をはいた猫のような賢くて調子の良い面。
エジプトで見られるような神としての神秘性。
逆に西洋にあったような魔女の化身と見られるような妖しさ。
ネズミを弄る残酷性。
我侭な女性のような独立性と妖艶さ。
その様々な面が色々な話を生むようです。
本書で紹介されている本は「空飛び猫」「100万回生きた猫」「鍋島の化け猫」「宮沢賢治作品のなかの猫」「綿の国星」等著名なものから「トマシーナ」「牡猫ムル」「日本の昔話の中の猫」「猫と庄造と二人のおんな」等の作品も紹介されていて、原作を読んでみたくなります。
とても面白い。猫好きも本好きも満足の内容です。
ただし結構ネタバレしているのでこれから読もうと思ったのに!って本がある場合はその章は飛ばして読んだ方が良いかも。
私は犬も猫も動物全般大好き。
柴犬の渋くって忠実なところとか、シュナウザーの利発そうなところとか、トイプードルのモコモコしたところとか。可愛いなぁと思うんだけども、犬か猫どっちか取れっていわれたら猫がいいんだよなぁ。
気まぐれで澄ましていて、でもしなやかで柔らかくって、なんともいえない魔性がある。
本物の猫には伸ばした手をスルリと避けられてしまうので、紹介されていたような本の中の猫達を愛でるのもいいなと思いました。