あらすじ
夢で生き方が変わる! 夢で人の心のあり方を知る!!――生涯にわたって自分の夢を記録しつづけた名僧・明恵の『夢記』を手がかりに、夢の読み方、夢と自己実現の関係、ひいては人間がいまを生きるうえで大切なことなどをユング心理学の第一人者、夢分析の大家が実証的に説く。第1回新潮学芸賞を受賞した、人間の深層に迫る名著。
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読むのが少し大変だけど面白かった。読んだけどまだ読みつくせ無いところ沢山ある感じ。この本は、夢を軸にして河合隼雄、明恵、仏教、心理学それぞれに対する興味との関連も出てくる。明恵自体よく知らない状態で読んだので持った印象の精度を自己点検はできてないかも。とはいえ、著者の思っていることはいつになく伝わるような書き方をしているように思った。問題を抱えた人を眺めるのではなく、歴史上の人物を資料を通して河合隼雄が語るというのはなかなか面白い。より素の感覚に近い語りなのではないかな?と思ったりもできて面白かった。
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勧められて読んだ本。鎌倉時代の日本に、夢を分析して生き方の参考にしていた人がいたとは驚きである。また、明恵上人自身の生き様も知ることができた。仏教とはなんなのかについても深く考えさせられた。
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「夢占い」でもお仕着せの「夢判断」でもなく、今、自分のことが知りたいんだ、ってときに夢から自分を見つめ直してみる。そのためにはうってつけの本だと思います。
心理学ってあんまり共感できない・・って人にこそおすすめ。河合氏は学者じゃなくて実践のひとなので(中沢新一談)。
それとは別にしても、明恵(みょうえ)という魅力的なお坊さんがいたことに感動すら覚えます。かっこいいですよ。親鸞とはまた違うかっこよさなのです。
読むのはちょっと体力がいるけど、読んでよかったなあと思う本です。
もっとこういう本を出してほしいので星五つ。
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河合隼雄 「 明恵 夢を生きる 」明恵上人の夢を心理学的に考察した本。夢診断、明恵の人生や思想、仏教世界をわかりやすく説明。
夢を生きるとは
*覚めた目で自分の夢を見る〜自分の夢を主体的に体験し深化して自らのものとする=自己実現
*夢が発展することは その人の心の発展
雨が降ることにより 小さい池が 大きい池につながる夢
*小さい池=禅観、大きい池=諸仏菩薩、雨=修行
金色の二羽の孔雀の夢
*明恵の精神の高揚を示す
*二→華厳と真言、父性と母性、心と体、合理と非合理...統一
あるべきやうわ=明恵の生き方
*時により 事により その時その場において、「あるべきやうは何か」問いかけ、その答えを生きようとする
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さて、明恵。学ぶほどに好ましく、そこに感じるのは全く違う存在への憧れ、というものではなく、日常の自分は妥協してしまっているが本来ならこうありたい姿、というものをそこに見出す。
ストイックさ、潔癖さ、合理性、自己への客観視などなど、、、「そういう考えもあるのか」ということではなく、「ちゃんとそこまで徹底して実践できた人があるのか」という驚きになる。
だから、あまりに徹底した他力本願のありように、そんな考え方もあるのか、、、と感動した親鸞や、どこから共感していいのかわからないほど膨大な道元、天才過ぎてついていけない空海。そういったものとは違う。
「釈迦」に憧れ、自制し、自惚れず、死を側においておける。そういうのは、「こうありたいけど、そこまではやり過ぎかな」とか、「ちょっとキツいよね」みたいな安易さで妥協しているが、自分のなかに守れていない教義としてあるものである。
なので、ひたすら、自省への道を発見させられる。
畏敬の念はあるが、親しみを感じずにはいられないものもある。
あるべきようは。
これは問いかけなのだ。
在るべき様は、どういうものだ?と。それを考え、実践するのだ。
How should I be ?
ということか。
本書は、明恵の夢を、夢記を通してユング心理学者の河合隼雄氏が夢分析していく。
何せ遠い800年も昔のことを夢分析するので、過剰な分析をしていないあたりが良心的。
また、そのなかでも、夢の変遷と、時代背景や明恵の伝記をあわせみることで、明恵の個性化を見出していくとともに、そういったことにある程度自覚的ですらあった明恵に驚いていく。
取り敢えずまずは僕も夢記をしてみようと思う。
「我、戒を護る中より来たる」そんな最期の言葉を言えるほど堂々と生きるべきなのだ。それが、あるべきようは、を問い続け、実践していくことなのだろう。
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自分の夢を生涯記録しつづけた僧明恵の『夢記』を手がかりに、河合隼雄氏が夢を分析。夢とはいえ、ヒトが考えだすもののすべては、人間が生きるうえで大切なことにつながってゆくのかもしれない。夢で生き方が変わること…あってもいいんだ?!人間の深層に迫る目からうろこの名著。
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実生活で夢を活用する、研究がジワジワ進んでいます。この書は、鎌倉時代に自らの夢を記録した明恵の夢記を、かの河合隼雄氏が詳説。夢を生き方に活かすヒントがたくさん。
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鎌倉時代の高僧・明恵(みょうえ)が若い頃から何十年も書き続けた、いわゆる夢日記である『夢記(ゆめのき)』は、散逸してしまったものも多いながらも、大半が現代に残されているそうです。その夢についてユング派心理学者・河合隼雄が読み解くのが本書なのでした。フロイト以前に、こんなに夢の素材が残されているのは稀有な事例だとか。
明恵上人といえば華厳宗の人ですが、浄土宗を起こして日本仏教界に革命を起こした法然を厳しく批判した僧侶として知られていると思います。ですが、だからといって、頭の固い守旧派というタイプでもないのです。たとえば江戸時代の終わりまで基本的なルールとなっていた北条泰時作成の「貞永式目」の基盤となっている考え方は、当時、泰時が明恵から大きな影響を受けたがため、明恵の精神が息づいたものとなっていると、山本七平は指摘しているそうです。日本仏教の歴史としては、法然の方がビッグネームで、明恵は名前が少しばかりでるくらいだそうですが、歴史の実際面においては、裏で大きな影響を与えた人なのかもしれません。
また、一人の人物としても、夢への向き合い方が軽薄ではなく、夢の持つ深長さを見損ねなかった人でもあったようです。著者が言うところをかいつまむと、夢というものはその時点での、その人物の精神レベルや人格的到達のレベルを反映していたりもしますし、深層意識が現われてきたり、もっと深い意識レベルに沈潜していることで見た夢には、共時性(シンクロニシティ)が発生したりします。そのような深い夢を見ながら、そういった夢を大切に扱い、日常にフィードバックするようなかたちで人間的に成長していったのが明恵であると言えそうです。ある種の、夢との理想的な向き合い方や付き合い方を成し遂げた人だと言えるのだと思います。
さて、明恵の見た夢自体とその解釈もおもしろいのですが、斜め読みでの引用と感想という形にしようと思います。ちょっと脱線気味に読んだほうが、僕にはおもしろかったので。
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コスモロジーは、その中にできる限りすべてのものを包含しようとする。イデオロギーは、むしろ切り捨てることに力を持っている。イデオロギーによって判断された悪や邪を排除することによって、そこに完全な世界をつくろうとする。この際、イデオロギーの担い手としての自分自身は、あくまで正しい存在となってくる。
しかし、自分という存在を深く知ろうとする限り、そこには生と死、善に対する悪、のような受け入れがたい半面が存在していることを認めざるを得ない。そのような自分自身も入れこんで世界をどう見るのか、世界の中に自分自身を、多くの矛盾と共にどう位置づけるのか、これがコスモロジーの形成である。
コスモロジーは論理的整合性をもってつくりあげることができない。コスモロジーはイメージによってのみ形成される。その人の生きている全生活が、コスモロジーとの関連において、あるイメージを提供するものでなくてはならない。(p101-102)
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→明恵は、その当時、バンバン!とイデオロギーを打ちだしていったたくさんの僧侶とは違い、母性的な包含のスタイルつまりコスモロジーのほうの僧侶だったと捉えることができるようです。著者は、現代においては、こういったコスモロジーの思想のほうが生じつつあると見ています。よって、明恵を見ていくことは、現代を創っていく上でのヒントになると言えるのでしょう。
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手水桶の水に一匹の虫が落ちて死にかかっているので、これを助けるようにと言う。良詮が驚いて手水桶を見にゆくと、果たして蜂が一匹溺れて死にそうになっていた、などというエピソードが述べられている。他にもこのような逸話が多く記載されており、(中略)深い無意識層にまで下降すると、このようなことがよく生じると、現在の深層心理学では考えられており、明恵の修行の深さが窺い知れるのである。(p152)
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→ただ、こういった共時性や偶然の一致などに対して、一般の人は首を突っ込まないほうがよいようなことも述べられています。激しい混乱を身に招いてしまうみたいになってしまいます。まあ、そりゃそうですよね。別の本(『たまたま』 レナード・ムロディナウ著)にあった知見ですが、「意味が存在するときにその意味を知ることが重要であるように、意味がないときにそこから意味を引き出さないようにすることも同じくらい重要である。」とありましたが、これはこういった共時性になどに対する精神衛生上大切な心構えであるでしょう。不用意につっこんではいけない。もともと通常の意識の弱い人や、極端に身体疲労している人などは、こういった体験で気がヘンになってしまうことも珍しくない、と書かれています。明恵はもしも現代にいたとしてもそうとう合理性の秀でた人で、ましてやその合理性は鎌倉時代当時ではありえないくらいのレベルにあったと考えられる人です。だからこそ、不可思議ともいえる共時的体験などをしても、健全でいられたのかもしれません。
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われわれは何か新しいものを得たとき、それによる喜びと、その背後において失われたものに対する悲しみとの、両者を共にしっかりと体験することによって、バランスを保つことができる。(p243)
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→選択をするということは、何かを得ながら何かを失うことだと著者が述べている部分です。このことについて、最近では「トレードオフ」と呼ばれていますよね。
引用はここまでです。あとは特に残しておきたいなと思ったトピックを。
少なくとも数世紀の間、警察も監獄も精神病院も必要とせず平和に暮らしたというマレー半島のセノイ族の話がありました。彼らは見た夢を分析する習慣があって、「では次に同じ夢を見たらこうしよう」と意識を介入させ、夢を「体験」していき、「体験」を蓄積していく。これが精神の健康を保つ、というのが著者・河合隼雄の弁です。ちょっと調べたら、別の著者による『夢を操る: マレー・セノイ族に会いに行く』という本が出てきました。こういった一民族の習慣が医療のヒントや知見となったりしないのでしょうか。まあ、どちらの本も30年以上前のものですけれども。
もうひとつ。
明恵が弟子に言っている、次のことが刺さりました。一人で修行すると、静かだし何ひとつ邪魔立てされず便利なように思われるが、実際は知らず知らず時間にゆとりがあることにごまかされて、なまけ怠ってしまう危険性がある、というのがそれです。僕も一人になれたらどれだけ読書や原稿が捗るかと思っていましたけれど、いま一人になってみると(仮の一人暮らし期間中です)明恵の言うことがよくわかるのです。でも、心身の調子はもう間違いなく上がってきたんですけどね。
といったところでした。河合隼雄さんの著書は膨大に残されているので、読んでも読んでもまだまだといった感じですし、その心理学の深さや難しさはどうしてもこういった読書だけでは消化して身につけることは難儀です。それでも、読みものとしておもしろいですし、ちょっとばかりの心得は僕でもつけることができるのが嬉しいところです。
Posted by ブクログ
これは、明恵の夢に対する著者の考察をまとめた論文のようだ。鎌倉時代に生きた僧、明恵の夢記を紐解き、夢とともに(ユング派でいうところの)個性化を成し遂げて行ったであろう論を展開している。転機においては判断のヒントを、完成に至っては華厳の世界の実現を夢と現実とにみたであろうと。深層心理の幕開けが、20世紀初頭であることを考えると、この時代にこれだけ夢に真摯に取り組む人がいたということに、著者がいだく驚きと尊敬の思いとが随所に感じられる。ただ、時代を追ってはいるものの、個別の夢ごとの説明と、夢は現代語訳されておらずすぐにイメージがわかないために、明恵という人物像を読者が全体的に捉えることには失敗している。明恵の人物伝といったストーリー性を求める人にとっては、期待外れの本といえよう。