村田沙耶香のレビュー一覧
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「小さな分裂を繰り返しながら、私は生きている」
性格を持たない如月空子は「安全」と「楽ちん」を指標に、コミュニティに適した人格を作り上げ、使い分けて生きてきた。上巻は彼女の4歳から35歳までのお話。リアルでは世界①〜④をグルーピングし、SNSではさらにいくつかのキャラがある。彼女は上手にそれを使っているが、話が進むにつれて他の登場人物も空子の知らない顔を持っていそうで話は複雑化する。さらにそこにラロロリンDNAという具体的には何も違わないのに新しいカテゴリを作って人を区別し分断させる妙な慣習と、ピョコルンという可愛いペットというだけの生き物がいて話をややこしくする。
さて、若い頃は人間誰しも自分を分裂させて仲間や状況に合わせて猫を被ったり、ぶりっ子したり、荒ぶったりしてキャラを使い分ける。年をとるにつれて人格は一本化、あるいは二本化くらいで落ち着いていく。空子はそれを極端に突き詰めて使い分ける。そして世界99という自分らしさと思えるようなキャラを見つける。でもそれは本当か。おそらく本当の自分を持っていない、あるいはわからなくなっているところが怖いところだ。それどころか他の登場人物たちも同様なのだ。それぞれの真実は何なのだろうか。これが下巻でどうなっていくのか気になるところ。
さらにラロロリン人という変な区別、レッテル貼りが下巻でどうなっていくのか。またピョコルンという生き物が人間の都合に合わせて進化していくのだが、これもどうなるのか。この2つに関する不快な描写がたびたび出てくるのでそこは気持ち悪くなるところだ。
それでは下巻に進みます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ村田沙耶香さんの作品は、人間が普段はあまり考えないようにしている部分を、容赦なく突いてくる。
この短編集の中でも、特に印象に残ったのが表題作の「信仰」だった。
考えさせられたのは、「正しい情報を知ることは、本当に人を幸せにするのか」ということ。
主人公は、子どもの頃から「かき氷の原価はいくら」「こっちのほうが安い」など、物事の裏側にある現実を周囲に突きつけていく。もちろん、それは間違った情報ではない。むしろ正しい。
けれど、お祭りという少し現実から離れた空間で、子どもたちが楽しんでいるところにまで「現実」を持ち込めば、その楽しさは失われてしまう。
正しさや合理性は、いつだって人を幸せにするわけではない。
むしろ私たちは、ときには少し間違ったものを信じたり、何かに「取り憑かれたり」することで、人生を生きやすくしているのかもしれない。
宗教もそうなのだと思う。
「なぜ生きるのか」「何のために生きるのか」といった問いに、自分で答えを探し続けるよりも、あらかじめ答えを与えてくれるものを信じたほうが楽に生きられる人もいる。何かを信じることで余計なことを考えず、自分のやるべきことに集中できることだってある。
だから、「騙されたい」という欲求も、決して理解できないものではない。
何でも疑い、正しさを追い求めることが本当に幸福なのか。それとも、ある程度は夢を見たり、何かを信じたりするほうが人間らしく生きられるのか。
そんなことを考えさせられる作品だった。
ただ、個人的には人に気軽に薦められる作品ではないとも思う。
村田沙耶香さんの作品は、人間の中にある普段は目を背けている部分を、かなり鋭く描いている。読むときの自分の精神状態によっては、その鋭さがかなり心に刺さる。
だからこそ面白いのだけれど、誰にでも気軽に薦められる作品ではない。
読んでいて心地よい作品ではない。それでも、自分が「当たり前」だと思っていたものを一度疑ってみるきっかけをくれる作品だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ
『地球星人』は、社会の仕組みに馴染めない人たちが、その外側へ逃れようとした先を描いた小説だった。
主人公の奈月と従兄の由宇は、どちらも問題のある家庭で育っている。奈月は自分を魔法少女だと思い、由宇は自分を宇宙人だと思っている。二人にとって「自分は地球人ではない」という感覚は、単なる子どもの空想ではなく、つらい現実から自分を切り離して生き延びるために必要なものだったのだと思う。
大人になると二人の道はいったん分かれる。奈月は魔法少女だった頃の感覚を残したまま、社会に強い違和感を持つ男性と結婚する。一方、由宇は社会の中で暮らせるようになっていて、再会した奈月を「冷凍保存されたようだ」と言う。
だからこそ、由宇が再び奈月たちの側へ行ってしまうことには、最後まで引っかかりが残った。私は由宇にはそちら側へ行ってほしくなかった。ただ、由宇はもともと、相手が自分に何を求めているのかを感じ取り、それに従って生きてきた人物でもある。社会に馴染んでいたときも、奈月たちの世界に入っていったときも、実は由宇自身が選んでいたわけではないのかもしれない。結局、由宇は本当はどう生きたかったのだろうと思う。
後半、三人は社会から離れて暮らし始める。「何があっても生き延びる」という約束を優先するうちに、盗みを働き、裸で暮らし、ついには人を食べるところまで行き着く。奈月たちが「工場」と呼ぶ社会から自由になったはずなのに、そこにあったのは自由というより、「生き延びる」という別のルールだけに従う世界だった。
そして、この小説で一番気味が悪かったのは、三人の行動そのもの以上に、奈月の目を通して見ている世界がどこまで本当なのか分からなくなっていくことだった。
奈月は自分を魔法少女だと思い、自分にしか聞こえない声に従う。子どもの頃の記憶にも曖昧な部分がある。奈月が嘘をついているわけではないのに、奈月が信じていることと、実際に起きていることの境目がだんだん見えなくなる。読み進めるほど、物語そのものの足元がぐらぐらしてくるような感覚があった。
その感覚が最も強かったのが、最後に三人のお腹が大きくなり、「妊娠している」と語る場面だった。実際には、まともな食事もできていない生活の中で、栄養失調などによって身体が変化しているだけなのかもしれない。それを三人が「妊娠」と解釈しているのだとすれば、現実に合わせて自分たちの考えを変えるのではなく、自分たちの世界観に合うように現実のほうを読み替えていることになる。
しかも、奈月たちは、結婚して子どもを産み、人間を再生産していく社会を「工場」と呼んで嫌っていた。その工場から逃げた先で、最後に自分たちを「妊娠している」と捉えるのは、かなり皮肉でもある。
村田沙耶香の小説は、現実にある社会への違和感を極端なところまで押し広げることで、普段なら当たり前だと思っているものまで奇妙に見せてしまう。ただ『地球星人』では、社会の側がおかしいからといって、そこから逃げた人たちが正しいわけでもない。むしろ逃げた先にも別の「正しさ」が作られ、最後には現実までその正しさに合わせて解釈されていく。
読み終わっても、奈月が見ていた世界のどこまでが本当だったのか、由宇は本当はどうしたかったのか、最後の三人に何が起きていたのか、よく分からない。ここまで徹底して気味の悪い読後感を残しながら、それでも後から何度も考えたくなる。その感じも含めて、村田沙耶香にしか書けない小説だったと思う。