あらすじ
人工授精で、子供を産むことが常識となった世界。夫婦間の性行為は「近親相姦」とタブー視され、やがて世界から「セックス」も「家族」も消えていく……日本の未来を予言する芥川賞作家の圧倒的衝撃作。
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Posted by ブクログ
このお話は始まった最初から世界がちょっとおかしかったのに(今の私たちの世界から見ると)、千葉に行ってからはその世界すら「あっちの世界」となってしまい、それにだんだん順応していく人間たち。
今の世界に生きづらさを感じている人たちからすれば、この世界も「あっちの世界」なのかもしれない。
何が正しいかなんて、決まってないのかも。
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人工授精が主流になり、セックスが古いと言われる時代。
むしろセックスをすること自体が忌避の対象ともとられるような価値観。
更には出産ですら男性が行ってもよいもの
とまで価値観が違う世界。
いつか訪れるかもしれない未来を想像してしまった。
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人工授精にて子供を産むことが常識となった世界で、夫婦は家族となり近親となる為、夫婦間の性行為が近親相姦としてタブーとなった世界。人によっては、ディストピアともユートピアとも言える世界が描かれていく中で、村田沙耶香さんはさらに深く切り込んでくれる。個人的には理想郷と言える世界観であったが、終盤に至ってはどこか置いて行かれた感覚に陥ってしまった。
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作者の世界観や世界の感じ方が独特で、その上に、こんな世界になってしまった、私は豆粒みたいな人間にしか過ぎないから世界を変える力もない、それでもこの世界で生きていく、みたいな終わり方するんだけど、それが私の癖に刺さる。
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コレよこれ!これを待ってました
クレイジー村田沙耶香ワールド
地球星人ぶりの衝撃
狂っている世界観を作中では当たり前で生活展開していく。性行為とは?悪なのか?
結末はさておき設定が狂って候
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私自身、家庭と恋愛が結びつかないタイプなので共感する部分もある。
ただ双方に何を求めるかを深く考えたことはなく、そこを追求すると確かに無駄に辿り着く気はする。
だからといって無駄を切り捨てた世界はホラーに見えるし……
ヒト以外として動物などではなくキャラを選択するのが当然となっているが、そのキャラとセックスするという少しの生々しさが絶妙。
清潔という言葉が出るたびに何を指すのか考える。
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「私たちは、何にも属さない一匹の生命体として、清潔な家で一人暮らすことに慣れ始めている。」
異性愛主義がテーマとも言える今日好きが流行し、マッチングアプリの機能が進化し、より簡単に自分と似た価値観を持つ人と出会いやすくなっているのにも関わらず、婚姻数は減っているし生まれてくる子どもも減っている。
恋愛が楽しい、恋愛が結婚に結びつく世界というものに異議を唱えた一冊。私は小学生のころから、恋愛漫画や恋愛ドラマを何気なく見て育った。でもこれが自分の中から湧き出た感情ではなく、世界に仕向けられたから出てきた感情なのかな、とこの本を読んで思った。
解説を書かれた方が、性欲や生殖欲求は本来人間に備わっているものだと主張している。しかしながら、村田作品は一貫して、「恋のシステムはマニュアルではないのか」、「セックスは所詮他人を使ったマスターベーションではないか」、「本能という何気なく使われる言葉を、もっと疑うべきではないか。」「本能という言葉が持つ正義は時代が変われば通用しなくなるのではないか」という主張がある。
村田作品を読めば読むほど恋愛する気が起きなくなる・・・笑
いつも起承転結の結がカオスすぎて理解できないけど、発想力が尋常じゃなくて楽しく読みました。
今日も私を狂わせる
ホントに同世代ですか?
聞きたくなるくらい、ココロをかき乱してくる。解説にもあるが、まさにディストピア。爽快ではないのに、再読したくなる。
Posted by ブクログ
よかった。
実験都市に移住してから彩度が下がってぐっと洗練される生き方になる。
誰もがお母さん、子供はみんなの子供ちゃん、性欲はクリーンルームで排泄しよう、というあり方いいなと思った。
だんだん恋愛感情も、家族制度への執着も消えて、自分の感情を自分で管理する、個、として人間の生き方の分業が進んでいていいな。
解説として寄せられている文章も本文の理解を助けてくれる。が、子供のまっすぐさを兼ねた疑問の提示方を発達障害的と言うのは攻めすぎなのでは。
性行為はなんのためにするのか?
村田沙耶香はあらゆる小説でこれをテーマにしている。女性の妊娠、性行為、恋愛、家族、性的価値の消費からの解放が待ち遠しい。
村田沙耶香の小説は、男性にとってはディストピア、女性にとってはユートピア、誰が言ったのか、確かにそうだなと思った。
Posted by ブクログ
SF小説?!
この世界怖いなあって思った。
私の主観だとこの本の世界が異常でホラーだと思うしみんなもそうだと思うけど、本の住民はそれが常識。
上(読者)の世界から下(本の住人)の世界を見下ろしてるみたいな感覚になった。
この本を読んだ今、このフィクションの世界を知った今、人間の本能に従った恋愛って素敵じゃんて思えるようになるかもね。と解釈もできるだろうか。
Posted by ブクログ
消滅世界は、当たり前とされてきた価値観を根本から揺さぶる一冊。
セックスが当たり前ではない世界、家族が当たり前ではない世界。この物語で描かれるのは、現代の常識が未来には旧時代の奇習として扱われるかもしれない、という大胆な発想。
思い返せばコンビニ人間では、社会の普通から外れた主人公がマイノリティ側から疑問を投げかけていた。
しかし消滅世界では構図が反転する。現代社会ではごく自然とされるセックスや家族という仕組みが、実験都市ではむしろ異常で、古く非合理的な風習として切り捨てられる。主人公は、そんな旧時代的な習慣に固執する側に位置づけられ、自身がマイノリティとなっていく。
作者は、セックスも家族も普遍の真理ではなく、生存戦略としてその時代に都合が良かったから残ったシステムにすぎないと提示している気がする。
より合理的な仕組みが登場すれば、それらは容易に古い慣習へと変わる。
物語の世界では、愛・性欲・生殖が分離され、セックスはもはや生殖にも快楽にも必要ない。だからこそ、セックスを続ける主人公が異様な存在になるのは必然である。
この作品が投げかけるのは、今、当たり前とされているものは、本当に普遍なのかという問いな気がする。
家族も、恋愛も、性も、私たちは自然なものとして受け取っている。
だがそれらは社会的文脈の産物にすぎず、正しさは時代と文化が決めているにすぎない。
作者は、こうした当たり前の構造を一歩引いて観察し、疑い、距離を置きながら描く作家なのかな。
消滅世界は、その姿勢がストレートに表れた作品だと感じた。
Posted by ブクログ
技術の進歩により、人工授精で子供を出産することが自由自在のとなれば、必然的に恋愛によるセックスは必要なくなっていくのだろうか。そしてその行為自体が異常なことということが常識となる。
現在の自分の思想も、世間の常識の中に取り込まれている結果なのかも知れない。生きている時代によって常識とは変化するものである。
Posted by ブクログ
学生の頃に読んだ。ゼミで扱うというので再読したが、改めて読んでも新鮮に読めた。村田沙耶香の本領といった感じがするが、『コンビニ人間』で村田沙耶香を知った人が読んだら驚くかもしれないとつくづく思う。
夫婦による性行為は「近親相姦」として疎まれるようになり、性行為ではなく、人工授精によって妊娠出産をすることが当たり前になった世界。そんな時代にあって、語り手の雨音は、両親の性行為によって生まれた。小さい頃から母によって性行為で子どもを生むことが「正常」なのだと教え込まれた雨音は、母の意思には反して、世界の常識に染まっていく。
性的な関係と恋愛が切り離された世界においては、ヒトではない二次元のキャラクターを恋人にすることが普通になった。雨音は、そんな社会の中で、ヒトとも、ヒトではないものとも恋愛を続けて大人になる。
物語は、Ⅰ〜Ⅲの3部構成になっているが、最初の第Ⅰ部は、古い価値観を押し付けてくる母への反抗の物語だとひとまず言える。雨音は、ヒトと恋愛をしたときには必ず相手と性行為をするが、それは、母に教えられた古い価値観、愛し合った相手の子を産みたいという欲望が、自分の中にはないことを確かめるための行為だった。
どんな残酷な真実でもいいから、私は自分の真実が知りたかった。母から植え付けられたわけでも、世界に合わせて発生させたのでもない、自分の身体の中の本物の本能を暴きたかった。
自分の発情の形を確かめたい。それには、水内くんと「セックス」をしてみるしかないと思った。(p36)
雨音にとっての性行為は、自分の身体に母に植え付けられたかつての性欲がないことを確認するための行為だった。だからこそ、本当の性欲から性行為しようとする相手に対しては、身体が拒否反応を示す。
雨音の最初の結婚相手は、雨音に対して性的な行為に及んだ。恋人に対しては、必ず同じ行為をしてきたはずの雨音は、夫からそれをされることには、拒否感を持ち、逃げ出してしまう。そして、その後に出会った新しいパートナーには、前の夫から「近親相姦」をされた経験を語り、自分と同じようにそのことに嫌悪感を抱いてくれた新しい夫に安心する。
こうやって見てくると、雨音は、すっかり新しい世界の常識に順応しているように見える。しかし、彼女は、自分が少しずつ世界からずれていることに気が付かされることになる。
私と水人は恋人で、愛し合っているからセックスしているのだと思っていた。「それってマスターベーション……というものなんじゃないかな?」という、水内くんの言葉が脳内に蘇る。
あの言葉のとおり、私は水人を使ってマスターベーションしていただけなのだろうか。いや、水人だけじゃない。誰が相手のときも、私は結局、相手の肉体を使って自慰をしていただけなんじゃないだろうか。(p159)
ヒトの恋人とは必ずセックスを続けてきた雨音は、新しい夫と生活しているときにできた恋人の水人とも同じようにセックスをした。その行為に、どこか安心感を持っていた雨音だったが、相手の水人は、それを「つらい」のだと感じていた。雨音の身体は、セックスという交尾が、古風なことになった世界に、完璧には順応できていなかった。
そうして雨音は、夫とともに千葉の実験都市へ行くことになるのである。
千葉の実験都市では、「家族システム」に代わり、「楽園(エデン)システム」という新しいシステムによって、人口が管理されていた。毎年、クリスマスの日にランダムに選ばれた人々が、人工授精によって妊娠し、出産する。人口子宮によって、男性も妊娠するようになった都市で生まれた子どもたちは、「子供ちゃん」としてセンターに送られ、「おかあさん」となった全ての市民たち「愛情のシャワー」を浴びて育つことになる。
雨音とその夫は、最初こそは、二人の卵子と精子によって、二人の子どもを生むことに拘る。しかし、夫の方は、次第にそのこだわりもなくなり、男性初の出産に成功したときには、自分たちの子を「子供ちゃん」としてセンターに送ることに、何の違和感もなくなってしまっていた。
一人残された雨音は、「楽園(エデン)システム」には、順応することができなかった。順応することができなかった雨音が、最後にするのが、母の監禁と、「子供ちゃん」とのセックスである。
「ねえ、お母さん。お母さんが私をこんなに”正常”な人間にしてしまったんじゃない。そのせいで、私はこんな形をした『ヒト』になってしまった。今度はお母さんが、私のために正常になって。この世界で、一緒に、正しく、発狂して」(p264)
白いシーツの上で、私はセックスを作っていた。作るしか方法はなかった。前のやり方はもう忘れてしまって、私の身体の中から消えてなくなってしまったのだから。
私は昔、そうしていたように身体の中の「声」に従おうとしたが、すぐにあきらめた。何の声も、身体から聞こえなくなっていたからだ。知識はあったが、身体の中からセックスというものがもう排出されてしまっている気がした。私は、あるいは人類は、「あっちの世界」でセックスを使い果たしてしまったのかもしれない。(p272)
母親の洗脳が成功していたのかどうかは分からない。けれども、雨音は、セックスが完全になくなった世界で、性的な感情や行為から完全に自由にされた「子供ちゃん」とセックスをする。そして、かつてセックスによって自分を産んだ母親を、隣の部屋に監禁するのである。彼女は、隣の部屋から漏れる母親の声を、かつて交尾をしていた頃のヒトの声として聞く。そのように、自分の行なっているセックスが、かつては正常だったのだということを確かめることで、世界に順応しきれない自分の精神を保つのである。
この物語は、終始、自分の性欲の正常さを確かめ続ける一人の女性の物語である。そして、自分にとっての正常と、社会にとっての正常が決定的にずれてしまったとき、彼女がすがるのは、母とセックスであった。それは、母が新しい常識が蔓延した世界の中で、唯一自分と同じ異常な人間で、結局のところ自分の性欲の在りかとセックスのつながり切れなかったからでもあった。。。というようなことを言いたいが、当たり前のことを難しく言っているだけの気がするし、自分でも何を言いたいのかよく分からなくなってきた。
とにかく、面白い小説だった。
Posted by ブクログ
その世界に適した狂い方で、発狂するのが一番楽なのに
今の世界が良いとか悪いとかって話じゃない
ただ少なくとも、ここで描かれたエデンを「そんな世界ありえねえだろ」と笑ったり嫌悪したりするやつはちゃんと正しく狂えてるってことだよ
その認識からスタートだ、俺は確実に狂ってるぜ
Posted by ブクログ
あらすじを読んで気になり手に取った1冊。
『その世界に1番適した狂い方で、発狂するのが1番楽なのに』
この一文がこの本の根幹であり、過去、現代、未来にも通じるものだと感じました。
違う世界を覗き見ている感覚が面白かったです。
Posted by ブクログ
「人間らしさ」は時代とともに変化してきた。中世では信仰が核であり、産業革命以降は労働や理性が重視され、現代では多様性や共感がその中心を占める。しかしどの時代も、その価値観を絶対視した瞬間、それは宗教や呪いのように変質し「普通」や「正しさ」は多数決や社会的圧力で容易く書き換えられ続ける。
人間が変わるのが先か、社会が変わるのが先か――その答えはなく、人は環境に適応しながら変わり、同時に環境も人間の行動や価値観によって少しずつ変化していく。その螺旋の中を生きていく上で、痛みを感じる力を手放すことは合理的であると同時に「生きている証」を失う行為でもある。
この本を読んで、嫌悪や気持ち悪さに塗り潰される感覚を覚えた。夫婦間の性行為が近親相姦としてタブー視され、家庭の外に恋人がいることは常識。子供は人工授精によって出産。第二次性徴期を迎えたら避妊手術が義務付けられているという世界観。今と正反対でぶっ飛んだ設定。全くもってあり得ない、頭でなく身体が拒絶する。しかしそれすらも単なる「今の時代感覚」につくられたものに過ぎない。『消滅世界』はその“今”をずらし、倫理的なリセットを読者に強いる小説だ。家族や性愛、平等――どれもこれも社会の要請に合わせて人工的に調律された幻想であり、その安定が行き過ぎると「痛みを感じる個の自由」が奪われるのだ。
主人公の雨音は、母が「普通ではない」と気づいたことをきっかけに、自分は普通でありたいと強く願い、その証明に生きてきた。母を否定したいのに、自分も似た衝動を抱えている矛盾が、彼女を苦しめ続ける。
夫とともに駆け落ちた先の実験都市"楽園"での生活は彼女の痛みを麻酔のように鎮める。社会に適合するほど雨音自身が緩やかに死んでいく感覚。その描写は恐ろしいが気になってページをめくる手を止められない。生存と狂気、適応の境界を行き来する人間の行き着く先が見てみたい。この感覚は雨音の「自分がどこまで壊れるのか」「どこまでなら普通でいられるのか」という好奇心と重なった。
タイトルになっている『消滅世界』。この世界を“楽園"のこととするなら、そこから消えたものは何だろうか。
愛そのものは消えていないように思える。しかし愛が感情から切り離され、役割や義務として機能するようになり、そこから派生して、喪失の痛み、血縁の継承、成長、芸術や思想、名前、個性といった、人間性の根幹が失われていた。
「全ての子どもは共同で育てられる」という思想は、一見、理想的な平等に思えるが時間軸をも消滅させる。誰が母で、誰が子で、誰が次の世代かという区分が曖昧になり、生命の連続性は社会的に断たれる。痛みを知らなければ成長も成熟もあり得ない。なぜなら、社会的な儀式を迎えることである日突然大人になれるものでもないからだ。大人になる瞬間とは心が何かを失いその喪失を理解することの積み重ねの先に訪れるもの、ともすればその瞬間が奪われた世界で生まれた人間は、永遠に「子どもちゃん」のままで生き続けなければならない。なにかを未来に繋ぐ、託すこともきっとないのだろう。
さらに「子供ちゃん」には名前がない。名前とは生まれてきたことを世界に刻み、呼ばれるたびに存在を確認される、生の輪郭を形作るものだ。名前のない世界は誰も特別ではなく、唯一無二の存在ではいられないことを意味するのではないか。「痛みのない世界」と「誰にも覚えてもらえない世界」は紙一重であり、人間らしさの本質とは、不平等や痛みを感じることそのものかもしれない。それを通して初めて「自分」と「他者」の境界が生まれる。痛みや喪失がなければ、それを埋めるための優しさも愛も芸術も思想も生まれない。これらすべては痛みの副産物であるから。
こうして痛みを失い、違和感を手放した世界は、一見穏やかで平和に見える。しかしそれは治癒ではなく、麻酔に近い感覚だ。痛みが消え失せたのではなく、自覚する力を失っただけであり、傷は癒えないまま残る。確かに社会全体から見れば誰もが子供を産めて虐待も差別も存在しない理想郷のように思えるが、個人の視点から見れば感情は均一化され、自由はない窮屈な檻の中で飼い慣らされた獣に見える。
『消滅世界』は幸福の総量をめぐる問いも投げかけてくる。全体の幸福を優先するのか、個人の幸福を貫くのか。
痛みを失い感情の重みを手放した世界は、あらゆる変化に慣れ切った人間たちの行き着く先なのだろう。それがユートピアか、ディストピアか決めるのは、樹里の言葉を借りるなら、結局その人の立つグラデーションの位置次第である。
Posted by ブクログ
村田沙也加映画化??と思って読んだ。
人工授精で男女関係なく妊娠して、子供を作る世界線の話
実験都市とかクリーンルームとか人工子宮とか…村田沙耶香ワールドだった(いつも)。
主人公が初めはちゃんと新しい価値観を疑ってみたり、自分が正しいという想いを密かに持っていた。しかし最終的には実験都市に順応していく。なので物語を読み進めると、「常識」って何かわからなくなっていった。
いつまでも変わらない主人公の母、少しずつ変化する主人公、かつて主人公がいた世界線の友人、すぐさま進化した主人公の夫、、いろんな人がいて世界やな…ってなった。
パンチが効いたシーンは初めて「子供ちゃん」と戯れるシーン。「ん?これ人の子か??」ってなって不気味だった。
場面など関係なく、誰かの行動は他の誰かにとっては不気味なんだろうな。
男女の性行為が、古く時代遅れで意味のないものになってしまった世界。いつか人類の価値観が大幅に変わって本当にこんな風になってしまうんじゃないかとすら感じた。実験都市となった千葉で同じような子供が生まれ同じように育って、機械みたいだと思った。少し気味が悪かったけど話としては楽しめた。
Posted by ブクログ
ちょっとホラーじみてて怖くもあった。でも現実世界でも、恋愛と結婚は別という考え方もある。でも好きだから一緒にいたいのが単純じゃないのか。好きじゃない人と家族になれるのか?セックスを家庭に持ち込まないのは斬新だかw
Posted by ブクログ
いい未来なのか悪い未来なのか
でも私は周りの普通に沿おうとして、
当たり前のように受け入れていく側の人間になるんだろうな
いいのか悪いのかを他に左右されずに自分で考える軸が欲しいなと思った
Posted by ブクログ
個人に執着するから苦しみが生まれる。家族も恋人もおよそ濃密な人間関係は解体して人は個となり、一方で行政から指示されて人工的に妊娠・出産を行う。生まれた子供はみんなの子供として育てられる。ディストピアはユートピアと表裏一体。感情の入り込む余地を可能な限り排除し人生を合理化したこの実験都市で暮らせば、人は人間関係のしがらみや子育ての責任から解放される。それが幸福であるかどうかは…。
Posted by ブクログ
「セックスが失われた世界」という壮大な思考実験的物語。
「キャラ」への恋のくだりだけは最後まで違和感が拭えなかったけど、実験都市千葉(SFといったらやっばり千葉だ!)のシステムと描写は面白かった。
Posted by ブクログ
面白かった。
セリフばかりで構成されており非常にエンタメだったのでテンポよく読めた。でも正直、もう少し純文学的にゆっくり描いてくれたほうが僕は没入できた気がする。
僕はロマンティック・ラブ・イデオロギーに懐疑的なのでかなり共感して読めた。
これをディストピアと評する気は、僕にはない。
世界は常に「途中」であり、どんな世界であってもそこには大半の正常者と一部の異常者がいる。無理に自分の異常を守る必要はない。世界に迎合することを否定するのであれば、そもそも今の自分だって幼少期からの世界へ迎合により構築されているのだから自分自信を否定することになる。本当の自分などない。
あなたも、生きづらさを感じるぐらいなら、正常に発狂しましょう。
237 新しい世界が、自分の中に刷り込まれていく。生まれたばかりのころ、目に見える世界のすべてを吸収して、どんどん人間になっていったように。私は今も、世界を吸収し続けている。そして、この世界の形をした「ヒト」へと変化し続けている。
263 お母さんは洗脳されていないの?洗脳されてない脳なんて、この世の中に存在するの?どうせなら、その世界に一番適した狂い方で、発狂するのがいちばん楽なのに
Posted by ブクログ
新世界99がずっと頭に残ってたから、
どうしても比べてしまい読み終わるのに随分と時間がかかってしまった
夫婦お互いに恋人がいる状況……?!!
わたしなら嫉妬で狂いそう
Posted by ブクログ
気持ち悪い居心地の悪さ。SFものと割り切って読まないとこの小説の世界観に引っ張られてしまう。
こんな世界あるもんか、と思いつつどこか今の価値観に繋がっている様な。ジェンダーレスや夫婦別姓やそういった価値観が先鋭化された先に待っている様な世界。性交、家族、夫婦、親子などの常識を解体してあらたに作り上げた世界。どちらが正常なのか異常なのか…読み終わった後の居心地の悪さがあとを引く小説でした。
Posted by ブクログ
家族と性愛の結びつきを解いて合理的な社会を作るとすればこうなる。「普通」がもっとも普遍的な狂気だと言うような言葉を聞いたことがあるが、作中に登場する実験都市の価値観にだんだん順応する主人公・雨音の心境の変化も絵空事とは思えない。でも、自分は人間が性愛から離れられるとは思わない。人類が手にした新しい技術は悉く性への応用が試みられてきた。生成AIなどもそう。結局作中からみた不浄な世界を生きるしかない。そう自分は決めた。
Posted by ブクログ
読めば読むほど、この世界が狂っているのか今の私たちの世界こそが異常なのかよくわからなくなる。
恋人と役割を混同せずに家族という存在になるのがスタンダードであれば結婚も悪くないなと思えるし、ヒトもヒト以外も幅広く恋愛の対象として認知されている価値観も自由で楽しそう。人間の異性と恋愛や結婚をして子供を産むことが最も正常ですという呪いが解かれた後の世界なのかもしれない。