あらすじ
小説というものの輪郭が、いわば地球を覗く窓の形が、本書によりまた大きく更新されました。
それはつまり、この本の中で初めて寛げる人がいるということです。
救済と爆弾は同じ姿で在れるのだと気付かされました。
朝井リョウさん(作家)
本当は貴方もわかっていたんだろう? と迫る声が脳内に鳴り響く。
熱に浮かされるようにページを捲る手が止まらない。
これは本型ワクチン。
世界99に誘われ、もう元いた場所へは戻れない。
宇垣美里さん(フリーアナウンサー・俳優)
足元の地面がふいになくなり、
正常と異常の境目が消え失せ、目眩がする。
人間という生き物の滑稽さ、グロテスクさ、美しさ、不思議さが、
この本の中にすべて詰まっている。
岸本佐知子さん(翻訳家)
空子がこの世界で体に蓄積する小さな暴力の音とか、風とか、どれも僕の心に刻まれていきました。
物語で一緒に過ごせた時間は、僕の宝です。
ロバート キャンベルさん(日本文学研究者)
私たち、ピョコルンに、全部捨てられるようになりましたよね。
性欲を。出産を。育児を。介護を。人生の時間を食いつぶす、あらゆる雑務を。
14年前、「リセット」を経験した人類は混乱の最中にあった。
しかしラロロリン人の考えた「人間リサイクルシステム」がうまく機能し、やがて社会は再生を迎える。
そして49歳になった空子は「クリーンな人」として、美しく優しい世界を生きている。生まれ育った街「クリーン・タウン」の実家に戻り、同級生の白藤遥とその娘・波とともに。
ようやく訪れた穏やかな社会の中心には、さらなる変貌を遂げたピョコルンがいた。
村田沙耶香渾身の大長編、ここに完結。
都合の良い「道具」・ピョコルンを生み出した果てに、人類が到った極地とは――。
【著者略歴】
村田沙耶香 (むらた・さやか)
1979年千葉県生まれ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003年「授乳」で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年「コンビニ人間」で芥川賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』『変半身』『丸の内魔法少女ミラクリーナ』『信仰』などがある。
感情タグBEST3
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下巻は、主人公の如月空子さん(きさらぎ・そらこ)、49歳からのスタートです。その年齢のせいなんでしょうか、物語の勢いが弱まっています。
もしかして、作者の村田沙耶香さん、お疲れなのでしょうか?! なにしろ、集英社の月間文芸誌『すばる』での、3年におよぶ連載だったそうです。
そうなら、気持ち悪がってる場合じゃないです!
「村田沙耶香先生、がんばれ~!」の気持ちで読みました。(村田先生だと村田英雄さん思いだすもんで)
コンビニのクリームパンを差し入れしたいです。(笑)
読みすすめて、わかりました。パワーダウンじゃなかったです! 変わらなぬおもしろさです!
下巻は、上巻終わり近くの「リセット」後の世界です。空子さんが49歳から89歳をすごす世界を、しめやかに、ていねいに描かれています。
村田沙耶香さんの世界は、どんなに突拍子もないものであっても、どこか、現実世界に原型があるように思います。普段っぽさがあります。
この「リセット」もそうなのでは?
みなさんも、ご自身の「リセット」体験をお持ちでしょう。
日本人が共通して体験した、あるいは、知っているものといえば、例えば「終戦」、「昭和から平成」、「平成から令和」、変化に大小あれどみんな「リセット」かなと思います。前とは違う意識で生きているのでは?
「リセット」と同じく、上巻終わり近くの言葉「人間のリサイクル」もそんな言葉だと感じました。
その言葉から現実世界でイメージできるもといえば、「献血」、「骨ずいバンク」、「臓器提供」なんかでしょうか。日常生活で目にするものです。
本書『世界99』上・下巻で、主人公の如月空子さんのほぼ一生が描かれています。
上巻では4歳から35歳までの、幼児期から成人期までです。成長していくパワーがあります。「祭り」な感じ。
下巻は、一転、上巻では触れられなかった、誕生と終末です。
だからこの2冊で「女の一生」、いえ、「人間の一生」になっています。
つまり、『世界99』は、「村田沙耶香版『君たちはどう生きるか』」のように思います。(内容知らんけど『君たち・・・』って、ほんと便利です(笑))
あるいは、人類進化プロセスのひとつの可能性を表現しているように思います。
さすが3年の連載、『世界99』にはたくさんの情報が組み合わされていて、どこに注目するか、どこに焦点をあわせるかは、読み手それぞれだと思いました。
わたしだと、自分の終末へと意識が向きますね。
特に意図したわけではないのですが、ちょうどお盆のころに読めてよかったです。
Posted by ブクログ
上下巻合わせて約800ページ、中だるみすることなく最初から最後まで「村田ワールド」全開の圧巻の大作だった。
呼応やトレースといった独特の世界観の中で、感情や記憶、恋愛や家族愛のあり方が問われ、
何が正しく何が当たり前なのか分からなくなっていく。
それほどカオスな展開でありながら途中で破綻することなく物語に引き込まれ続け、
人間の感情の正解とは何なのかを深く深く考えさせられた。
圧倒的な世界観に最後まで浸りきった、強烈な読書体験だった。
Posted by ブクログ
時代が変化する事に新しい価値観や倫理観をインストールして、薄っぺらいトレースや呼応をして、みんな自分の都合の良いように改竄する。
非現実な世界なのに、どこか現実をグロテスクに思わせる作品。
1児の父として、存在するだけで害を思わせる男として、今自分は誰かになっていないかなぁとつい考えてしまう作品でした。
久々に想像力が掻き立てられた
刺激的な設定、堪能できました。
生きるって、何?
ラロロリン人が後半、消えてしまった感じが少し残念。
Posted by ブクログ
「ピョコルン」という新しい性別を設定し、人間の性欲処理・妊娠・出産を代行する生物がいることで、女性の主人公の被害と加害を同時に描き出しているのが見事。下巻では「最初にダウンロードしたキャラでしか生きられない」白藤さんがより主人公・如月の人生に絡んできて、物語に奥行きを生んでいた。
母を奴隷のように使役しながら、自分は家庭の道具になることを拒否しようとしていた如月だが、ピョコルンが賄ってくれる性欲処理以外の家庭内労働に関しては、明人との結婚生活で既にこき使われていたし、最終的にはピョコルンになることすら選択する。結局自分が否定していた物になる彼女は空虚で、死守したい信念や嫌悪感なんてものもなく、周囲の人間に「呼応」し続けた結果なのだろう。そんな人生は圧倒的に不幸であると同時に、ある程度は幸せにも思えてしまうのは、その方が楽だからだろうか。
Posted by ブクログ
最初は人間の嫌な部分を、明確に包み隠さず表現され、かつ、それが自然なので引き込まれた。
・自分を救わせてあげる(自分を落とす)ことで相手を救う。
・相手の期待している意見、キャラを察知して合わせる。
・グループによってキャラを使い分ける。等々
次第に、ピョコルンの役割が増えていき、人間社会も劇的に変わってSFになってるが、視点は空子の一人称なので、世の中の変化に頑張って着いていくエッセイみたいで淡々と読める。
最後は決められた死に向かっていくが、この四面楚歌な世界に生き続けるよりは、死に逃げられることが救い、と、全く悲観的な要素はなく、ずっと斬新。
人の嫌なとこ、面倒なところを無くそうと、性格も人為的に調整され、それが当たり前になっている世界。
結果、何も無くなりました。ってか。
Posted by ブクログ
所々鬱になったけど読破!
設定盛り盛りで理解が追いつかないとこもあったけどとても面白かった。人間の人格を作るのって環境に依存してるってのはたしかに。私も可哀想や感動で泣ける時自分の人生に余裕があるなって思って生きてきたからそれが書かれてて嬉しかった。最高の娯楽だよね。あとなんと言っても、最後主人公そうなるんだ。っていうズレ?がすごい良い。音ちゃんも結局吐き出す側だった。この吐き出すて、性欲はぴょこるんがやってくれるからその他の廃棄物がすごく目立つようになるんだよね。なんといても恵まれてる人はかわいそうな人を支配しているし、恵まれている人も恵まれている振る舞いを可哀想な人に強制されてるっていう視点が新鮮であった。
Posted by ブクログ
これが世界平和の成れの果てなのだなと思う。
今日も私たちは、“自我”という名の最強の娯楽を楽しむために、かわいそうな自分たちを騙し続けている。
もっと大きな感動を。もっと強烈な刺激を。
人類の一番の天敵は"退屈"だ。
"自我"のぶつかり合いは人類を退屈から解放してくれる。
"自我"さえなければ、この世界に戦争も犯罪もいじめも悪口も存在しないのに。
"自我"さえなければ、"本当の自分"を乱暴に消費し合って、苦しみ続ける必要も無いのに。
どんな時も個性は、自我は、外に出すほど乱暴に消費されて行く。
消費され、傷ついた私もまた、誰かを消費して、なんとか今日を生きられたりしている。
誰もが誰かの人生を燃料にしながら、今日を、今を、生きている。
この終わりのない循環こそが、人間を人間たらしめているのかもしれない。
私はどうしてもこの小説のラストを究極のユートピアに感じてしまう。
私もはやくピョコルンになりたい。
そんな叶わない夢を見て、私は今日も自分の自我にこき使われている。
Posted by ブクログ
空子は最初からピョコルンに近い存在だったのかなと思いました。呼応してトレースする事は誰でもする事だと思うので、その中で生きやすい環境や方法を探して行きたなと思いました。
Posted by ブクログ
怖い話だけれどとても面白かったです。すごく気持ち悪いのに共感できたり、現実にあることを皮肉な感じで表現してあったりして、その描き方が興味深かったです。100年前と比べて現在は価値観も文明も全く違うように、この物語のような世界も近い未来にやってくるかもしれないと思いました。
Posted by ブクログ
汚い言葉、綺麗な感情、表情
どれも今後の世界に起こりそうな話でぎょっとしてしまった
直した方がいいと思っていた前時代の価値観も、方向性を保ったまま行き過ぎるとどんどん潔癖になっていくのかな
自分は子供を出産して自分がただの動物であることに安堵した、というか、人間の文化的過ぎる面も表層に過ぎないのかなと感じた側の人間だが
この世界のようにそれすらも外部に委託してしまったら、いよいよ近代的人間であることから離れられなくなってしまうな
この世界99の演劇やスポーツ、文学はこの潔癖な世界とどう折り合いをつけているのかも気になる
Posted by ブクログ
だから、ラロロリンガール・ライフってなんだよ(笑)と序盤から突っ込みを入れながら読み始めた下巻。ようやく読み終わりました。
いや~強烈でした。ここまできっつい話はそうそう読めないですよね。
こんな無茶苦茶な話あってたまるか!!と思いたいところですが、それがそうでもないのでは?というのが今の感想です。ラロロリンキャリアも、ピョコルンも存在しない我々の実生活ですが、皆、何かに搾取され隷属しているのは大なり小なりあるわけで、案外無意識に空子みたいに達観して世の中眺めている人そこそこいるんじゃないのかな?
怖いなぁと思ったのが、観覧車で空子と音が話するシーン。今更ながら気付いちゃいました。「あ、これAIチャットじゃん。」
この人は自分の理解者と判断したら、そこからはその人の言うこと考えなしで受け入れてしまうもんだよなぁ・・考えようとしない空子なら猶更ですよね。
空子は音に儀式の話をされ共感、参加を決めるのも自然な流れかと。AIにそそのかされて、考えようとしない人、一杯いますもんね。
そういう風に見ると、この話のようなディストピアな世界になるかもなんてこともあながち・・・・って思い、怖くなりました。
しかし、なんで空子はピョコルンになる選択をしたのか・・・ちょっと考えてみた。
空子はずっと“他者に合わせて生成される存在”として生きてきた訳で、全部世界のために最適化され、己自身のための「自分」が存在しない。
一方ピョコルンは話の中では欲望のはけ口とか人生の時間を食いつぶす雑務のごみ捨て場みたいなこと言われてましたが、雑務をやる=相手のために存在するというか・・・役割を果たすための生き物、とも考えられないだろうか?
これが成立すると、空子ってある意味ピョコルン的な存在だったのかもと。
思うに人って、自己を持つ、自己選択する、自己責任を負うみたいなことをやっていかないと生きていけないところもあるわけですが、空子は基本そういったことが欠落している訳で、自分を持たなくていい存在=ピョコルンになる、ということは、空子に最も合った生き方であるとも言えるのでは?
と、考えると、空子は「ピョコルンになることが一番“自分らしい”」と感じたからそうしたので、逃げでもなんでもなく彼女にとっては自然な帰結だったのかなぁ?と思いました。
あと、読んでて悲しくなったのは、儀式直前のお祭りに行った場面での、空子のある意味対極的なポジションにああった白藤さんに対して抱いた感想。
「やはり白藤さんこそが人間ロボットだったのかもしれない、と思った。最初にダウンロードしたデータでしか生きられない人間ロボット。かわいそうに。」
白藤さんは、最後まで自己を持ち続けようとして、そして世界に絶望しながらこの話が終わった先も一人生きていくことになるのかと、想像すると何とも言えないものがあるとしみじみ。
他にも思うこといっぱいあるけど、きりが無いのでこの辺にしたいと思いますが、冒頭でも述べましたが、強烈な話でした。痛くておぞましい話でした。
星5つの内容だと思いますが、強烈すぎて他人には絶対勧めたくない本・・・ですね。
Posted by ブクログ
賛否両論あるかもですが、私は素晴らしい作品だと思う!!
性格のない主人公・如月空子が、周囲に合わせて「呼応」しながら生きていく様子と、愛玩動物の「ピョコルン」を巡る物語。
このディストピア、マージで、気持ち悪かったです。人間らしさがなくなった、(逆に言えば全人類が人間らしくなったとも言える。)混沌とした世界。
絶対受け入れられないけど、主人公の周囲と呼応しながら話をしたり、その場その場でキャラを変えたり、誰しもがしてる事。共感できる。そのほかの感覚も全て理解できるから気持ち悪い。
読まないとわからない感覚だと思います。
お勧めはしませんが、読んだら教えてください笑
Posted by ブクログ
奇妙で面白い。村田さんの作品はちょっとサイコパスみが強くて苦手だが、本作は共感しつつも面白おかしく思える部分が多い。上下巻の長編で話が進むとだんだん世界も主人公の内面もあたかも最初からそうだったかのように新しい価値観に移ろってしまうのがリアル。ピョコルンを忌み嫌っていた少女は最後は自らピョコルンになるとはね。モラハラパワハラ男性陣に読んでもらって感想を聞きたい。
Posted by ブクログ
ー誰かを疑う、気持ち悪いと思うなどという汚い感情は持ってはいけない。と何度も弁明する。でもあの頃、汚い言葉で虚勢を張りながら、その裏側で静かに手を繋いで、損壊した自分たちを少しずつ回復していた。「汚い言葉」は大嫌いだけど、あのときの自分には必要だったことを思い出す。
ー世界は粒子だと思う。いつの間にか吸い込んで、体の1部になっている。どこまでが私なのか、どれが世界に言わされている言葉で、どれが自分を存在させるために、世界に媚びた服装で、本当に自分から発生している自分なのか、わからないまま、まるで自分の確信が自分の内側に存在しているかのように笑い、視線を交わし言葉を交換する。
ー私が人間ロボットでなく人間であるとしたら、自分の本質を証明するものが、自分の内側に結晶のように存在するのだろうとどこかで考えていた。けれど、空虚こそ本質なのだった。私の中の空洞にこそ、私が人間であることの証明が、核心が、はっきりと宿っているのだった。
この小説は読むのが疲れる。人間の差別的な感情、悪い感情、怒りなどを、本当はあなたも感じてるでしょ?持ってるでしょ?
母親みたいに家事労働家電にならないように仕事してるんでしょ?海外の国に上と下があるのを感じてるでしょ?異性からの艶かしい目に毎日少しずつ犯されながら、避ける方法を身につけたでしょ?なんなら女であることを利用した事もあったでしょ?
社会の善悪なんて一瞬の雰囲気でパッと変わって、同調して、それをあなたはただフォローしてるだけでしょ?
などなど、ずっと問いかけてくる
この小説は紛れもなく女性が書いたもので、女性が想像する男性側の理論(あくまで想像)しか出てこない。だからずっと、ちょっと弱い女性から見た矛盾だらけの社会を提示されている。
最後までぶっ飛んでてやばかった。なんだこの世界観、、壮大な思考実験です。という帯はexcuseに見える。穏やかな記憶のみで穏やかに暮らせるように、最後は記憶を調合されるところで終わる。そうしたら穏やかで平和に暮らせる。悪い感情も持たずに、怒らずに悲しまずに。
つまり、悪い感情こそが、人間らしさなのではないか?ずる賢くて、何かを排除してまでコミュニティを維持し、円滑にすることが人間なのでは?
はーー全然2回読みたく無い小説です。でもすごいです。こんなの初めて。
多分心の奥底で感じながら、穏便に荒立てたく無い感情をいちいち呼び起こされるからだと思う。
友達には全然勧めないけど、読んでしまった人とは朝まで語りたい。
Posted by ブクログ
圧倒的に異質な思想を持ちながら、己の善悪や価値判断を疑わない(社会のために調整する程度)主人公の視点から、大衆="普通"の人間の狂気を捉えるのが毎度のことながらうますぎて感嘆
Posted by ブクログ
上巻から一気に年数が進み、まさかの白藤さんと一緒に暮らしており、しかも子どもまでいるという。
ピョコルンもより進化し、家電、お手伝いさん的な役割も果たす様になり、果ては妊娠出産まで行なっている世界。
大幅にアップデートされた世界だが、悪い意味での人間関係が濃縮された主人公周り。それにおいて負の感情は表に出すことも制限されてしまった世界ルール。
地獄の様だが自分がないからこそ、やり過ごせてる部分も大きいのだろう。
どんどん世界がフラットになっていくのは痛々しく、個性を失うと人は人ではなくなるのだと感じる作品。
Posted by ブクログ
世界観は、とんでもなく気味の悪いもので、読み続けるのが終始苦しかったが、ただ、どのように結末を迎えるのかが気になり、惹きつけられる本ではある。
決して好きではないが、凄い本だった。
Posted by ブクログ
すごい
他の人の感想にあるようにわたしも上巻の方がリアルな共感要素が多くて好きだったけど、下巻はもっと文化人類・儀式・宗教みが強くて若干ホラーだった
ミッドサマーみたい。みたことないけど
Posted by ブクログ
下巻に入ると、物語はさらに予想もしない方向へ進んでいきます。
この世界では何が正しくて、何が間違っているのか。
読みながら何度も考えさせられました
村田沙耶香作品らしく、登場人物たちの価値観はどこか理解できない。
個人的に特に印象に残ったのは、
「人の性格はコミュニティによって作られるのではないか」
という視点。
学校、職場、家族、友人関係。
所属する場所が変われば、自分の性格も少しずつ変わっていく。
そう考えると、本来の自分なんて存在せず、人は案外無個性なのかもしれない。
読んでいるうちに、そんなことまで考えてしまいました
Posted by ブクログ
上下巻、すぐ読み終わった。
すんなり読めて理解できる内容だった。
ただ上巻の方が世界の話が多くて好きな印象。下巻は大人びている。
鼻の穴ホワイトニングとやらが気になる。
穴なんだよね?頭じゃなくて?
毛穴綺麗になるとかそういうことじゃないよねきっと。
ピョコルンになりたくないし、
もし人間の時の記憶を保ったままになってしまったら、きつい。
Posted by ブクログ
ピョコルンの中身は人間だった、という衝撃的な終わり方をした上巻。その続きは、まず世界でリセットが起こる。リセット後はラロロリンキャリアとそうではないが裕福な恵まれている人、その下のかわいそうな人という区分になっていた。リセット後の世界では友愛婚が普通になり、空子と白藤さんも友愛婚ではないが波ちゃんも含め、一緒に暮らすこととなった。容姿の美しいピョコルンは広告に使われたり、値段が高かったりするが、これは現代のペットでもそうだし、芸能人も綺麗な人が多いのでリセット後でもルッキズムなんだなという印象。
まず、友愛婚について。性処理をピョコルンに担ってもらうってとこまではわかるが、そうなると人は恋愛をしないのかな、と感じた。恋愛の延長線には性的なものがあるかどうかはわからないが、それをなくすとなるとずっと一緒に生きていきたいとか一緒にいて楽しいとかが残ると思う。でも、それなら友達と同じなのかなとなった。友達とも一緒にいて楽しいと思う人もいるし、価値観さえ合えば一緒に暮らしていけるし。となると恋人というのは性行為をする友達という括りになるのかなと思った。そういう表現をするなら男女の友情は成り立たないというのが正しいのかなと感じた。また、リセット後の世界では怒りという感情はかわいそうな人しか持たないとされていて、怒ってる=恥ずかしいという方程式が成り立っていた。人を許せなかったり不満があったり、マイナスと見なす時に怒ると思うからそういうときに怒ってしまうのは器が小さいし、ある意味かわいそうだと言えるのかなと感じた。自分も気をつけよう。
その後、波ちゃんの希望でピョコルンを飼うことになるのだが、これがまあ出来の悪いやつで容姿はいいものの家事は二度手間だし、料理も美味しくないしという感じで。波ちゃんは友人のラロロリンキャリアの女の子と一緒に暮らしていくことを決め、その女の子がピョコルンに妊娠させ子供を産ませた。妊娠するぐらいの頃に空子はある縁からピョコルンの手術を受けれることになりピョコルンになったところでこの話は終わった。
作中に今まで母が夫に家族に尽くしていたように空子もピョコルンに尽くしているという表現が出てくる。家事ができると言っても完璧にはできないだろうし、完璧にできたところでとても高いお金がかかる。空子の場合お金もかかるし家事もやり直す必要があるから最悪のパターンだろう。これがまず1つ。
もう1つは空子がトレースと表現していた他人に呼応して求められている自分を演じること。リセットされて人々の立ち位置が変わったといえど、ラロロリンキャリアの人は優遇されているからみんなのために頑張りますという立ち位置、恵まれている人たちはそれには及ばないけど世の中に貢献して人の悪口は言いませんという立ち位置という風な求められるものができる。作中では媚びる祭りとあったが、ラロロリンキャリアの人たちもウエガイコクの人々には下手に出なければならない。誰もが誰かに媚びて認めてもらえなくても好意的な印象を抱いてもらえるようになってるんだと感じた。
この2つから言えることは世の中の構造は変われど本質は変わらないのではないかということ。
無駄な要素を取り除いて真理だけを持ってきた世界。これが世界99なのかなと思った。
下巻だけのことを挙げたが、上巻でもちょこちょこ同じようなことはあった。誰かをいじめていれば自分はいじめられずに済むし、生きている以上何かに尽くさなきゃいけないし、可愛いものや憧れの対象を真似るという行為は流行るし(白目を墨汁でみたいな)、誰かは誰かに媚びて、その媚びられている人もどこかで誰かに媚びている。上巻の最後の方で色んな世界の自分を俯瞰してる世界が世界99だという書かれ方がしていて、空子自身、あ、同じだと感じることが多々あった。だから登場人物が変わったり流行が変わったりしているだけで摂理的なものは不変なんだろうなと思う。
最後に。
ラロロリンキャリアの人が難解な話をしているときに空子が私は頭が良くないからわからないんですけど、という枕詞を使う場面がある。それに対して相手は怒りというか不満を抱いていた。現実でもそうだよなと思う。僕は男だから出産の痛みはわからないみたいな線引きはまだいいと思うが、頭が良くないからわからないは良くないなと。相手が頭が良かったり何かで秀でていることはその人が生まれつき持ってるものではないし後天的に自分の努力で手にしたものだと考えたい(一定の天才を除き)。それに対して頭が良くないからわからないという一言で線引きするのはその人にとってとても失礼に当たるんじゃないかと感じた。自分はそういうことをしないよう色んな知識や教養をつけていきたいと思った。相手と対等に話せるように。
Posted by ブクログ
4.0
下巻もずっと変な世界感ではあるが、パラレルワールドとして存在していそうな感じがして気持ち悪く楽しめた。
好みはかなり分かれるとは思うが上下巻通じて『世界99』を楽しめた。
グローバル化、効率化の究極の行き着く先な感じもしてくる所が気持ち悪いが共感してしまうところかと思った。
Posted by ブクログ
下巻では男と女以外の性の存在が現れることによって、今の私たちが考えられないような社会と変貌していく姿が描かれています。まるで異世界に来たような感覚です。こんな発想が出てくる村田沙耶香さんがすごい。進化したピョコルンに一度会ってみたい(笑)
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下巻はなかなか進まなかった。
「話は面白いんだけど進まない」という謎の感覚。
ジョージ・オーウェルの『1984年』を読んだ時に「考える自由」のありがたさを感じたが、この作品でもそれに近いことを感じた。
人と意見が違ってぶつかったり、嫌な感情を抱いたりすることは決して心地よいことではない。でも、それぞれが違う価値観を持っているからこそ、新しい考えや変化が生まれて世界は前に進んでいくんだと思う。
みんなが同じになってしまった最後の世界は、平和というより不気味さの方が強く残った。
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ピョコルンという存在と役割が作中でどんどん変わっていくのに合わせて、作中の世界もアップデートされていき、最後どうなってしまうのか予想がつかない展開だった。汚いものに蓋をしてクリーンなものに囲まれた世界。その歪さから時々溢れてくる醜悪さが毒になって気持ちが重くなった。
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下巻に入ると、物語は個人の話から世界そのものの変質へと跳ぶ。印象に残ったのは、「世界は粒子である」という価値観だ。輪郭のある「私」など幻で、実際には周囲の粒子と影響を及ぼし合いながら、その都度かたちを与えられているだけではないか。上巻の「呼応」が、ここで世界観のレベルにまで拡張される。
もう一つの軸が記憶の書き換えである。都合の悪い過去は汚れとして洗い流され、書き換えられる。記憶はどこに存在するのか、正しい記憶とは何か、そんなことを考えさせられる。
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』が国家の暴力として描いたものを、本作は善意と快適さの顔をして差し出してくるぶん、はるかに逃げ場がない。これぞまさに令和のディストピア小説と言えるだろう。
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ピョコルンか便利になって世の中に受け入れられても人間はまだ差別の対象にあった。ピョコルンと2人の人間と子供、という理想像を何度も見せられ徐々に受け入れ始めていたが、完璧にこなすことのできないピョコルンのそばには女性の姿があった。空子がそうだったようにいまだに他人に使われる姿が残っている。性的嗜好がピョコルンに移った世界で女性たちが警戒心を無くして行く様は人がいないと生きて行くことのできない蚕の暗示にも例えられる気がした。
ピョコルンとなった空子がベランダに立つ白藤さんのなかにもはや誰もしないような表情を見つける。それはやはり汚い感情だったのだろう。空子ピョコルンはこの表情をどう思ったのだろうか。彼女だったら、怖いといったマイナスな感情ではなく、珍しいなと感じたり、単純に記憶の調整を行わない白藤さんを疑問に思ったりするのだろうと思った。
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上下巻通して読んだが、どう消化していいのか未だに分からない。性や社会生活、選択といったテーマを感じるが何を主題として感じるのが正解?なのかよくわからない。ただいまの自分が感じたのは、“人格と性の消費”だった。女性はどんな世界になっても女性として消費されてしまう。作中ではピョコルンが女性の機能を担っても、性の対象として消費される。また人に合わせてキャラ変する主人公やそれぞれの世界に生きる人々も、人格を世界に合わせて調整して消費・経済活動を行っている。その世界で是とされる行動をする事で経済が回っていると考えると、人格ですら消費対象になっているな感じた。このようなことを考えたが、なぜここまでグロテスクな表現を終始続けたのかが腑に落ちなかった。