あらすじ
信じることの危うさと切実さに痺れる11篇
「なあ、俺と、新しくカルト始めない?」
好きな言葉は「原価いくら?」
現実こそが正しいのだと強く信じる、超・現実主義者の私が、
同級生から、カルト商法を始めようと誘われて――。
世界中の読者を熱狂させる、村田沙耶香の11の短篇+エッセイ。
表題作は2021年シャーリィ・ジャクスン賞(中編小説部門)候補作に選ばれました。
文庫化にあたり、短篇小説「無害ないきもの」「残雪」、エッセイ「いかり」を追加。
書き下ろしエッセイである「書かなかった日記――文庫版によせて」を巻末に収録。
〈収録作〉
「信仰」「生存」「土脉潤起」「彼らの惑星へ帰っていくこと」「カルチャーショック」「気持ちよさという罪」「書かなかった小説」「最後の展覧会」「無害ないきもの」「残雪」「いかり」
単行本 2022年6月 文藝春秋刊
文庫版 2025年5月 文春文庫刊
この電子書籍は文春文庫版を底本としています。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
コンビニ人間が好きだったので、書店で見かけて手に取ってみた。
近未来感のある設定を通して現代社会が描かれているところが面白く、刺さる作品だった。
Posted by ブクログ
村田沙耶香さんのエッセイの部分がめちゃおもしろかった。この人の幼少期からの人生、物事の捉え方にとても興味が湧いた。とても危うく、エキセントリックな感じがするけど、ごくありふれた人が持つ感性がそこにはあり、そのチグハグ感の理由が気になる。村田沙耶香さん自身をもっと知りたくなった
Posted by ブクログ
本書を読み終えてから少し経っているのだが、何だか凄いものを読んでしまったという感覚が消えない。
短めの短編小説の合間にエッセイをインサートしている珍しいタイプの作品で、小説のほうは相変わらず少し奇妙な世界線を生きる人々が描かれていてどれも面白い。これまでの作品に比べても文章が洗練されているように感じたのは気のせいだろうか。
しかし今回、読んでいて心を揺さぶられたのは実はエッセイのほう。
特にラストに収録された「いかり」は、作者の苦しみや心の叫びがこれでもかというほどこちらに伝わってきて、読後村田さんのことが本気で心配になった。
小説家は噓を描くのが商売というけれど、このエッセイに関しては創作の部分があるようにはどうしても思えなくて。編集者はしっかりフォローしてあげて欲しい。
Posted by ブクログ
最初に断っておくが、村田沙耶香は、言葉の出力において精密で丁重である。彼女程、適正に守れた言葉の出力を見たことがない。ただ私が読んだことがないだけなのかもしれないし、初の村田沙耶香がこの信仰であったのはよかったのかもしれないし、よくなかったのかもしれないが、断っておく。
言葉の出力において精密で丁重で適正に守られている。
だからこそ 一番最後の 書かなかった日記の中に記されている 『ねんりょ』については虫唾が走った。
はらわたが煮え繰り返るほどのいかりが私を襲った。理由は理解できた。 私にとって 死とは精神的に遠い存在であり物理的に近い存在であって
それは今この瞬間だからこそ。
元々私は心が弱く 並大抵と呼ばれることで心を崩した。死を選ぼうとは思わなかった。怖いものだし痛いものだったからだ。しかしそれは歳を重ねるにつれて違ったのだと確信した。私にとって死は近すぎたのだ。誰しもが死のうと思って死に至る 死を感じて、もしくは死に誘われて、コンマ数秒でも知覚する。ただし私は、少なくとも昔の私は死こそ自己であり一心同体であったのだ。
だからこそ私はそれを嫌った。それに打ち勝つべく鞭で心をぶっ叩きながら嘔吐を繰り返し、強い心を手に入れた。傷もつくし癒える時間もかかるが、
痛みに鈍くなり耐えうる魂を保つようになった。
だからこそ、一番最後の短編に怒り狂った。私はこの本で村田沙耶香を知った。そして彼女が時と場所を選び、視点も論点も複雑でそれを深く考え答えを導きだせる大人だと理解していた。
しかしそれだけのことだ。それだけの人間である
私にとって村田沙耶香は特別ではない。
私にとって伊坂幸太郎や村上春樹、ましてや村上龍ではなく、まだ最近の、ここ二十年で頭角を表した作家というだけの印象で死に対しての思い入れと著者を交互に見比べた際に感じる差異は無い。
村田沙耶香をもっと読んでおけばこの話はもっと違うのかもしれない。私はこの本を読んだことを深く後悔した。早かったのだ。この短編だけは読んではいけなかった。私にとってこの短編は深く刻まれる。怒りというものが いかり という本来存在していたのに迷子になった異分子がまた再び異なる形で顕現したこの瞬間のえぐみ。これは一生忘れない。
適正に査定された言葉だと思う。村田沙耶香の他の短編はものすごく深く興味深い。
しかし全て最後の短編を読んでいかりくるってしまいそのえぐみで何の味もしなくなった。
ありがとう村田沙耶香。書かなかった日記。
適切な表現であり名称だ。
しかし私なら、畏れ多いが、私が名づけるならばこの短編の名前は『読みたくなかった日記』
Posted by ブクログ
なあ、俺と、新しくカルト始めない?
というなんとも惹かれる帯文だけど、表題作含む9つの短編と3つのエッセイ。
短編はSF的なディストピアの世界を描いていて、重く心にのしかかる。考えさせられる。
どれも本当にクオリティが高い。
初出が最後にまとめられていて、海外からの執筆オファーがこれだけあるのかと驚きました。
Posted by ブクログ
何かを信仰する安堵、何かに縋っている安堵、それが自己のアイデンティティだと思っていることで自分の形が作られていくんだと思います。
人は1人では生きていけないっていうセリフがかなり綺麗事に聞こえてしまうけども、やはり何かを形作っているのは人間なのでみんな人との関わりは何かしらあるんだなと思いました。
Posted by ブクログ
短編小説・エッセイ集。小説パートは期待通りの村田沙耶香ワールド全開で最高。読むと頭がおかしくなりそうになる。自分の中の常識や前提が揺さぶられる。足場がぐらつく感覚が堪らない。一方エッセイでは著者に対する自分の捉え方が大きく誤っていたことに気づかされた。あの世界観はヘルシーな著者が嬉々として創り出しているのだと思い込んでいた。だが実際はむしろ生きるために書く作家なのだと知り衝撃を受けた。自分の浅い捉え方が恥ずかしい。いっそう村田沙耶香が好きになり、これからは彼女の小説をより真摯に読みたいと思うようになった。
Posted by ブクログ
何かにハマる心理状態を知りたい。
誰かを騙してでも稼ぎたい。
そんな悪意と興味がリンクする。
どんな話にもない独特な世界観の中で、
何かから必死に逃げ自分を守りたいそんな人達の悲痛の叫びが聞こえるようなお話だった。
信じるが故に、正常な判断を拒んでしまう怖さや
騙そうとするが故に、自分を過信してしまう怖さを痛感させられた。
Posted by ブクログ
以前コンビニ人間を学生の時に読み衝撃を受けたことを思い出しました。
どの作品もこれで終わってしまうのか。いやこれが良いのか。まだ感性が足りないのか。頭の中でぐるぐる考え巡らせたまま読み終えていきました。
Posted by ブクログ
世界で起こる出来事を、どのような視点で眺めるのか。あり得ない設定でありながらも、どこかリアルな一面が顔をのぞかせる。作者の違う一面が垣間見られた作品の数々。
Posted by ブクログ
「カルト作ろう」のお話が面白かった❣️みんな、自分の信じるモノには、お金を払うものだなあと思った。
細かいディテールの中ですが、鼻の穴を白くする美容とか、何十万円もする縄文風のディッシュとか、知らなかったよ、へええっ、そんなの流行ってるのって思って読みました。
Posted by ブクログ
長いこと感想を放置してしまったので細かいことは忘れたが、「信仰」が長編だと思って読みはじめたのにすぐ終わってしまい拍子抜けしたことと、SFチックな展覧会の話が好きだったことと、「クレイジーさやか」を受容してしまったことを後悔しているというような話が印象に残っている。
多様性を尊重することと、あの人は特殊だとレッテルを貼って差別することは、意外にも紙一重なんだと気付かされる。
Posted by ブクログ
なんでこんな世界が描けるんだとずっと思ってた、村田沙耶香さんの頭の中を少し覗けた気がした。
小説とエッセイが混じっていて、作者のことが書かれてることに気付かないなんて。すごい本だ。
Posted by ブクログ
短編集でした。
エッセイのように本人が登場する話もあって、「これはどこまでが現実でどこからがフィクションなんだろう?」と不思議な感覚になりました。
『世界99』に似た世界観の作品もいくつかあり、現実と非現実の境目がゆらぐような読後感。村田さんらしい“異世界のような日常”が堪能できました。
最後に、西加奈子さんと村田さんが友達だと知ってびっくり。
作風の違うお二人がつながっているのが意外で、なんだか嬉しかったです。
「なぜウクライナの戦争は日本で大きく報道されて、ほかの戦争はあまり取り上げられないのか。…白人だからじゃない?」という一文にはハッとしました。
日常の中に鋭い問いが潜んでいて、読後にじんわり考えさせられました。
Posted by ブクログ
こんなにこってりした内容の短篇&エッセイ集ははじめてだった。村田沙耶香という人の一部を垣間見ることができる作品。
世界99とコンビニ人間を読んで、すっかり村田沙耶香氏のファンになってしまった。とても気になる存在なのだが、小説家のインタビューやSNSを見るのは過去に苦い思い出があり避けている。そのため、作品を通してしかその作者の思想や発言にふれることができない。
そんな中で読んだこの作品。短篇では読んできた小説とリンクする世界観が様々な要素を尖らせて描かれていた。そして後半にかけて差し込まれていくエッセイ。この絶妙なマリアージュに拍手!
この人が描く「現代社会」の解像度の高さは、「社会とのズレ」をずっと自分事として捉え続けて考え続けてきたからなんじゃないかと勝手に解釈した。血の滲む創作活動だろうけど、産み出された作品を追いかけたいと思った。
Posted by ブクログ
表題作を読んでいると、誰でもいいから主人公を救ってあげてほしくなった。現実的なあまり、救われない人生というのは悲しい。まだまだ続きを読みたいところで終わってしまった。
「土脉潤起」もまだ読んでいたい作品だった。女友達と住む家と、野人になった姉がこの先どうなっていくのか。内容に反して終始穏やかな空気が漂っていて安心できた。
小説と随筆が混じり合っていることに最初は戸惑ったけれど、あまり神経質に区別して読む必要もないのかもしれないと思えてきて、(著者の中では明確に線引きがあるのだろうと思いつつも)描き出される複雑なマーブル模様を味わって読んだ。不思議とそれが心地よいものになっていった。
その文面からは誠実な正直さを感じている。
Posted by ブクログ
気持ちよさという罪、が1番好き
村田さんのエッセイを読むのは初めて
村田さんの物語の主人公たちは異質であることに自覚的で開き直っているというか、現実との接点に関してはそこまで思い悩んでいない感じがしていたから、彼女自身もそうかと思っていたが、村田さん自身は開き直ってあっけらかんというよりは、自分の感情や言葉に対してどこまでも誠実で、誤解されたり、良い感じのものという包装に包まれてしまったり、ズレたラベルを貼られてそれに自分すらも騙されたりするくらいなら、語られない方がまだまし、という風にとことん真摯に外的世界および内的感情に向き合っていると感じた
最後のエッセイ「いかり」の内容がかなり印象的。あたかも意志があるふうに声をあげているが、その説明をしないと、本当はもう言葉にすることを許容できる範囲内で言葉にできるものなんて全部吐き尽くしており、吐き尽くした後に残る胆汁の苦々しさしかないのに、その苦味の存在すら無かったことにされてしまう
言葉をあげないと聞いてもらえない、だが言葉にするとそこだけが目につく。だから言葉にするものなんてもうないけど言葉を使っている、という説明をしないとスライムのように唾液に包まれた胆汁の存在は人の目にもつかない
言語化にまつわる苦悩に共鳴するところが多々あった
どうせ正しさなどわからないのだったら人を責めるより自分を裁くタイプであるというのも同感
自分を責めるというのは他責の対局なようでいて、ただ行き場のない感情の行きどころを探す方法が異なるだけでしかないのだと思う
信仰:
ブランド物やエステなど原価と値段のギャップが激しいものとマルチや宗教の違いはなんなのか
両者とも原価に見合わないものを要求してそこを埋め合わせするかのように買い手に満足感や高揚感をもたらすのは同じとして、売り手が何を語るかとどれだけの人が洗脳されているかでインチキ度合いが変わってくる気がする
ブランドものは、あなたの病気を治します、あなたの生活を幸福にします、などという効能をはっきりと明示して伝えることはしない(生活を豊かにします、ぐらいのやんわりとした効能は表に出すが、信仰者の膨大な数とその宗教としての絶大な立ち位置ゆえに、原価と値段のギャップを正当化するような言い訳の必要すらない。売り手側が主張せずとも、購買側は、選ばれたものである、といった高揚感が得られる)。一方でその辺のカルトやマルチは新興のものが多く、自らをアピールする必要があるため、何かしらの効能(もっともらしく聞こえる具体性を帯びたもの)を語る必要があり、その過剰な語りがインチキっぽさを増してしまう。多くを語らず当たり前のように高価な値札を身につけ堂々としていると、あとは信仰者の存在がなんとかしてくれる、こういうシステムな気がする。そのためには最初一定数の信者を得るために難渋するかもしれないが、一回地位を得て仕舞えば、あとは、まつりたててくれる人の存在と堂々とした立ち居振る舞いさえあればカルトぽさを帯びることなく存在していくのでは。そう考えると最初に膨大なサクラさえいれば、十分な気すらしてくる。
原価についても地動説同様そういう知識(ただのプラスチックだからいくらくらいなど)があるだけで、自分で確認(体験的に検証)できるわけではない。つまり、市場において原価という絶対的なものがベースにあるというのは疑いようもない事実に思えるが、それは自ら確認することができない、まだ刷新される必要がないからその正当性を保証されたままでいる世界像のようなものでしかないかもしれなくて。そう考えると日常的な市場はすべて信仰でできているような感覚になる。その中で原価にしがみついてしまう主人公も信仰者の1人だという気はしてくる。「10万円返せ!」と「これで前世を償える!」は同レベルのことに過ぎないのかもしれない。
生存:
生存率を上げてどこに辿り着くのか?
いつかこうなりたいという期待と願望により栄養を補給しながら生き続けている私たちは、いつかと思い続けているうちは、そのいつかにはたどり着けないのに、何を目的に生きているのだろう、いつかに支配されている、と思っていた(数年前の方がその傾向強かったけど)ので、生存率も「いつか」に似たようなものかもしれないと思いながら読んだ
「いつか」は、どうせ辿り着けないという諦観が混じると純粋な信仰になれないし、未知のものに対する想像力(正体不明なものにたいして過剰に想像力を働かせて恐怖を自己肥大させるのの反対)が膨大すぎても現実が到達しそうなところとのギャップで悲愴なものになりうる(前提として救済が存在しない信仰)、絶妙な塩梅に保つのは難しいが、その意義も根拠も深くは追わないことで感覚でバランス調整をして生きてる
生来伴っている生存tips
彼らの惑星へ帰っていくこと:
私自身宇宙船にのったり宇宙人に出会ったりしているわけではないが、自分を異質に感じて慰めを得られる内的世界に没入することが、現実逃避(直されるべきこと)と捉えられたら、という恐怖は馴染み深い
しかるべき時に社会と接続する努力を最低限できているのなら放っておいてほしい(そして実際面と向かって責められてもいない)
だが、誰に責められているわけでもないのに(この主人公とはこの点で違うかもしれないが)この精神世界への没入および世間との距離の取り方は、私の異質性に問題があるのではなく、みんなが努力して乗り越えたり成熟して敢えて蓋をしている部分に過剰にこだわる私の精神的幼さが原因なだけではないかという呵責にも苛まれる
ただその不安を放棄して現実世界との接点をお出掛けぐらいのラフな感じで捉えられたら、新鮮な世界としてもっと味わい深いものになるのではないかというポジティブな感情で締めくくられるようなラストだった
カルチャーショック:
均一な方が好き。全てが均一なら独自性とかアイデンティティとか本質とか存在しないかもしれないものを見つけようとしたり身につけようとしたりする必要性な迫られることもないから。
気持ちよさという罪
「当時の私は、「個性」とは、「大人たちにとって気持ちがいい、想像がつく範囲の、ちょうどいい、素敵な特徴を見せてください!」という意味の言葉なのだな、と思った。」
「「(大人が喜ぶ、きちんと上手に『人間』ができる人のプラスアルファとしての、ちょうどいい)個性」という言葉のなんだか恐ろしい、薄気味の悪い印象」
多様性や個性なんていう言葉の調子の良さ
本当は理解や解釈可能な範囲内でのズレ、つまり本物の外れ値ではなく中庸の範囲内の端点を期待しているだけなのに、あらゆるものを許容しているかのような寛容さを出してきて、その態度に自らも騙されているようなご都合主義には不快感がある。
実際に存在している定義と、言葉の使用者の態度とのずれを認識した上で、その使用のもたらす気持ちよさも含めて多様性という言葉の意味するところなんだと広義で受け入れるしかないと思う
「私はとても愚かなので、そういう、なんとなく良さそうで気持ちがいいものに、すぐに呑み込まれてしまう。だから、「自分にとって気持ちがいい多様性」が怖い。「自分にとって気持ちが悪い多様性」が何なのか、ちゃんと自分の中で克明に言語化されて辿り着くまで、その言葉を使って快楽に浸るのが怖い。」
この村田さんの発言がとにかく好き
言葉に対するこだわりが強いことで劣等感をおぼえることが多いが、執拗なまでのこだわりが誠実さを帯びている彼女の発言に安心させられる
世界に存在する言葉の数が少なすぎる。言葉を増やすか、その言葉が使われている背景や細かい事情含めて再定義するか、なんとかして欲しい。
「どうか、もっと私がついていけないくらい、私があまりの気持ち悪さに吐き気を催すくらい、世界の多様化が進んでいきますように。」この言葉からは、断片的なものの社会学の中にあった、異性の服装をした自身の写真をブログの中に何の説明もなく混ぜ込んでいるブロガーの話を思い出した
ラベルをつける、名前をつけるという行為すら存在しないくらい全てが等価に混じり合った世界が来るようにと祈りながら、許容範囲内での異端を個性という名で慈しみ、快感を得るような言葉の使い方を自身も自然としてしまう。人間のそういう性質を毛嫌いしつつ、自分にその性質が深く根付いていることもわかっているので、アホな自分に失望しながらあほでいるしかないと思っている
Posted by ブクログ
面白くて読みやすくて、
時間も取れたので
久しぶりに3日ぐらいで読み終わった。
表題作は素晴らしくて、「現実=陶酔する信仰」
という考え方にはガツンと食らった気分。
ラストのオチもかなりキマッていて好き。
生存や書かなかった小説では世の中に対しての
付き合い方が好きだった。
こういう気持ちで無理がなく生きていきたいと思った。
これまでの作品の中でもかなり好きかも。
しかし本作は急に差し込まれる著者のエッセイがあり
それが非常に読みづらかった。
不思議な構成で、村田さんってこういう人なんだと
わかった部分はよかったが、別に要らなかったかなとも思った。
Posted by ブクログ
この作家さんのお話には常人の考え得ないような、非凡なものを感じます。
短編集なので、面白いと思った話と今ひとつのれない話があったように思いました。
Posted by ブクログ
「気持ちよさという罪」の中の「「自分にとって気持ちがいい多様性」が怖い。」という一文がずんと心の中に残っている。多様性という言葉を使う時、なんだかその言葉を使っている自分がえらいような、いい人なような気がしている。自分が気持ちよくなるためだけにこの言葉を発している気がしてならない。本当の多様性は多様性という言葉がなくなった時に完成するものなのかもと思ってしまった。
Posted by ブクログ
長編よりも読むのに体力と気力を使った。村田沙耶香さんを初めて、もしくは2作目とかに読む人にはオススメしない。
個人的には表題の「信仰」よりも「書かなかった小説」が印象に残った。これは長編で読みたい。
Posted by ブクログ
小説の中に 感情がぎゅっっっと
濃縮されている!!
村田沙耶香さんの表現って 本当にすごい!!
世の中の当たり前に疑問を投げかけ…
私たちが感じる五感の水平線の遠くの彼方で
村田さんはひたすらにペンを走らせている姿を
想像してしまう!
村田さんの独特な感性が好きだな…
宗教や生きる概念など 答えの出ないものに
抗えば抗うほど…村田さんの言葉は
生き生きとし始める!
これからも村田沙耶香さんの小説を
追いかけていきたい!
Posted by ブクログ
これは安全な場所から異物をキャラクター化して安心するという形の、受容に見せかけたラベリングであり、排除なのだ、と気付いた。そして、自分がそれを多様性と勘違いして広めた事にも。 彼女達はモノガミー(単婚)のようだし 仄暗い執着があり 私は布団の上で蹲ってずっと祈り続けていたのです
Posted by ブクログ
信仰が長編だと思って購入したらエッセイと小説混ぜこぜの短編集だった。笑。
信仰はカルトを描いた話で面白くてすぐ終わった。無害なきものがおどろしく気持ち悪い。
世界99知ってるからアレだけどまぁこの君悪さの世界観は流石でした。エッセイは初読みだったけどやはり一風変わった方なんだと思ってしまった笑笑。
Posted by ブクログ
小説とエッセイが混ぜこぜになった短編集。
エッセイは初めて読んだけれど、エッセイ「気持ちよさという罪」がよかった。村田さんの背景がよくわかる。
”これは安全な場所から異物をキャラクター化して安心するという形の、受容に見せかけたラベリングであり、排除なのだ、と気が付いた。そして、自分がそれを多様性と勘違いをして広めたことにも。”
Posted by ブクログ
10万返せ!
笑った。
色んな短編があり、村田沙耶香さん自身の話もあり。
毎日戦っているんですね。
だからそういう物語が書けるんだ。
素晴らしい人。
みんなに必要とされてる人。
あと、鼻の穴のホワイトニングやトレースは、もうこの頃からあったんだ。
世界99の後に読んだから、フフフと笑みがこぼれました。
Posted by ブクログ
短編集なので、ライトに味わえるかな?と購入したのですが、短い分だけ深く険しい村田さんワールドでした。ここまで別世界を描けるのはすごいです。1ページずつ、殴られながら読み進む感じでした。
Posted by ブクログ
星新一みたいな世界観もありつつで
読んでて楽しかった。
何個かのお話があるので意味がわからないのもあったのが村田さんらしくてよかった。村田さんの頭の中覗かないとわからない笑