池内了のレビュー一覧
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文系人間にも必要な科学的視点
2021年中学・高校入試での頻出本。私たちの生活は多くの科学技術に囲まれながらも、科学に対してあまりにも無頓着であることに気付かされる。筆者は「お任せ民主主義」と呼び警鐘を鳴らす。難しいことは専門家に任せ、素直に従っていれば間違いないだろうと、自分で考えることをしなくなっている。一人一人が見識や判断力を養い、私情を挟まず議論や分析を行うことこそ、科学的であるという。原子炉やGPS、インターネット、ドローンなど科学技術の多くが軍事兵器開発からの転用というのは残念だが、どう使うかは我々人間にかかっているのだ。
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ネタバレ池内了氏編集による寺田寅彦のエッセイ集。
岩波少年文庫なので対象の読者は青少年だろうと思うが、もともとは一般読者向けに書かれたエッセイを編集したものであるので、誰が読んでも面白い。
著名な物理学者である編者・池内了氏もまた、寅彦のエッセイを読んで育ち、間違いなく影響を受けて日本を代表する物理学者となった。その影響を与えた側の寅彦もまた、第五高等学校時代に数学と物理学を教える田丸卓郎先生との出会いで、進路を物理学に変更したようである。
そしてまた第五高等学校といえば、かの夏目漱石(金之助)先生との出会いもあり、文学(特に俳句)について語り合う仲となったとのこと。漱石の「吾輩は猫である」に登場する水島寒月は、寺田寅彦がモデルだということなので、それを意識しながら「猫」を読んでみるのもよいかもしれない。
本書のまえがき部で池内氏が書いているように、寅彦のエッセイの特徴は「見る、聞く、匂う、触る、のような人間の五感を大事にしている。日常生活での体験を材料に、科学の方法でそれらを考えようという態度が一貫している」のである。従って、本書も全くその通りの内容だ。
本書は5つのパートに分かれているがその区分の理由は理解できなかった。ただ、その扉に寅彦の描いた絵が載せてあり、これが心和ませてくれる。本書の表紙の絵も同様、自然との接点を感じさせてくれる絵だ。
本書トップのエッセイは、「瀬戸内海の潮と潮流」ということで、瀬戸内海の干潮・満潮時間が非常に複雑であるという話だった。これを読んで、最近の地震の頻発や南海トラフ地震の発生確率などから、この地方の防災は大丈夫なのだろうかという不安がよぎった。
というのも寺田寅彦氏は地震研究でも権威であり、本書にも収められている「津浪と人間」にも、地震学者としての鋭い視点を記している。
「昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津波が襲来して、沿岸の小都市村落を片はしからなぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起こったいわゆる「三陸大津浪」とはほぼ同様の自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰り返されたのである。」(=昭和八年五月執筆)
この随筆に記されている「人間の忘却の愚」が、また先般の東日本大震災で繰り返されてしまった。このような寅彦の冷静な指摘と警鐘の文言が残されていたにも関わらず。
寅彦氏なら、瀬戸内海の潮の干満との関係から南海トラフ地震をどのようにとらえるのだろうか?
このように生活に密着する大きな視点の事柄から、簡単には見過ごしてしまうような身の回りの小さな現象にまで、寅彦氏の視点は鋭い。
お茶の湯気から、モンスーンの偏西風に発想が展開する。昆虫や植物など、自然観察から様々なことを考える好奇心も、もともと科学者の資質を備えていたようにも思える。
みのむし。自身も子どものころはよく見かけたが、最近では見かけなくなった。この随筆執筆の昭和一桁のころは、庭先には必ずみのむしがぶら下がっていたのだろう。
みのむしの漢字表記に「木螺(ぼくら)」というのがあって、木の田螺(タニシ)」と発想を飛ばす。そして漱石に鍛えられた俳句に「蓑虫鳴く」という季語があることを思い出し、さらにはその語源を「歳時記」で調べ清少納言にまで行きつく。
あるいは蓑虫をたくさん取って袋を割いてみたり、袋を観察して穴があることを発見し、天敵の蜘蛛が穴をあけて蓑虫の体液を吸い取るとことを観察してみたり、その蜘蛛もまた天敵の蜂の幼虫に食われたりと食物連鎖や自然の摂理の成り立ちへとぐるぐる発想が飛んでいくのである。
「自然は無尽蔵というが、これは物がたくさんあるというだけの意味ではない。一本の草、一塊の石でも細かに観察し研究すれば、数限りない知識の泉になる」という。自然に学ぼうという意識が無尽蔵のように思える。
また、自然に対して謙虚でもある。寅彦曰く。
「人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前におろかなる赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって初めて科学者にはなれるのである。」 -
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ネタバレ科学と人間の不協和音
著者 池内 了
2012年1月10日 発行
角川書店
同じ著者の本「科学の限界」(ちくま新書)は2012年11月10日発行、この本は2012年1月10日発行。内容的に重なる部分もある。
理性の時代である19世紀は、科学者がサイエンテイストと呼ばれ、公的資金(基本的には税金)によって雇用されるようになって、科学者の顔は市民に向かっていった。20世紀に入って科学と技術が密接に結びつくようになると、社会における科学者の役割も変化。まず戦争の時代となって、科学者は愛国者になることを迫られた。二つの戦争の時代が終わると、今度は市場主義が幅を利かせることになった。今日のそんな状況下で、科学は、科学者はいかにあるべきかについて考える本。結論は「文化のための科学」の復権だと主張する。
以下、印象に残ったこと。
電子レンジは、第二次世界大戦のときに敵機の姿を捕捉するためのレーダー開発の際、技術者のポケットに入れておいたチョコレートがレーダーの発するマイクロ波で加熱されてグニャグニャになっていたことが研究の発端らしい。
軍事研究の産物。ナイロン、ソナー、レーダー、電子レンジ、コンピューター、インターネット、ロケット、ディーゼルエンジン、原発、スプレー(南方での虫除け)、冷凍食品(戦場での食糧調達)、ボールペン(移動中でも書ける)など。
アメリカではID説「インテリジエン卜・デザイン(ID)説」が強力で、神が進化の仕方をデザインしたと考え、ダーウィンの進化論を信じない人の割合は現在でも50パーセントを超えている。
遺伝子改変の農産物に関する安全線の根拠。新たに組み入れた遺伝子が作り出す物質が通常の作物と同様に(人工胃液の実験で)分解されることから、実質的に同じと判断して安全とされる。
東日本大震災においてトリアージが行われた。一気に多数の患者が病院に運び込まれたが、患者を診て、確実な死が間近である者や、手の施しようがなく治療対象ではない者には黒のリボンを付け、治療行為をしなかったのである。
「世界初」は麻薬と似ていて、一回でも味わうと止められなくなる。マンハッタン計画の場合、世界最初の核分裂反応の連鎖反応を実現するとあれば、それがいかなる厄災を及ぼすかについていっさい考えず、ひたすら成功に向けて努力した。「世界初」は止められないのだ。科学者は鍵が無くなった箱を開けようとする錠前屋に似ている。錠前屋は、鍵を開けることに挑戦し始めると、その箱から何が飛び出すか気にせず、ただひたすら箱を開けることのみに熱中する。そこから怪物や悪疫が飛び出して来ても、「最後には希望が残っている」と言い、「私がやらなくても、いずれ誰かがやるのだから」と居直る。
アカデミック・キャピタリズムが進行。日本でも、国立大学の法人化前後に特許の取得と一体化して大学の起業が行われ、1000社を超えるベンチャー企業が。5年以上経過したが、成功例は少ない。経営には素人の大学教員が商業化に手を出すのが間違いであったと言えそうである。
(大阪府や大阪市の莫大な借金は、役人が素人のくせしてビジネスマンごっこをし、大型開発をした結果。公共の土地は二束三文で巻き上げられ、おまけに借金まで支払わされていることを読んでいて彷彿とした) -
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物理学が神との闘いであったことを、無神論者であると自称する著者がここまで熱心に主張することに非常に興味を感じた。アインシュタインが定常宇宙を主張した誤りが宇宙の永遠性を主張することから来たと言いながら、ホイルが揶揄するために使った用語である「ビッグバン」の理論が逆に聖書の記載通りであることを証明してしまったということは、無神論者でも興味深かったのだと思う。最初にトマス・アクィナスが聖書を字句通りに解釈することから解き放つことにより、アリストテレスの天動説から教会を自由にしたにもかかわらず、ガリレイ時代の教会はそれを忘れていた!という皮肉も面白い。そして教会の中から神に一番近いコペルニクスが地動説を唱えた。それは神が造った宇宙は複雑であるはずがないとの信念から導きだされたそうだ。無限の恒星が輝いているはずの夜がなぜ暗いのかという謎の解明までが登場し、非常に楽しい読み物でもあった。
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筆者は、科学に依拠する部分が多い時代だからこそ、科学がからむ問題に対して適切な決断ができるよう、科学(的な考え方や手法)の特性ゆえの限界や負の側面を知ることが大切とし、本書でそれらについて説明しています。
・科学では、現象のうち、調べたい事柄だけにしぼって問題を単純化した上で法則を導き出す方法(要素還元主義)をとってきた
・もちろんそれで解明が進んだ部分も多いが、それだけに、現実には、科学だけでは解けない問題もあり、それをトランスサイエンス問題と呼ぶ
・特に個人の特性に関わるようなことについては、科学では統計をとって確率としてしか結論をだせないことがある
・しかし現実には選択が必要なことも多いため、リスクの評価(許容可能なリスクの範囲を便宜的に決める)などの対応が必要。
研究データの保存公開の重要性にもふれられていました。 -
Posted by ブクログ
若い人達への科学啓蒙書。現在の文明社会を生きるには、科学的な見方・考え方を日頃から鍛える必要がある。様々な事象に対し科学的な考え方があれば、より良く生きることができるはずと言う。
自分が若い頃は、好き嫌いは別として科学的な考え方を持つこと、勉強することは当然の事と思っていたが、こういう本が若い人向けに刊行されるということは、科学嫌いの子供達が増えているのかもしれない。様々な情報が氾濫して、メディアで流される情報が必ずしも正しいとは限らない。情報を鵜呑みにして失敗する人も多い。だからこそ科学的な見方を鍛える必要があるのだろう。でもそういう観点で読むと、著者がこの本に書いたことも多少見方が分かれるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
前半の1~3章はこれまでの知識を確認する形で目を通したが、第4章で議論している「安全保障技術研究推進制度」は重要な考察だと感じた.現役時代に多少の接触があった経験からすると、成果の公開について非常にハードルが高いと考える.p156での議論は小生の疑念をほぼクリアしていると感じた.科学者にとって情報の公開を制限されることは、手足をもがれた状態に置かれることで、非常に考えておく必要のある事項だ.この点に関しては米軍のスタンスとの比較が欲しかった.というのは、米国の科学者はかなり機密に属する事項も、データを無次元化する等のテクニックで、公開している.原爆に関する資料もかなり部分が公開されている.防衛省が保有している技術的な資料を公開するステップは未だ整っていないのではないか.この当たりの議論も加えてほしかった.