池内了のレビュー一覧
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疑似科学を通して科学的方法について論じるような内容になっている。「入門」が付いているのは、全体を概観したものだからのようだ。
第1章では、第一種疑似科学として占い、超能力、疑似宗教を取り上げる。これらの背景にある人間の認知に関するエラーやバイアスを説明している部分はわかりやすく整理されている。その上で、「疑似科学は関連性の錯誤を期待して網を張っていると言える」とまとめているのは腑に落ちる。
第2章では、第二種疑似科学として科学の悪用・乱用を取り上げ、アルカリイオン水などの水ビジネス、磁気ネックレスなどの磁力、ゲルマニウム、ホメオパシー、マイナスイオン、アガリスクなどをやり玉にあげている。手法として、科学用語の濫用、権威づけ(学者、特許、認可、御用達)、現象のみの宣伝(体験例)、統計の悪用、相関関係を因果関係とする誤用がある。横田めぐみさんのものとされる遺骨のDNA鑑定についても、政治が関与した疑似科学であるとしている。
第4章では複雑系として環境問題や医学、地震などを取り上げる。著者は、CO2温暖化論やリサイクルの否定派に対して、肯定派の間違いや盲点をつく「巧みな戦術」をとっているという。2章までの説明を踏まえて考えると、肯定派と否定派に分かれる背景には、複雑系という難しい問題とともに、それぞれの論者が特定の仮説に合う事例のみで判断する「肯定性のバイアス」に陥っている面もあるのではないかとも思えてくる。著者は、否定論に立った全否定や全廃論は生産的でないと論じ、こうした複雑系の問題に対しては蓋然性の高い警告と受け取り、予防措置原則で対応することを提案している。
「人間が行う行為は有限であり、100%安全なものを作ろうとすればコストが無限にかかってしまうから安全は証明できない。リスク評価が破たんした時に使われる常套句は『想定外』である」のくだりは、原発事故の後の事業者の対応を正に言い当てる結果になってしまった。
医学や環境問題などの複雑系を疑似科学として含めることが妥当かどうかについては、にわかには賛同できないが、同じまな板に載せた著者の試みは、科学論の議論としては成功していると思う。
・宗教は、人間の精神世界の事象のみに特化していることに存在意義があり、物質世界を扱う科学と両立できる。祈りや願いが個人のレベルで閉じており、自己の確立が究極の目的。心のゆらぎを小さくし、未来への不安感を軽減することにより、生きる勇気を培って人生の励ましとなるのが役割。
知覚エラー
・文脈効果:自分が知っているものにあてはまると、それ以外は意識に入ってこなくなる
・見たいと思っているように見る、嫌なものや脅威は無視する
・知覚的防衛:タブー語や蔑視の言葉は覚えにくい、利益のあるものは大きく見える
記憶エラー
・命名効果:命名することによって記憶を強化して、それしか思い出せなくなる
・思いこみ効果:組み合わせで記憶が成立していると、欠けていてもあるように思いこむ
・誘導効果:事後に見聞きした情報を、自ら体験したように思い出す
思考バイアス
・確証バイアス:特定の仮説しか思い浮かべない
・関連性の錯誤(相関の錯覚):続けて起きた目立つ事柄を結びつけて考える→迷信、ジンクス、偏見
・肯定性のバイアス:特定の仮説に合う事例のみで判断する→関連性の錯誤を信じ込む
判断エラー
・平均への回帰:少数サンプルで判断する→二年目のジンクス
共通する心理作用
・認知的節約の原理:限られた情報から効率よく処理しようとする
・認知的保守性(一貫性)の原理:すでに持っているスキーマを維持しようとする
・主観的確証の原理:自分の予期を支持していると勝手に解釈する→セクハラ、冤罪
・ホーソン効果:調査の通達をすることによって、すぐれた結果が出てくる
健康食品
・特定保健用食品:厚労省の許可が必要
・栄養機能食品:ビタミン類、ミネラル類
・健康食品:民間の協会が衛生状態が基準に合格したことを認めたもの。効能・効果は認められていない
・栄養補助食品:健康食品をカプセルなどの形態を指すことが多い -
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科学と現代社会の危うい関係について、「産業」「軍事」「宗教」などの観点から考察している本。著者自身も一流の物理学者であり、一種の自己批判として書かれているだけに迫力がある。また、疑似科学(エセ科学)と長年戦ってきている人だけに、「科学が世間からどのように見られているか」についての嗅覚は非常に鋭いと感じる。
まあ、私はすでに産業界に取り込まれた側の人間なので(笑)、半分は他人事といった感じで読んだのであるが、科学技術史を丹念に紐解きながら論を進める姿勢には好感をもった。あと、私が昔から抱いていた「科学者や技術者の最大のメリットは徴兵免除である」という直観は、歴史的にも完璧に正しかったことが分かって嬉しい。兵隊として戦争に巻き込まれるというリスクが、平和憲法によって無効化するなんてありえないんだから。 -
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今年になって寺田寅彦さんの名前や電車の法則などのエッセイの話を続けて目にする機会があり、いままで読んだことがなかったのでまず岩波少年文庫で読んでみた。
短編のエッセーなので、読みやすく、話題もとても面白かった。
なかに「津波と人間」という話があった。昭和8年3月3日の東北日本の太平洋岸の津波で沿岸小都市村落が多数の被害にあった話である。明治29年の三陸大津波から37年で人々の記憶はたちまちうすれ、同じような被害が繰り返される。
その10年前に関東大震災を寺田寅彦も経験しているが、関東でも安政(1854~1860)の地震の経験は残っていなかったからこそ、また被害を受けたのだと書いている。
そして78年経った今年また同じ地震と津波が襲いこんなにも大きな被害がでてしまった。
これを読むと地震は100年に1度などではなく、もっと頻繁におこっているのに、人間が生きている間の10年くらいで、すっかり過去になってしまうように思える。
彼は後半地球物理学へ興味を移し、地震・火山・海洋・気象などについての研究をもとに、自然災害の多い日本の防災のために、数々の提言を行ったそうです。
そういうことも含めて災害の経験もなかなか伝わっていかないということを、人間の自然現象で終わらせてはいけないのだと思う。 -
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小学歴史漫画の江戸時代の絵に振り袖のお嬢さん、丁稚坊や、職人さん、武士や町人がみんな算盤を持って和算の問題を解いている姿がありました。
ヨーロッパの数学は、一部の階級の男子がするものでした。
日本では江戸時代和算好きな農民は昼間働いて夜ワイワイ集まって問題を解いて、解けたら神社に算額を掲げてと。
江戸時代の人々は、なんて自由で好奇心にあふれていたんだろう!
と感激しました。
小学生にこの素晴らしさが伝わると良いなあ~。
と思っていました。
すると、江戸の「科学」の本書が。
そこは池内了氏の真面目おかしいクスクスしながらへぇーと感心してと。
忘れては読み返しを繰り返して
楽しみたい本です。
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ネタバレふだん着の寺田寅彦
著者:池内了
発行:202年5月20日
平凡社
日経新聞朝刊の連載小説は夏目漱石を描いた「ミチクサ先生」(伊集院静著)だが、数日前から熊本の五校時代の寺田寅彦が登場し、俳句で弟子入りした夏目漱石先生とのやりとりが始まっている。寺田はその後帝大へ進学し、日本の物理学者として歴史上の人物にもなった。随筆家としても有名。そんな寺田寅彦について、手紙などの資料から素顔を分析しているのがこの本。著者の池内了氏も、二つの国立大学の名誉教授でもある有名な物理学者にして、文章の達人でもある。お兄さんは昨年他界したドイツ文学者の池内紀氏。
1878(明治11)年生まれの寺田寅彦は、1935(昭和10)年、50代で死んでいるが、まず1919年に胃潰瘍で吐血し、長年の慢性化により胃がんになり、頭蓋骨は脊椎骨、肋骨、骨盤とうに転移し、「転移性骨腫瘍」で命を落としたと医師はみたてている。3度、病床に伏せって苦しんだが、最後まで甘い物、コーヒー、煙草がやめられなかった。医師から控えるように進められても、例えば、「煙草の味を感じるのは、舌や口蓋や鼻腔粘膜などよりも、もっと奥の方の咽喉の感覚で、謂わば煙覚とでも名づくべきもののような気がする」「人間は煙草意外にいろいろな煙を作る動物であって、これが他のあらゆる動物と人間とを区別する目標になる」と屁理屈を言ってはやめなかったらしい。
医学も医師もあてにならない、と公言しての医師嫌いがたたった面もあった。当時、日本では物理学に比べてまだまだ医学は遅れていたらしいが、がんを本人告知しない時代だったが、医学を信頼していなかったのか、本当のことを知りたくなかったのか、真相は謎の部分もあるようだ。なお、はじめは夏目漱石の主治医である尼子医師に診てもらっていたようだ。
妻とは2度の死別を経験し、3人の妻との間に5人の子供がいたが、子供にはとても心配をし、あれはだめ、これはだめ、男は、女は、という普段とは矛盾するダブルスタンダードがあったそうだ。
ゴリゴリの物理学者の人間くささには、微笑ましい点も多々あった。
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「ねえ君、不思議だと思いませんか?」という彼のおなじみの問いかけは、彼の新しい物好き=先見性の現れであると言えるのではないか。
池内了氏は、寺田のがんと放射能との因果関係についてはまるきり荒唐無稽でもないと考えている。寺田は医療機関で使わなくなったレントゲンをもらってきて改良し、X線回折実験を行った。当時、X線と健康に関することはまだあまり分かっておらず、その因果関係は否定しきれないれないという。
天皇崇拝や家父長制、女性差別に関しては何らの疑いも持たなかったし、生粋の愛国者であり、ナショナリストだった。彼がリベラリストであったのは科学や防災に関わる分野だった。
ただし、反戦ではなかったが、積極的には戦わない「非戦」ではあった。