【感想・ネタバレ】科学の限界のレビュー

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Posted by ブクログ

 東日本大震災に伴う福島原発の事故で、その「安全神話」、科学至上主義の限界について国民は目覚めさせられた。すべての問題はは科学によって解明、解決できるとの思い込みはなかったか。現在のように、高度、微細、数学的に発展している科学・高額が、その内容からして情報の保有、広報が限定される。市民全体で共有、支えられるべき科学が、そうなっていない現状をどうみるのか。科学の本来のあるべき姿、それを取り戻すにはどうすれば良いのか。「科学とは」の本質を改めて問いかける。いまこそ読まなければならない書物である。

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2013年02月19日

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ネタバレ

科学者は追試実験を好まない。先を越された実験を繰り返すよりその結果を受け入れて次のステップに進むほうが効率的だから
科学の商業化の風潮が強まるにつれて科学者が社会に迎合する方向になびいている
商業化という社会の制限が入ると費用対効果を指標にしてある一つの方式に固定されてしまう。科学の多様性が取捨されてしまう
科学に内在する法則によって物質の質量や密度は限られた範囲しか存在できない。下は不確定性原理、上はブラックホール条件
事前確率は模擬実験にすぎず信頼できるかどうか不明
事後確率は原因の分析がなくそのまま未来まで適用できるか不明

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2016年07月24日

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科学に関する考察が素晴らしい.原子力ムラの問題点を的確に洗い出しているが、出てきた問題点を解決するための方策についてはまだ不十分な感じだ.だた最後の章での「文化としての科学」や「等身大の科学」は共感できる部分が多く、著者の科学に対する深い理解力の一端を垣間見た感じだ.

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2014年04月20日

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専門的な箇所は飛ばし読みだったんですが^^;
非常に興味深く読めました、特に第3章の社会が生み出す科学の限界。
日本とドイツの電子顕微鏡の件なんてまさに日本メーカーのドツボにも思えてくるし・・・。
原子力ムラの問題も。

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2012年12月07日

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ネタバレ

科学の限界

著者 池内了
2012年11月10日発行
ちくま新書

炭鉱に入る鉱夫はカナリアを先頭にする。敏感なカナリアが有毒ガス発生を感知してくれるからだ。1995年のオウムの強制捜査でも機動隊が持っていた。ヨアヒムスターレルというチェコの銀鉱山では、ゴキブリがカナリアの役を果たしていたらしい。ゴキブリも感知するとパタバタと騒ぐため。著者の池内了氏は、科学者は「社会のカナリア」であれと主張している(「社会のゴキブリ」では誤解を招くとも)。

科学者は、個人的な欲望や社会的な制約、圧力などで、必ずしも“正しく”科学と向き合っていない。成果を上げたい、成果を上げて研究費を獲得したい、理論より実用化せよとの社会からの求めに応じたい、などなど、いろいろな要素により、科学のいい面ばかりを公表している。激しい競争の中、危なそうなもの、完全に安全性が実証されていないものを、可能性が低いとして使ってしまう。そんな状況に警鐘を鳴らし、科学者は危険をいち早く察知して知らせるのが役割なのだ、そのためにも等身大の科学を取り扱うことが大切だと結論づけている。

この本に書かれている科学とは、自然科学のことである。著者は国立天文台や名古屋大学などの教授を経ている宇宙物理学者、天文学者であるが、最近は科学・技術・社会論へと方向転換した、と別の本に書いている。科学について本気で書かれた本は、我々門外漢にはちんぷんかんぷんだが、科学を通して考える文明批評はわかりやすく、優しさのなかにとても厳しい目を感じる。

この本では、科学の限界について、1.人間が生み出す科学の限界について、2.社会が生み出す科学の限界について、3.科学に内在する科学の限界について、分けて考察している。例えば、2の社会が生み出す科学の限界については、まさに日本で起こっているような、文系軽視、理系重視の政策を予言。18世紀の産業革命以来とくに、国家が科学のスポンサーになってしまった宿命について思い知らされる。

では、どうするべきか?著者はこういっている。
1. 「通時性の論理の回復」
今がよければいいという科学はやめろ。未来世代の立場から見てプラスかマイナスかを判断せよ。
2. 「予防措置原則」
禁止する、小さな基礎実験に留める、いつでも止められ現状に引き返せる、安全への手だてを常に準備しておく、など。
3.少数者、弱者、被害者の立場を尊重する論理

著者の主張は、これまでの原子力利用のあり方に関する以下のような指摘によく現れている。

1954年、日本学術会議は、自主・民主・公開の三原則の下に原子力の平和利用に踏み切った。研究の自由が保証されている大学では三原則は守られたが、電力会社ではほとんど無視された。外国産の原発の直輸入(非自主)、数多くの事故隠し(非公開)、原子カムラの暗躍(非民主)などを見れば明らか。
また、原理や法則性に主要な関心がある物理学者は基礎研究から始めるべきだと主張したが容れられず、応用・開発を優先する政府。経済界が主導権を握った。その結果、物理学者は一斉に手を引き、実用研究を行う工学者の手に委ねられた。原子力工学があっても原子力理学は存在しないのである。工学者は早く実物を操作したい、より大型化したいとの欲求が強い。たとえ輸入技術であっても、それを洗線させれば外国を凌鴛できると考える傾向がある。技術輸入からのし上がってきた明治以来の習性だろうか。これが原子カムラを形成する原因となった。技術の推進一色となり、外部からの批判を許さない状況が作られたのである。

理論が軽視され、技術が最重要として求められる社会。危ない。

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2021年03月17日

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池内了(1944年~)氏は、天文学者、宇宙物理学者。名古屋大学名誉教授。一般向けの書籍も多数執筆している。
本書は、2011年3月の東日本大震災と原発事故が、現代の科学・技術における限界を露呈することになった翌年に出版され、「何が科学・技術の限界を決めているか、それは克服できるのか、克服できるとすれば現在の私たちに何が欠けているのか、克服できないとすれば今後科学・技術とどう付き合っていくべきなのか」について、“人間”、“社会”、“科学そのもの”という多角的な側面から分析したものである。
内容は概ね以下である。
◆人間が生み出す科学の限界・・・人間の叡智である科学の進化に対して、技術の進化のスピードが圧倒的に速く、今や人間が技術を追いかけねばならない事態になっている。人間の持つ、功利主義的な発想や限りない欲望の追求が、無節操な技術の発展を後押ししており、また、ヒューマンエラーや不注意などの錯誤、自尊心やメンツなどの心理的な逸脱、更に、心理的なバイアスなど、人間としての生物学的な限界がある。
◆社会が生み出す科学の限界・・・19世紀半ばに、科学が国家の制度の中に組み入れられ、国家が科学の最大のスポンサーになることによって、それまでの「科学のための科学」が「社会のための科学」に変質し、「社会に役立つ科学」が求められ、「役立たない科学」は時代遅れとして見捨てられていった。具体的には、科学の軍事化、科学の商業化、ビッグサイエンスの推進、地震予知、原子力の利用など。
◆科学に内在する科学の限界・・・不確定性原理や不完全性定理は、自然認識や論理の無矛盾性に対する限界があることを示している。更に、現代においては、複雑系や確率でしか論じられない事象が認識され、不確実な科学知しか得られないという限界が明らかになっている。
◆社会とせめぎ合う科学の限界・・・現在、さらに今後においては、地球環境問題、エネルギー資源問題、核(原子力)エネルギー問題、バイオテクノロジー問題、デジタル社会の問題、マンモス化(ビッグサイエンス化)問題などにも取り組まなければならない。
そして、以上のような科学の限界を踏まえつつ、著者は最後に「あるべき科学の姿」として、「精神的所産としての文化の一翼を担う科学」、「科学者倫理を正面に据えた、人間を大切にする科学」、「サイズも費用も身の丈に合った、誰もが参加できる、等身大の科学」、「これまでの右肩上がりの人間を置き去りにした科学でははく、人間の精神を揺り動かす科学、社会との調和を視野に入れた科学」を提唱している。
近年、AIの急速な進化により、技術が人間を追い越し、いずれ人間は技術を制御できなくなるという危機感が高まり、多くの人びとに共有されつつあるが、こうした今こそ、科学・技術における限界を改めて認識し、我々はそれにどのように向き合い、科学・技術を如何に位置付けるべきなのかを考える必要がある。本書はその一助となる一冊と思う。
(2020年4月了)

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2020年04月05日

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この本は2年前に出たのですが、現代の科学に共通する問題を多く説明しています。STAP細胞以前の出版ですが、章ごとにその問題について考えさせられました。科学の中身については私は素人でわかりません。STAP細胞にしても、原子力についても、人文系の人間は、胡散臭さを感じても、中身を踏まえた批判ができません
いや、この著者がSTAP細胞についてどう考えているかなと思ったら、今日、みすず書房のPublisher's Review28が届き、巻頭のコラムに著者の批評がありました。本体『科学・技術と現代社会』、おもしろそうな本だけど、かなり値段が高い。

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2014年09月12日

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科学という方法論に対する客観的な考察であり、科学に振り回されるのではなく、いかに使いこなすかについての提案がされている。面白かった。

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2013年02月11日

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3.11福島原発事故を受けて、科学をどうとらえるか。科学者のあるべき姿とは。そして市民は科学とどのように向き合うべきか。さまざまな限界を超え未来に希望の持てる「等身大の科学」を筆者は主張する。

「科学」と真正面から向き合い、真剣に「科学」のあり方を考える時間をつくることができた。科学至上主義に対する批判や「地上資源文明」への志向など、共感できる点も多かった。
文系の自分にとっては、自然科学の原理原則についての記述も、新しいことばかりで知的刺激を受けた。

原発事故を受けて、私たちがエネルギー転換の分岐点に立たされていることは明白だ。利益優先や倫理観無視の「成長」ではなく、人間が自然とどう向き合うのか、ほんとうの豊かさとは何なのか、改めて考える必要があると感じた。

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2013年01月10日

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中世の世、純粋に科学のための科学であった物が、社会の発展、出口としての技術との共存を余儀なくされ、徐々に純粋な科学としての発展がゆがめられてきている。筆者は、現代の科学の限界を、社会と国家からの制約、商業化の制約、本来有する不確定性や不確実性の制約に由来するものと論じており、その限界を理解したうえで科学を捉えていくことの重要性を説く。

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2013年01月06日

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 池内先生が脳梗塞の中執筆したという本だけど,今までの彼の主張をなぞってる感じで無難な出来と思う。人間,社会,そして科学そのものに起因する科学の限界について考察。
 科学者なのにかなり科学に懐疑的なスタンスで,この点はやはりあんまり共感できない。相変わらず「疑わしきは罰する」という予防原則を声高に主張。温暖化はともかく,電線で白血病とか,低線量被曝とか。

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2013年01月02日

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