【感想・ネタバレ】科学の限界のレビュー

あらすじ

科学技術が無秩序に発展し、高度に専門化してしまったことによる弊害が如実に現れている今こそ、科学の限界を見据える視点が求められている。その限界を、人間が生み出すものとしての限界、社会が生み出すものとしての限界、科学に内在する限界、社会とのせめぎ合いにおける限界の四つに分けて考察する。原子力エネルギーの利用に警鐘を鳴らしてきた著者が、3・11以後における科学の倫理を改めて問い直し、身の丈に合った等身大の、社会と調和のとれた科学を提唱する。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

科学者は追試実験を好まない。先を越された実験を繰り返すよりその結果を受け入れて次のステップに進むほうが効率的だから
科学の商業化の風潮が強まるにつれて科学者が社会に迎合する方向になびいている
商業化という社会の制限が入ると費用対効果を指標にしてある一つの方式に固定されてしまう。科学の多様性が取捨されてしまう
科学に内在する法則によって物質の質量や密度は限られた範囲しか存在できない。下は不確定性原理、上はブラックホール条件
事前確率は模擬実験にすぎず信頼できるかどうか不明
事後確率は原因の分析がなくそのまま未来まで適用できるか不明

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2016年07月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

科学の限界

著者 池内了
2012年11月10日発行
ちくま新書

炭鉱に入る鉱夫はカナリアを先頭にする。敏感なカナリアが有毒ガス発生を感知してくれるからだ。1995年のオウムの強制捜査でも機動隊が持っていた。ヨアヒムスターレルというチェコの銀鉱山では、ゴキブリがカナリアの役を果たしていたらしい。ゴキブリも感知するとパタバタと騒ぐため。著者の池内了氏は、科学者は「社会のカナリア」であれと主張している(「社会のゴキブリ」では誤解を招くとも)。

科学者は、個人的な欲望や社会的な制約、圧力などで、必ずしも“正しく”科学と向き合っていない。成果を上げたい、成果を上げて研究費を獲得したい、理論より実用化せよとの社会からの求めに応じたい、などなど、いろいろな要素により、科学のいい面ばかりを公表している。激しい競争の中、危なそうなもの、完全に安全性が実証されていないものを、可能性が低いとして使ってしまう。そんな状況に警鐘を鳴らし、科学者は危険をいち早く察知して知らせるのが役割なのだ、そのためにも等身大の科学を取り扱うことが大切だと結論づけている。

この本に書かれている科学とは、自然科学のことである。著者は国立天文台や名古屋大学などの教授を経ている宇宙物理学者、天文学者であるが、最近は科学・技術・社会論へと方向転換した、と別の本に書いている。科学について本気で書かれた本は、我々門外漢にはちんぷんかんぷんだが、科学を通して考える文明批評はわかりやすく、優しさのなかにとても厳しい目を感じる。

この本では、科学の限界について、1.人間が生み出す科学の限界について、2.社会が生み出す科学の限界について、3.科学に内在する科学の限界について、分けて考察している。例えば、2の社会が生み出す科学の限界については、まさに日本で起こっているような、文系軽視、理系重視の政策を予言。18世紀の産業革命以来とくに、国家が科学のスポンサーになってしまった宿命について思い知らされる。

では、どうするべきか?著者はこういっている。
1. 「通時性の論理の回復」
今がよければいいという科学はやめろ。未来世代の立場から見てプラスかマイナスかを判断せよ。
2. 「予防措置原則」
禁止する、小さな基礎実験に留める、いつでも止められ現状に引き返せる、安全への手だてを常に準備しておく、など。
3.少数者、弱者、被害者の立場を尊重する論理

著者の主張は、これまでの原子力利用のあり方に関する以下のような指摘によく現れている。

1954年、日本学術会議は、自主・民主・公開の三原則の下に原子力の平和利用に踏み切った。研究の自由が保証されている大学では三原則は守られたが、電力会社ではほとんど無視された。外国産の原発の直輸入(非自主)、数多くの事故隠し(非公開)、原子カムラの暗躍(非民主)などを見れば明らか。
また、原理や法則性に主要な関心がある物理学者は基礎研究から始めるべきだと主張したが容れられず、応用・開発を優先する政府。経済界が主導権を握った。その結果、物理学者は一斉に手を引き、実用研究を行う工学者の手に委ねられた。原子力工学があっても原子力理学は存在しないのである。工学者は早く実物を操作したい、より大型化したいとの欲求が強い。たとえ輸入技術であっても、それを洗線させれば外国を凌鴛できると考える傾向がある。技術輸入からのし上がってきた明治以来の習性だろうか。これが原子カムラを形成する原因となった。技術の推進一色となり、外部からの批判を許さない状況が作られたのである。

理論が軽視され、技術が最重要として求められる社会。危ない。

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2021年03月17日

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