【感想・ネタバレ】雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集のレビュー

あらすじ

雪の結晶の研究で有名な物理学者,中谷宇吉郎.寺田寅彦に師事し,随筆家としても名を馳せた.「雪の十勝」「兎の耳」「立春の卵」「地球の円い話」「イグアノドンの唄」など,科学の面白さと味わいに満ちたエッセイ22編.

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物理学者・中谷宇吉郎による数々のエッセイを、天文学者である池内了が編んだもの。
1960年代の中学・高校の国語の教科書には、彼のエッセイが多く採用されていたと解説にありました。
生い立ちから学生時代、恩師との出会いや実験物理学者としての研究などなど、幅広い内容で飽きません。
その研究も、雪の結晶から飛行船の爆発事件、線香花火から立つ卵、はたまた透視や念写といったものまでとにかく盛りだくさん。
寺田寅彦や湯川秀樹とのやり取りもおもしろい。人柄が想像できます。
冬の北海道での疎開生活を描いた「イグアノドンの唄」は、子どもたちと過ごすお父さんの一面。
辛い状況でもワクワクできる物語の力、さらにそれに匹敵する程の実際の発見の数々。そして、愛らしくて悲しいイグアノドンの唄。
「生きる者はどんどん育つほうがよいのだ」という言葉が沁みました。

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2025年10月14日

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石川県を旅した際、行きたかった雪の科学館。今回は日数的に難しかったので次回の楽しみとし、中谷宇吉郎先生のエッセイを読むことに。ユーモアとウィットに富んだ内容に驚いた。気に入ったエピソードの一つは、摩擦電気の実験をしているY君が正しい実験結果を得るためにビーカーや皿を全部氷で作っていて、実験が成功したら「ひとつ氷のコップで葡萄酒の乾杯くらいはしても良いかもしれない」と。なんだこの洒落た感じは!季節の表現も詩的で素敵。「6月、大学の楡の梢に郭公が鳴き始めるとまもなく…そして白い日傘が、よくあざやかな緑の芝生の間に見かけられるような日がしばらく続く。それにもいつの間にか気がつかないようになると、もう夏休みである。セルの感触を乾いた肌に楽しんでいるうちに、夏休みになってしまうのは、少し贅沢なようであるが、…清々しい札幌の夏を、できるだけ長く享楽することにしている。」

出てくる人物が、湯川秀樹先生、寺田寅彦先生などこれまた錚々たるメンバーである。湯川先生が歌を読んだり、美しい字を書かれたりすることも書いてあった。「…皆が心得ておくべき事は、湯川さんはノーベル賞をもらったから、偉い学者なのではなく、偉い学者だったから、ノーベル賞をもらったのだ、ということである。」
長岡半太郎vs寺田寅彦の回も興味深かった。学界における地位と権威のある長岡先生に対しても歯に衣着せぬもの言いで意見する寺田先生。大勢の弟子たちの前で手ひどくやっつけられても、感情的に激昂することも全然なかったという長岡先生。大物!皆が「寺田先生も偉かったが、やっぱり長岡先生も偉かったなぁ」という意見に頷く。

「ケリイさんのこと」の章では、老婆とケリイさんの言葉や人種を超えたコミュニケーションがすごく良かった。「言葉は一言も通じなかったが、言葉などはいらないもので、あの老婆が言いたかった事は、全部わかった。そして、思っていることもすっかり読みとれた。日本人の『言うこと』が、あれほどよくわかったことは、今までになかった」

一番好きだった章は「米粒の中の仏様」。十勝岳の針葉樹がいかに生長が遅く、大切にしなければならないものであるかということを山番の老人が言っていた。「この老人の目には、山奥の木の生命が、まるで国家の生命のように見えるらしかった。内閣がどうなろうか、対英米問題がどうなろうが、この老人にとっては、雪に枝を垂れた針葉樹の密林が亭々としてそびえている間は、日本の国は安泰だと思われるように見えた。」火燵で丸くなって眠るミミー、その仔猫の命名者である子供たちは絵本の切り抜きに夢中になっている…こんなにも美しく、未来永劫大切にしていきたいことが、1938年に書かれていたわけである。

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2024年01月20日

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エッセイ集なので、軽く読めるかと思いきや、専門的な内容。筆者自身が体得されている「科学の愉しさ」が文章から滲み出ている。科学的な物の見方の入門書として最適。
特に「立春の卵」での「少なくてもコロンブス以前の時代から今日まで、世界中の人が間違って卵は
立た無いものと思っていただけのこと」で「今日にでもすぐに試してみることが大切である。」から、筆者の科学に対する姿勢がわかる。
また「イグアノドンの唄」での子どもに伝説の怪物がどこかで、ひそかに棲息しているのかもしれないと語りかける姿から、科学者としてのロマンを感じました。
とても人間味のあるエッセイでした。

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2025年10月18日

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雪は天からの手紙なのです

こんなこと言われてしまったら
もう、
地球に五体投地してしまいたくなってしまいます

何回読んでも
読むたびに
新しい発見がでてくる一冊です

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2018年01月24日

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世界で始めて人工雪を作るのに成功したのは
北海道大学で、雪の結晶の研究を続けていた
中谷宇吉郎博士でした~
このエッセイから過酷な気象条件のなかで行われた
研究の様子を知ることができます。

表題にもなっている“雪は天からの手紙”は
雪の研究に一生を捧げた博士が残した
結晶のように美しい言葉です

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2015年02月13日

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雪の結晶がキラキラと。
胚芽米に言及されている部分を興味深く読んだ。
「科学を尊重せよ」「科学を警戒せよ」
青空文庫でも一部著作が読めるのだな。うほう。

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2014年11月25日

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読んでいたら「自由学園」のことが出てきてびっくり!

同窓の友人M君から自由学園学術叢書第一を贈られたのでさっそく読んでみた。この小冊子には霜柱の研究と布の保温の研究とが収められていて、研究者は自然科学グループという名前であったが、内容を見ると5、6人の学園のお嬢さんの共同研究であることが分かった。
初めの霜柱の研究というのをなにげなく4、5ページ読んでいくうちに、私はこれはひょっとしたら大変なものかも知れないという気がしたのでゆっくり注意しながら先へ読み進んでいった。(略)これはまことに(略)、広く天下に紹介すべき貴重な文献であるということが、読み終わって確信されたのである。
この研究を読んで、私は非常に驚いたのである。この仕事についてはまず第一に指導した先生がよほど偉かったのであろうということが考えられた。それから「物理学」の知識がさほど深いとは思われぬ若い娘さんたちが、優れた「物理的」の研究をある場合には立派になしとげるという良い例がわが国に出たということをうれしく感じた。

高校生の女の子たちが、霜柱の研究をあっけらかんと、しかしかなり深いところまで成し遂げたことにびっくりしておられるのですね。
驚くべきことに、これ、1940年に書かれた文章です。
ということは、このときの女の子たちは、ご存命であれば、88歳くらいという計算になる。

ああ、でもわたし、自由学園がそういう学校だということは、学園出身者の99歳の方のお話を母から聞いていて、わかるんだ。
そういう教育を行っていて、純粋に興味を抱いたことを研究できる環境が整っているということ。
それにしても、びっくりしました。

中谷さんの著述には、日本の発展にとって科学的に考える市民が増えることが大事というようなことが書かれていたのが印象的でした。
いわゆる専門馬鹿、の学者さんではなく、科学と社会とのつながりを考えていた人だったようです。

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2010年11月30日

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線香花火の燃え方を観察した際の文が、科学的な説明と文学的な表現が混ざっていて印象に残った。こんな美しい見方をできるようになりたい。

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2024年01月05日

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どこまでもおだやかな物理おじさんのエッセイ。すとんと腹に落ち、さり気なく興味をもたされます。立春に卵が立つ話なんか、読んだらやらずにはいられない。
似非科学が簡単に蔓延してしまうことへの苦言なんかも、本心はどうあれ、文章に書くならこの穏やかさを持ちたいものです。

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2015年12月21日

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中谷宇吉郎・雪の科学館に行って来ました。
この本が面白かったので
ぜひ行ってみたかったのです。

本の中では、
実験室の様子や茶碗の湯の話が
今でも印象深いです。

ここに来て,スライドショーで、
映像と一緒に中谷先生の事を学びましたが、
本の中の先生のほうが生き生きしていた様な感じがします。

かし、百聞は一見に如かず
雪のことを学ぶには、
展示や実験が、ばっちりでした。

喫茶室で
湖を眺めながら、人口の霧を眺めながら
頂くコーヒーは、素晴らしいだろうなー。

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2012年08月31日

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雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎のエッセイから、若者に読みやすいものを選んだエッセイ集。当時の北海道大学の低温室での研究の様子、科学のこころについて、読みやすい文章で科学研究の楽しさが語られており、理系の人だけでなく文系の人にもおすすめ。

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2009年10月07日

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茶碗の湯気から物理全体へ話を広げる。「ろうそくの科学」を思わせる。そのほか軽妙洒脱なエッセイ。今の中学生には難しいかな。

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2021年03月05日

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冬の岩波少年文庫シリーズ。
雪の結晶の研究で有名な物理学者・中谷宇吉郎のエッセイ集。

科学の話といってもひとつも難しいところはなく、誰にでもわかるような言葉で研究のおもしろさを語っている。

線香花火を「松葉」や「散り菊」と描写するなど、観察ですら文学的な文章。

地球の形が、凹凸があったり、楕円形であっても、鉛筆の線の幅に収まってしまう円になることを数式をまったく使わず説明してみせるあたりも見事。

雪の結晶、落雷、線香花火、霜柱、日常生活にある不思議を研究を通して解明できることをわかりやすく説明していてすばらしい。

以下、引用。

これは少したくさん刷りすぎたので、なかなか売り切れなようである。驚いたことは、五千部刷ったそうである。聞いてみたら、昔でたベントレイの雪の本は、現在一冊も残っていない、この本も、二十年間には売り切るつもりだというのである。

一つの落雷電光が、数本の電光から成っていることは、今世紀の初め頃からすでにわかっていた。しかし初めに火の玉が雲から落ちて来ることは、この研究で初めてわかったので、世界中のこの方面の学者たちをいたく驚かしたのであった。
初めてこの論文を読みながら、すぐ連想されたものは、子供の頃から聞かされていた雷獣の話であった。雷獣の話も民俗学的に調べてみたら、ずいぶん種類と変化とが多いことであろう。しかしそのうちで、火の玉のようなものが雲から落ちて来て、それが地面に達すると、落雷が天に駆け上るという形式の話がかなりの部分を占めているように思われる。

ションランドの得た結果を、少し稚拙な文学的表現で言いあらわすとしたら、この雷獣の伝説と非常に似たものになることはいちおう考えてみてもよいだろう。

アルタミラの洞窟に描かれた野牛たちの姿が、その疾走(ギャロップ)の脚の形をよくとらえていることはあまりにも有名である。獣たちの疾走の時の脚の運び方は、現代人には高速度活動写真の援けを借らずには知られないが、原始人類の眼には見えたのである。

しかし皆が心得ておくべきことは、湯川さんはノーベル賞をもらったから偉い学者なのではなく、偉い学者だったからノーベル賞をもらったのだということである。

水産講習所の兼任講師に寺田先生を推薦されたことがあった。その時長岡先生が「絹ハンカチで鼻をかむようなものだが」といわれたという伝説が残っている。

まず線香花火を一本取り出して火をつけてその燃え方を観察してみる。初め硝石と硫黄との燃焼する特有の香がして、さかんに小さい焔を出しながら燃えあがり、しばらくして火薬の部分が赤熱された溶融状態の小さい火球となる。その火球はジリジリ小さい音を立ててさかんに沸騰しながら、間歇的に松葉を放射し始める。そして華麗で幻惑的な火花の顕示(ディスプレイ)の短い期間を経ると、松葉はだんだん短くなり、その代りに数が増してきて、やがて散り菊の章に移って静かに消失するのである。

この日本紙のこよりというのも重要な意味があるのであって、沸騰している火球を宙づりにして保つには紙がなかなか大切なのである。薄い西洋紙で線香花火を作ってみたが、火球が出来ると同時に紙が焼け切れてどうしてもだめであった。このことなどもこの花火が西洋にない理由の一つかも知れない。

そうしたら先生が「そうか、それはよい経験をしたものだ。落第をしたことのない人間には、落第の価値は分らない」とほめられてちょっと驚いた。それから先生は「僕も落第したことがある。中学校の入学試験に落第をしたんだが、あれはいい経験だった。夏目(漱石)先生も、たしか小学校で一度落第されたはずだ。人生というものは非常に深いもので、何が本当の勉強になるかなかなか簡単には分らないものだ」という話をされた。

「不思議を解決するばかりが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも重要な要素であろう。」(「簪を挿した蛇」より)


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2020年02月27日

Posted by ブクログ

この本の大元のエッセイを書かれた中谷宇吉郎博士って、以前 KiKi が同じく岩波少年文庫で読んで「しまったぁ~!!  この本はもっと早く読んでおきたかったぁ!!!!」と後悔(?)した「科学と科学者のはなし」の寺田寅彦さんのお弟子さんだったんですねぇ。  最初に「あとがき」から読んで、その一事をもってして俄然この本に興味を持った KiKi。  ついでに言うと、この本の後には「千夜千冊」の「雪」が待ち構えているわけですから、かなりの期待感で胸を膨らませながら、読み進めていきました。

が・・・・・・・・

正直なところ、中谷宇吉郎さんの文章には寺田寅彦さんの文章ほどには興味も感銘も受けなかったことをまずは白状しておきたいと思います。  これは偏に KiKi が根っからの理系人間ではないことに原因があるのかもしれません。  寺田さんの文章にはさすが夏目漱石の直弟子だっただけのことはあって、なんと言うか文系人間にも受け容れやすいある種の「語法」のようなものが備わっているのに対し、こちらの本はどちらかというとやっぱり理系頭脳の人の文章っていう感じがそこかしこに漂っているんですよね~。

もちろんすべてのエッセイからバリバリ理系臭が放たれているわけではなくて、ところどころにとても興味深い話も書かれていたりするのですが、どちらかというと、ものすご~くおりこうさんの男の子が優れた指導者の元でしっかりと纏め上げた「夏休みの自由研究 理科編」のレポートみたいな感じがするんですよね。

(全文はブログにて)

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2010年10月01日

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