池内了のレビュー一覧
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自然は過去の習慣に忠実である。がんこに、保守的に執念深くやってくるのである。太平洋沿岸の各地を襲うような大がかりなものが、いつかまた繰り返されるであろう。
この一節は、1933年3月に起きた昭和三陸地震直後の2ヶ月後に書かれた『津波と人間』(本書収録)からの引用である。
・・・東日本大震災後に報道された前大船渡市議の平田武氏のエピソードが思い出される。平田氏は、悲願であった越喜来(おきらい)小学校への津波避難用非常通路建設に尽力し、震災9日前に病気で亡くなったが、昨年末に完成したこの非常通路によって平田氏の3人の孫を含む小学校の児童計71名の命が救われた。この非常通路は、児童全員が高台に避難したあとに押し寄せた黒い波により建設後4か月で校舎とともに大破した。
寺田寅彦(1878―1935)は文学への造詣の深い自然科学者として知られる。寺田寅彦と夏目漱石の親交が深かったことは本書収録の『夏目漱石先生の追憶』からも読み取ることができる。寺田は旧制第五高等学校(現在の熊本大学)時代に英語教師であった夏目漱石を師と仰ぎ、漱石は寺田を自著の登場人物のモデル(「吾輩は猫である」の水島寒月、「三四郎」の野々宮宗八)としている。私は大学受験用の国語参考書に例題文として掲載されていた氏の文章に絶対的な美しさを感じて通常そんなことはしないのだが幾度となくその問題文を読み返したことを記憶している。12月31日は、寺田寅彦の命日でもある。
寺田寅彦は専門である物理の分野でも業績を残しており、のちに帝国学士院恩賜賞を受賞する岩塩単結晶のX線回折に関する研究は当時のNature(91,135,1913)に掲載された。 -
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寺田寅彦さんは、明治生まれの物理学者。ノーベル賞の一歩手前まで言っていたといわれているので、相当レベルの高い研究者だったのだろう。しかも、彼は文学的才能にも恵まれていて、東大在学時に夏目漱石に師事し、卒業後にも彼と交際があり、そのため、「我輩は猫である」にも出演?している。本書は、そういったかなりユニークな人の著作であるため、着眼点は傑出しており、このレベルの人の脳はどのようなものにも反応し、それなりの考察をまとめ、提言できることを示している。頭の柔軟性を失いつつあることに自覚症状のある私にとっては、脳をどのように鍛えていけばよいかの示唆をいただいたような気がする。
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科学者の戦争協力の歴史と日本でも急速に進む「軍学共同」の現状レポート。アメリカ軍からの資金流入や自衛隊装備開発への癒着、デュアルユース=軍民両用を隠れ蓑にした偽装など、新聞報道や雑誌記事で断片的に伝えられた既知の情報がほとんどであったが、改めて通時的・歴史的に軍学癒着の拡大を俯瞰すると、もはや致命的な状況にあることがわかる。衝撃だったのは、敗戦から未だ日の浅い1951年の時点で日本学術会議が科学者に行ったアンケートで、過去学問の自由が最も実現されていたのはアジア・太平洋戦争期という回答が最も多かったという事実で、潤沢な資金さえあればそれを研究の「自由」と錯覚する自然科学者の病理性を象徴的に示している。戦争=絶対悪、研究公開の不自由な軍事目的研究はどの科学者も本来は好まないという前提で本書の内容は立論されているが、すでにこの国では、科学者に限らず、特に年齢が下がるほど平和主義に対するシニシズムがマジョリティとなっている現実を考慮すると、5年ももたずして「負け犬の遠吠え」として本書は捨てられる悲観的な未来しか見通せない。
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昨年のニュースだったか。防衛省は2017年度の防衛予算のうち、
108億円を軍事研究費に充てるとあった。2016年度の実に18倍
の予算である。膨れ上がっている。
この研究費は防衛装備品の開発や安全保障の充実の為の研究
費用として、「安全保障技術研究推進制度」に応募した大学、研究
機関、企業等に割り当てられる。
太平洋戦争の反省から日本の科学界は軍事研究を拒否して来た。
しかし、どんな研究にも潤沢な研究費が充てられる訳ではない。
自由に研究する為にはもっと研究費が必要だと感じたら、防衛省
の研究をあてにしても不思議ではない。
だが、防衛や安全保障という聞こえのいい言葉を拠り所として軍事
研究に名乗りを挙げてもいいのか。民生利用も出来るのだからとの
言い訳を用意して、結局は人に危害を加えるモノを作り出すだけな
のではないか。
先日も日本学術会議がこれまでの軍事研究は行わないとしてきた
声明を巡ってのシンポジウムを開催した。法政大学をはじめとした
いつかの大学は既に軍事研究は行わないとの明確な態度を取っ
ているが、このシンポジウムでも軍事研究否定の意見が多くを
占めた。
著者自身、科学者であり軍事研究を拒否する立場を明確にして
おり、本書は賛成派の言い分をひとつひとつ潰している。
研究さえ続けられれば資金はどこから出ていてもいいではいけない
のだ。成果が出るまでは費用も気にせず、やりたいことを自由に
出来るかもしれない。
それは本当に「自由な研究」だろうか。軍事利用であるならば、
自由に公表できるはずもない。機密事項である。基礎的な研究の
目途が立てば、「あとはこちらでやりますんで。尚、このことは論文等
で発表するのは禁止です。特定機密に該当しますから」と言われて
しまったらどうだ?
これを著者は「研究者版経済的徴兵」と呼ぶのだが、納得したわ。
研究費という大きなニンジンを目の前にぶら下げて、頭脳だけを拝借
するのだものね。そうして、研究の成果は取り上げられる。
ひも付きの費用はどんなものでも胡散臭い。その見本のようだよ。甘い
言葉の裏に何もない訳がなのだから。
軍産複合体なんて言葉ある。ここに今度は「学」が加わる危険性がある。
日本以外の国では軍事研究は当たり前に行われている。それが産業に
結びついて企業は武器輸出などで儲けることができる。
既に一部の研究機関ではアメリカ軍から資金提供を受けているところも
あるが、日本は軍産学が混然一体になっていない特異な国であること
をもっと意識していいのではないだろうか。
「軍隊を持って普通の国になろう」とか言った人がいたが、軍産学複合体
の国になって「防衛の為です」とのお題目の下、開発した武器を輸出する
国にならなくてもいいじゃないか。
だって、すべての戦争は防衛から始まっているのだから。 -
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「直感的に把握するということは、各部分をばらばらなものとしてではなく、全体として、あるまとまりを持ったものとして摑むことであります。[…]それがある図形として認識されるのは、人間の持つ直観の能力によるといってもよいでしょう。」(127頁)
「自然は曲線を創り人間は直線を創る。[…]
自然の創造物である人間の肉体もまた複雑微妙な曲線から構成されている。併し人間の精神は帰って自然の奥深く探求することによって、その曲線的な外貌の中に潜む直線的な骨格を発見した。実際今日知られている自然法則の殆ど全部は、何等かの意味において直線的なものである。しかし更に奥深く進めば再び直線的でない自然の真髄に触れるのではなかろうか。」(157-158頁)
「詩と科学、遠いようで近い。近いようで遠い。[…]
ごみごみした実験室の片隅で、科学者はときどき思いがけなく詩を発見するのである。しろうと目にはちっとも面白くない数式の中に、専門家は目に見える花よりもずっと美しい自然の姿を、ありありとみとめるのである。」(159-160頁) -
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ネタバレ科学者は追試実験を好まない。先を越された実験を繰り返すよりその結果を受け入れて次のステップに進むほうが効率的だから
科学の商業化の風潮が強まるにつれて科学者が社会に迎合する方向になびいている
商業化という社会の制限が入ると費用対効果を指標にしてある一つの方式に固定されてしまう。科学の多様性が取捨されてしまう
科学に内在する法則によって物質の質量や密度は限られた範囲しか存在できない。下は不確定性原理、上はブラックホール条件
事前確率は模擬実験にすぎず信頼できるかどうか不明
事後確率は原因の分析がなくそのまま未来まで適用できるか不明 -
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「血液型は何型?へえ、B型なんだ。でもそうだと思った、だって変わってるもんね」ありふれた会話だけれど、血液型と性格の関係は科学的に証明されたものではない。そして、このような疑似科学は世の中に多くはびこっている。個人レベルでの娯楽としてなら特に問題はないかも知れないけれど、疑似科学には明白な危険もある。でもなぜ巷には疑似科学があふれているのだろう。そして、疑似科学にはまらないためにはどうしたらよいのか。本書は、天文学の専門家である著者がこれらの点について解説した本だ。
疑似科学や似非科学についての警鐘を鳴らしている本としてはカール・セーガンによる『悪霊にさいなまれる世界』が有名だろう(そう言えばセーガンも天文学が専門だ)。本書もその類書なのだが、疑似科学の中に「現在の科学では明白な結論を打ち出せない問題についての議論」を含めている点に特徴がある。例えば、地震予知や地球温暖化にかんする因果関係を明らかにすることは現在の科学ではとても難しい。それは地震や地球環境が複雑系と言われる系に属しているからだ。このような問題に対して、異なる立場から都合の良い主張を繰り返すことを著者は「第三種疑似科学」と呼んでいる。
著者は疑似科学を三つに分類している。「第一種疑似科学」は占いや超能力などの「科学的根拠のない言説によって人に暗示を与えるもの」である(v頁)。「第二種疑似科学」はゲーム脳や健康食品などの「科学的装いをしていながらその実態がないもの」を指す(v頁)。
これらの疑似科学には大きな特徴がある。それは、広く言えば、社会に悪影響を与えているということである。世の中に疑似科学があふれることで、科学と疑似科学の区別が付かなくなって人々が社会の諸々の問題に正しい判断を下せなくなってしまうかもしれない、と著者は懸念する(22頁)。
人々が広く疑似科学(特に第一種と第二種)を受け入れてしまう要因の一つとして著者は、世の中がどんどん便利になる中で、人々が物事をなんでも「お任せ」で済ませようとする風潮を挙げている。自分の頭で考えずに、テレビで言っていたから、という理由でなんの批判もなく話を受け入れてしまう。思い当たる節があるのではないだろうか。疑似科学が世の中からなくなることは無いだろうと悲観的に予測しながらも、疑似科学の蔓延を防ぐために小さい頃から懐疑精神を育てることが大事であると著者は主張する(178頁)。
本書は疑似科学を論じているが、一人ひとりが自分の頭で考えることがいかに大切なのかについて、本書を読むと改めて気づかされる。その意味で、疑似科学に特に興味を持っていない人にも読んでもらいたい良書である。疑似科学の内容については、第三種疑似科学が本当に疑似科学と言えるのかどうか、少ししっくりこないところもある(著者自身もあとがきで述べているけれど)。しかし、その点も含めて自分の頭でよく考えてみるべきということなのだろう。 -
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考えずに、盲信する怖さ。
手軽に分かった気になる怖さ。
人間の本質的な弱さをついてくる疑似科学。
8年近く前に出た本ではあるが、この本で、我々読者に向けて発せられていることと言うのは、科学に限らず、あらゆる事象について盲信、無思考無批判での受け入れをしがちな人間に対する警告であり、(そういうところが人間の本質的な要素でもあるのだが)今読んでも、ためになる話は多い。
取り返しのつかないことになる前に、正しく疑う心・視点を持つことが重要であろうと、今一度リマインドさせてくれる、科学論と言うよりは、科学のアプローチからの現代人論である一冊であった。 -
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2008年に書かれた本だが、「例えば、原発の敷地が安全な地盤であると判断しても、隠れている活断層があったり、想定以上の地震による揺れが起こったりすると、リスク評価の結果は破綻する。-中略ーリスク評価が破綻したときに使われる常套句は『想定外』である」(p169)というくだりを読んで「池内さんは予言者ですか」と思った私は疑似科学脳かも。
疑似科学の手法の解説は、割と基本的で目新しいことはあまりない。が、「人任せにして責任転嫁してきた結果、劇場型民主主義に陥っている」「何事も鵜呑みにせず、自分でよく情報収集して考える」「予防措置的に考える」などの提言は、心に留め置いていきたいと思う。 -
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池内 了(いけうち さとる)2008年の書。
ありふれる疑似科学について、三種に分類して、科学とそうでないものにについて分かりやすく解説。
第一種類疑似科学:占い、超能力・超科学、疑似宗教など、科学的根拠のない言説によって人に暗示を与えるもの。
第二種類疑似科学:科学を援用・乱用・誤用・悪用したもので科学的装いをしていながらその実態がないもの。「ゲーム脳」「マイナスイオン」や迷信の類い。
第三種類疑似科学:「複雑系」であるがゆえに、科学的にはっきりと結論の下せない問題について結論が在るかのように思わせるもの。環境問題など。
まtあ、こういった疑似科学に惑わされないようにどういった心構えで科学的なものや溢れる情報に接したら良いかについて言及されている。
繰り返し述べられていることがあって、やや冗長に感じる部分もあるけども、面白かった。
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【内容(「BOOK」データベースより)】
占い、超能力、怪しい健康食品など、社会にまかり通る疑似科学。そのワナにはまらないためにどうしたらよいか。また地球環境問題など、科学の不得手とする問題に正しく対処するにはどうしたらよいか。さまざまな疑似科学の手口とそれがはびこる社会的背景を論じ、一人ひとりが自ら考えることの大切さを説く。
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【目次】
はじめに
第1章 科学の時代の非合理主義―第一種疑似科学
・占い、超能力・超科学、疑似宗教
・第一種疑似科学の特徴
・超常現象の心理学―なぜ信じてしまうのか
第2章 科学の悪用・乱用―第二種疑似科学
・科学を装う手口
・第二種疑似科学の内幕
第3章 疑似科学はなぜはびこるか
・科学へのさまざまな視線
・自己流科学
・科学と非合理主義
第4章 科学が不得手とする問題―第三種疑似科学
・複雑系とは何か
・地球環境問題の諸相
・複雑系との付き合い方
・予防措置原則の応用
終章 疑似科学の処方箋
・疑似科学は廃れない
・正しく疑う心
・疑似科学を教える
・予防措置原則の重要さ
・科学者の見分け方
参考文献
あとがき
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