あらすじ
電車の混雑には法則があるか? 虫たちはいったい何を考えているのか? 身近な自然や世の中の出来事を,細やかに観察しながら書きつづった明治の物理学者による科学エッセイ.
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電車の混雑についての考察
必ず空いた電車に乗るために採るべき方法は空いた電車の来るまで、気ながく待つという方法である の始まりから電車混雑の律動、人生の問題への考察への流れが良い
塵埃と光
明きめくら
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中谷宇吉郎の『雪は天からの手紙』を読んだので積読していたこちらも。
明治生まれの物理学者・寺田寅彦による随筆を、天文学者の池内了が編集したもの。
茶わんの湯気や昆虫の思考、金平糖のトゲトゲから植物の不思議な構造、満員電車、妖怪、災害…などなど、身近にわんさか転がってる科学のタネがどんどん出てきます。
自分、こんなに観察しがいのある物に囲まれていたんだなと再認識。
夏目漱石との関わりも深く、登場人物のモデルにもなっているんですね。
中でも「線香花火」は好きなエピソード。火をつけてからどんどん姿を変える線香花火は魅力的だし身近だし、研究するのにお金もかからない。いろんな人に「線香花火の研究やりなよ!」とオススメするも誰もやらない…ちょっとなんでなん!的な若干スネている文面にニヤリ。
ここで『雪は天からの手紙』を思い出し「線香花火」を読んでみると(誰も研究をやらないので)「自分のところでやらねばならぬと寺田先生が癇癪を起こされた」とあって笑ってしまいました。
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寺田寅彦が書いたエッセイと言うことで期待して読んだが面白いもの。1割後はほどほどという感じでした。ちょっとついていけない部分があった。
2回目読み直した。1回目は星2つかなぁと思ったが、読み直すととても良い文章だなと思った。科学者ならではの視点でいろいろな現象を捉えており、「これは研究対象になるのでは」と言う表現が何度も出てきた。一般の人からすると、やっぱり少し変わってる人とも見えるだろう。でも、科学者とはそんなものなのかもしれない。
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1世紀前に書かれた科学者のエッセイとしては親しみやすくも、現代に置いても老若男女に響く種々の命題を見つめている。
満員電車の話などウィットに富んだ考察は面白く、津波への警鐘は、人々の意識が危機に対して依然として識者からは弛緩したものに写っているのか。
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寺田寅彦すごい!
電車の混み具合を計算しだしたときは「この人大丈夫!?」ってなったけど、その変人っぷりが最高。
最近、彼の文体を真似してエッセイを書きはじめた。
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大好きな本です。岩波少年文庫の一冊ですが、私の愛読書のひとつです。科学が身近なもので、科学的なものの見方を易しく語るように紡ぐ、寺田寅彦氏の文章は俊逸です。
目の前の湯呑茶碗から上がる湯気の話が、気候や自然現象へと導く『茶碗の湯』。「天災は忘れたころにやってくる」は寺田氏の言葉だといわれているらしいが、その由来とも思われる『津波と人間』は、災害国家・日本に忘れてはならない警鐘の一文です。
特に大好きなのは、『夏目漱石先生の追憶』です。漱石がまだ教師だったころの生徒として出会った寺田氏が、漱石との思い出を綴ります。
夏目漱石という人の人柄が偲ばれる作品ですが、なにより文人・夏目漱石と科学者・寺田寅彦の教師と生徒の関係が生涯に及び、そこにあるほのぼのとした関係に、毎度、目尻に涙が浮かびちょっと優しい気持ちにさせてくれます。
そして、この本を読むたびにこんな随筆が書けたら・・と思うのです。
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高校進学の際に理系文系を選ばねばならんかったが、捉われることはなかったのだということが今更分かった。
学校から離れた今の方が、自由に好きなことを学べるのである。
心の眼明きでいたい。
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自分が生まれる丁度一世紀前に生まれた科学者の随筆。とても面白く、いぶかしんでものを見る大切さがよくわかる。寅彦が疑問に思ったことの幾つかは現代においては解明されているのではないか?と思われるので、その辺りを答え合わせした資料等があれば更に面白くなりそう。
唯一読み辛いという点は、当時の計測単位が○町とか○尋(ひろ)なので、距離が感覚的に掴みにくいという部分かな。。
岩波少年文庫シリーズということで、中学生以上が対象となっているが、今の中学生がこの本を読むのだろうか???
子育て中のお父さんにお勧めしたい一冊。
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いや~、面白かった!!! 一読後の KiKi の最初の想いは「しまった~! どうしてこの本を子供のうちに読んでおかなかったんだろう!!!」というものでした。
電車の混雑には法則があるのか? 虫たちはいったい何を考えているのか? 日常生活の身近なことがらを細やかに観察しながら、科学的に考えることのおもしろさを書きつづった、明治うまれの物理学者による随筆。 (中学以上)
これ(↑)が背表紙に記載されている岩波書店さんのいわゆるこの本の紹介文なんですけど、中学時代の KiKi は「岩波少年文庫は小学生が読むもの」と勝手に決めてかかっていたようなところがあって、かといって随筆とかエッセイを楽しめるほどは成熟していなくて、もうちょっと「知識の本」っぽい本を読み漁っていたようなところがあるんですよね~。
(全文はブログに)
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正直苦手なタイプの本。
あまり専門的なところはふんふんと読んでスルーしたけど、夏目漱石先生とのエピソードはとても楽しく読めた。
夏目先生のことがホントに好きなんだなあって感じられる。
明治時代のザ・エリートの人たちの日常ってどんなんでしょうねえ。
でも寺田さんの好奇心てホントに日常生活にあるから今も読まれているんだよね。この本が100年ぐらい前のことを書いているとは思えない。
三陸地方の地震の話は胸がいたい。これからも地震は起こるんだろうね・・・日本のどこでも。
Posted by ブクログ
読書会課題
皆さんは文語体の細かい文字の全集を探したようです
私は岩波少年文庫でラッキー(^_^;)
寺田寅彦に関しては中谷宇吉郎の随筆文で(「茶碗の湯」のことなど)で知りました
入試問題になったり有名らしいですね
夏目漱石関連にも登場して師弟関係がいいですね
最近だと「ミチクサ先生」伊集院静
すてきだなって思います
日常生活のことがらー科学の視点で見直すー原理や法則を導き出すー研究の出発点になる
●身近な科学が親しみやすい●
学校で学ぶ時はたいがい教科書とか実験で入るけど
出かけた先でその事柄を見ながら身近な人が教えてくれたらきっと自分のものになるだろうな
電車の混雑とかこれからだったら海水浴、花火とか
お出かけ先で出来そうな提案がいいなー
●若い人だけでなく大人にも●
会話のきっかけになる
世代を越えて共通の興味ある事
孫に語ったら尊敬されるかも笑笑
○文字で提案があっても観察や実験の行動にはなかなかたどり着けないかも(片栗粉の実験)
○電車の移動時間にも数学物理のような事を考えていたりして
専門家というよりおじぃちゃんまた考えてんの??みたいな微笑ましさを感じてしまう
えらい先生なのにこの文章は優しさにあふれている
○以前に君たちはどう考えるかがコミカライズされてヒットしたけど
寺田先生の文章も取り上げてもいいかも
○線香花火を交響曲に例える(序破急)
○日本の脚元に埋もれている宝
掘り出すには勇気が入り用
○自然現象と化け物
○身近な物から科学を学ぶと理解が深まる
実験という体験で学ぶのがいいかも
この頃の動画というのはどうかなーちょっとマシかなぁ
○涼しいという言葉は日本の特産物
日本人が感じる特殊な微妙な感覚ーと気がつくのが凡人じゃない先生の感覚
科学と文学の両方にたけている
○アブが花に入る時
どちらにとっても有益を保存するように努力さえしていれば結局すべて他のものの保存に有利
人を苦しめ泣かせる行為は結局自分をいじめ殺す行為
↑
植物観察で人間の生き方を哲学するなんて先生らしい
自分もそんな考えを持ちたいと思う
Posted by ブクログ
池内了氏編集による寺田寅彦のエッセイ集。
岩波少年文庫なので対象の読者は青少年だろうと思うが、もともとは一般読者向けに書かれたエッセイを編集したものであるので、誰が読んでも面白い。
著名な物理学者である編者・池内了氏もまた、寅彦のエッセイを読んで育ち、間違いなく影響を受けて日本を代表する物理学者となった。その影響を与えた側の寅彦もまた、第五高等学校時代に数学と物理学を教える田丸卓郎先生との出会いで、進路を物理学に変更したようである。
そしてまた第五高等学校といえば、かの夏目漱石(金之助)先生との出会いもあり、文学(特に俳句)について語り合う仲となったとのこと。漱石の「吾輩は猫である」に登場する水島寒月は、寺田寅彦がモデルだということなので、それを意識しながら「猫」を読んでみるのもよいかもしれない。
本書のまえがき部で池内氏が書いているように、寅彦のエッセイの特徴は「見る、聞く、匂う、触る、のような人間の五感を大事にしている。日常生活での体験を材料に、科学の方法でそれらを考えてようという態度が一貫している」のである。従って、本書も全くその通りの内容だ。
本書は5つのパートに分かれているがその区分の理由は理解できなかった。ただ、その扉に寅彦の描いた絵が載せてあり、これが心和ませてくれる。本書の表紙の絵も同様、自然との接点を感じさせてくれる絵だ。
本書トップのエッセイは、「瀬戸内海の潮と潮流」ということで、瀬戸内海の干潮・満潮時間が非常に複雑であるという話だった。これを読んで、最近の地震の頻発や南海トラフ地震の発生確率などから、この地方の防災は大丈夫なのだろうかという不安がよぎった。
というのも寺田寅彦氏は地震研究でも権威であり、本書にも収められている「津浪と人間」にも、地震学者としての鋭い視点を記している。
「昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津波が襲来して、沿岸の小都市村落を片はしからなぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起こったいわゆる「三陸大津浪」とはほぼ同様の自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰り返されたのである。」(=昭和八年五月執筆)
この随筆に記されている「人間の忘却の愚」が、また先般の東日本大震災で繰り返されてしまった。このような寅彦の冷静な指摘と警鐘の文言が残されていたにも関わらず。
寅彦氏なら、瀬戸内海の潮の干満との関係から南海トラフ地震をどのようにとらえるのだろうか?
このように生活に密着する大きな視点の事柄から、簡単には見過ごしてしまうような身の回りの小さな現象にまで、寅彦氏の視点は鋭い。
お茶の湯気から、モンスーンの偏西風に発想が展開する。昆虫や植物など、自然観察から様々なことを考える好奇心も、もともと科学者の資質を備えていたようにも思える。
みのむし。自身も子どものころはよく見かけたが、最近では見かけなくなった。この随筆執筆の昭和一桁のころは、庭先には必ずみのむしがぶら下がっていたのだろう。
みのむしの漢字表記に「木螺(ぼくら)」というのがあって、木の田螺(タニシ)」と発想を飛ばす。そして漱石に鍛えられた俳句に「蓑虫鳴く」という季語があることを思い出し、さらにはその語源を「歳時記」で調べ清少納言にまで行きつく。
あるいは蓑虫をたくさん取って袋を割いてみたり、袋を観察して穴があることを発見し、天敵の蜘蛛が穴をあけて蓑虫の体液を吸い取るとことを観察してみたり、その蜘蛛もまた点滴の蜂の幼虫に食われたりと食物連鎖や自然の摂理の成り立ちへとぐるぐる発想が飛んでいくのである。
「自然は無尽蔵というが、これは物がたくさんあるというだけの意味ではない。一本の草、一塊の石でも細かに観察し研究すれば、数限りない知識の泉になる」という。自然に学ぼうという意識が無尽蔵のように思える。
また、自然に対して謙虚でもある。寅彦曰く。
「人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前におろかなる赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって初めて科学者にはなれるのである。」
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明治生まれの科学者の目を通した「現象」の観察を描くエッセイ。特に、身の回りの自然を対象にしたアイデアが印象に残る。時代もあるのだろうが、夏目漱石の教え子の1人にして俳友でもあったという寺田氏の文章は、下手な文学よりも格調高い。特に第Ⅰ章が堅い文体なので、難解に感じたらII章以降から読み始めた方がいいかもしれない。中1国語で勧められる本だが、余程本を読み慣れているのでなければ、文体・内容共に高校生でちょうどいいかと思う。ややもすれば科学偏重になりがちな現代より、先を見た科学者の視点には是非触れてほしい。
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数学が不得手(アインシュタインと同じく)だが、物理学者になった。俳句で夏目漱石に師事、『猫』にも登場/「涼しい」は高温多湿な地に住む「日本的感覚」/「天災は忘れた頃にやってくる」同言は無し、類似『津波と人間』’33。人災である国家間戦争も“戦争責任”を目され誅された人々が死没し忘れられた頃に再発するのがあまりに多い。子孫は先代の遺産を忘れて「自分らのほうが賢い」と思い上がるからか/科学技術が生活・産業を便利にすることはあるが、戦争などで破壊に用いられるならば科学は無価値、ないし“無いほうがよかった”のか?
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冗長だったり、鼻につく表現(知識階級に属するらしい人、千島アイヌかなんぞ、などなど)がある。こんなことが気になってしまうのは、青臭い公平主義だと自覚する。しかし、しかし、それらを補って余りある面白さに驚愕する。「科学者とあたま」の最後のパラグラフは2019年現在でもなおリトマス試験紙だ。「線香花火」の描写は科学と文学との美しき情緒だ。これぞ無類の随筆である。
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自然は過去の習慣に忠実である。がんこに、保守的に執念深くやってくるのである。太平洋沿岸の各地を襲うような大がかりなものが、いつかまた繰り返されるであろう。
この一節は、1933年3月に起きた昭和三陸地震直後の2ヶ月後に書かれた『津波と人間』(本書収録)からの引用である。
・・・東日本大震災後に報道された前大船渡市議の平田武氏のエピソードが思い出される。平田氏は、悲願であった越喜来(おきらい)小学校への津波避難用非常通路建設に尽力し、震災9日前に病気で亡くなったが、昨年末に完成したこの非常通路によって平田氏の3人の孫を含む小学校の児童計71名の命が救われた。この非常通路は、児童全員が高台に避難したあとに押し寄せた黒い波により建設後4か月で校舎とともに大破した。
寺田寅彦(1878―1935)は文学への造詣の深い自然科学者として知られる。寺田寅彦と夏目漱石の親交が深かったことは本書収録の『夏目漱石先生の追憶』からも読み取ることができる。寺田は旧制第五高等学校(現在の熊本大学)時代に英語教師であった夏目漱石を師と仰ぎ、漱石は寺田を自著の登場人物のモデル(「吾輩は猫である」の水島寒月、「三四郎」の野々宮宗八)としている。私は大学受験用の国語参考書に例題文として掲載されていた氏の文章に絶対的な美しさを感じて通常そんなことはしないのだが幾度となくその問題文を読み返したことを記憶している。12月31日は、寺田寅彦の命日でもある。
寺田寅彦は専門である物理の分野でも業績を残しており、のちに帝国学士院恩賜賞を受賞する岩塩単結晶のX線回折に関する研究は当時のNature(91,135,1913)に掲載された。
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寺田寅彦さんは、明治生まれの物理学者。ノーベル賞の一歩手前まで言っていたといわれているので、相当レベルの高い研究者だったのだろう。しかも、彼は文学的才能にも恵まれていて、東大在学時に夏目漱石に師事し、卒業後にも彼と交際があり、そのため、「我輩は猫である」にも出演?している。本書は、そういったかなりユニークな人の著作であるため、着眼点は傑出しており、このレベルの人の脳はどのようなものにも反応し、それなりの考察をまとめ、提言できることを示している。頭の柔軟性を失いつつあることに自覚症状のある私にとっては、脳をどのように鍛えていけばよいかの示唆をいただいたような気がする。
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保坂和志さんの本に紹介されていて読んだ。物理学者寺田寅彦の随筆。夏目漱石との出会い。「吾輩は猫である」に登場する水島寒月君は寅彦をモデルとしているそうだ。
「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」(漱石の句)
身近なことから何故を考える。その中に優しさを感じる。「解かれた象」が印象的だった。
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今年になって寺田寅彦さんの名前や電車の法則などのエッセイの話を続けて目にする機会があり、いままで読んだことがなかったのでまず岩波少年文庫で読んでみた。
短編のエッセーなので、読みやすく、話題もとても面白かった。
なかに「津波と人間」という話があった。昭和8年3月3日の東北日本の太平洋岸の津波で沿岸小都市村落が多数の被害にあった話である。明治29年の三陸大津波から37年で人々の記憶はたちまちうすれ、同じような被害が繰り返される。
その10年前に関東大震災を寺田寅彦も経験しているが、関東でも安政(1854~1860)の地震の経験は残っていなかったからこそ、また被害を受けたのだと書いている。
そして78年経った今年また同じ地震と津波が襲いこんなにも大きな被害がでてしまった。
これを読むと地震は100年に1度などではなく、もっと頻繁におこっているのに、人間が生きている間の10年くらいで、すっかり過去になってしまうように思える。
彼は後半地球物理学へ興味を移し、地震・火山・海洋・気象などについての研究をもとに、自然災害の多い日本の防災のために、数々の提言を行ったそうです。
そういうことも含めて災害の経験もなかなか伝わっていかないということを、人間の自然現象で終わらせてはいけないのだと思う。
Posted by ブクログ
リビングに置いておいて、時間を見つけては、一節ずつ読みました。
科学する人の考え方や、批判の仕方なんかも感じられる本です。
中学生以上向けといいながらも、少し精神年齢高くないと、読んでいられないのでは?
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身近なものから、科学や物理(とわけていいのかすらわからないほど理科系が苦手)の話。とっつきやすい本ではなく、何回かに分けて読んだ。読み終わって感じたことは、科学では説明しきれない不思議なことが、生き物、地球では存在するということ。それを、著者も伝えたかったのではないかと思う。