呉勝浩のレビュー一覧
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主人公は小中高一貫の天錠学園で
スクールカウンセラーをしている奥貫千早。
新年度が始まってすぐに飼育小屋で飼われている仔山羊の足の腱が鋭利な刃物で切られるという事件が起こった。
そんなある日、高等部一年の野津秋成が相談室を訪れる。
彼は「山羊は、ぼくがやりました」「ぼくは、人を殺してみたい」「できるなら、殺すべき人間を殺したい」
そう千早に打ち明けた──。
一方、かつて残虐な連続監禁暴行事件を起こし 十五年間服役していた入壱 要が同じ市内で暮らしているという噂が広まる。そして その事実に近隣住民の間に不穏な空気が高まっていく──。
異端の者を受け入れる社会の在り方を模索する千早だったが………。
読んでいて 自分はどうしようもなく感情で生きているなぁと気づかされる。
入壱には最後まで“嫌悪感”しかもてなかった。
一方で千早とその師である心理学者の寺兼の会話はとても興味深かった。
寺兼が見抜いた入壱の衝動の本質。
入壱は自分の衝動にふさわしい方法を誤ったということ。
そして我々と彼の差は、実はその程度だということ……。
この物語の冒頭は “A” の話からはじまる。私は途中までこの “A” は野津秋成のことだと思っていた。でもそれは間違いだった。 終盤からラストで “A” が誰だかがわかる。 そんな構成もよかった。
心理学がらみの難しいテーマだけれどミステリーとしてもとても面白かった。
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ネタバレ過疎化が進む田舎の現状と大切なものを守ろうとする人たちの覚悟が書かれた物語
このままでは未来がなくなる獅子追町を通して現代の地方の問題がかかれていた。 田舎あるあるの緩さや逆に粘着質な監視空間が生々しくてリアルだった。
少年時代に一緒に遊んだ友人たちが地元を守るために真っ当とは言えない方法で色々な企てを考えていたり、老人たちが自分たちの都合な面子のために邪魔な人たちを妨害していく様が印象的だった。
特に初めから後半の物語を通してずっと誠実で優しい正義感のある長原が自分の家族を守るために自分の姉兄妹を殺した連中に頭を下げて、恩を売っていたことに対してどれほどの屈辱だっただろうと思わずにはいられなかった。
自分の家族、町、理想のために清濁を合わせ飲んで進んでいく主人公、大吾、長原たちに胸を打たれる。 -
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私はそもそも剥き出しの暴力が描かれた作品は苦手だ。
どうして彼女は虐げられ、誰かのために獣となり、嗤うんだろう。痛い。苦しい。
そんな中で、上巻を読みながら、何度リタイアしようと思ったか分からない。
ハチが、どうしようもない生活の中で、「仕事」をこなして人の生をまっとうする姿が単純に好きだ。
裏切られることに慣れる中に、嘘だと思っていた真実もあった。
そんな些細な本当に、彼女は多分支えられている。
そして、圧倒的に持てる者であるキュウは、どんな眼差しでハチを見ているんだろう。
神様は、創る力も壊す力も強大で、無自覚だ。
でも、神様は神様の座から降りることは出来ない。
ハチの元を訪れ、陥れようとする数多の人物は、キュウがいなければ、出会わなかったのかもしれかい。
この作品が描きたかったのは、ハチなのか、キュウなのか。
それとも、二人を比べて浮かび上がってくる、そのコントラストなのか。
最後まで、読み終えることが出来てしまった。
ボロボロと、痛みを受けることになったけれど。 -
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呉勝浩の作品。ノワール的な要素が強く、終始暴力の匂いが立ち込める。僕は臆病なので作中の暴力行為はあまりにも壮絶でかなり重たく受け取ってしまった。
主人公のハチ、義姉のロク、そして義弟のキュウととある姉弟の物語であるがそれぞれがあまりにも世間からぶっ飛んだ生き方をしており、主に主人公であるハチの感情を通して彼女の人生、生き様を描いている。彼女はずっと幸せになる事は無いだろうし、上巻が続くにつれてどんどん堕ちていく。余りにも不幸だが、彼女にとってキュウこそ全てであり、彼の成功こそが全てという一筋が彼女の強さを表している。しかし、とある打ち開けにより彼女の想いは一変、余りにも辛すぎる真実である。下巻では彼女はどの様に変わるのか。できる限り幸せになってほしい。
もう一人の主人公と言える健幹はロクの恋人であり、結婚を約束しているがどこと無くロクの挙動に不安を感じており、彼女の過去を調査しようと決意する。彼の行動は余りにも危なっかしく、とある場面は目を覆いたくなる程見ていられない有様だ。
彼の行動力は見事だが、世間知らずの様な有様は見ていて歯痒いし気分のいいものでは無い。しかし、最後、ロクと「決意」を共有し、下巻に続く場面において健幹の今作における存在意義が見えた様な気がする。
また、この時期の作品ではどうしても仕方がないが、「コロナ禍」の話が土台に来てしまう。物語の中に不純物が入った感覚になってしまうし、この時期の作品が必ずコロナ禍を語るという「お約束」がどうしても茶番に見えてしまう(こんなリアリティはミステリーでは不純物だ)が残念だ。
上巻時点では筆者の作品である「スワン」の方が好みだが、下巻でどの様な展開になるかで世界観が一変しそう。あまりにも楽しみだ。 -
ネタバレ
映画より原作が上!
2025年12月読了。
原作未読のままで映画を観たのたが、これだけの原作量に対して、圧倒的に尺(時間)が足りなかったため、山田くんのセリフが終盤へ向かうにつれて早口言葉のように速く成ってしまい、正直ストーリーに付いていくのが精一杯な感じで終幕となり、消化不良感満載で原作を読み始めた。
やはり謎解きのロジックはゆっくり分かりやすく説明してもらわないと「???」の連続に成ってしまう。その点でせっかく好演していた佐藤二朗の役どころがよく見えていなかったのが、原作を読んで非常に腑に落ちた感があった。
とは言え、原作にも全く瑕疵が無いとは言えない。山田くんが扮した類家の推理は、仮定や拠り所の薄い土台で論理展開しているので「仮に…、仮に…、」が多く、結果的にそれが当たりと成る辺りは、若干の都合の良さも感じてしまった。
但し、それを差し引いても、犯罪者の独白から始まる序盤の展開の薄気味悪さと、それに対峙する警察との攻防は素晴らしいものだと思う。そして奇抜なストーリー展開は他の追随を許さないリーダビリティも相俟って、極上のミステリーを読めたことに心から敬服する。
そして、この小説には続きがあるので、順次追いかけていきたいと思う。 -
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胸糞悪い、その一言に尽きる。
雛口依子は金髪の葵ちゃんからある依頼を受ける。
葵の兄・浦部くんが犯人とされ、依子が被害者となった
三年前の猟銃乱射事件のルポを共に書こうというのだ。
依子と葵、理不尽な世間に押し潰されてきた二人は、
取材のためかつて依子が住んでいた『三角屋根の家』を訪ね、
あの事件の奈落に向き合うが。
物語は現在・去年・四年前という三つの構成で繰り広げられ、
冒頭からエンジンはフルスロットルという感じで進んでいく。
中盤でそのフルスロットル具合が全く別の意味を為していた事に気付く。
序盤で提示された謎は、違和感に変わり、
兄の家庭内暴力に苦しんでいた雛口家という構図は、
全く別の悍ましいものへとシームレスに移行していた。
簡単に一言二言で片付ければ、暴力と洗脳。
だが、読み始めは全く気付かない。
この辺は雛口依子及び浦部葵という二人の人物設計が秀逸だったからだ。
この辺のキャラ造形は流石と唸ってしまう。
まさにやけくそキャノンボールだ。
読後感は悪くない。むしろ強烈な一撃を喰らった感覚。
だが、また読みたいとは思えない。そんな類の怪作。恐れ入りました。 -
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自分の家の隣に住む人が凶悪な殺人鬼だったら私たちは何を思いどうするのだろうか。
その殺人鬼はすでに服役し刑期を終えている。そいつを私たちは受け入れるべきか拒絶するべきか。
主人公の千早は前者の立場をとる。心理カウンセラーである彼女は、過去に凶悪な事件を犯した殺人鬼・入壱要を「受け入れるべきだ」と考える。すでに刑に服したのだから自分らと同じく対等に扱うべきだと。
要は何らの精神疾患を患っているわけではない。責任能力がある「健常者」である。しかし彼の中には常人には理解し難い欲求がある。つまり、「健常者」の中の「異常者」なのだ。
健常と異常を分つものが何であるかはわからない。その線引きは大変にグレーだ。だから私たちは精神疾患などわかりやすい性質に飛びつき、相手を見定める。
病気であれば仕方がないというある種の諦観が生まれ、そうして受け入れる準備もできよう。その反面、「健常者」であれば容赦なく爪弾きにされる。
相手を痛めつけたい、殺したい。そうした欲求は「悪」であるのか。「異常」であるのか。
要を恐れる地域住民は、彼を街から追い出そうとする。彼が精神疾患ではないと知ると喜ぶ。彼を保護する正当性はないのだと安堵する。
千早は恐れる。その考えは家族や友人、恋人、そして自分に向けられる可能性があることを。「普通」から逸脱した考えを「異常」とみなし社会から追い出すのであれば、刑期を終えた人間はどこへ行けば良いのかと。
マジョリティの考えはわからないでもない。自分の隣に殺人鬼がいれば恐怖し排斥するのが当然だ。罪を償ったとはいえ人の内面まではわからない。
これが対話の限界だ。千早の前に立ちはだかる決して超えられられない壁だ。
千早が抱く恐怖の矛先は野津秋成へと向かう。彼も抑え難い欲求を持っている。殺人欲という人には理解されない欲が。
でもまだ人を殺していない。以上とも呼べる欲求を除けば普通の学生だ。私たちはこの学生を怖いと拒絶するべきか。
千早は対話を通じて相手を受け入れようとする。だが、相手を「受容」するとは一体何を指すのか。それが相手の気持ちを理解することであれば、要や秋成を受け容れることは矛盾する。彼らが抱く気持ちがゆえに──
他者を理解することは実は難しい営みなのではないか。だから人は言葉を使い意思疎通を図ろうとするのではないか。傾聴し相手を受け入れ共に生活していくのではないか。他者理解という仮初の社会を維持しながら。
他者受容。それは思った以上に実現し難いことなのかもしれない。
砂上の楼閣のような社会を取り繕いながら、私たちは今日も生きて行かねばならない。