加藤典洋のレビュー一覧
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よかった。今まで恥ずかしながら吉本隆明氏の著作を
読んだことがなかったのですが。
彼の言葉、詩、思想のかっこよさを初めて感じた
気がします。深くまでは理解できていないのでしょうが
かっこいいと思える言葉や思想だと思いました。
彼の著作を今後読む機会があれば、読んでいきたいと
思います。
”世界と自分との両端性”
”先端と始原への同時的かつ両方向的な追尋の姿勢”
”みんなが言っていることは正しいが腑に落ちない感覚”
”無限性と有限性”
”ヨブ記においての解釈とキリスト教の誕生”
”西洋社会とキリスト教・アフリカ的段階”
”原生的疎外感”
”指示表出と自己表出・無意識内臓系と意識感覚系”
”歴史は外在(文明)史と内在(精神)史との二重性と
そのずれ、かい離によって総合されうる”
いろいろ亡くなる直前には批判や、バッシング的なものも受けていたと思うのですが。きっちり向かい合うと
とても面白く。かっこいい言葉や思想・姿勢の凝縮で
あり、集合であり、多彩な満々たる集まりを生み出した
人であり、戦後思想史の巨星・巨人であることは
間違いないと思いました。 -
Posted by ブクログ
著者は、日本をはじめ敗戦を経験した国にとって、戦後とは「ねじれた時間」だとする。今まで真だったものがひっくり返るからだ。戦勝国の論理が通るようになり、敗れた自国のこれまでの「真」は「虚」になる。いわば「ねじれ」を中核に抱えて在立する社会となる。おそらくそれが、復興や成熟の原動力にもなるのだろうけど、日本にいたっては「ねじれ」がありながらも、「ねじれ」として認めていない国だとする。たとえば、ついさっきまで「鬼畜米英!」と叫んでいたのが、あっという間に「民主主義万歳!」となり、アメリカを慕うようになった変わり身の速さなどをいっているのだろう。
こうした浅薄な日本がいま進んでいる道が危惧される。本書が単行本で出たのが17年前。その頃は、戦争責任を認め謝罪する政府談話が発表されるような時代だった。その頃にして、著者は日本の来し方といまのあり方に対し、ねじれを認めていない国だとして疑問を投げているのだが、果たしていま、再び続編を書いたらどのように今の日本を論じてくれるだろうか。
先日、新聞で小熊英二が、日本が「慰安婦」問題などに関して、国際理解を得る一つの方法として面白いことを述べていた。日本は、戦前の日本(大日本帝国)と戦後の日本(日本国)がひとつながりだと認識して、自身の過ちだからこそ肯定したがらず、それが他国との軋轢を呼んでいる。でも、戦前と戦後とは違う国なのだととらえ、戦後の日本として戦前の日本のやり口を非難、反省することができるのではないかというもの。
本書の著者がいう「ねじれ」の解消に向けた取り組みといい、小熊のいうように真摯に自国のあり方を見つめることといい、そうした行動を欠いてきた国の何といやしく、まずしげなことか。
本書には「敗戦後論」のほか、太宰治やJ.D.サリンジャー、ハンナ・アーレントといった文学者、哲学者に関する論考もあるのだが、そもそもこれら人々の著作を読んだことがないので、いまいちわからず。 -
Posted by ブクログ
ルポから思想まで豪華布陣だが、宮台さんの激憤しながらの筆致が鮮やか。『「ファストフードからスローフードへ」と同じく「原子力から自然エネルギーへ」も日本的に勘違いされるでしょう。〈食の共同体自治〉の問題が、食材選択の問題に短絡したように、〈エネルギーの共同体自治〉の問題が、電源選択の問題に短絡するでしょう。(略)原発災害からの学びがその程度で終わってしまうのですか。』pp.384-385. まさにそこなのだ。設計の悪い世論調査と内閣支持率に翻弄されて愚昧な二択に落とし込んではいけない。そこで一般意志2.0の登場なんだろうな。東さんと宮台さんと津田さんは全く方法論が違うけど、震災をきっかけに議論が一気に接続されてきた気がする。
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いかめしい名前だけれど、その中身はタイトルから想像されるよりもずっと和かい。不自由な言葉の自由さを感じることができて、もっと自分の頭にあることを言葉にしてみたいなと感じた。
七歳の男の子が書いたとという日記の言葉
ぼく かえる みつけた。
しみそう。
くさのところへ いきました。
これを正しくすると、
ぼくはかえるをみつけました。
しにそうでした。
くさのところへいきました。
となるけれど、途端に最初にあった言葉が持つ余韻が消えてしまっている。最初の文章は書いた男の子の姿までをも想像させるものだったのだろう。明らかに不完全な文章なのだろうけれど、完全である必要なんてどこにあるのだろう?
僕は普段の仕事で明確な言葉を使うようにしている。というよりも、それはサイエンスというものの大事な一部だ。ただ、サイエンスの言葉と文学の言葉とは同じ文字でも役割と目的が全く違う。この本を読んで、僕は不自由でも許されるような言葉の自由さをやっぱり愛しているなと感じた。こんなブログでも僕が10年弱の歳月、絶えず書き続けることができているのは、言葉を愛しているからだろうな。
一人酒のようなものかもしれない。誰にも害はないし、本人は悦に入っている。いや、それよりも幾分ましかもしれない。言葉はどんなに拙くとも、時々人を救う。 -
Posted by ブクログ
『敗戦後論』で良くも悪くも著名な筆者だが(高橋哲哉に代表的な「良心的」知識人からの批判等)、個人的には以前かなり救われた一冊。あくまでも個人的だけど、かけがえのない感動した本、マイ・ベスト10――あるいは、ベスト5でも入れるだろうなあ、と思う。数年来、どうも思ったような言葉にならず、我ながら腑に落ちない日々…。勇気を振り絞って(?)痛み苦しみながら、最初からゆるゆると読み直している。が、ああ、やっぱりどの講義(章)も切実で真摯だなあという印象。自分の足場(デカルトの「格率」論も出てくる)がわからなくなってしまった…そんな思いを感じている人には、文章表現にかかわらずとも、救われるところがあるような気がする。それは勿論、棘だらけの茨の道を自力で踏みしめる以外にはやはりない、ということではあるけれど(笑)。でも、踏み固めて、一歩片足を出すことさえ難しい時期もあるもの――蝸牛の歩であれ、また本気で言葉に向き合うことがあったとしたら、多分、本書と出会った(再会した)おかげになるのだろうな…と思っている。
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9条ができた経緯について、他の研究者の説を比較しながら著者の推論と比較しながら説明されている。戦後の混乱期とはいえ、一国の憲法だからそれ相応の検討と手続きのもとに決まったと勝手に思い込んでいたが、マッカーサー、昭和天皇、当時の日本の指導者たちの個性と状況のせめぎ合いの中で短期間で決まったことを知って驚いた。自分自身は、憲法9条の平和主義に同意ではあるけれど、護憲派でも改憲派でもない、様子見である。この本を読んで、余計に決めかねる状況になってしまった。米国の押しつけ憲法から変えるべき、戦争反対だから憲法は変えないべき、という決めつけではなくて、実態に合わせて議論を尽くすことが必要だという著者の意見には合意できる。
けれど、これは国民の意見を集約するには難しすぎる問題だなと思う。 -
Posted by ブクログ
『13歳のハードワーク』がいちばん興味深くわかりやすい内容。これを最初の章に持ってくるべきでした。本当に中学生に読んでほしいと思うなら、まず読みやすい文章から載せるのがいいと思います。「こんな難しいこと書いてるオレってすごいでしょ、みんなついてこれる?」って思ってる大人の文章から始められると読もうとする気持ちがなくなります。
中学生は小説以外の文章を読む機会が少ないし、意外とまじめなので本は常に最初から読もうとします。興味のあるところから読もうとは思いません。
そしてこれを書いているおじさんたち、子どもがいるなら精一杯育児に関わったでしょうか?中学生、高校生の息子、娘にしっかり向き合ったという自信はあるでしょうか? -
Posted by ブクログ
詩人・文芸評論家であるヨシモト先生(吉本隆明氏)の政治経済の話は参考にならなかった。いくら詩人的直観が鋭くても、社会科学(政治学、経済学)の専門家ではないから、現実の社会についてのきちんとした議論はできないようだ。著者の加藤典洋氏は、そういうヨシモト先生の系統に属する文芸評論家であり、それが原因で、長い間加藤氏に関心を持たなかった。そうは言いながらも、加藤氏の評判をよく耳にするので、ついに本書を手にした次第。
本書の帯に、<日本だけが、いまも「戦後」を終らせられない――わたしたちよ、これでいいのか?>と書いてある。このコピーに対する反応は人さまざまであろう。「戦後」とは、「アメリカの属国・植民地としての日本」を指している。多くの人たちは、(A)「バカなことを言うな。日本は独立国だ」と思うだろう。その他の人たちは、(B)「その通り。何とか戦後を終らせよう」あるいは(C)「その通り。だが、相手が凄すぎるから、どうにもならない」と思うかもしれない。
そこで、先ず、切実な話である「第五部 ではどうすればよいのか――私の九条強化案」のページを開いた。まだ知らないことがたくさん書いてある。特に「Ⅲ 対米独立と基地撤廃条項」の「3 フィリピン・モデルとその教訓」におけるフィリピン政府の対米交渉はすばらしい。加藤氏は次のように述べる。
<興味深いのは、このとき、米国の交渉団団長として乗り込んできて、こうした恫喝を繰り返したのが、当時元国務次官補の立場にあった、日本ではジャパン・ハンドラー(日本操作者)の代表格としておなじみのリチャード・アーミテージだったことです。(略)苛酷な民族的経験とベニグノ・アキノの「殉死」をくぐったフィリピンの政治家たちの何人かには、そのおためごかしの脅迫は、――日本、パキスタンでのようには――通用しませんでした。
当時、交渉の代表の一人だったフィリピンの政治家は、「マングラプス(外相)は、驚くほどの冷静さでアーミテージの怒りに対応し、冷静に反論し、フィリピンの立場を守った」。アーミテージはしまいには冷静になった。このとき以降、私は、自分の立場を押し通すことに慣れすぎた人物とわれわれは交渉しているのだ、と思い知らされた」と穏やかに回想しています。>
<これに基づき、フィリピン政府は、47年に結ばれた米軍基地貸与協定の1年後の終了を米国に通告、その結果、翌92年11月、米軍は最大の基地であるスビック海軍基地から完全撤退し、姿を消します。こうしてフィリピンは、いわば「およそ500年にわた」る「入れ替わり立ち替わり」の「外国勢力」の占領から完全な「独立」を達成するのである。>
加藤氏が「ジャパン・ハンドラーズ」という用語を遣っていることに少々驚いた。私の認識では、よくトンデモ本に現れる類の用語だったが、最近は市民権を得たようである。「ジャパン・ハンドラーズ」について、あるネット記事は次のように説明している。
<日本の政治や外交に影響を与えるアメリカの政策立案者や戦略家を指す言葉。特に、アメリカのシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」に所属する人物が、日本の政策決定に強い影響を持つとされている。
代表的なジャパンハンドラーには、リチャード・アーミテージ(元米国務副長官)やジョセフ・ナイ(ハーバード大学教授)などが挙げられる。彼らは「アーミテージ・ナイレポート」と呼ばれる報告書を定期的に発表し、日本の安全保障政策などに影響を与えてきた。
ジャパンハンドラーズと関係があるとされる日本の政治家には、清和会(自由民主党の派閥)に属する人物が多いと指摘されている。例えば、福田赳夫、安倍晋太郎、森喜朗、小泉純一郎、町村信孝、中川秀直、安倍晋三などが挙げられている。
また、小泉進次郎氏についても、アメリカのシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」で研究員を務めた経歴があり、ジャパンハンドラーズとの関係が深いとする見方がある。>
上記の説明にはないが、マイケル・グリーン(政治学者。専門は東アジアの政治外交、特に日本の安全保障政策)もジャパンハンドラーズのコア・メンバーである。グリーン氏が小泉進次郎氏を指導していると言われている。
それはさて措き、日本は、アーミテージが恫喝するよりも早く彼の要求を受け入れてしまう。だから、フィリピンにおけるような有能な政治家たちと交渉するスリルを、アーミテージは、日本で味わうことが出来なかったのである。
次に、手っ取り早く「あとがき」を見ると、加藤氏は次のように述べる(概要)。
<今回の本を書くにあたって、私がもっとも励まされ、教えられたのは、イギリス人のロナルド・ドーラと、元編集者の矢部宏冶という二人の「部外者」による憲法九条論だった。二人の共通点は、憲法九条の精神を今に生かそうとしたら、それは「護憲」ではなく、「改憲」となる、と見切ったことだ。
彼らから一番教えられたのは、憲法九条の精神の実行に向けた「改憲」論を支える、生き生きとした世界観だ。ドーラは、なぜ日本は世界のことを考えないのか、と言う。憲法九条は、「日本は世界と共にある。世界と共に生きていく以外に自分を全うできない道を選んだのだ」という宣言ではないか、と言う。
また矢部は、沖縄に赴くことで、今何が必要なのか、と言うことを日本に関してつかんでいる。彼の基地撤廃条項の九条への書き込みというアイディアはフィリピンに学ぶ独立の仕方である。それを彼は沖縄で見つけたと私は思う。沖縄と連帯しようとすれば世界につながる。護憲では済まない、という彼の声が聞こえる。
池澤夏樹は、”矢部の本の真価は改憲の提案にある”と評し、”今は直進の「護憲」ではなく「左折の改憲」が必要かもしれない”、”自分の答えは「もう護憲では足りない。左折の改憲を」”と書いた。>
「対米独立と基地撤廃」も、「憲法改正」も、ほんとうの交渉相手は「日本政府」ではなくて「宗主国アメリカ」と言われている。日本政府は、「日米安保条約は国民の命を守るために必要だから、アメリカに日本の領空と基地を自由に使ってもらう」と釈明してきた。ところが、近年は、「国民の命」「日本国憲法」よりも安保条約が上位と揶揄される事態になっているらしい。「基地撤廃」よりも簡単にできそうな「地位協定改正」ですら、ドイツや韓国では何回も実施しているのに、日本政府は一回もやったことがないという。それは無理もないと思う。あの親米の国家主義者である安倍元首相でさえ、独立国家の日本らしく振る舞っていたら、あのような結末を迎えてしまったから(【付録】を照願う。自称「狂人」の副島隆彦氏の言説の真偽はわからないが、もし本当とすれば、日本のマスメディアの報道は軽くフッ飛んでしまいそう)。まして、リベラル左翼がそういうことを健気にもやろうとすればどうなるかは、推して知るべし。本書のようなリベラル左派の議論は、「コップの中の嵐」も同然に思える。やはり、「相手が凄すぎて、どうにもならない」。結局、日本は、保守右翼もリベラル左翼も、仲よく枕を並べて討ち死にする、ということであろうか?
なお、加藤氏は 2019年に亡くなった。ご冥福を祈ります。
お終い
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【付録】
「狂人」副島隆彦氏の発言
孫崎享、副島隆彦の対談『世界が破壊される前に日本に何ができるか』(徳間書店、2023)より
<pp41ー44
副島:(略)私には、アメリカのリバータリアンという政治思想集団から情報が入ります。私は、安倍晋三の死亡を、「安倍処分」と呼んでいます。
どうやら、安倍を処分しようと決断したのは、キッシンジャーたちのようです。キッシンジャーの横に、CFR(外交問題評議会)の会長を長く務めたリチャード・ハース(1951年ー、71歳)がいます。この2人で決めたようです。
最近入った情報では、これにメーガン・オサリヴァン(1969年ー、53歳)が加わっている、と分かりました。彼女は、ハーヴァード大学ケネディ行政学大学院教授で、CFRの幹部で、米欧日三極委員会(トライラテラル・コミッション)の北米議長です。ボヘミアン・グローブの幹部でもあります。
彼女は、ハーヴァード大学教授から上院議員にもなった、ダニエル・パトリック・モイニハン(1927ー2003年)の愛弟子です。モイニハンは学者政治家で、高い見識で尊敬されていた。
ネオコン思想の創始者の一人にジーン・カークパトリック女史(1926ー2006年)がいた。彼女はレーガン政権の国連大使をした。皆にカミソリのような頭脳で恐れられた女性です。オサリヴァン ハーヴァード大学教授は、まさしくジーン・カークパトリックの後継ぎです。
ということは、ものすごい政策実行(プラクティス)能力のある立場です。このメーガン・オサリヴァンが根回しをして、アメリカの支配階級の頂点の組織を回って、安倍処分の同意を取り付けた。
今、孫崎先生が言われたアピースメント・ポリシー(世界を融和する戦略)に、日本の安倍派は危害を加えていると。だから、もうこれ以上、安倍晋三の暴走を許さないという決断をした。安倍晋三たちは、秘密裏に、核兵器作りで実際に動いていた。それが、安倍の命取りになったと私は思います。
日本が核(ニュークレア)を持つことは、NPT(核不拡散条約)体制への反逆となる。アメリカにとっては、国防上の基準に抵触するレッドラインを超える。日本が核を持つことは、北朝鮮の核と全く同じことだ。現行の世界秩序(ワールドオーダー)違反である。だから安倍は”処分”された。
ところが、このことが、日本の右翼言論人たちには理解できない。「日米同盟」で、日本はアメリカと対等だと思い込んでいる。だから、当然、日本が核を持っていい、と信じ込む。だから、バカな行動をする。日本に核を持たせない、というのは、アメリカの強い意志です。
さらには、日本の右翼の心理の根底には、「日本は、アメリカに対する復讐として核を撃つ権利があるんだ」と思っている。これが、どんなに”大間違い”で愚かであるかの自覚がない。ゼレンスキーと同じ頭ですね。だから安倍は殺されたんです。
孫埼:なるほど、そうですか。(略)>
<pp66ー67
副島:安倍が死んだ(7月8日)あと、すぐに岸田がテレビで国民の前に出てきて、鼻水を垂らしながら、お悔やみの言葉を言いました。
本当は死ぬほど嬉しかったくせに。なぜなら、岸田は、ずっと安倍にいじめられ続けて、我慢に我慢で生きてきた政治家だ。人とケンカが出来ない、お坊ちゃま育ちです。
7月14日の安倍の葬儀には、トニー・ブリンケン米国務長官が来ました。本当は、お金を取りに来たのです。同じく、財務長官であるジャネット・イエレンまで来ました。この2人は、別に安倍家にお悔やみを言いに来たのではない。日本が、ウクライナ戦争で払うべき”分担金”を取りに来た。
ウクライナ戦争で、アメリカが使ったお金の半分は、日本が出したでしよう。アメリカは、ウクライナにタダで提供した「M‐777」155ミリ榴弾砲、高機動ロケット砲システム「HIMARS」や、対戦車ミサイル「ジャベリン」などの兵器のお金を、ロッキード・マーチンやダグラス・グラマン、レイせオン、ボーイングなどの軍事会社に払わなくてはいけない。それは全部で12兆円(800億ドル)ぐらいです。
「約束どおり、安倍をちゃんと処分してやったからな」とブリンケンは岸田に言ったでしよう。おそらくそのうちの300億ドル(4兆円)を日本が払ったでしよう。岸田がイヤそうな顔をしたのが、テレビに映りました。
しかし、これは世界政治の裏に隠れているお金ですから、絶対に表には出ないお金です。紙きれである米国債を担保として、日本側が受け取って裏帳簿の帳尻だけを合わせます。その度に、日本の円をドルに換えて持ち出している。
そのときの対アメリカお金出し係は、日本財務省の、事務次官に次ぐNo.2の財務官がやります。黒田東彦日銀総裁もかつて財務官をやっていました。
これまでにアメリカに裏金で渡した日本のお金の残高は、おそらく1800兆円(15兆ドル)ぐらいになっていると思います。
私は、このことを平気で自分の本に書いてきました。誰も本気にされません。このことは、話してはいけないことになっています。日本の財務官のトップ10人ぐらいしか知らないでしよう。政権政治家たちにも教えない。>
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Posted by ブクログ
昭和天皇とマッカーサーを中心として、憲法9条の成立背景、安保条約以後の変容について論じた本。かなり面白い
#創元社 #加藤典洋 #9条入門
マッカーサーの政治的野心が見え隠れし、昭和天皇の免罪を勝ち取り、天皇象徴化による国民の空白を埋めた憲法という位置づけ
憲法に相互主義の規定がないことについての論考は、一読の価値がある。相互主義とは 他の国が従うなら、自国の交戦権を制限して国連に委譲すること。9条について、改正議論が出るとしたら、相互主義の部分であろうと思う
「1条(天皇の民主化)によって生じた日本国民の空虚が、9条(戦争放棄)の理想の輝きによって 埋められた」という結論は なるほどと思った
著者の憲法1条9条論
*1条9条は 昭和天皇を護るために マッカーサーが書かせたもの
*天皇の免罪が、世界の平和を脅かさないことの保障としての9条
*天皇制の廃止でなく、民主化によって天皇主権を否定し、天皇制の存続による軍国主義復活の排除
9条
*戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否定
*日本政府は、1970年初頭まで「自衛権ほ否定も書き込まれている」という解釈に立っていた
*相互主義の留保なく、戦争放棄条項を憲法においた
大統領候補だったマッカーサーの政治的野心
*天皇の東京裁判からの保護
*アメリカと世界に向けての画期的な憲法の提示
マッカーサー「敗戦国である日本こそ、世界平和に向けた精神的リーダーシップをとるべき」
天皇の免罪
*天皇に法的責任はある
*軍部が天皇の意思に反して戦争を起こしたため、免罪理由あり
*天皇を助けることで 国民の信頼を得、傀儡として利用する価値はある
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Posted by ブクログ
「敗者の想像力とは、敗者が敗者であり続けているうちに、彼のなかに生まれてくるだろう想像力のことである。自分が敗者だというような経験と自覚をもっていないと、なかなか手に入らないものの見方、感じ方、考え方、視力のようなものがあるはずだが、そういうものをまとめて、ここでは「敗者の想像力」と呼んでおく。」23
「敗戦国に特有のものではない。それは普遍的な拡がりをもつ。」25
「敗者の想像力と敗者への想像力。
この二つはたしかに違っている。自分たちが敗者である。その自覚の底に下りていく。そしてそこから世界をもう一度見上げてみる。見下ろす想像力と、見上げる想像力。想像力にも天地があるのである。」27
シヴェルブシュ『敗北の文化』
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
「…つまり、占領は、日本が占領されていた敗戦に続く七年間の期間、占領軍の側から「見えにくく」されていただけではなく、被占領側である私たち自身の側でも、それを「見まい、認めまい」としていた。心理的にはどうあれ、構造的には、「見えにくく」する占領側と、「見まい」とする被占領側とが、見事に肝胆相照らし、協力し合っていたのである。」44
「…安岡、小島、また同じ第三の新人の庄野潤三、さらに江藤淳などが、その後、ロックフェラー財団等の助成により、アメリカに「留学」し、小説家・批評家としての滞在経験をもつことになることも、すぐに思い返される。
彼らは、アメリカ政府が招聘しても国益に適うと判断するー左翼性の洗練を受けていないー第三ならぬ、第一期の戦後日本の文学世代でもあったのである。」59
マイク、モラスキー『占領の記憶/記憶の占領』
アハマド・M・F・モスタファ
ポール・スミンキイ
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