では太宰はどうだったのか。
彼は坂口安吾などと違い、決して、戦後になってから「戦中書かれるべきだった」書き方で戦中を書かなかった、と加藤は解釈しています。太宰は戦後には戦後のことだけを書いた。
私たちは間違った。間違いを信じた。加藤によればこの間違いこそ文学の可能性です。だから間違ってしまった後から間違いに気が付いていたかのような書き方をしてはいけない。その可能性の質が倫理的かどうかはここでは考えないけれど、間違うということを文学の可能性としています。
たとえば太宰は「トカトントン」を書いた。信じることのできなくなった青年を小説家は叱ります。私たちは間違える。それを「恐れる」のではなく「畏れろ」と。
この小説家の態度は、『ライ麦畑でつかまえて』のアントリーニ先生の態度です。青年を「未成熟な人間」とし、「卑小な生」を「高貴な死」に優先させる「成熟した人間」になれ、というあれです。
しかしこの態度の「正しさ」はなんと落ち着き払ったものでしょうか。ホールデン君はその「正しさ」をうけいれず、「The catcher in the rye」になりたいと言います。加藤はこう書きます。