加藤典洋のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
以前読んだ村上春樹の短編『眠り』。あれ、ちょっとがっかりしてたんだよね。途中まですごく面白かったのに、最後のオチが、え?とね。村上春樹はよくわかんないのが面白さとは思うんだけど、わかんねーよ、だった。眠らないことによっていろんなことから解放された主人公といっしょに、世界の広がりを感じ始めたと思ったら、最後にひどく怖い目にあうという・・・。閉そく感の中に叩き落された、イヤな気分になったと思う。
本書を読んで、その印象が一変した。
加藤氏のハリウッド的妄想といってたか、によれば、最後に出てきた男たち。その顔は・・・というところでね。あぁ、そういうことだったのか、と妙に納得したのだ。
そ -
Posted by ブクログ
中高生にとって必読の書であるのはもちろん、私たち大人も読んでおくべき1冊。
以下、印象に残ったフレーズを。
「この世に『最低の学校』というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは『よきもの』は何も生まれません。これは断言できます。」(p10:内田樹)
「疑うというのは『排除する』とか『無視する』ということとは違います。『頭から信じる』でもなく、『頭から信じない』でもなく、信憑性をとりあえず『かっこに入れて』、ひとつひとつ -
Posted by ブクログ
批評というのは、ミステリなんだな、と読みながら思った。著者はこういう意図をもって、こういう話を書いたのではないか、なぜなら・・・と論証していく。そのプロセスが楽しかった。
英語で読む、とタイトルについているけど、読んでいるのは日本語なので、それはあんまり関係ない。ただ、『納屋を焼く』という短編について語ったときの話だ。この作品、日本人と海外の読者で、解釈がまったくちがうのだという。海外の人の多くは、この作品をものすごく怖い話として読んだというのだ。そして村上春樹という作家は、自分の作品がどのように読まれようとも、あるいは狙った読まれ方がされていなくても、まったく何も言わないという人の悪いとこ -
Posted by ブクログ
敗者というと、ひどく重く、ネガティブなものであるような気がする。特に著書の姿勢としては戦後日本のありようをオーバーラップさせている面は強いだろう。でも、それがわかっていてなお、ここでいう敗者とは、無視できない他人がいて、そういう外部となんとか折り合いをつけて生きなければならない自分自身という気がする。勝者は勝者であるがゆえに、しばしば他を無視することができる。あるいは自分を押し通すことができる。でも人間生きていてさ。常に自分を押し通すことが可能だろうか。そんなわけないよなぁ、と思うのだ。である以上、ここで論じられているのは、自分自身のことに他ならないという・・・なんというか、とても刺激的な本だ
-
Posted by ブクログ
ミステリを読んでいるかのように、ひきこまれた。読み進むにつれて、謎が解かれていく気分の良さ。解かれていく謎っていったら、そりゃ村上春樹という作家さんの謎でしょう。タイトルの通り、村上春樹は難しい。これはこういう話だったんだ、というスッキリ感があまりない。それでもなんか読んでしまうし、好きな作品は何度か読み返したりもしている。それは村上春樹自身がしばしばいうように、文体に魅力があるからかもしれない。あるいは、他に何か企業秘密的に表に出てこない魅力があるのかもしれない。
本書で説かれているのは、もちろん加藤氏の見方ではあるだろう。でも、作品を対比し、広い知識と明確な論理で語られる解釈は、強い説得 -
Posted by ブクログ
改憲すべきなのか護憲すべきなのか、自分なりの意見を持ちたくて本書を手に取った。
本書では、日本国憲法ができてから日本の占領が終わるまでの過程が綿密に書かれている。今まではただ漠然と「アメリカが作った憲法」ということしか知らなかったが、アメリカと言ってもマッカーサーとアメリカ本国のすれ違いであったり、マッカーサーと連合国軍・極東委員会の対立であったり、GHQがたった2週間ほどの期間で憲法草案を作成した事実であったり、知らないことの連続だった。そして何より、自分も含め多くの日本国民が自国の憲法の成立過程すら知らないという事実に驚いた。
正直本書を読みきった今でも、自分の中で改憲か護憲かの考えは -
Posted by ブクログ
「左派」とか「リベラル」とかに胡散臭さを感じている。「安倍政権下では改憲議論すら反対」と述べ(地元有力紙が追随して)圧勝した地元選出の野党議員のことは自分勝手な人間だと嫌悪した。9条改憲議論について深く考えたことはなかったけど、毎年やってくる原爆(を落とされた)記念日と終戦(敗戦)記念日を前に、この分厚さと優しい語り口は信頼できると思い、護憲ではない「左派」思想を読み進めた。
右とか左とか、改憲とか護憲とか、自分にとってはどうでもいい。自分は日本に生まれ育ったから日本国民であることに間違いないけど、70年以上も前の侵略戦争のことで私が謝罪しなければならないとは微塵も思わない。芸術祭でワザと未 -
-
Posted by ブクログ
中学生、あるいは高校生ぐらいの読者を対象にしているシリーズの一冊。ほかの出版社の、ぼくは気に入っている「よりみちパンセ」のシリーズより少し年上の読者が想定読者か?
内容は、あれこれあるのだけれど、高橋源一郎の、アメリカの大統領だった、オバマの広島訪問演説に対する解説(?)が俊逸、さすが「ゲンちゃん」という内容で、記憶に残った。
内田樹の編集方針も悪くない。学校の先生方も通勤電車で、一つずつお読みになればいいのではないでしょうか。ここで、さまざまに指摘されている社会の変化の中で、教育が、それはあかんやろ、という方向を支えていることに、ギョッとなさるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ平成の残りの日に一日一冊読書しようと考えて『羊をめぐる冒険』から読み始めたのは加藤典洋のこの本の出版記念トークショーを聴きながら思いついた。
加藤は、村上春樹がただの本が売れる作家なのではなく、日本の伝統的純文学の系譜に連なる小説家であることを示していく。
「村上は、その作品を虚心に読む限り、これら安倍、三島、お終えに対立するというよりも、その反逆の伝統に連なる日本の戦後の文学者の一人である。その批評的エッセイを読めばわかるが、太宰治をはじめ、川端康成、永井荷風、谷崎潤一郎、夏目漱石など近現代の日本の文学の山稜に直接に連なる、じつに知的内蔵量膨大な端倪すべからざる文学者なのである。」
「私とし -
Posted by ブクログ
3.11の原発事故を契機として現代社会のリスクを根源的に問い直す内容。ここでも、彼は原発事故のもつ思想的な意味を問うため、現代産業論、リスクと保険の関係、科学技術史などを改めて勉強し直す。この誠実さが、結論に関わらず、読み手の納得感を生むのだろう。
まず、著者の心を強く揺さぶったのは、原発にかけられるはずの保険が更新できなかった、という小さい記事だ。これが、産業の発展があるリスクの許容限度を超えたのではとの危機感を著者にもたらす。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」や、「成長の限界」論など「地球の資源はもはや無限ではない、有限だ」という警告は繰り返されてきた。しかしそれらが力を持ちきれなか