感情タグBEST3
Posted by ブクログ
著者本人も言っているとおり、実践的文章教室でも文章読本でもない。文を書く人の感性そのものを刺激する本。
自分の出身大学でこんなすばらしい授業がなされていたとは、残念。大学時代に受けられていたら、今頃は、もっと澄んだ高見の景色が見れていたと思う。
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いかめしい名前だけれど、その中身はタイトルから想像されるよりもずっと和かい。不自由な言葉の自由さを感じることができて、もっと自分の頭にあることを言葉にしてみたいなと感じた。
七歳の男の子が書いたとという日記の言葉
ぼく かえる みつけた。
しみそう。
くさのところへ いきました。
これを正しくすると、
ぼくはかえるをみつけました。
しにそうでした。
くさのところへいきました。
となるけれど、途端に最初にあった言葉が持つ余韻が消えてしまっている。最初の文章は書いた男の子の姿までをも想像させるものだったのだろう。明らかに不完全な文章なのだろうけれど、完全である必要なんてどこにあるのだろう?
僕は普段の仕事で明確な言葉を使うようにしている。というよりも、それはサイエンスというものの大事な一部だ。ただ、サイエンスの言葉と文学の言葉とは同じ文字でも役割と目的が全く違う。この本を読んで、僕は不自由でも許されるような言葉の自由さをやっぱり愛しているなと感じた。こんなブログでも僕が10年弱の歳月、絶えず書き続けることができているのは、言葉を愛しているからだろうな。
一人酒のようなものかもしれない。誰にも害はないし、本人は悦に入っている。いや、それよりも幾分ましかもしれない。言葉はどんなに拙くとも、時々人を救う。
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『敗戦後論』で良くも悪くも著名な筆者だが(高橋哲哉に代表的な「良心的」知識人からの批判等)、個人的には以前かなり救われた一冊。あくまでも個人的だけど、かけがえのない感動した本、マイ・ベスト10――あるいは、ベスト5でも入れるだろうなあ、と思う。数年来、どうも思ったような言葉にならず、我ながら腑に落ちない日々…。勇気を振り絞って(?)痛み苦しみながら、最初からゆるゆると読み直している。が、ああ、やっぱりどの講義(章)も切実で真摯だなあという印象。自分の足場(デカルトの「格率」論も出てくる)がわからなくなってしまった…そんな思いを感じている人には、文章表現にかかわらずとも、救われるところがあるような気がする。それは勿論、棘だらけの茨の道を自力で踏みしめる以外にはやはりない、ということではあるけれど(笑)。でも、踏み固めて、一歩片足を出すことさえ難しい時期もあるもの――蝸牛の歩であれ、また本気で言葉に向き合うことがあったとしたら、多分、本書と出会った(再会した)おかげになるのだろうな…と思っている。
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日本語の使い方を丁寧に指導してくれる好著だ.このような講義を受けてみたいものだ.前半にためになると思われる指摘が多かったように感じた.例えば、p67 "終わりに美辞麗句.これは自分の文章を台無しにしようとしたら一番効き目のある特効薬です." 今はSNSに短い文を書くくらいしかないが、しっかりした文章を書くことを心掛けよう!
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著者が明治学院大学でおこなった「言語表現法」の授業を再現した本です。
学生たちの文章に、著者の講評が加えられるとともに、文章を書くためのさまざまな工夫について考察が展開されています。著者の文章にはやや強めのクセがありますが、比喩の表現などには定評があり、本書の説明の中でも、なかなか言葉で説明しにくい文章表現のコツが、卓抜な比喩を通して解説されています。
評価に著者自身の主観が入ってくることを避けるのではなく、ストレートに著者自身の感受性にしたがって評価がおこなわれているところに、かえって信頼感を抱きます。
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考えるために書くこと、書き表すこと。硬派な見かけによらず、平易なことばと例えで語られて面白かった。現国の先生を思い出した、こんな先生の講義を受けてみたいものだ。
良い文章とは、1)自分にしか書けないことを 2)だれが読んでもわかるように書く
感動が深くても文章がいいことの保証にはならない。書きたいことがあることは必要条件にすぎない、これの他によそからくるものが必要。過飽和のホウ酸水に結晶ができるように。
吉本ばなな以降の文章、言葉はモノではなくコトに戻った、半独言。言葉を書く経験が、コトバを駆使し、操り、料理することから、何かにぶつかり、何かを考える、というところまで「差し戻され」た。