あらすじ
1945年、日本は戦争に負け、他国に占領された。それから四半世紀。私たちはこの有史以来未曽有の経験を、正面から受け止め、血肉化、思想化してきただろうか。日本の「戦後」認識にラディカルな一石を投じ、90年代の論壇を席巻したベストセラー『敗戦後論』から20年。戦争に敗れた日本が育んだ「想像力」を切り口に、敗北を礎石に据えた新たな戦後論を提示する。本書は、山口昌男、大江健三郎といった硬派な書き手から、カズオ・イシグロ、宮崎駿などの話題作までを射程に入れた、21世紀を占う画期的な論考である。【目次】まえがき/はじめに 想像力にも天地があること――小津安二郎、『敗北の文化』、カズオ・イシグロ/第一部 敗者の日本/第一章 私たちが被占領民だったころ――W・G・ゼーバルト、林達夫、朴泰遠/第二章 占領下の文学――第三の新人、曽野綾子、大江健三郎、目取真俊/第三章 ゴジラは死んで、どこに行くのか?――本多猪四郎、R・エメリッヒ、G・エドワーズ/幕間 シン・ゴジラ論(ネタバレ注意)――庵野秀明/第二部 敗者の戦後/第四章 低エントロピーと「せり下げ」――山口昌男と多田道太郎/第五章 世界の奴隷として考えること――吉本隆明と鶴見俊輔/第六章 「成長」なんて怖くない――宮崎駿と手塚治虫/第七章 大江健三郎の晩年/終わりに 『水死』のほうへ――大江健三郎と沖縄/あとがき
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Posted by ブクログ
大学時代読み切れなかった本をやっと読破。
間違いなく私の人生の中で出会えて良かった本10番に入る。
この本をきっかけにジブリ作品を見返したい、さらにはその作者、宮崎駿に影響を与えてきたものをもっと知りたいと思い、新しい本を購入。宮崎駿『出発点』『折り返し点』
Posted by ブクログ
この本を読むきっかけとなったのは、2017年6月9日、大阪朝日カルチャーセンター中之島教室主催の、内田樹先生と高橋源一郎先生による対談である。
その中で、高橋先生はこの著作の内容に触れながら、権力に立ち向かう「敗者としての立ち向かい方」についての示唆をされていた。
それは、この本の第2部で詳しく述べられている。一例を挙げれば以下のようなところである。
“この世にはさまざまな不正がある。すぐにはただせない「悪」もある。けれども、この世の不正をただすことができないままに果たされる、それと同じだけ大きく、深い「正しさ」もある。あるはずだ。”
今、日本では多数派政党による悲惨な政治状況が現出している。そんな現状を何とかしたいと切歯扼腕しながらもどかしい思いを抱きがちであるが、この本はそんな思いに新たな視点と、そして何より希望を持たせてくれる著作である。
Posted by ブクログ
「敗者の想像力とは、敗者が敗者であり続けているうちに、彼のなかに生まれてくるだろう想像力のことである。自分が敗者だというような経験と自覚をもっていないと、なかなか手に入らないものの見方、感じ方、考え方、視力のようなものがあるはずだが、そういうものをまとめて、ここでは「敗者の想像力」と呼んでおく。」23
「敗戦国に特有のものではない。それは普遍的な拡がりをもつ。」25
「敗者の想像力と敗者への想像力。
この二つはたしかに違っている。自分たちが敗者である。その自覚の底に下りていく。そしてそこから世界をもう一度見上げてみる。見下ろす想像力と、見上げる想像力。想像力にも天地があるのである。」27
シヴェルブシュ『敗北の文化』
カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』
「…つまり、占領は、日本が占領されていた敗戦に続く七年間の期間、占領軍の側から「見えにくく」されていただけではなく、被占領側である私たち自身の側でも、それを「見まい、認めまい」としていた。心理的にはどうあれ、構造的には、「見えにくく」する占領側と、「見まい」とする被占領側とが、見事に肝胆相照らし、協力し合っていたのである。」44
「…安岡、小島、また同じ第三の新人の庄野潤三、さらに江藤淳などが、その後、ロックフェラー財団等の助成により、アメリカに「留学」し、小説家・批評家としての滞在経験をもつことになることも、すぐに思い返される。
彼らは、アメリカ政府が招聘しても国益に適うと判断するー左翼性の洗練を受けていないー第三ならぬ、第一期の戦後日本の文学世代でもあったのである。」59
マイク、モラスキー『占領の記憶/記憶の占領』
アハマド・M・F・モスタファ
ポール・スミンキイ
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Posted by ブクログ
敗者というと、ひどく重く、ネガティブなものであるような気がする。特に著書の姿勢としては戦後日本のありようをオーバーラップさせている面は強いだろう。でも、それがわかっていてなお、ここでいう敗者とは、無視できない他人がいて、そういう外部となんとか折り合いをつけて生きなければならない自分自身という気がする。勝者は勝者であるがゆえに、しばしば他を無視することができる。あるいは自分を押し通すことができる。でも人間生きていてさ。常に自分を押し通すことが可能だろうか。そんなわけないよなぁ、と思うのだ。である以上、ここで論じられているのは、自分自身のことに他ならないという・・・なんというか、とても刺激的な本だった。吉本隆明と鶴見俊介は、もっと意識的に読んでいきたいと思ったね。あと大江健三郎についてはほとんど読んでいないんだけど、異様な迫力で論じられていたな。そんなことがあったんだ、と重く感じた。
Posted by ブクログ
某所読書会の課題図書.膨大な数の作家名が出てくるが,残念ながら読んだものが僅かだ.カズオ・イシグロの作品の考察で主人公が「かくも従順に,抵抗もせずに,不当なことを受け止める」由だが,その行為自体が"敗者の想像力"になるのか,と推測してみた.ゴジラの話も楽しめた.山口昌男の「挫折の昭和史」の解説で「控え目で壊れやすい」知的感受性を抑圧する構造が,連続して続いてきたことに"敗者の想像力"を見ているような気もした.大江健三郎の沖縄裁判の話はあまりよく理解できなかったし,"敗者の想像力"からやや外れている感じがした.