加藤典洋のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『村上春樹は、むずかしい』というタイトルであるが、ここまで読み込むのであれば、むずかしいというのも頷ける。
例えば、初期短編『中国行きのスローボート』については、初編からの細かな改変部分に目配せされていてその意図についての解釈が解説される。これまで、村上春樹の父と中国に対する一種の集合的な罪の意識についてはほとんど意識することもなかったのだが、言われてみるとノモンハン事件をひとつのテーマとして含む長編『ねじまき鳥クロニクル』など、村上春樹が、中国との過去の戦争に対して特別な思いを抱えていることは確かなのだと思う。中国との関係においては『アフターダーク』で描かれた中国人女性への暴力にもその流れとして触れられている。『アフターダーク』を自分の最初の短編である『中国行きのスローボート』への返歌として書かれたという読みは鮮やかである。村上春樹本人はその辺は読者にゆだねられていて、自分はそうだったかどうか覚えていないと言うのかもしれないが、こういう謎解きを提示されると、文芸批評もひとつのエンターテイメントであると感じる。とにかく『中国行きのスローボート』は比較的好きな短編だが、そこに新しい意味を見つけることができた。そして、もう一度『アフターダーク』と『ねじまき鳥クロニクル』を読んでみたくなったのは、加藤さんの文芸批評の力だと思う。
村上春樹のクロノグラフィを追うに当たり、『ねじまき鳥クロニクル』の第一部/第二部と第三部の間に起きた1995年の二つの事件「阪神淡路大震災」と「オウム真理教サリン事件」は明らかに大きな影響を与えた事件として捉えられる。加藤さんは、そこでの変化を『めくらやなぎと眠る女』のオリジナル版と1995年に朗読のために短縮した改作版を比較することで語っている。この比較的有名な短編から『ノルウェイの森』との関係性とその変化を語るのは謎解きとして非常に面白いし、著者にしかできないことではないかと思う。『めくらやなぎと、眠る女』に出てくる女の子と友人が、直子とキズキに当たるというのは目からウロコであった。また、そこでは『ノルウェイの森』の冒頭でも描かれた、喪失についての後からの気づきによる悔恨というものが繰り返されているのである。
もちろんオウム事件の直接的な影響は『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』を書いたことである。この経験は言わずもがな大きなものであったはずだ。丁寧に両者の声を拾ったこの本を自分はとても大事な本だと思っている。『神の子どもたちはみな踊る』や、これまでの自分の中ではベストの長編と思っている『1Q84』にも通じるものである。ちなみに同じように第三部が別の時期に遅れて出版された『1Q84』と『ねじまき鳥クロニクル』の対照比較も面白い。
ノーベル文学賞の話で、2013年にスベトラーナ・アレクシェービッチ『チェルノブイリの祈り』が候補として出てきたときに、加藤さんはぜひにノーベル賞をとるべきだと思い、同時に『苦海浄土』の石牟礼道子との対談を実現させるべきだと書いている。この後、2015年にアレクシェービッチは実際にノーベル賞を取るのだけれども、加藤さんが持った思いに自分も同感である。加藤さんは村上春樹の中に「大きな主題」を求めているわけだが、『1Q84』以降の『色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年』や『女のいない男たち』には「小さな主題」に引きずられたまま、水中深く沈んでいこうとしていると指摘する。著者によると次の大きな主題をめぐる長編は2017年ごろになるのではないだろうかというが、その2017年に出た『騎士団長殺し』について、著者はどう語るのだろうか。
手際鮮やかで、村上春樹好きならば手に取ってほしい本。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ伝統的な日本の純文学の系譜と対比的に捉えがちな村上春樹を、日本の近現代の文学の伝統の上に位置づけるという批評的企ての書。村上作品の変遷を主要な作品を通して見ていく。
『風の歌を聴け』
近代の原動力となってきた否定性を否定しながらも、その没落を悲哀に満ちたまなざしで見送るという斬新さ。
初期短編3部作
・従来の否定性から遠く離れ(ディタッチメント)、それにいま手も触れられず何も言えない。そういう躊躇いの場所になお新しい否定性が見出されようとしている(コミットメント)
・否定性がもはやほとんど空転し、自壊し、意味を失い、誰からも見捨てられたなかで、その没落の奈落までつき合うこと、寄り添うこと、ほとんど聞こえない否定性からの絶望しきった呟きに耳をすますことである。
パン屋襲撃
消費社会の到来によってそれ以前の反体制的な否定性が巧みにポストモダニティにからみとられる、そのえも言われぬ感触が上手に捉えられている。
パン屋再襲撃
否定性の回復がどのように滑稽なほど錯綜したプロセスを経なければならないかをアイロニーに満ちた筆致で私たちに教える
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド
否定性の素が失効し、人に見捨てられた時期には、せめて自分用のルールを作り、それを墨守すること=内閉性・マクシムが、少なくとも世間のニヒリズムに染まらないための抵抗の砦となり、モラルとしての否定性を仮死のままになお生き延びさせる唯一の方途となりうる。
ファミリーアフェア
しかしマクシムの生き方は腐敗することを思い知らされる。
という感じで作品の本質を次々と言い当てていくその切れ味は快感。どう読んだら、あの作品からこういった主題を抽出できるんだろうと素朴に思った。そして、村上春樹の自己更新の姿勢、変わり続ける姿に感銘を受けた。
ノルウェイの森
・永沢さん…他人に動かされず、自分のスタイルとルールを持っているという意味での肯定的な指標だった在り方が、ここに来て、自閉の一形態とネガティヴに捉えられている。
・僕…かつてのデタッチメントから追放され、スタイルを持たず自分のこと足場を失った格好の悪いよるべない存在。何からも支えられないという文学の原点的な場所に主人公を立たせることに成功した。
ねじまき鳥クロニクル
・磁力の淵源はここでも主人公が徒手空拳の徒であること、ささえのなさ、なのである。
・物語性の展開、という前期の小説制作の方法は、この中期に来て物語世界への没入、物語への捨て身の投身ともいうべき新たな強度の段階へ進む。
・アメリカに数年住むことによって、自分と日本のむすびつきを、自分の社会的責任を、コミットメントということをもっと考えたいと思うようになった。
・そのようにして彼の中に浮かび上がってきた歴史は、絵空事のように描写されたが、現実の持つ現実性が時の経過の中でリアルな意味をすり減らしている場合、現実性はフィクションを通じてしかリアルな意味を回復できないことが分かる。
めくらやなぎと、眠る女
デタッチメントという態度の消極性を反省するとともに、弱い他者にこそ、人が助けられうる、そのことの持つ新しい可能性に光を当てる。
アンダーグラウンド
・日本でこの社会でサラリーマンをやっている人たちも自分と変わらない、同じ人間なのだという発見。以降、村上の世界は豊かに、広く、深くなっていく。
・稚拙な青春とか純愛とか正義といったものごとが、その稚拙さゆえにいま切実に人々の心に働きかけているのではないかという思考。
ここまでが第2部です。次の海辺のカフカあたりから更に話が難しくなってくる。
-
Posted by ブクログ
この本を読むきっかけとなったのは、2017年6月9日、大阪朝日カルチャーセンター中之島教室主催の、内田樹先生と高橋源一郎先生による対談である。
その中で、高橋先生はこの著作の内容に触れながら、権力に立ち向かう「敗者としての立ち向かい方」についての示唆をされていた。
それは、この本の第2部で詳しく述べられている。一例を挙げれば以下のようなところである。
“この世にはさまざまな不正がある。すぐにはただせない「悪」もある。けれども、この世の不正をただすことができないままに果たされる、それと同じだけ大きく、深い「正しさ」もある。あるはずだ。”
今、日本では多数派政党による悲惨な政治状況が現出している。そんな現状を何とかしたいと切歯扼腕しながらもどかしい思いを抱きがちであるが、この本はそんな思いに新たな視点と、そして何より希望を持たせてくれる著作である。 -
Posted by ブクログ
第一部では、前作の敗戦後論を振り返るとともに、改めて戦後日本が抱えた死者の分裂と対外的な二重人格性の指摘がなされます。他国より自国の死者を先に意味付けることを批判されたことに対する応答が多めです。第二部では、吉本隆明や吉田満ら戦中派の戦争への没入という誤りに、戦後社会が立脚することの意義が述べられます。そして丸山真男ら進歩的知識人たちでは自らのうちに内外に発信するべき強度のある理論を構築できない理由が説明されます。第三部では矛先が逆に保守派の佐伯啓思の言説に向かい、主体が自然的共同体でなく近代主義的であるべき説明がなされます。私利私欲が近代社会で位置付けられてきた経緯や、そこからはみ出したドストエフスキー的な悪にも愛があるという説明は、独立した近代社会論やドストエフスキー論のようです。第四部では、三島由紀夫を題材に戦前と戦後の断絶を改めて強調し、左派と右派が長年してきた「浅い川を渡る」ような解釈が戒められます。
戦中派が死者に近い場所にいるということは興味深く読みました。しかし全体を通しての問題意識が、「日本の謝罪が他国に受け入れられる為に」というところにあるので、2010年代の今どれほど役に立つ議論になっているのか疑問です。人格分裂を内在化したままに克服することは、正論だと思いますが、主体の構築と相まって、今の世ではますます本書のいう謝罪から遠のく一方のように感じます。昨年、広島と真珠湾で慰霊をした日米トップは、政治的な背景がありつつも、互いに人格分裂を内在化しているがゆえ謝罪をしなかったのではないでしょうか。もちろん本書でいう浅い川を、さも深い川かのように渡っているだけのパフォーマンスかもしれません。しかしその浅深はいつか歴史が判断するでしょう。
また、いつまでも川の深い場所を探し続けることが時流に会うのかと、敢えて考えてみます。今では、死力を尽くして戦った父祖がいた、悲惨な銃後を彷徨った子女がいた、そのことが現代の価値となって様々な平和思想の啓蒙になっています。浅い川も案外悪くないのではと思うと同時に、死者と戦中派に想いを寄せることもまた可能なのではないかと。 -
Posted by ブクログ
[村上さん、引きずり出してみました]人によって好き嫌いが大きく分かれ、文芸界での評判も分裂する傾向にある村上春樹とその著作。デビュー作となった『風の歌を聴け』から直近の『女のいない男たち』までを時系列的に眺めながら、村上春樹の文学史的評価に新たな光を当てようと試みた作品です。著者は、文芸評論家として活躍し、早稲田大学の名誉教授を務める加藤典洋。
村上春樹論なのか、はたまた村上春樹を借りた加藤典洋論なのかがぼやけるところが散見されましたが、「難解」とされる村上春樹の歩みそのものの中に物語を見出している点で評価でき、そして興味深い作品。村上春樹の作品をかなり読んだ人でないと「?」という状態になってしまうと思いますが、本書を脇に村上春樹の著作を読み進めていくのも刺激的な経験になるかもしれません。
〜村上は日本の純文学の高度な達成の先端に位置する硬質な小説家の系譜に連なっている。違うのは、彼が同時に大衆的な人気をも、海外での評価、人気をもかちえているという、文学的に無視できないが最重要ではないただ一点だけである。そのことに惑わされるべきではない。村上は野球帽を捨てないからといって何も、「文学ぎらい」ではないのだ。〜
そして村上春樹の著作を改めて読みたくなるという......☆5つ -
Posted by ブクログ
内田樹『身体に訊く』-言葉を伝えるということはどういういことか
加藤典洋『僕の夢』-中高生のための「戦後入門」
高橋源一郎『表と裏と表』-政治の言葉について考える
平川克美『人口減少社会について根源的に考えてみる』
小田嶋隆『13歳のハードワーク』
岡田憲治『空気ではなく言葉を読み、書き残すことについて』
仲野徹『科学者の考え方』-生命科学からの私見
白井聡『消費社会とは何か』-「お買い物」の論理を超えて
山崎雅弘『「国を愛する」ってなんだろう?』
想田和弘『「中年の危機」にある国で生き延びるために』
鷲田清一『社会に力がついたと言えるとき』
以上11人の寄稿文
内田樹氏の以下の呼びかけに対応して書かれたもの
『刻下我が国の政治・経済・メディア・学術・教育・・・どの領域を見ても、「破綻寸前」というのがみなさんの現場の実感ではないかと思います。・・・・私たちが果たさなくてはならない最優先の仕事は「今何が起きているのか、なぜそのようなことが起きたのか、これからどう事態は推移するのか」を責任をもって語ることだと思います。』
各11編の寄稿は、それぞれとても意義ある内容だと思いました。 -
Posted by ブクログ
ノーベル賞候補にも名があげられ、日本を代表するといっても過言ではない村上春樹さんについて、あまりに強いそういったフィルターを取り除いた本当の凄さというものについて書かれています。大衆的な人気を得ているからといって、そんなに軽い作家ではないと。村上春樹さんとして、文学に対する壮絶な戦いを闘われているということ。初期から最近に至るまでの、村上春樹さんの著書の分析、周囲の反響などを詳細に分析されています。多数の著作がありますが、それらを読む読み方が変わってしまうと思いました。
読み終わってから、読み直して、「はじめに」の最後に書かれている著者の言葉「見くびってはならぬ。「村上春樹はむずかしい」のである。」という言葉に、著者の並々ならぬ思いが込められていることを感じました。 -
Posted by ブクログ
600頁を超える大部な新書。
扱うテーマは濃いが、語り口は平易で、大変読みやすい。
世界戦争の持つ意味(本来の、「もたざる国、ならず者国家v.s.国際秩序の擁護者」の構図から、「全体主義、ファシズムv.s.自由民主主義」という物語の「再成形」)、原爆が持った大きな歴史的意味や、米国による原爆投下を批判できない日本の問題(原爆慰霊碑に見られるような「絶対的(理念的)平和主義」が現実に即していないこと)、吉田ドクトリンを基軸とした戦後日本の歩み(親米・軽武装・経済中心主義による、対米従属の意識の緩和策)、未だくすぶり続ける駐留米軍基地や核兵器の問題など、第一次世界大戦以降から現代に至るまで、緻密な歴史分析と問題提起を行う。
そして、これらの歴史から生じた「ねじれ」(著者は折に触れてこの言葉を使っているが、かなり多義的に用いられている感がある)、日本の対米従属や核廃絶といった問題を解決するための、日本の唯一のあり得べき道として著者が提案するのが、国際主義に立脚した国連中心主義と、憲法9条の強化(改憲により、国連中心主義や非核三原則、外国軍基地撤廃等を宣言する)である。
近時の報道やネットコミュニティ、あるいは街頭において散見されるヘイトスピーチや「東アジア外交の重視⇒左翼、売国」といったレッテル張りがいかに空虚で、それによるマイナス作用を見ていないものか、あるいは、これまで日本でよく語られてきた「戦争は悪、自衛隊は悪、核兵器は悪、平和を守れ」といった(そのように主張するだけの)理想主義的言説が、いかに現実と遊離し、日本の抱える諸問題を解決に導いてこなかったかが、よくわかるはずである。
著者の結論に乗るにせよ反るにせよ、今後の日本のより良い、現実的に可能な未来を考えるに当たって、必読の書。 -
Posted by ブクログ
村上春樹の文学が、時代と自分にとっていかに切実だったか、痛感した。一貫性のある、また、真っ当な評論である。一気に読んだ。
・どのような近代的な文学も、必ず、社会がゆたかになっていくある時点で、否定性が従来のかたちのままでは文学を生き生きと生かし続けられない転換点が来る。
・現実のもつ現実性が時の経過の中でリアルな意味をすり減らしてしまう。そういう場合、その現実性は、いまやフィクションを通じてしか、リアルな意味を回復できない。
・麻原の物語の力はむしろ稚拙であったからこそもたらされたのではないか。
・戦争が終わるということはないある意味で正義という魔法が解けること。その後、青豆の運命は私たちから遠くない。