戦記(ノンフィクション)作品一覧
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-昭和17年12月1日、広島県江田島の海軍兵学校74期1,020人が入校した。太平洋戦争のはじまった翌年の入校だが、志願の動機は、短剣を下げた兵学校の格好よさ、待遇が圧倒的であった。入校式は、白亜の大講堂で、当時の海軍兵学校長井上成美中将により、「兵学校生徒を命ず」の歯切れよい命課告達がなされた。これより昭和20年3月30日の卒業式まで2年4ヶ月にわたる74期海軍兵学校生徒の日々が始った。
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-零戦初空戦を指揮して敵機全機撃墜、味方の損失ゼロという一方的勝利を挙げ、真珠湾攻撃でも戦闘機隊を指揮した名飛行隊長、進藤三郎さん、海軍屈指のベテラン搭乗員で、フィリピンでの特攻作戦で直掩機として戦友の突入を見守り続けた角田和男さん。「搭乗員の墓場」といわれたラバウルで、二度にわたって被弾負傷しながら最も長く戦い続けた中村佳雄さん他、最前線で敵機と渡り合い続けた6人の元搭乗員が見た戦場の真実とは?
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-英軍の援蒋ルートを、インドのアッサム地方攻略によって遮断する。これが、インパール作戦の目的であった。昭和18年における、日本軍の後退ムードを断ち切るためには、絶好のカンフル剤となる作戦ではあったが、度重なる図演の上でも、成功の確率は皆無であった。しかし、陸軍は、第十五軍司令官・牟田口廉也中将を核として、昭和19年初頭、その決行に踏み切る。それこそは、日本陸軍の指揮・命令系統の崩壊の始まりであった。旧陸軍出身の著者が、経験に基づいた分析を加えながら、日本陸軍最悪の作戦の様相を描く、書き下ろし戦史。
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-昭和の戦争を経験した陸軍軍人たちが書き残した書物は数多い。そこには開戦から終戦に至るまでの生々しい経緯、帝国陸軍内の空気、さらには戦後思想への評価など、当事者でしか描きえない貴重な証言の数々が見出される。石原莞爾、瀬島龍三、堀栄三、田中隆吉、遠藤三郎等々の著作を取りあげ、書き手の政治的立場や帝国陸軍内での地位、見識と教養、さらには語り手としての誠実さを見極めながら、第一級の昭和史資料を読み解く試み。
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-連合軍戦闘機を圧倒し、「無敵零戦」神話の立役者の一人となり、戦後、郷里の群馬県上野村村長として、村内の御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の救難活動にあたったことでも知られる黒澤丈夫さん。零戦初空戦に参加し、教え子たちから「零戦の神様」と呼ばれた岩井勉さん。海軍戦闘機隊指折りの名パイロットながら、米軍捕虜となって生涯そのことを背負って生きた中島三教さん他、7名の零戦搭乗員の生々しくも貴重な証言集。
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-昭和20年8月17日、大村基地の海軍343航空隊。隊長の源田実が下令する。「俺は自決する。行動をともにする者は柔剣道場に集まれ」将兵らは最期の杯を交わすうちに減り、残った者は23人。源田は言った。 「死ぬよりも重要な任務がある」 皇統護持作戦。天皇陛下処刑という最悪の事態に備え、皇族の子弟を九州山中に隠匿する極秘作戦をいまから展開する。源田はそう宣言した。作戦は以降36年間にわたり極秘裏に継続された。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 映画・漫画のモデルになった伝説の大海賊が満載!! 大航海時代、ポルトガルとスペインは熾烈な領土争いから紛争に発展。 それを尻目にイギリスやフランス、オランダが進出し、 勢力図を塗り換えていった。 いち早く産業革命が始まったイギリスでは、 余剰労働力を最も高い利益を生み出す通商交易へ振り分ける政策がとられた。 経済活動を他国の財産の収奪へと向かわせる合理的な政策、 要は政府公認の海賊の誕生である。 これは、ポルトガルとスペインなどから海外領土獲得競争に遅れを取った苦肉の策でもあった。 だがこれが、『海賊の黄金時代』の到来を意味することになる――。 【漫画】 ・エドワード・ティーチ ・フランソワ・ロロノア ・アン・ボニー&メアリー・リード ・フランシス・ドレーク ・ウィリアム・キッド ・ヘンリー・モーガン ・バーソロミュー・ロバーツ 【海賊列伝】 エドワード・ロウ/ジョージ・ラウザ/サミュエル・ベラミー/ ジャン・ラフィット/ウルージ=レイス/バルバロス・ハイレディン /グレイス・オマリ/チャールズ・ジョンスン…他多数 【海賊百科事典】 旗/服装/船員/食事/掟/刑罰/航海/船具/海戦/襲撃/ 武器/財宝/娯楽/迷信/海獣/魔の海/巣窟/理想郷/…他多数 さらに、年表、海賊船図解など情報多数掲載!!
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-輸送船を護衛して、南はレイテ、シンガポール、北は稚内と米軍機、米潜水艦と死闘を繰り返した歴戦の海防艦も、ついに、終戦前日、米潜トースクの放った誘導(ホーミング)魚雷が、艦尾に命中。 しかし、兵庫県香住の漁船団により、多くの乗組員が救出されました。 大戦、最後の沈没艦・第13号海防艦通信兵の手記です。
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-太平洋戦争末期、本土への空襲が激化してくると、帝都防災のために「学徒消防隊員」や「年少消防官」として駆り出され消防署に勤務させられた若者たちがいた。本書は、命がけで消防に身を投じた彼らの知られざる消火活動を通して、戦争の悲惨さ、愚かさを描くとともに、壮絶な悲劇を乗り越え、次世代へとつなぐ勇気と希望を描く物語。平成25年夏のNHK終戦特集ドラマに採用。
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-真珠湾攻撃、文学者愛国大会、シンガポール陥落、「得能物語」出版、ガダルカナル戦、山本司令長官戦死、学徒戦時動員法――昭和を代表する文学者である伊藤整が、大学ノート18冊にわたって記した日記である。本書は著者の没後、昭和58年に刊行された。第一巻には、昭和16年12月1日から昭和18年6月30日までの日記が収められている。
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-排水量2万9800トン、全長257メートル、最大速力34ノット、最大搭載機84機――日本海軍随一の“幸運艦”と呼ばれながら、わが身を賭したオトリ作戦に出撃、ついに全身に敵弾を浴びて南海の水底に沈んだ空母「瑞鶴」――その最後の戦い・エンガノ岬沖海戦の全容を、多数の証言と日米史料を解析して精密に再現する海戦ノンフィクション。
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-大戦中、単機米国本土上陸を果たした海軍搭乗員の「英雄的行為」。華々しい新型機をよそに、最終型の零戦を与えられた熟練パイロットの矜持。新鋭夜間戦闘機「極光」の偵察員席で、漆黒の闇の中からBー29を発見する人間レーダーと呼ばれた男の静かな闘い。真珠湾から終戦まで、日の丸と対峙し続けた米軍パイロットの意地と誇り。過酷な戦場となった空の片隅で、珠玉の活躍ぶりを見せた名脇役の機体と男たちを描く11の物語。
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-故司馬遼太郎氏の歴史的名著『坂の上の雲』の愛読者は多い。しかし、その中で描写された戦場や兵器、また戦闘の具体的な様相など、小説の背景となった日露戦争自体を全体的にとらえられている人は意外なほど少ないのが実情だ。そこで本書では、地図や表、写真を駆使し、これらすべての事柄、事件の推移を解説。「多くの日本兵が斃れた二〇三高地とはどのような場所だったのか」「旅順要塞をめぐる戦いにはどれだけの兵力と戦力が投入されたのか」「日本海海戦で活躍した艦船はどのような規模のものだったのか」など、『坂の上の雲』の副読本としての立場を担うものである。また、これまであまり知られていなかった、戦争にまつわる数々のエピソードも紹介。国の行方を想い、時に迷い、時に失敗を重ねながら、それでも雄々しく祖国を動かしていこうとした彼らの清廉かつ逞しい生き様は、何となく生き消沈し、疲れ果てている現代日本人を大きく勇気づけるだろう。
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-1945年8月9日、 人類史上2発目の核兵器が長崎に投下された。その渦中、会社の命により編成された。 「決死隊」の隊長として、地獄の中をさまよった。原爆を受けた市民の悲惨さ、想像を超えた苦痛、救助活動隊員としてみた現実はあまりにも悲惨であり、決死隊の結成、隊長へ任命と14歳~16歳の少年が行うにはあまりにも重い任務であった。 実体験をもとに描き綴った貴重なノンフィクション。
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-使い切りレシピに、ワンコインレシピ、みんな大好きな定番メニューに、おつまみ、スイーツまで節約料理のヒントがぎゅっとつまったやさい派レシピの決定版!肉も魚も卵も乳製品も使いません。
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-いまなお活動を続ける共産ゲリラ「フィリピン新人民軍」。宗教、民族、階級闘争……、テロリズムを生む様々な問題を内包したこのゲリラに従軍し、その実態を克明に記録した衝撃作! 80年代前半、マルコス政権下で虐げられる住民たちの素顔に接し、その喜怒哀楽に潜むナショナリズムを鮮明に描く。戦後の東南アジアにおける対日感情の真実と、その微妙な変貌をも浮き彫りにした著者渾身のデビュー作。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 日米開戦へ―戦争へと突き進む日本、炎に染まる真珠湾―米太平洋艦隊壊滅!! 南方資源を確保せよ!―蘭印油田地帯を制圧!! 連合艦隊永遠に…―落日の艨艟たちなど、一三四六日の激闘! 栄光の軌跡がいま甦る!! 永久保存版写真ドキュメント。貴重な写真で綴る太平洋戦争史!!※電子版では、紙で出版された内容と一部異なる場合や、削除及び修正している写真、イラスト、ページなどがある場合がございます。予めご了承の上、お楽しみください。
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-旧ソ連が戦後、60万人近い日本軍の兵士らを強制労働に駆り出し、多数が犠牲となったシベリア抑留。著者(32歳)の祖父もまた抑留者の一人だった。だが、祖父は生前、シベリアでの体験を話すことはほとんどなかった。抑留後の足跡をたどり悲劇を振り返るとともに、戦争体験を受け継ぐ意義を見つめ直した、心に迫るルポルタージュ。読売新聞京都府内版連載(2015年8月16日~21日)。「目次」から(1)酷寒の地 何を見た(2)肉体むしばむ「地獄」(3)重いノルマ 死の労働(4)遺体 失われた尊厳(5)生還 語り継ぐ使命
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-10分で読めるミニ書籍です(文章量12,000文字程度=紙の書籍の24ページ程度) 「役立つ」「わかりやすい」「おもしろい」をコンセプトに個性あふれる作家陣が執筆しております。 自己啓発、問題解決、気分転換、他の読書の箸休め、スキルアップ、ストレス解消、いろいろなシチュエーションでご利用いただけます。 是非、お試しください。 書籍説明 太平洋戦争中に日本が製造した航空機の中で最も多い1万機以上が作られた、日本海軍の零式艦上戦闘機(零戦)。 デビュー時には零戦13機が中国空軍の戦闘機27機を損害ゼロで壊滅させ、太平洋戦争では開戦時の真珠湾攻撃から大活躍した名機である。 太平洋戦争開戦からの3か月で、日本海軍は565機の敵機を撃墜したが、零戦はその内の83%となる471機を撃墜したと言われている。 零戦は優れた格闘戦性能や、大威力の20ミリ機銃、長い航続距離を兼ね備えており、有力な後継機がなかなか生まれなかった。 そのため、太平洋戦争中期からはF6Fヘルキャット、F4Uコルセア、P38ライトニングなどの有力戦闘機に押されるようになり、 最後は戦闘爆撃機や特攻機として終戦まで使われた。 零戦の栄枯盛衰はそのまま太平洋戦争の栄枯盛衰と言ってもいいほどであり、今日でも最も有名な日本製航空機の一つである。 今回はこの零戦にまつわるイフの妥当性を検証してみたい。 零戦は有名機であるため、批判も多い。代表的なものは「20ミリ機銃は命中率が低く、失敗だった」、 「機体強度が弱く、逃げ出す敵を追えなかった」、「航続力が長い代償として、防弾がなく人命軽視だった」、 「発動機換装が遅れたために、欧米の新型機に圧倒された」というものだろう。 本書ではこれが妥当な指摘だったか、検討していく。 なお、本書で書かれたことも「解釈」の一つであり、 この本で書かれたことを無批判に真実だと考えてはならないのは、もちろんである。
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-一九三九(昭和一四)年夏、満州とモンゴルとの国境で、ソ連軍と日本軍が激突し、合わせて二万近くの戦死者を出したノモンハン事件は、現代日本も抱える「国境問題」を、軍事力で解決しようとして起こった悲劇だった。停戦後の国境確定交渉に参画した外交官が綴る「事件」の深層。〈解説〉田中克彦
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-「機関科問題」と聞いて、その意味が理解できる人は、かなりの海軍通であろう。本書で扱った命題は、普通の戦史には決して出てこない、“裏面史”である。だが、明治期以来の日本海軍史を通じて、軍首脳が頭を痛め続けてきた大問題であり、「海軍のガン」と呼ばれていたほどのものだったのだ。それは一言で言えば、「組織内差別」であった。具体的には、「同じ軍艦に勤務している士官であるのに、海軍兵学校卒のほうが海軍機関学校卒よりも偉いという規定があり、機関科士官の中に不満が堆積した状態が慢性化していた」というものだ。海軍は、軍紀の乱れと士気の低下を生む元凶となっていたこの問題を重視し、長年にわたって様々な施策を繰り返したが、ついに問題解決を見たのは、大東亜戦争の終戦間際であった。今日まで、海軍関係者が書くに書けなかった問題の全貌を、ついにまとめあげた、貴重な一冊である。
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-昭和19年6月、マリアナ沖海戦を主とする「あ」号作戦で、連合艦隊は米軍に完敗し、組織ある作戦能力を失い、また海軍の主戦力となる有力な航空部隊の再建も絶望的となった。これは太平洋戦争において、日本の敗北が決定的となったことを意味した。マリアナ沖海戦に参加した海軍参謀が初めて語る太平洋戦争の真実。
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-20分で読めるミニ書籍です(文章量14,000文字程度=紙の書籍の28ページ程度) 「役立つ」「わかりやすい」「おもしろい」をコンセプトに個性あふれる作家陣が執筆しております。 自己啓発、問題解決、気分転換、他の読書の箸休め、スキルアップ、ストレス解消、いろいろなシチュエーションでご利用いただけます。 是非、お試しください。 書籍説明 1941(昭和16)年12月8日に開戦した太平洋戦争。 開戦初頭に行われた日本海軍空母機動部隊によるハワイ真珠湾奇襲攻撃は、 在泊していたアメリカ太平洋艦隊に戦艦4隻沈没などの大きな打撃を与えた。 この攻撃で日本海軍は空母艦載機29機と、真珠湾内に進入した特殊潜航艇5隻を失ったが、 主要艦艇は無傷であり、まず完勝と言っていい海戦であった。 しかし、この著名な海戦は戦後、大きな批判を受けることとなる。 主なものでは「宣戦布告をしない奇襲攻撃を仕掛けたことで、米国の戦意を高揚させた」、 「戦艦ばかりを狙っていて、真珠湾内の軍用インフラ(燃料タンクや港湾設備など)を破壊しなかった。 第二次攻撃をして破壊すべきだった」、「米国空母を1隻も撃沈できなかった」、 「開戦時にハワイを占領する機会を逸した」などである。 本書ではこれが妥当な指摘だったか、検討していく。 なお、本書で書かれたことも「解釈」の一つであり、 この本で書かれたことを無批判に真実だと考えてはならないのは、もちろんである。 著者紹介 安藤 昌季(アンドウマサキ) 東京都生まれ。ショップ店員、俳優業などを経て、ゲーム会社の出版部門編集者となる。 独立後、無電源系ゲームライター&ゲームデザイナーとして、ゲームブック兼TRPG『ホワイトカオス』や、 読者参加ゲーム『はがき戦国』シリーズ、『魔王國年代記』などを幅広く手がける。 2011年からは歴史・鉄道系の企画・執筆業も担当し、「教えてあげる諸葛孔明」(角川ソフィア文庫)や 「夢の新幹線もの知り学習帳」(玄光社)などを執筆したほか、「旅と鉄道」(朝日新聞出版)、「鉄道ぴあ」 「エアラインぴあ」(ぴあ株式会社)など、多数の媒体で絵を活用した乗り物記事作りに取り組んでいる。 その他、いすみ鉄道、銚子電気鉄道、ポッポの丘、消防自動車博物館、 レトロぶーぶ館のキャラクター「上総いすみ」「くもなしあかり」「下総おうみ」「波乃めぐみ」「月乃すばる」の企画原案も行っている。
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-アメリカ人未来予測学者と日本人カメラマンが巡る《五つのゼロ地点》 《投下国》の未来予測学者と《被爆国》のカメラマンが、国境を越えて共同取材した異色のフォト・エッセイがついに電子書籍化! 20世紀後半を核の時代に変えたA-Bomb(原子爆弾)の最初の爆発地ニューメキシコ州トリニティサイト、広島、長崎、原爆投下予定地の小倉、原爆誕生地のロスアラモス……。《五つのゼロ地点》を巡る旅の記録。 ●執筆:ポール・サフォー(Paul L. Saffo) 1954年、カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。ハーバード大学法学部、ケンブリッジ大学法学学士課程、スタンフォード大学法学博士課程卒業。カリフォルニア州パロアルトのシンクタンク・未来研究所(Institute for the Future)特別研究員として技術変化の研究を進める傍ら、知的所有権の弁護士としても活動。現在はスタフォード大学で教鞭をとりながら多方面で活躍中。日本での出版は『シリコンバレーの夢』『シリコンロード』(監修)など。未来予測学者、弁護士、エッセイスト。 ●撮影:小平尚典(こひら・なおのり) 1954年、福岡県北九州市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒。1981年、新潮社「FOCUS」誌創刊スタッフとして参画。日本写真家協会会員、米国海外特派員協会会員。早稲田大学理工学部非常勤講師。著書に『4/524 日航123便御巣鷹山墜落事故写真集』『おやさと写心帖』『シリコンロード』、共著に『神が創った楽園タヒチ』『アトランタの案山子・アラバマのワニ』『誰でもないもの』『そうだ、高野山がある。』など多数。フォトジャーナリスト、メディアプロデューサー。 ●翻訳:日暮雅通(ひぐらし・まさみち) 1954年、千葉県千葉市生まれ。青山学院大学理工学部卒。日本推理小説作家協会会員。著作権エージェント、出版社編集者などを経てフリーに。著書に『シャーロッキアン翻訳家 最初の挨拶』(原書房)、訳書にアーサー『テクノロジーとイノベーション』(みすず書房)、ハート=デイヴィス『サイエンス大図鑑』(河出書房新社)など多数。翻訳家、コラムニスト。
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-「戦争が激しくなったら、外地に女性も行くようになるかもしれないわよ」 太平洋戦争時、軍籍を持って、つまりは「女性兵士」として戦地へ出兵された日本人女性たちがいた。この歴史的事実を知る者は少ない。 九〇歳を超えた現在も、無二の親友として交流の深い二人である、鰐淵照子と大賀幸子。彼女たちは、血と火薬の匂いが煙る最前線において、一体何を見て、何を感じたのか。 本書は、数奇な運命をたどり、戦地をくぐり抜け、青春時代を送った二人の女性の物語である。 プロローグ 第1章 元気少女・照子とご令嬢・幸子 第2章 タイピストの職務に就く 第3章 照子が戦地で目にした戦争 第4章 照子と幸子、海軍省で出会う ●村上和巳(むらかみ・かずみ) 1969年、宮城県生まれ。中央大理工学部卒。医療専門紙記者を経て、現在は国際紛争、安全保障、医療・科学技術などを取材するフリージャーナリスト。著書に『化学兵器の全貌』(三修社)、『大地震で壊れる町、壊れない町』(宝島社)、共著に『戦友が死体となる瞬間 戦場ジャーナリスト達が見た紛争地』(三修社)、『タリバン戦争の謎』(祥伝社)など。最近は東日本大震災に専念。震災関連共著『3.11絆のメッセージ』(東京書店)、『風化する光と影 東日本大震災特別レポート』(マイウェイ出版)。国際ジャーナリスト連盟(IFJ)2012 JAPAN AWARD 東日本大震災部門奨励賞受賞。
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-太平洋戦争の敗戦から70年、あの戦争とは何だったのか。戦争にまつわる物語は、戦場の兵士たちにだけあったわけではない。花街の名物女将が語った軍人の素顔やシベリア抑留者たちの厳しい現実、日本の裏側、ブラジルの移民の太平洋戦争、日中戦争について書いた小学生の作文など、動乱の時代を生きた市井の人々の体験談から日本人にとっての戦争の真実を明らかにしていく。
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-神風特攻隊の先駆けとなった若者たち レイテ島沖で米空母に体当りをし、若い命を閉じた神風特別攻撃隊敷島隊の五人の若者たちは、何を思い、いかに生きようとしたのか
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-10分で読めるミニ書籍です(文章量11,000文字程度=紙の書籍の22ページ程度) 「役立つ」「わかりやすい」「おもしろい」をコンセプトに個性あふれる作家陣が執筆しております。 自己啓発、問題解決、気分転換、他の読書の箸休め、スキルアップ、ストレス解消、いろいろなシチュエーションでご利用いただけます。 是非、お試しください。 まえがきより 第二次世界大戦における最強の戦艦は、日本海軍の大和型戦艦である。 米国戦艦の電探射撃を重視する向きは、「アメリカ戦艦の方が強い」と主張するかもしれないが、 それを最大限認めたとしても、大和が就役した1941(昭和16)年12月16日から、 MK.8レーダーを搭載したサウスダコタ級戦艦インディアナが就役した1942(昭和17)年4月30日までは、 大和が間違いなく世界最強だから、「世界最強の戦艦」であったことは疑いがない。 このように「世界最強」とは、刻一刻と移り変わるものである。 そして、日本海軍でもっとも長く「世界最強」であったのは、長門型戦艦の長門であった。 今回は、この優秀な戦艦長門について検証し、歴史の楽しさを味わっていただきたい。 著者紹介 安藤 昌季(アンドウマサキ) 東京都生まれ。 ショップ店員、俳優業などを経て、ゲーム会社の出版部門編集者となる。 独立後、無電源系ゲームライター&ゲームデザイナーとして、ゲームブック兼TRPG『ホワイトカオス』や、 読者参加ゲーム『はがき戦国』シリーズ、『魔王國年代記』などを幅広く手がける。 2011年からは歴史・鉄道系の企画・執筆業も担当し、 「教えてあげる諸葛孔明」(角川ソフィア文庫)や「夢の新幹線もの知り学習帳」(玄光社)などを執筆したほか、 「旅と鉄道」(朝日新聞出版)、「鉄道ぴあ」「エアラインぴあ」(ぴあ株式会社)など、 多数の媒体で絵を活用した乗り物記事作りに取り組んでいる。 その他、いすみ鉄道、銚子電気鉄道、ポッポの丘、消防自動車博物館、 レトロぶーぶ館のキャラクター「上総いすみ」「くもなしあかり」「下総おうみ」「波乃めぐみ」「月乃すばる」の企画原案も行っている。
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-日本人にとって「軍隊」とはなんだったのか。大日本帝国軍隊は、天皇に直隷するまさに「天皇の軍隊」であった。天皇は軍人の「頭首」として、斃れた将兵の魂魄を守る者としても存在した。しかし、天皇の名による軍隊生活の実態とは…。徴兵の恐怖感、凄惨な私的制裁、兵士たちの性生活と花柳病、遺された家族の貞操…。戦争が長期化するなかで、軍隊は大衆化し、軍官僚は肥大化して「天皇の軍隊」は大きく変質していった。(講談社学術文庫)
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-1945年8月15日、太平洋戦争終結。それは、その女の子にとっては部屋が明るくなってうれしいという程度のものでした。もうアメリカ軍の爆撃を避けるために灯火管制を受けなくていいのだということです。本当に戦争が終わったとわかったのは、翌春、九州の小さな村のれんげ草畑の中でした。戦中戦後を通して子供の目に映った戦争の姿を克明に描いた、ほかに類を見ない戦争体験記。
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-10分で読めるミニ書籍です(文章量9,000文字程度=紙の書籍の19ページ程度) まえがき 1942(昭和17)年に日本海軍とアメリカ(米)海軍との間で行われたミッドウェー海戦。日本海軍は主力空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」を全て失い、米海軍は空母「ヨークタウン」を失ったのみであった。 この海戦は、太平洋戦争のターニングポイントとも言われている。日本が失った空母4隻は侵攻作戦に不可欠のものであり、ハワイなどの米軍根拠地を攻撃するためには無くてはならないものだったからだ。 この戦いは歴史家の秦郁彦氏は「90%日本側が勝つ戦い」と評したほどで、日本側有利だったというのが定説だ。日本側の参加艦艇は関連作戦も含めるなら戦艦11、空母8、重巡洋艦11、軽巡洋艦10、駆逐艦67、潜水艦23の計130隻、その他輸送船団、補給船団など合わせて199隻という大艦隊であった。 対する米側は空母3、重巡洋艦7、軽巡洋艦1、駆逐艦15、潜水艦19の計45隻(その他駆逐艦1、給油艦2も参戦)を中心に、ミッドウェー島の航空部隊112機も参戦した。 戦闘艦艇だけで比較しても、日本130、米国45であり、日本側の兵力は3倍近い。当時の実質的な主力艦艇であった大型空母でも日本4、米国3であり、パイロットの訓練度も日本が有利だったとよく言われている。 著者紹介 安藤 昌季(アンドウマサキ) 東京都生まれ。ショップ店員、俳優業などを経て、ゲーム会社の出版部門編集者となる。独立後、無電源系ゲームライター&ゲームデザイナーとして、ゲームブック兼TRPG『ホワイトカオス』や、読者参加ゲーム『はがき戦国』シリーズ、『魔王國年代記』などを幅広く手がける。2011年からは歴史・鉄道系の企画・執筆業も担当し、「教えてあげる諸葛孔明」(角川ソフィア文庫)や「夢の新幹線もの知り学習張」(玄光社)などを執筆したほか、「旅と鉄道」(朝日新聞出版)、「鉄道ぴあ」「エアラインぴあ」(ぴあ株式会社)など、多数の媒体で絵を活用した乗り物記事作りに取り組んでいる。その他、いすみ鉄道、銚子電気鉄道、ポッポの丘、消防自動車博物館、レトロぶーぶ館のキャラクター「上総いすみ」「くもなしあかり」「下総おうみ」「波乃めぐみ」「月乃すばる」の企画原案も行っている。
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-強力な統率力と強靭な抵抗精神でイギリス国民を指導し、第二次世界大戦を勝利に導き、戦時政治家としては屈指の能力を発揮したチャーチル。抜群の記憶力と鮮やかな筆致で、本書はノーベル文学賞を受賞。第1巻から4巻までの豪華合本版。 ※本電子書籍は、「第二次世界大戦 1~4」の合本版です。
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-父が第二次大戦時にフィリピンのルソン島に出征したことは、子どもの頃からお風呂の中で何度も何度も聞かされていた。所属したのはグライダーで相手を急襲する空挺特殊部隊だったそうで、先輩方がスマトラ島パレンバンに落下傘で舞い降り大活躍した話に、心を躍らせていた。 そんな日々から半世紀を経た最近、90歳を超えた父が古い水筒を発見したことをきっかけとして、著者はふたたび戦時中のルソン島と向かい合うことになる。 すると父も忘れていたであろう、あるいは一兵士として知るよしもなかったかもしれぬ、驚くべきドラマの数々が姿を現しはじめた。 本書は、「骨のうたう」を遺してルソン島で戦没した詩人として広く知られている、三重県生まれの竹内浩三と著者の父正雄が、同じ部隊写真に写っていたと判明したことが起点となっている。そして空挺部隊兵士たちが遭遇した苛烈なる戦いとその顛末、とりわけ竹内浩三の出征からその戦死までの足取りについて、新資料を次々と発見しながら辿ってゆく、リアルタイムの検証ドキュメンタリーである。 弱冠23歳で命を散らした竹内浩三は、日本を発ってからの動向についての記録がほとんど残されておらず、また彼の所属した部隊についても「全員切り込みを敢行、全滅」と伝えられていた。 ―おいおい、一緒にいた部隊が全滅しているのなら、ここにいる俺の親父は何なんだ。どうなっているのだ。(本文より) 巻末に竹内浩三が姉に宛てて送った「筑波日記」に登場する人物の写真や、浩三最後の写真など、貴重な新資料を公開している。
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-戦後七十年の特別企画として、これまで「月刊文藝春秋」やその増刊に掲載された戦争体験者の手記や記事を再編集、戦後レジームからの脱却が叫ばれるいまあらためてあの戦争とは何だったのかを考えるシリーズ全四巻。
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-世界最大級を誇り、日本の希望の象徴であった戦艦大和は沈んだ。その最期を見届け、奇蹟的な生を得た著者が、艦と運命を共にした三千余名と「大和」の鎮魂の為に書き記した二つの生と死の軌跡。死を覚悟した彼らの悲痛な祈りに、いま我々は耳を傾けねばならない。「臼淵大尉の場合」「祖国と敵国の間」の2作を収載。下巻「戦艦大和ノ最期」。
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-太平洋戦争末期、パラオ・ペリュリュー島の激戦で死んで行った兵士の中にひとりの美しい女性がいた―彼女はその後ひそかに『ペリュリューのジャンヌダルク』と呼ばれ、人々の記憶の中に生き続けていた。五年に及ぶ取材を経て、この伝説の女性の実像をみごとに描き切った著者渾身の作!!
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-排水量2500トン、全長118メートル、速力35ノット、航続力18ノット5000浬、魚雷16本。護衛に輸送に獅子奮迅。ただ一隻、太平洋戦争を生きぬいた雪風に代表される艦隊型駆逐艦、激闘の記録!
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-太平洋戦争開戦直前の日米交渉、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、山本五十六連合艦隊司令長官機の撃墜、大和特攻……。約40年前、戦史研究家の野村實がもらした言葉、「あのころに、どれだけ米軍が日本側の暗号を読めていたのか、実は本当のところはほとんどわかっていないんだよ」という一言から、著者(原)の「暗号解読の実像を明らかにする」研究の旅は始まった。以来、何度もの米国の新たな史料公開の度に、暗号解読の事実発見を繰り返し、一歩一歩、実像に近づいて行った。本書では、貴重な米国史料を多数実例として示しながら、太平洋戦争時の米軍の日本外交暗号、日本海軍暗号の解読ぶりを明らかにする。また、当時の暗号についての基礎知識を、電波工学の権威である北村新三が解説し、日米の暗号戦のすべてを描いた、決定版的一冊である。
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-第2次世界大戦が終結して2015年で70年を迎えます。戦後の歴史は、その悲劇を踏まえて幕を開けたはずですが、今日に至るまで戦火がやむことはありません。いまも世界のどこかで銃声、砲弾がとどろき、軍人だけでなく多くの市民が殺害されています。 果たして、私たち人類は何を反省してきたのでしょうか。 毎日新聞ストーリー編集部では随時、<戦争と平和>をテーマにルポルタージュ記事を提供しています。原爆、パレスチナ、沖縄……。 なかでも好評だったのがベルリン支局のベテラン外信記者によるナチス関連のルポルタージュでした。 同じ敗戦国として、がれきのなかで戦後史をスタートさせてきた親近感もあるのかもしれません。あるいは、日本が中国、韓国などから「歴史責任」を問われているなか、国家の判断としてホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に手を染めたドイツはそれ以上に糾弾されてきたことへの関心もあることでしょう。 ここに収録したルポは、「ヒトラーの財宝伝説」「ロンメル将軍の財宝を追え!」「ナチ残党支援組織『オデッサ』の闇」――の3本です。いずれも、日本人に知られていなかった「戦争秘史」、それに伴う「ドイツの苦悩」が描かれています。 同時に、ルポを読む楽しさも味わっていただければと思います。
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-太平洋戦争が終結して半世紀以上の年月が流れている。しかし、この戦争のもつ意味や問題は今でも取りざたされている。太平洋戦争とは一体どのような戦争だったのだろうか。二度とおこしてはならない悲劇の歴史ではあるが、この戦争なくして現在のアジアや日本を語ることはできない。とくに日本にとっては軍国主義から民主主義国家へと変貌を遂げた、大きな転換のきっかけともなっているのだ。だが、中学・高校では時間的な制約もあって、近現代史、ことに太平洋戦争はあまり学ばれることなく通過してしまう。本書は太平洋戦争の原因から経過、結末などをわかりやすい文体で綴った入門書となっているので、誰にでも無理なく読める一冊。また、当時の日常生活や国民が統制された現実などを、豊富な写真と資料で展開している。語り継ぐべき教訓は、次代へしっかりと伝えていくべきだとする、歴史の認識が新たになる好著。
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-本書は戦艦大和の評価を検証したものです。大和は大艦巨砲主義時代の産物であり、時代遅れの無用の長物として役に立たなかったという批判があります。本書では、主な批判4点に注目し、それを検証、考察いたしました。その結果は、一般的に持たれている印象とは程遠いものでした。是非本書で戦艦大和の本当の姿を感じてください。 まえがき 近年、映画やゲーム、まんが、小説などのヒット作が立て続いたことで、日本海軍が注目されている。日本海軍の象徴は艦艇であれば大和型戦艦、つまり戦艦「大和」とその同型艦「武蔵」だろう。大和は世界最大最強戦艦として建造されたが、建造目的である「敵戦艦と交戦して、これを撃沈する」を達成する機会に恵まれなかった。米軍の上陸した沖縄を救うために特攻出撃し、ほとんど戦果なく航空攻撃で撃沈された悲劇的な最後は有名である。 大和は有名なだけに批判も多い。大きいばかりで役に立たない「世界三大無用の長物」として「万里の長城、ピラミッド、戦艦大和」を挙げる向きもあるほどである。 本書では、世間で挙げられている大和型戦艦への批判の妥当性を検証する。公平に検証することで、正当な批判と難癖を分けることは、物事を正しく捉えるためには必要なことである。 なお、本書で書かれたことも「解釈」の一つであり、この本で書かれたことを無批判に真実だと考えてはならないのは、もちろんである。 どんな批判を受けているのか 大和型戦艦への批判は、大体以下の通りである。 1.速力が最大27ノットと、同世代の他国戦艦や空母よりも遅く、空母の護衛ができなかった 2.副砲の配置や水中防御など、防御面で欠陥があった。 3.レーダー照準射撃を搭載している米国戦艦よりも、射撃システムで劣っていた 4.太平洋戦争の大半は航空機同士の戦いに終始した。戦艦などの大型水上艦は過去の遺物であり、建造費用の高い大和型戦艦を作るなら空母や航空機を作った方がよかった。 ではこれが妥当な批判なのかについて、検証していこう。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 5人の戦争体験者から聞く日本の軍隊の姿。日本は「アジアの光」ではなく、「闇」であり「絶望」であった。私たちが埋葬してきた歴史、強姦や「生体解剖」などの事実を明らかにする。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 イ・ヒジャさんのアボジ(父)、イ・サヒョンは1944年2月15日に日本軍からの徴用命令を受けた。京城(ソウル)で、輜重兵第49連帯特設勤務大101中隊に編入され中国へ送られる。1945年6月11日中国南部全県で破傷風のため死亡。日本政府は徴用者の戦死を、家族に知らせなかった。朝鮮に残された家族は夫や父の帰りを待ち続けた。ヒジャさんがそれを知ったのは、1989年、『被徴用死亡者連名簿』によってだった。
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-【ご注意】※お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。お手持ちの端末で立ち読みファイルをご確認いただくことをお勧めします。 ヨーロッパに展開された壮大、複雑、そして過酷な第二次大戦のすべてを、精緻に描き出す歴史大巨編。第1巻はナチス党結成から独裁体制確立、レーム粛正まで。 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字サイズだけを拡大・縮小することはできませんので、予めご了承ください。 試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
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-第二次世界大戦において筆舌に尽くしがたい甚大な被害を出してしまった日本。日本中が騙されていたというが、騙したのは誰なのか? 騙されたほうには責任はないのか? 一人の芸術家として不覚にも巻き込まれてしまったある事件を通じて寄稿した、今だからこそ読んでおきたい心に響く名文。
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-太平洋の海に空に島々に、日夜勇戦奮闘した幾多の無名の兵士たち。肉弾相撃つ地獄の戦場で繰り広げられた日米の凄絶な戦いの日々を、壮大なスケールで綴る「中隊長、仇はとりました」「海軍特別年少兵」をはじめ、若くして前線に去って行く兵士に、身体を捧げた女性の純粋と、年を経てからの幻滅を描いた「海軍下宿の女」など、戦記小説の力作八篇。
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-一機一艦、必中の肉弾攻撃。レイテ湾の米艦隊めがけ史上初の体当りを敢行――。世界を震撼させた神風特別攻撃隊の第一陣であった。祖国の明日を信じ、流星に似た光芒を放って突入する情況を、つぶさに活写する「特攻発動!」。他に太平洋の空に海に、決然と死についた若人たちの真情と祈りを万感の想いをこめて描く特攻戦記四篇。
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-日本の興廃をかけたこの一戦──旗艦・赤城に上がるZ旗。必中の信念を胸に、荒波をけって進む空母から、零戦、艦爆、雷撃機など第一次攻撃隊183機がハワイへ向けて飛び立ってゆく。だが、アメリカは奇襲を知っていた。歴史の壮大なドラマの幕開けとなった真珠湾奇襲作戦の前夜から、運命の一日の全貌を、実在した日本人スパイを主人公に、日米両国の膨大な資料を駆使して活写する一大ドキュメンタリー傑作長編。
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-太平洋戦争の後半、ミッドウェー海戦の惨敗を経てもなお、機動部隊の果敢な戦いは続いていた。敵機動部隊に大打撃を与えた南太平洋海戦(本書第一部)をはじめ、勢力挽回をかけて展開されるアメリカ海軍とのあいつぐ死闘。だが一大決戦を挑んだ「あ」号作戦(本書第二部「マリアナ沖海戦」)に完敗、帝国海軍の機動部隊は、ついに積極的な作戦能力を失ってしまう…。連合艦隊の中核をになした機動部隊の奮戦ぶりをつぶさに詳述しつつ、日本の戦争指導の問題点を鋭くついた古典的名著。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 民話を採話する中で聞いた戦争にまつわる話。ふたたび戦争する国にしないためにとの願いを込めての出版。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 1945年8月、ヒロシマ、ナガサキで何が起こり、何がいまに続いているのか。殺された者たちの無言のメッセージが胸をえぐる。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 敗戦まぢか、四国の浜辺に年若い兵士たちが送りこまれた。信心深い老婆と兵士の心の交流が敗戦の虚脱を超えて輝く。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 学徒動員による兄の死。そのことにこだわり続ける弟。兄を徹底して無意味な死に向かわせたもの、それはいったい誰であるのか。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 人間を狂わせるもの、「戦争」。ポーランドで幼い子どもたちが見て、そして味わった惨劇が、いま四十数年を経て初めて語られる。
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-僕が入学した高校では、不思議な光景が見られた。 授業中に突然同じタイミングで抜け出して行く60人ほどの生徒。ある時僕は、彼らが突然授業を抜け出していた理由を知る。なぜ彼らがそうしているかという理由も。 この通称『ボイコット軍団』には、クラスの女の子が1人属している。僕は次第に彼女のために何ができるかを考え、授業のノートを彼女の分もとるようにする。 そしてある事件がキッカケとなり、僕は『ボイコット軍団』の始まりとなった人物から、その全容を聞くことになる。
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-敗色濃い太平洋戦争末期-突然のソ連参戦による満州国の崩壊!3人の子供を引き連れ、内戦最中、激戦の地500キロを突破して、混迷の極にある祖国に辿りついた。戦後の荒波を乗り越えて、ただひたすら走り続けた明治女の一代記である。
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-第二次世界大戦後、1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約によって、正式に日本の主権を承認、この条約の発効によって戦争状態が、国際法上正式に終結しました。 この条約締結に至る経緯を各国の思惑を交え、振り返り、日本復興の礎となったサンフランシスコ講和条約の内容について見ていきながら、問題点を考えてみましょう。 <目次> 1.背景・経緯 2.条約の構成と主な内容 3.条約の解釈と問題点 (参考)TREATY OF PEACE WITH JAPAN日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)
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-昭和天皇が崩御されて25年。昭和の時代(1926年-1989年)、日本はさまざまなことを体験しました。第二次世界大戦で二度の原爆投下に遭い、焦土と化した日本は驚異的な復興を実現し、世界第2位の経済大国にまで成長をしました。過去の歴史をひも解いてみても、これほど急激に国力を回復した国はありません。日本はどのような経緯をたどり、この第二次世界大戦に参加し、どのようにして終結を迎えたのか、そこに至る過程をみていきながら、昭和天皇のご決断を考えてみましょう。知っているようで知らなかった事実が見えてくるのではないでしょうか。 目次 はじめに 1.第二次世界大戦の経緯(概要) 2.大東亜戦争 開戦の詔勅(米英両国に対する宣戦の詔書) 3.第二次世界大戦の経過 4.大東亜戦争終結ノ詔書 (大東亜戦争終結に関する詔書) おわりに
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-知っていますか? 戦争で全てを失い、大きな犠牲を払いながらも戦火の中を駆け抜けて、帰国を果たした逞しい婦女子たちがいたことを。 パラオ戦時引揚者たちが南方の島から島を彷徨い、遭難と飢餓で犠牲者を出しながら進んだ、祖国までの570日、3000キロ。 過酷な少年期を奇跡的に生き残った著者が語る体験記である。
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-昭和16年12月8日、東京の虎ノ門において広島県呉市の市長が逮捕された。この朝、日本は太平洋戦争に突入した。その10日前、昭和12年呉海軍工廠の造船ドッグに最初の竜骨(キール)をすえ、極秘裡に完成された戦艦大和は、最後の公試運転を行なった。この戦争の開戦から終焉と運命を同じにした「大和」――。そこに生まれたさまざまな「大和伝説」をくつがえし、豊富な取材データをもとに、新しい光をあてた感動のヒューマン・ドキュメント。新田次郎文学賞受賞作。
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-「冬の時代」を告げる凩(こがらし)が吹きすさぶ。大逆事件が迫る。――日露戦争後の明治41年、東京赤坂の陸軍歩兵第一連隊から兵卒37名が脱営した事件を軸に、軍国化の足を速めた大日本帝国と苦難の時を迎える社会主義運動の姿を、豊富な資料をもとに再構成する。史伝体と物語体の巧みな併用によって今日によみがえらせた歴史長編。1985年、第12回大仏次郎賞受賞作。
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-太平洋戦争は「大和」に始まり「大和」に終ったといわれる。昭和12年に着工した戦艦「大和」は、4年の歳月を経て、太平洋戦争の始まる昭和16年にすべての準備を整え終えた。すでに航空機時代に入ったといわれたこの時代にあっても、巨大戦艦は「この船が駄目な時は、日本も終わりの時」という「不沈神話」と共にその雄姿を現わし、連合艦隊司令長官山本五十六を初め、その乗組員の男たちに各々の熱い思いを抱かせた。日本海軍の男たちと彼らを取り巻く人々のリアルな肖像を描くノンフィクション。昭和20年4月6日沖縄特攻にむかうまで。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 1945年6月29日岡山大空襲のその日、爆撃に遭った人々の姿を岡山医科大学皮膚科泌尿器科教室患者カルテから読み取る。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 玉砕と集団自決の島、サイパン-テニアン。その戦争の記憶を呼び覚す戦跡。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 米軍資料解読・解析の第一人者による新資料の解明。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 忘れられた「大宮島(グアム)」の記憶。サビた火砲・戦車・トーチカが語る南の島の戦争。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「クリスチャン軍人」たらんとして入校した海軍兵学校。その同期の三分の一が戦死した…。特殊潜航艇艇長の物語。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 忘れもしない1945年(昭和20年)の6月29日。岡山空襲を体験した市民による鎮魂の証言集
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 第二次大戦末期、太平洋の米海軍機動部隊は日本本土全域に対して戦術的・戦略的爆撃作戦を展開した。7月24日の県南の艦載機空襲はその中のひとつで、多くの犠牲者をだした。67年を経て初めて明らかにされた岡山県南空襲の記録。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 市民にとって戦争とは何かに迫る労作。米国戦略爆撃調査団報告書関係資料などを解読したうえで明らかになる最新の岡山空襲の記録。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 1945年4月8日深夜、玉野市和田地区が1機のB-29に空襲された。玉野は大造船所の町。米軍がそこを狙ったと誰しもが考えた。はたして・・・?
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 半田山の丘陵東南端に、第17師団により設置された午砲台。1909年正月から1929年3月までの21年にわたり、正午の時報を毎日ドンと打っていた。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 十五年戦争の問題を調査してきた同センターの会員により総動員に関する論考を集め再編集。庶民が戦争遂行のために実にさまざまなシステムに組み込まれてきた。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 岡山空襲を、米軍資料をはじめ牛窓防空監視哨資料、目撃者の日記・証言を掘り起こしその事実に迫る。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 岡山の町がB-29の空襲に曝され、2000人以上もの人が犠牲になった1945.6.29。岡山の空襲を調べ続けてきた著者が、高校生に語った岡山空襲の「記憶」と「記録」。あらためて戦争の怖さを伝えたい…。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 1945年6月29日未明のB-29岡山大空襲。それは米軍のテロ攻撃であった!岡山空襲研究の第一人者が米軍資料を基に岡山空襲の無差別性を暴く。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 従来の市史などの記述を検証しながら、半世紀を経て明らかになる水島空襲の実像。貴重な図版を多数掲載。
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-戦争での原爆の放射能により今もなお、心身ともに被害者の方々をむしばみ続けている事実、核の恐ろしさがある中、二度と惨事を繰り返してはならない、日本から原爆を風化させてはならない。そのような思いがひしひしと伝わってくる作品であり、大人から子供たちへ、この世に生まれてきた役割や命の尊さ、人としてどうあるべきか、人の道とは等、子供達にどの様な事を伝えていくべきなのかを考えなければならないと思わせる作品です。
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-『みちのく植物図鑑』(津軽書房)や『青森の自然』(北方新社)などの著書がある石川茂雄氏が、日中戦争下で召集された際に記録した従軍手帖や多数のメモ、写真(ネガ)などをもとに、当時の軍の様子や市民の暮らしをまとめた一冊。 長年歴史を探究してきた子息の検証により、一兵士のきわめて精緻な記録が、70年の歳月を経て、当時の写真と文面で蘇る。 近年の戦争記録において希少な史料性の高さも特徴。
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-ロシア最強と謳われた「バルチック艦隊」が日本にやって来る――。世界の海を半周してきたこの史上空前の大遠征軍を、日本海軍は破ることができるのか。まさに日露戦争の正念場というべき戦いに、己が全精力を傾けて日本海海戦を完全勝利へと導いた名コンビがいた。その名は、連合艦隊司令長官・東郷平八郎と、先任参謀・秋山真之――。かたや口数が少なく寡黙だが、すべての将兵から信頼された統率力抜群の提督。かたや「智謀湧くが如き名参謀」と世に評された、海軍きっての天才戦術家。その生い立ちも性格も異なる不世出の海軍軍人二人はいかなる出会いをし、迫りくる祖国存亡の危機を救ったのか?東郷が世に出るきっかけとなった幕末の薩英戦争から始まり、戊辰戦争、明治維新、日本海軍の誕生、秋山のアメリカ留学時代、日清戦争、そして連合艦隊の編成と日露戦争の開戦……。およそ四十年間の波瀾の道程を、克明にかつ勇壮に描ききった長編歴史小説。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 齢80を超えたかつての兵士たちが、人生の終焉を前に、あの戦争を語り始めた。「戦争とは何か」その答えがここに。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 1944年10月27日の訓練爆撃から敗戦の日の未明まで、本土を焼野原にした空撃のアメリカ側資料を翻訳、日本側資料の空白を埋める。作戦任務は淡々とした箇条書きで331号を数えた。地名・施設名から作戦任務を探せる索引を付す。
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-零式戦闘機をめぐる男たちの、哀しくも心温まる物語。零戦の整備に半生を捧げた海軍上等兵曹森本要次を狂言回しとして、孤高の若き天才戦闘機乗り、敗戦を承知しつつも敵機に突っ込むベテランなど、戦地に散った、あるいは生き残った男たちの生き様を描く。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 根室‐釧路‐帯広‐苫小牧と連なるトーチカ群、九十九里浜沿岸に広がる掩体壕群、そして東京湾・相模湾に築かれた砲台群-これら戦跡を約300枚の写真とエッセイで綴る。
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-太平洋戦争そのものを個々の戦闘の集大成と見ることで、軍事とは本質的にどのような意味を持つのかを検証。また、昭和29年9月に調印された講和条約の発効により国際社会に復帰した折りの日本の政治・外交の局面を俯瞰。
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-昭和16(1941)年12月8日の太平洋戦争の開戦と、昭和20(1945)年8月15日の敗戦。開戦と敗戦の日への道筋、あるいはこの二つの日はどのような日であったのか、幾つかのエピソードを交えて語る歴史エッセイ。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 戦時下に動員された韓国人日本兵の戦争をルポ
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-皇国の興廃この一戦にあり。各員いっそう奮励努力せよ--。東郷長官の訓令が各艦に発せられ、旗艦三笠にZ旗があがった。彼我の戦艦比は八対四。「先制をとるにしかず。例の通りやる、参謀長」と力強く東郷長官。距離六千五百、直角回頭。--砲撃開始!
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-ニューギニアの戦地に赴き、奇跡的に生還した兵士が見た戦争の真実と幻想の光景。赤道直下の灼熱地獄で戦闘、マラリア、重度の栄養失調で次々と命を落とす仲間たち。死してなお日本に還れずにいる戦友の生死を描く。
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-明治維新を経て近代化への道を歩む日本が遭遇した最大の危機、それが日露戦争であった。強大な軍事力を誇るロシア帝国を相手に、東洋のちっぽけな島国が奇跡的な勝利を収めることができた背景には、東郷平八郎や秋山好古・真之兄弟をはじめとする名将たちの活躍があった。本書は日露戦争で活躍した人物を有名・無名問わず、その功績と戦後の足跡をたどるもの。あまり言及されることのないロシア側の軍人や同時代を生きた文化人、作家についても取り上げ、日露戦争という時代を様々な角度から楽しむことができる。
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-1939年9月1日、英仏と同盟を結ぶ「東方の軍事大国ポーランド」に攻め込んだドイツは、わずか1か月でその国土を蹂躙、ソ連とともにポーランド領を2分した。第二次大戦はいかにして始まったか。またドイツ電撃戦の嚆矢としての戦いはいかに行われたか。
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-生き生きと躍動していた仲間の記者、カメラマンたちが、突然骸(むくろ)になる。沢田教一、一ノ瀬泰造、盟友テリー・クー……。戦場という極限状況の中で、出会い、競い、励まし合いながら成長した若者たち。戦争の真の姿を伝えようとした、著者と仲間たちの、血と涙の従軍記。第40回大宅荘一ノンフィクション賞受賞作。 (講談社文庫)
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-執筆の動機は、父親から「お前は新聞記者だが、一度は自分の歴史を調べて書くべきだ」と言われたことによる。昭和20年8月、8歳だった著者は、ソ満国境に近い興安街を脱出、朝鮮との国境の町の安東に辿りつく。付「子供の戦記」。
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-戦中・戦後を通して数多くの山本の伝記や記録が出されているが、そのなかにあって、ほとんど目に触れることのないきわめて重要な資料がある。海軍部内のみに配布されていた雑誌「水交社記事」の「故山本元帥追悼号」である。昭和18年4月18日、ソロモン方面で陣頭指揮中に戦死した山本長官を追悼した特集号には、海軍大臣弔辞をはじめ、ゆかりの人々の追想録が収録されている。山本元帥に直接かかわりを持ち、深い思いのある人物たちの証言記録だけに、山本の人間味や風貌が眼前に浮かびあがってくる、かけがえのない未公刊資料。
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-盧溝橋事件にはじまり太平洋戦争下におこった事件から、戦後の占領政治の舞台裏まで、海軍記者が追及する戦時下と戦後の「怪事件」の真相。電探で負けた日本海軍、南方の陸軍病院で起きた怪事件、戦場から逃げ帰った将軍たち……。「歴史は足で書くものでなければならぬ。」をモットーとした名物記者の、今なお知られざる戦争の実態と真相に迫る取材秘録。
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-1943年、山本長官撃墜死……戦史に残されたこの記述は、実は軍部の捏造だった! 真珠湾の英雄の名誉を守るため、墜落後も生き延び、そして自殺したという事実は闇に葬られ、目撃者は次々に消された……。綿密な史料調査に裏付けられた、迫真の実録小説!
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-舵を損傷した大和は僚艦に曳航され帰還を目指した。だが猛将ハルゼーは執拗な空襲で大和を足止めし、最新鋭戦艦を投入。日本海軍の象徴たる巨艦を巡る総力戦の帰趨は!? 迫真の海戦巨篇!!
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-平和が長く続く今日、戦争を体験しない世代は、戦争のあったことすら知らない。 知っていても断片的で、正しく理解していない。 なぜ、遠い昔の戦争を知らなければならないのか… この答えは- 歴史からの教訓を得て「過去の間違い」を二度と繰り返さないためである。
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