ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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グラシアーノがネリッサに対して、僕をこんな目に合わせて全く君って人は…「僕は君の貞操を守れるかどうか分かんないよ(どやっ)」 が好き。ロールキャベツ男子なグラシアーノ。最後の美味しい所を持っていくちゃっかり男子。
グラシアーノも男だもんね!据え膳食わぬはなんとやらだもんね(笑)!
アントーニオはタイトル通りヴェニスの商人なわけですが、最初と最後以外はあまりパッとした登場シーンはない。
アントーニオは人望もあって、寛大で、親友の為なら大金も何も、地獄までお供つかまつる!なすごい人。ユダヤ人に対して冷たいなぁ、とは感じたけど時代も時代だし、アントーニオがそこまで優しいと「いやいや、そんなすごい人いないって!」とリアルさに欠ける。ここらへんのシェイクスピアの采配が今でも評価されているんだとを思う。
そんなユダヤ人のシャイロックは、もう少し「お前らキリスト教徒と俺は違うんだ!」と言うのを控えていれば、良かったろうに。アントーニオとの犬猿の仲加減は見てるこっちが清々しいくらいだ。
アントーニオの友人、バサーニオとシャイロックの娘は一貫して愛に生きた。
でも個性的な人を好きになったよねバサーニオも。賢くて、美しいポーシャは嫌いじゃないけど、終わりの指輪がどうとかの件で「めんどくせー女だな!wバサーニオ困ってるやろ!」と感じました。
どうやら私には駆け引きする恋愛は向いていないようです(笑) -
Posted by ブクログ
ネタバレブルータス そうなのだ、キャシアス、もちろん、おれはシーザーを深く愛してはいる……しかし、何か用があるのか、こうしてさっきからおれを放そうとせぬが? 何が言いたいのだ? もしそれが公のためになることなら、右の目には名誉を、左の目には死をさしだすがいい、おれはそれを二つながら平然と眺めよう。神々もお守りくださろう、このおれには名誉を愛する気もちの方が強いのだ、死にたいする恐怖よりも。
シーザー もっと肥っていてもらいたいものだな! いや、気にかけはせぬ。ただ、もしこのシーザーの名にとって気にかかる何者かがあるとすれば、まず誰よりも先に遠ざけねばならぬ人物が、あの痩せたキャシアスだ。あの男は本を読みすぎる。なんでもよく見える。人のすることが底の底まで見とおしだ。やつは芝居が嫌いだ、お前とは違うな、アントニー。音楽も聴こうとしない。めったに笑わぬ。たまに笑えば、それはまるでおのれを嘲るような、そしてうっかり笑いを洩らしたおのれの心をさげすむような、そんな笑いだ。ああいう男は自分より強大な人物を見ると、もうそれだけでおもしろくなくなる。だから、非常に危険だというのだ。いや、おれが言いたいのは、ただどういう人物が恐るべきかということだけだ、それをおれが恐れているということではない。いかなるときにも、おれはシーザーだからな。
キャスカ おれにも出来る。同様、どんな奴隷でも、おのれの手で囚れの境遇を打ち切る力はもっているはずだ。
キャシアス それなら、なぜシーザーを暴君にさせるのだ? かわいそうに! あの男だとて、すき好んで狼になりはしまい、ローマ人を挙げて羊の群と思いさえしなければな。獅子にもなるまい。ローマ人が牝鹿でなければな。人、もし大いなる火を急ぎ起こさんと欲せば、小なる藁しべをもって始めようという。ふん、ローマは炊きつけか、ただのがらくた、ぼろ屑か、シーザーのごときやくざな代物を照らしだすため、喜んで塵芥の役を演じようとは! 待て、悲しみが、ああ、貴様はおれをどこへ連れて行こうというのか? 今、おれがこうして話をしている男は、おそらく奴隷の境涯にいつまでも甘んじていよう気かもしれぬ。それなら、おれは自分の言葉に責任をとらなければなるまい。だが、覚悟は出来ている、わが身の危険など、もとより意に介しはしない。
ブルータス 正直に言って、シーザーという男、今日までおれは、奴が私情のために理性をしりぞけるのを見たことがない。それにしても、ありがちなことだ、身を低きに置くもの、所詮は若き野心が足を掛ける梯子のたぐい、高みに昇ろうとするものは、かならずそれに目をつける。が、この梯子、一度天辺を極めてしまえば、もう用はない、そしらぬ顔で背を向けて、目ははるか雲のかなたに預け、それまで登ってきた脚下の一段一段に蔑みの足蹴を食わせるのだ。その手をシーザーも使いかねない。それなら、その手を食わぬよう、機先を制するのだ。
キャシアス そして、われわれの決意を誓いあおう。
ブルータス いいや、誓いは要らぬ。民の心の動き、われらの心の痛み、時代の弊風、それでもまだ―それだけでは動機がたりぬと言うなら、今すぐやめてしまうがいい、みんな家へ帰って、いぎたなく眠りこけていたほうが、よほどましだ。
アントニー この私には才智もなければ、言葉もない、名も通ってはおらず、身ぶりよろしく人を惹きつける術も知らない、喋り方も不器用なら、説得力にも欠けている、聴き手の血を湧かせることなど思いもよらぬ。私はただありのままに話すだけだ。諸君自身が知っていることを告げ、諸君に向かって愛するシーザーの傷を、あの痛ましげに物言わぬ口を差し示し、かれらみずから私の代りに語りかけることを求めるのみ。もし私がブルータスであったら、そしてブルータスがアントニーだったら、おそらく諸君の心を奮いたたせ、このシーザーの無数の傷口に一つ一つ舌を与え、ローマの石すら立って乱を起こすほど、興奮の渦を巻き起こしたに相違ない。
ブルータス その言葉のとおりだ、熱い友情がさめてゆく過程というものは。よく覚えておくがいい、ルーシリアス、愛情というやつは、消え衰えかけると決ってわざとらしい儀礼を用いはじめるのだ。むきだしの素直な実意は細工を必要としない。が、不実な人間は、まあ、馬にたとえてみれば、駆けだしだけが調子よく、いかにも派手で、溢れんばかりの気力を見せるが、いざ決戦の場に臨み、厳しい血まみれの拍車に耐えねばならぬとなると、たわいなく頭を垂れて、いや、まったく見かけだおしの駄馬同然、肝腎のとき、つぶれてしまうのだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこの物語も抄訳本ではあるものの、子供時代に最初に出会いました。 当時の KiKi がしていた大きな勘違いが2つあって、その1つは「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」と思い込んでいたんですよね。 そしてもう1つの大きな勘違い(というよりこれはシェイクスピア自身がそういう役回りを与えているという側面もある)が、シャイロックを文字通り「冷酷無比・極悪非道人」と思い込んでいたということがあげられます。
そして大学生になってこの物語を全訳本で再読した際に初めて、最初の勘違い「ヴェニスの商人」≒「高利貸しのシャイロック」が間違いであったことに気が付きました。 タイトル・ロールはやたらと印象深いこの悪役ではなく、物語の中では自分の胸部の肉を担保に借金をしちゃったな~んていうショッキングな設定が与えられている割にはなぜか存在感の薄いアントニオだったんですよね~。
物語のプロットとしてはこのアントニオ、あんなとんでもない契約をしたばっかりに、そして事業の失敗という運の悪さ(後、それが誤った情報であることが伝えられる)も手伝ってあわや・・・・という状況に陥るわけですが、逆に言えばそれだけの存在とも言えるわけであまりにも存在感のあるシャイロックと比較すると影が薄いとしか言いようがありません。
それに対して物語全体を動かしているのはシャイロックからアントニオが借りた金を又借りした格好になっているバッサーニオとその借金の原因とも言えるポーシャのコンビ、そして悪役のシャイロックであることは明白です。 にも関わらずこの物語、どうしてタイトルが「ヴェニスの商人」なんでしょうか?? 実はコレ、KiKi の長年の疑問なんです(苦笑)
冒頭でも書いたけれど、子供時代はものすご~く素直に抄訳本に書かれた文言そのままにシャイロックのことを「冷酷無比・極悪非道の金貸し」といとも簡単に思い込んでしまって、この物語を勧善懲悪の物語と認識していた KiKi。 まあこれには復讐のために証文をたてに人肉を要求するという醜悪さも大いに影響を与えていたわけですけど・・・・・。
でも、大学生になってこの物語(全訳もの)を再読した際にはどちらかというとシャイロックの置かれている「ユダヤ人」という立場に妙に感情移入してしまいました。 「借金のかたに人肉を要求するのはさすがに行き過ぎではあるものの、アントニオだってかなり嫌なヤツじゃないか??(彼のユダヤ人迫害の様子はかなりエグイ)」 とか 「いやいやそれ以前にこのバッサーニオっていう男は何なんだ、外面を取り繕うために親友にあんな契約をさせてまでして借金するとは情けない。 そんな男に惚れるポーシャもポーシャだ!」とか感じちゃったのです。
と同時にヨーロッパ社会における根深い「ユダヤ人迫害」の実態を知り、こういう物語(というより演劇)が娯楽の少なかった時代に一般大衆に与えていた心理的なインパクトがどんなものだったのか等々あれこれと考えてしまいました。 そういう意味ではシャイロックの語るセリフ
「ユダヤ人には、目がないのか。 ユダヤ人には手がないのか。 胃も腸も、肝臓も腎臓もないというのか。 四肢五体も、感覚も、激情もないというのか。 同じ物を食い、同じ刃物で傷つき、同じ病いで苦しみ、同じ手当てで治り、夏は暑いと感じず、冬も寒さを覚えないとでもいうのか。 何もかにも、キリスト教徒とそっくり同じではないか。 針で突けば、わしらだって血が出るぞ。 くすぐられれば、笑いもする。 毒を盛られれば、死ぬではないか。 それならば、屈辱を加えられれば、どうして復讐をしないでいられる。 何であろうと、わしらがあんたらと同じであるなら、復讐することだって違いはない。 もし、ユダヤ人がキリスト教徒に辱めを加えたら、キリスト教徒は何をする? 右の頬を打たれたら、黙って左の頬を出したりするか? いいや、復讐だ。 もし、キリスト教徒がユダヤ人に辱めを与えたら、ユダヤ人は何をする? キリスト教徒の忍従の例に倣って、ただ黙って耐え忍ぶのか? いいや、復讐だ。 悪いか? だが、この悪いことを教えてくれたなぁ、ほかならぬ、あんたらじゃねえか。 わしはただ、その教えを実行するだけ。 見ておるがいい。 必ず、教えられた以上に、立派にやってのけてやるからな。」
にはキリスト教の欺瞞を暴く、ある種の真実が含まれているにも関わらず、この物語を「喜劇」と位置付けた「時代の精神」みたいなものを感じずにはいられません。
もちろんこの物語をホロコーストを経験したイマドキの感覚で読んじゃいけないと頭ではわかっている(つもり)んだけど、アントニオとその取り巻き連中の「キリスト教信者」であることをそのまま「正義」「差別する側」と位置付けているような傲慢さがどうにもこうにも気に入らないのも又事実です。 そして現代感覚丸出しの日本人の発言であることを百も承知の上で言うなら、最後の最後、あの大どんでん返しの裁判の後、「キリスト教への改宗」までもを余儀なくされちゃうというのはキリスト教の排他性の象徴としか感じられません。
それにしてもシャイロックは「身から出た錆」と片付けるにはあまりにも気の毒だなぁ・・・・と。 財産没収(社会的な抹殺)、キリスト教徒への改宗(精神的な抹殺)、さらには最愛の娘の裏切り & キリスト教徒にもっていかれる・・・・・では命だけは助けてもらったにしろこの物語のあと、どうやって「誇り」とか「アイデンティティ」を保って生きていったんでしょうか??
ま、てなことをつらつらと考えると尚更、この物語のタイトルが「ヴェニスの商人」であることがどうにもこうにも腑に落ちなくなってしまう KiKi なのです。
それにしてもシャイロックの悲劇の元凶ともいうべきあの「証文(≒ 契約書)」ですけど、これってイマドキの感覚からすると「公序良俗に反する契約内容」以外のナニモノでもないよなぁ。 こんな証文を公証人が作ることができちゃうっていうのも、恐ろしい世界だなぁ・・・・と。 そういう意味ではいい時代に生まれたことを感謝しなくちゃいけないのかもしれません。
と同時に、法律っていうやつはどこかしらに抜け道があるのが当たり前なのかもしれないなぁ・・・・と。
ま、それはさておき、何年か前に KiKi はこんなハリウッド映画を観ました。
ヴェニスの商人
ASIN: B000E5LIRK 監督:マイケル・ラドフォード 配役: アル・パチーノ、 ジェレミー・アイアンズ、 ジョセフ・ファインズ、 リン・コリンズ、 ズレイカ・ロビンソン
1596年、貿易の中枢として栄える運河の街ヴェニス。 無一文の情熱家バッサーニオ(ジョセフ・ファインズ)は愛する人ポーシャ(リン・コリンズ)に求婚するため、友人アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)に資金援助を頼み込む。 手持ちがない彼は宿敵の高利貸シャイロック(アル・パチーノ)から自らの身体の肉1ポンドとひきかえに借金をするが、全財産を載せた船が難破し期日までに返済ができなくなり、裁判にかけられることに。 シャイロックは借金返済の違約金代わりとして証文通りアントーニオの心臓に近い肉1ポンドを要求するのだが・・・・・ (DVDケースより転載)
この映画でもやっぱり光っていたのはアル・パチーノでした。 個人的にはジェレミー・アイアンズはか☆な☆り 好きな役者さんのはずなんだけど、ほとんど目が向かなかったなぁ・・・・・。