ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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明日は立秋。暦の上では秋の気配が、となりますが、現実には夏の盛りです。
そんな夏の終わりの入口に読む『夏の夜の夢』。この「夏の夜」は、夏至祭の頃の幻想的な一夜を思わせるともいわれています。季節の節目にふさわしい一冊なのかもしれません。
シェイクスピアの『夏の夜の夢』は、古代アテネを舞台にしたドタバタ恋愛喜劇と言われています。翻訳も戯曲の形のままなので、普段小説を読むことの多い私には流れをつかみにくく、解説動画をいくつか参考にして、ようやく全体のストーリーを理解できました。
この作品は、シェイクスピアのオリジナル作品とされ、「夏の夜」は夏至祭の頃の不思議な一夜を思わせます。父親が決めた結婚に従えない恋人たちは森へ駆け落ちし、それを追う若者たちも森へ。そこでは夫婦喧嘩中の妖精の王オベロンと王妃ティターニアがおり、妖精パックの悪戯で惚れ薬が使われたことで、人間たちの恋はさらに大混乱になります。一方で、大公の結婚式で上演する芝居を稽古する職人たちも加わり、物語はまさに一夜の夢のような騒動へと発展していきます。
文字だけでは情景を思い浮かべるのが難しく感じたのは、私自身が演劇にあまり親しんでいないからかもしれません。舞台で観れば、登場人物の動きやテンポの良さが伝わり、印象も大きく変わる作品なのだろうと思いました。
続いて
「あらし」
シェイクスピア最後の単独執筆とされる作品。地中海の孤島を舞台に、魔法使いプロスペローが妖精の力で嵐を起こし、かつて自分を追放した弟たちを島へ誘き寄せます。さらに王子と娘を引き合わせ、恋を芽生えさせるなど、魔法を駆使して物語を動かしていきます。最後は復讐よりも赦しを選び、皆で島を後にします。
元々 歌舞伎も喜劇的な場面は全く好みでないので シェイクスピアも悲劇の方が好みかも。 -
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シェークスピアは戯曲という形式もあって、毛嫌いしていました。アガサ・クリスティーの「親指のうずき」の由来があると知って、手に取ってみたという感じです。
最初はとっつきづらかったですが、徐々に波長が合ってきて、楽しく読めるようになりました。「親指のうずき」だけではなく、「ポアロのクリスマス」にも、その引用があることが分かり、得した気分です。
内容はかなりのスピード感で、展開がどんどん進んでいくので、飽きませんでした。ちょっと説明不足じゃないか、と感じる部分はありましたが、舞台だとこれくらいの疾走感で丁度いいのかもと思いました。
魔女の予言から自身の安全を確信していたマクベスですが、その予言の通りにやられてしまうというのが面白かったです。
「マクベス」は「ハムレット」と比較して語られることが多いようです。そうなると、「ハムレット」も読まなくてはなぁ… -
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本当に愛してくれていたのは誰なのか?娘達の真意を見極める事ができなかったリア王の誤りが全ての悲劇の始まりとなる。
愚かなリア王。口先だけの2人の娘の口車に乗せられて、全てを分け与えてしまう。相反して口下手であった末娘コーデリアは1番の孝行娘であったのに無一文で放り出してしまう。
地位も金も領地も手放した老人はただの厄介者。今度はリア王が上の娘達から捨てられてしまう。
荒野でたった1人。リア王の狂いっぷりが、嵐と相まって壮絶だ。
ここまで狂うのか。悲劇がさらに襲いかかる。
シェークスピア作品は以前から興味があったが、読もうとすると難解で、通読できた事が無かった。今回、なんとか最後まで読み終える事ができたが、戯曲を読みながら頭の中で再現するのが私には難しかった。
やはり演劇として観るのが良いのだろう。生の舞台で役者が演じる姿を見る事ができたら、素晴らしいだろうな。特にリア王が狂う場面は圧巻に違いない。機会があれば観てみたい。 -
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中古で買った中野好夫訳の新潮文庫版にかけられた帯には、「永遠の愛のバイブル 天才劇作家が描く世界一有名な恋愛劇」とある。「ロミオとジュリエット」と聞けば、真実の愛を描いた純愛の物語といったイメージを持つ人もいるのではないかという気がするが、これを愛のバイブルにして現代で恋愛をすれば大変なことになりそうだと思う。
現代の恋愛物語を知っている人間として、まず一番に疑問に思うのは、恋に落ちるまでの過程であるような気がする。とにかく、どうしてロミオとジュリエットが、お互いに恋に落ちるのかが、本当によく分からない。キャピュレット家のパーティで二人は恋に落ちるのだが、二人の間で起きたことと言えば、お互いの顔を見たという以外に何もない。一緒に踊るときには、互いにキスを繰り返す。一目惚れという以外に言いようのない恋である。
ジュリエットの年齢が14歳だと思えば、なんとなく分かる気もする。初めての男女のふれあいにお互いに盛り上がってしまったのだろう。というよりも、この二人の年齢が、14歳であるということに驚きである。世界的に有名な恋の物語が、中学二年生そこそこの子どもの恋愛だと考えたら、途端に、二人の見え方が変わってくる。
一目惚れから燃え上がる恋の情熱は、中学生の初めてによる気持ちの盛り上がりにしか見えないし、家同士の対立が顕在化した暴力の数々は、ヤンキーの喧嘩と大差がないことになる。そう思うと、あまりに短期にすぎるように見える、それぞれの登場人物の言動が、非常に納得がいく気がする一方で、これをどんな気持ちで見ればよいのか、不思議な気分にもなる。もはや感覚としては、『今日から俺は』とか、『東京リベンジャーズ』とかを見るようなテンションで見ればいいのか。それならそれで、納得がいくかもしれない。
そうした内容上の違和感を抜きにすれば、もう一つこの作品を魅力的にしている要素が、セリフ回しであることは間違いないと思う。翻訳である以上、原文の持っている韻律がどんなものだったのかは、想像のしようもないが、詩を思わせる短く切られた訳文を見るだけでも、ちょっとしたセリフ一つまでが詩的表現になっていたことが分かる。解説によれば、エリザベス朝期の演劇は、第一に耳で聴くものとしてあったそうだ。一つひとつセリフは、内容を伝達するだけの言葉としてではなく、耳あたりのいい詩文としてまずあったのだろう。
読書会をしているときに、十代のセリフとして考えると、ロミオとジュリエットのセリフにリアリティがないという意見をくれた友だちがいたのだが、そのリアリティの問題も、時代的な表現の制約から来ているのではないかという気もする。要するに、ロミオとジュリエットにおける人物のセリフのリアリティというのは、現実の十代の喋り方との対比ではなく、韻文として流麗さにあったのではないか、ということだ。舞台の上で、少年少女を演じるのに、セリフが現実の口語に近いことよりも、韻文としての耳あたりがいいことの方が、「リアル」であると感じられたのではないかと考えられる。
と、考えてくると、この小説を読み進めるときの面白さは、翻訳の文の面白さもあるけれども、やっぱり注釈が面白い。元の英語で表現されている洒落や韻の数々を丁寧に解説してくれている注を読んでから、本文を読み直すと、訳者の苦労のほどが、よく分かる。ただ、それを踏まえたうえでも、翻訳のダジャレや悪口のセンスが、一昔前のおじさん感があるところは、読んでいて別の意味で笑ってしまうポイントだった。今の時代には、もう使われない若者言葉や、同時代の表現が、ふんだんに使われている点で、シェイクスピアの生きたイギリスの雰囲気以上に、これが翻訳された日本の時代感の方が、よく伝わってくるように感じた。
今時の恋愛小説を知ってしまっている身としては、やっぱり一つひとつの心情や行動に移るまでの描写が、あまりに急過ぎて、本当にそうなるか? と、思ってしまうようなプロットではある。けれども、それは、この物語が、「永遠の愛のバイブル」と帯に示される通りに、近代的な恋愛というものを描き出した最初期の頃の物語であるからこその、筋の簡潔さなのかもしれない。決して物語として面白いと思うようなものではなかったけれども、一つの古典を読む経験として、楽しい読書ではあった。 -
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山崎努『俳優のノート』(舞台でリア王をやるにあたってつけたノート)を読むのに先行して読んだ。
予備知識なく手に取って読むと特に面白いとは思わない。★★★といった感じ。
訳が特に硬いとか古いとかは思わなかったが読み進めるのに時間がかかった。
罵詈雑言、恨み言、理不尽の多い劇の脚本と言う感じ。
『マクベス』は面白かったけど、これは読む限り微妙な読み心地。
おそらく演じる事で仕上がる作品なのではないかな。
これから解説や映像を観てみようと思います。
『俳優のノート』によれば山崎努さんが読んだのは筑摩から出ている松岡和子さんの訳の様なので、それで読み返しながら『俳優ノート』を読み進めようと思う。 -
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シェイクスピアを通ってこなかったから、本日からシェイクスピア読破を目指して読んでいく!
四大悲劇の一つ「マクベス」を読んだ。
この物語はこんなにも短いストーリーなんだとまずそこに驚いた。
上・下と、とても膨大なストーリーが広がっていると思っていたからこんなにもキュッとまとまっていることに驚いた。
最初のスタートとしてはとても読みやすくてちょっとありがたい。
最初は、長いセリフ達の、ところどころ何を言いたいのかわからない言葉に少し困惑した。
でも、解説者の話をちらっと読んで、確かにこれはマクベスがスコットランド王ダンカンを殺そうとするところから始まる。
究極のところからスタートする。
だからこそ、セリフ一つ一つを読み飛ばしてしまうと、それまでの背景を理解できないまま読み進めることになる。
それはとてももったいないことで、これはスルメのように何度も読んで味わうべき本だと感じた。
今は一周しかしていないけれど、きっとまた改めて読み直す日が来ると思う。