ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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シェイクスピアの悲劇の終わりを告げる作品。
ジュリアス・シーザーと同様に、伝説や物語ではなく、英雄の生き様を追うという点で、他の喜劇や悲劇とはまた性格の異なったものとなっている。
人間が生きて死ぬことを追っていくということは、その一生にどのような意味づけを見いだすかで大きくその姿を変える。しかも、今回はワールドワイドに動く世界で、ローマとアレクサンドリアという趣きの異なる世界の行き来。場所だけでなく、人間も、三頭政治の世界からクレオパトラの世界、甘い宴の世界と、激しい戦争の世界と、緩急が綴れ織りのようにやってくる。とてもじゃないけれど、ひとつの劇で収まる規模の話ではない。それをひとつの舞台の中でまとめあげるのは、とてつもない工夫や間が重要ではないのかと思う。
こんなにひとと世界が動いているにもかかわらず、もう最初から瓦解が見えていて、そんな世界の動きもどこか冷めて見えてしまう。淡々と時間が流れて、定められた出来事が流れていくよう。
誤解やもつれ、ズレから生じる悲劇と喜劇の世界とは異なり、黄昏に佇み、暗い夜を待つだけの人物の姿が、シェイクスピアの他の劇の登場人物にあまり感じられない、独特の人物の深みを出していると感じられる。若い溌剌としたアウグストゥスからは、アントニーやクレオパトラが持つ、絡まる思惑と利権、政治の人間模様の中で生きてきた人間から漂う哀しさと運命への抗いを願う力強さが感じられない。
この悲劇が悲劇たるところは、ずれやもつれから本人の意図したことが意図せぬ方向へいってしまったことによるものではなく、終わりを終わりと自覚しながらも、終わりに向っていくことに耐えきれず、叫びをあげたくなる、そういうところにあるのだと思う。運命は運命で、それを捻じ曲げることは誰にもできない。すべては起こるべくして起きている。起きることだけが起きている。けれど、どういうわけか、人間には、「もしかしたら」と、考えることができてしまう。だからこそ、生きて死ぬということの不可解さが忍び寄ってくる。絶えず、可能性が人間に語りかけては揺さぶる。そうやって生きて死ぬことが悲しくも見え、また、力強い輝きを放つようにさえ見える。 -
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シェイクスピアの初期の喜劇。
いかにも試行錯誤を続けた感じ。じゃじゃ馬ならしの最初に出てくる酔っ払いの効果や空騒ぎの急激に変化する人間関係など、役者が自由に動いている感じはあんまりしない。一生懸命、筋を成り立たせようとしている感じ。
そうではあるが、すでにことば遊び、目まぐるしいナンセンスの応報、ずれた人間関係のパーツとその解消、たくみな心理要因を活かした関係の色彩といった、今後シェイクスピア花開かせていく力の数々の萌芽はもう十分に感じられる。
あまりのナンセンスの多さに、訳者は大変苦労されたのではないかと思うが、厳密な意味での訳ではなく、多少意味を損ねても、その勢いや快活さを壊さぬよう、苦心して配慮されたのだと思う。どこかの解題で言っていたが、書きことばではなく、それが話されることば、演じられることばであることをいつも信じて翻訳にあたっているから成せる。
どちらの演目も従順な女性像という点から、あまり最近では好まれないタイトルのようであるが、裏を返せば、こうでもしなければ、男性は強がることさえ出来なかったのかもしれないし、演じる女性役者によっては、巧みに男性をたてるしたたかな女性というのも十二分にありうる。それをただ価値観にそぐわないという理由だけで上演しないのは非常にもったいない。あくまでどこまでいっても劇なのである。本気の剣幕でまくしたてあっても、どんなに従順飼いならそうとも、幕が閉じればそれが単なる空騒ぎだったと思い至る。
このふたつの演目の成功のカギは、男性役者にかかっているとあったが、やはり、それも含めて、女性役者と男性役者の本気で遊びを演じるという点にあるのではないか。それがあるから、従順になったり、空騒ぎに過ぎないと知ったときの強力な感情の動きがうまれるのだと思う。 -
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ネタバレデンマークの王座をめぐる復讐悲劇。
父王を殺された王子ハムレット。
王を殺害し、王妃と結婚して王座を手に入れた王弟クローディアス。
国務大臣ポローニアスの娘オフィーリアとハムレットは恋仲であったが、その恋は引き裂かれ、ハムレットはクローディアスへの復讐を決意する。
狂気を装うハムレットに失望したオフィーリアは入水自殺?し、それを知りハムレットに復讐しようとする兄レアティーズ。
レアティーズにハムレットを殺害させようとクローディアスはたくらみ、毒を塗った剣で対決させるが、そのもくろみは失敗し、ハムレット・レアティーズ・クローディアス、王妃ガートルード全員が死亡。 -
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"To be, or not to be, that is the question."(「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」<本書訳、以下同>)、"Get thee to a nunnery." (「尼寺へ行くがいい」)、"Frailty, thy name is woman."(「心弱きもの、おまえの名は女!」)など、数々の名台詞で知られるシェイクスピア悲劇。
デンマーク王子、ハムレットは憂えていた。偉大なる父王が突然の死を遂げ、次に王位に就いたのは王の弟でハムレットの叔父であるクローディアス。高潔な兄に比べ、(ハムレットの目から見ると)卑小な弟。王と呼ばねばならぬことさえ苛立たしいのに、あろうことか、前王の死後、二月足らずで母王妃は現王に嫁した。悲嘆と憤怒の只中にあるハムレットの前に、父王の「亡霊」が姿を見せる。亡霊は弟に謀殺されたと告発し、ハムレットに敵を討つよう命じる。ハムレットの深い煩悶は、周囲を引きずり込みながら、破滅へと雪崩れ込む。
結末では、主要登場人物のほぼすべてが死んでしまうという一大悲劇である。
ハムレットの人物像に関しては、古来、議論があるようだが、読み返してみても、すっとは呑み込めない「わかりにくさ」がある。
叔父が父を本当に殺したのであれば、さっさと皆に疑いを明らかにして、裁きの場に引きずり出せばよいではないか。気狂いの真似をするのが有効な手段とはあまり思えない。
「生きるべきか、死ぬべきか」とも訳された"To be or not to be."の"be"は何を指しているのか。
ハムレットの逡巡は、確かな証拠がないことによるのか。叔父の自白を待っているのか。
八つ当たりのようにかつての恋人オフィーリアに冷たく当たり、彼女の父を(過失とはいえ)殺してしまってもあまり後悔の色もない。
とはいえ、父王を殺され、母が邪悪な男の手に落ち、恋人も失い、ついには絶望のうちに自らの命も失うのだから、悲劇の中心人物であることには違いはない。
この話、周囲の人々もそれぞれに悲劇を抱える。
兄の死後、王位に就いたクローディアス。
自ら兄殺しに触れるのは、中盤を過ぎたあたりの傍白部分が初めてである。前半だけだと、気難しいうえ、おかしな想念に取り憑かれた義理の息子を扱いかねているようにも見える。
一応、前王殺しの犯人ではあろうけれども、何だかこの人も謎が多い。美しい兄嫁が好きだったのならば、なぜもっと早く手を下さなかったのか(それこそハムレットが生まれる前に!)、面倒くさい義理の息子を早いうちに片付けなかったのか、いろいろすっきりしない。穿った解釈をすれば、「兄殺し」は、例えば兄が倒れていたのを見つけたのに適切に助けなかったといったような消極的な意味と受け取れなくもない。そうなると、亡霊の告発を聞いているのはハムレットだけなので、すべては難しい年頃の青年の妄想だったという可能性もなくはない。クローディアスは最終的には汚い手でハムレットを陥れるわけだし、さすがにそれはないかとは思うのだが。
となると、息子を愛する王妃を慮るばかりに、冷酷非情に徹しきれなかったところが、この人の「悲劇」といったところか。
極悪非道というよりは、小人物の趣である。
王妃ガートルード。
前王を愛していたとはいうが、死を悼む涙も乾かぬうちに、弟と結婚する。
この人が兄王、弟王をそれぞれどう思っていたのかもすっきりしない。王が突然死に、外国との間も平穏無事というわけではない。そうであれば、年若い王子よりも、それなりに分別のある年頃の王弟を王に迎え、王国の安泰を図るのも1つの手だろう。弟王が狡猾で邪悪だと知っていたのならともかく、そうではないとすると、「事件」の様相はがらりと変わる。息子が再婚相手を嫌い、わけのわからぬ因縁をつけてくる。気がおかしくなってしまったと悲嘆にくれても無理はない。
恋人オフィーリア。
この人こそ、罪科がないのに巻き込まれてしまった悲劇の人だろう。
前王殺しにもまったく関係がなく、邪淫に堕ちたわけでもない。ハムレットが何に悩んでいるかも明かしてもらえぬまま、一方的に冷たい言葉を浴びせられ、父親も殺されてしまう。ショックのあまり、本当に気が触れ、最後は命を落としてしまう。気が触れてからのオフィーリアが発する、辻褄は合わないながらも断片的に鋭い洞察を秘めた台詞は味わい深い。
ジョン・エヴァレット・ミレーも描いた、悲しい美しいオフィーリア。
「尼寺に行け!」と言われたときに、本当に尼寺に行ってしまえばよかったのに、と思わぬでもない。神はハムレットのようにひどい仕打ちはしなかったろう。
その他、ハムレットの忠実な友人であるが、ともに死ぬことを許されず、語り部となることを強いられたホレイショー、阿諛追従の徒ではあるが、悪意のないポローニアス(オフィーリアの父)など、いずれも幸せにはならない登場人物たちも、鮮やかに描き出される。
シェイクスピア作品は、概して、堅牢にがっちり作られているというより、どこかいびつであったり、「隙間」が残っているような印象も受ける。
ただそれはすべてシェイクスピアが意図したというよりも、成立の事情も絡んでいそうだ。ハムレットには、Q1、F1、Q2(Qは四折本、Fは二折本の意)という3つの版が知られており、各版間で、台詞の有無、場面の移動・カットなどがある。一般的には、F1版を元本とすることが多い(本書も含む)。*光文社古典新訳版はQ1を元にしているので、読み比べるのもおもしろいかもしれない。
どれがオリジナルに近いかは議論があるようだ。戯曲というものの性質上、演出者や出演者の判断で元の脚本に手を加えられることもあったろう。
いずれにしても、さまざまなエピソードに「穴」や「引っかかり」があることで、読み手・観客の想像をかき立て、物語の中に引き入れ、何度鑑賞しても飽きさせない、そんなマジックが効いているようにも思う。
恐るべし、シェイクスピア・ラビリンス。 -
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マクベスはある日、魔女に「やがては王様に、おなりになる方」と予言されます。その言葉により、マクベスは破滅へとおびきよせられてしまったように感じました。
夫人に毒気がないと言われたマクベスですが、夫人の勇気を出させるような言葉に影響を受け、自らの手でスコットランド王ダンカンを殺害してしまいます。そしてその罪を他人に擦り付け、自分は王になります。
しかしマクベスも夫人も罪悪感に悩まされているようで、全然満たされているようには思えません。むしろ亡霊や幻覚に悩まされているようです。
マクベスは元々王になりたいと思っていたのでしょうか。少しは思っていたのかもしれないですが、私は、魔女の言葉にそそのかされた部分が大きいのではないかと思いました。マクベスは王を殺害してしまいますが、完全な悪人だとは思えなくて、むしろ純粋な心を持っていたからこそ魔女の言葉を信じてしまったのではないかと感じました。人にそそのかされ、悪を働いて、不安を感じ続ける、人間の弱さも描いた作品に思いました。
最終的にマクベス夫人は自殺してしまい、マクベスはスコットランドの貴族であるマクダフに殺されてしまいます。そして、ダンカンの息子であるマルコムが王になります。
魔女の言葉により人生を狂わされた、悲しい物語だと思いました。 -
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福田さんも安西さんも実際に演劇にするために訳されているので、なんかいい。劇にすることを前提にしていない脚本はなんだかリズムがつかめない。
シェイクスピアさんの全集を買おうかと思ったけど、買うならちょっと古いかもしれないけど福田恆存さんのになるかなぁ〜?
でも、まずはハムレット、オセロー、マクベス、リア王を福田さんの訳で読もうかな。あと、あらし。その他はぼちぼち読んでいこうかな。
安西さんの訳は読みやすい。実際の台詞にもとづいているからのようだ。そうそう、シェイクスピアさんの年譜や作品史を読んで、バカダミアンさんの重松さんを思い出した。まさに、博多のシェイクスピア!
Mahalo -
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四大悲劇(ハムレット、オセロ―、リア王、マクベス)執筆の直前に書かれた政治劇で、そのほぼ全てをプルタークの『伝記』から取っている。
英国では、知識人・エリートと呼ばれる人々はみなシェイクスピアを読んでいると言われるが、中でも、現在最も読まれているものは本作品であろうと言われ、教科書にも取り上げられているのだという。
本作品では、シーザーが絶命寸前に言った「お前もか、ブルータス?」の台詞があまりにも有名だが、クライマックスはむしろ、ブルータスがシーザーを暗殺した後、市民の前で、「おれはシーザーを愛さぬのではなく、ローマを愛したのである」と演説して市民を納得させた直後に、シーザーの腹心であったアントニーが壇上に上がり、巧みな弁舌で、「ブルータスは公明正大の士である」とくり返しながら、徐々に市民を味方につけ、遂に市民たちに暴動を起こさせる過程である。
欧米人は討論や演説が得意だというが、本作品のような良質な政治劇に親しむ習慣があることを考えれば、当然と言えよう。
四大悲劇とは趣の異なる、テンポのよいシェイクスピアの傑作である。 -
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・主人公ハムレットの人格が魅力的だった。不貞の罪を犯した母への忌まわしさと、その母の血が流れている自分自身の穢れの感覚に煩悶しながら復讐に進む主人公には、若者らしい潔癖さと深情の優しさが感じられた。狂人を装いながら、度々口にする気の利いた皮肉も、大学生だという主人公の知性が表れていて、魅力的だ。
ルルーシュみたいな感じ、と言うと卑近すぎるかもしれないけど、ググると製作陣も意識しているらしい。
・後述の脚注で逐次説明されているが、繰り返し登場するキーワードやイメージが、表現を強力にしていて、巧みだった。
・クライマックスの剣術試合は、サスペンスの効果が巧みで引き込まれずにはいられないし、青年二人の決闘は、問答無用で格好いい。ハムレットには黒、レアティーズには白の衣装で戦ってほしい。(ルルーシュとスザクみたいだけれど…。)
・演劇ならではの効果(が発揮されているであろう箇所)は、想像力を働かせないと理解できない部分が多いように思った。シェイクスピアが活躍したグローブ座は、東京にも再現されているらしいので、いつか行ってみたい。普通イメージする劇場と違って円筒形をしていて、平土間は屋根が無い(空が見える)。
・内容からは離れるけれど、脚注と巻末の補注を使って、原文のダブルミーニングや構成の妙、時代背景等々を解説してくれているので、理解を深めるのにとても助かった。注であっても、訳者の熱意が伝わる書きぶりで、退屈ではないと思う。ただ、底本がどうだという話も多いものの、門外漢なのでそこは追う気力が無かった。 -
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血を血で洗う薔薇の戦争
約束は脆く、愛は偽り
突き動かすは復讐の炎
他の悲劇とはその動き方が違うように感じられる。悲劇の歯車がひとつひとつ噛み合って徐々に動き出すのに比べ、リチャード三世はすでに悲劇が動き始めた状態で幕が上がる。人を呪わば穴二つ、因果応報、どのような形にしろ、不条理な形で死を迎えるのではなく、始まりからすでに血にまみれた死の臭いが漂い、物語全体が果てのない復讐で包まれている。
父を殺され、夫を殺され、子供も殺される。憎い敵でも、偽りの愛だとわかっても、結婚せねばならぬ。それはただ、ランカスター家だとかヨーク家に生まれたがため。たとえ王の前で、神に誓って手と手を取り合っても、もう外部からの強い介入がなければ止めることのできない連鎖。民衆はただただそれを眺めるだけ。というよりは、民衆にはとても届かぬ世界。歴史とはかくも重い。
キリストが愛をわざわざ説いたのは、抗えぬ復讐の定めから少しでも目を逸らさせるため。右の頬や左の頬を殴って済むようなものなら、それは復讐ではない。一度血で手を汚してしまうということは、もう誰にもその血を落とすことができないという烙印。自己を犠牲にしろというのではなく、そんな宿命に身を委ねさせないようにするためのキリストなりの愛という魔法なのだ。
リチャード三世の戦死、ヘンリー7世の祝福をもって幕が閉じられるが、ヘンリー8世が示したように王家が血にまみれないことはない。そうやって作られる歴史だからこそ、王家は王家であり続けなければならない。 -
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遠く離れた森の中
愛と嘲笑が交差する
お気に召すまま暮らす中
それでもすべてが調和する
暗い出来事が下地となっているのに、どういうわけか悲劇とならない。それは、愛の力が初めからひとを結びつけているからか。その愛を育むのが、人里離れた森の中。屋敷にあのままロザリンドたちがとどまっていたら、きっとマクベスやオセロ―のように悲劇になっていたんだと思う。背景の描写は細かくなされていないのに、確かに存在感があるアーデンの森。劇のときは、やはりこの森をどう表現するか演出家や舞台さんの力が求められるところ。疲れ切った心を和らげ、愛の力が存分に発揮される森。
愛という夢を紡ぐのは、男装したロザリンド。男性として振る舞う女性、愛すると同時に愛され、実在すると同時に実在しないという奇妙な二重性が、憎しみの色を喜劇の喜びの色へと導いていく。
かといってのんびり事が過ぎるわけでもなく、道化やジェイキスの配置によって、まるっきり夢を見ているわけではなく、思考にピリッとしたスパイスが加えられて単なる恋愛物にとどめない。道化が最初に述べた、偽の誓いというのがよく効いている。欺瞞という行為は、それ自体、正しさを浮かび上がらせるという矛盾。正直者ほどよく嘘をつき、嘘つきほどよく正しいことを言う。役者は嘘を正しさとして演じなければ嘘になるし、観客は嘘が嘘だということを常に見極めていなければ、嘘になる。そうでなければ、喜劇にならない。常に二重性がつきまとう。
そして最後にはそれぞれのお気に召すように、すべてが調和する大団円を迎える。各々が勝手に動いているようで、実はひとつの構図の中を生きていた。 -
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ネタバレ【本の内容】
男に変装した若く美しいヴァイオラは、セザーリオと名乗ってある国の領主に仕えていた。
その領主に魅せられたヴァイオラだが、領主は、伯爵家の令嬢で当主のオリヴィアに恋焦がれている。
ところが、こんどはオリヴィアが男装のヴァイオラにひと目惚れ、大混乱が巻き起こって…。
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