ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレこの作品、KiKi はこれが何度目の読書か、正直なところよく覚えていません。 もちろん原典も学生時代には読んだし、福田恆存の訳本(当時のスタンダード)でも読んだし、当時注目を集め始めていた小田島雄志の訳本でも読んでいます。 もっとも今回の読書でそれらを比較検討できるほどには記憶に残っているわけじゃないんですけどね(苦笑)
ただ漠然と覚えているのは「福田訳」がかなり詩的だったのに対し「小田島訳」はかなり口語調になっていたことと、それと比較しても今回の「安西訳」はそれに輪をかけて言葉としてひっかかるところがなかったこと・・・・・ぐらいでしょうか?? スンナリと目や耳に入ってくるというのはある意味では「わかりやすさ」に通じて素晴らしいことだと感じるのも事実なんですけど、逆に言えば特に読書の場合、「あれ?」と思って読み返して咀嚼するというプロセスがなくなってしまうため、その分読み飛ばしてしまうリスクがあるなぁと感じました。
シェイクスピアが書く言葉には物事を2面からとらえる言葉とか2つの事象・概念を並べて語る言葉がよく出てくるんだけど(例えば有名なところでは「きれいはきたない、きたないはきれい」というような)こういう言葉って「あれ?」と躓き、何度も読み返して咀嚼するプロセスがあるからこそ何を言わんとしているのかが伝わってくるとか記憶に残るというようなところがあると思うんですよね。 でも、少なくとも今回の読書で KiKi はこれに類するような「あれ?と思って読み返してみる」という行為をほとんどしなかったなぁ・・・・と。
これを既にストーリーを知っている物語ゆえ・・・・と捉えるべきか、読み方が雑になった・・・・・と捉えるべきか微妙なところだなぁ・・・・・と感じました。
さて、それはさておき、読後感です。 今感じている読後感が今回の読書だけによるものなのか、はたまた学生時代に感じていたものそのまんまなのかは自分でもよくわからないし、今となっては学生時代にこの物語から何を感じていたのか?はよく覚えていません(苦笑)
この物語、シェイクスピアの4大悲劇の筆頭として語られることが多いんですけど、個人的にはこちらの物語よりも「マクベス」や「オセロー」の方が好きだったりします。 それは恐らくリア王の狂気よりもマクベスやオセローの狂気(というよりは錯乱と言うべきか?)の方が KiKi には理解しやすいし、特に「マクベス」あたりはコンパクトな纏まり具合という点からしてみても、素晴らしいとしか言いようがないと感じられるからです。 リア王ってどことなく因果応報な感じもするし、途中でグロスター伯と二人の息子の話まででてきちゃって悲惨さと言えばリア王その人の悲劇よりもグロスター伯の悲劇(リアを助けようとして迫害を受け、両目をつぶされたうえで追放される)の方が悲劇的に過ぎる部分もあるように感じちゃうし・・・・・。
KiKi はね、リア王って恐らく暴君と言ってもいいほどの専制君主だったと思うんですよね。 で、権力の座にある間は彼の言葉が絶対で、臣下も娘も決して彼の言葉に異を唱えるようなことはなかったし、仮に唱えたとしてもそれをすぐに打ち消さざるを得ないような空気を漂わせた人物だったんだろうと思うんですよ。 で、恐らくそんな暴君でありつつも彼なりの方法で3人の娘たちを愛してはいたんだと思うんです。
老境に達してそろそろその「絶対性」にも疲れてきちゃっていた王様は、後世の憂いを絶つためにも彼の領土・権力を3人の娘たちに等分に分配し、「みんなで仲良く」治めて欲しいな~んていう夢みたいなことを思い描き、さらには「絶対君主としての責任は放棄(彼としては委譲)するけれど、王という称号と名誉だけは手元に残す」な~んていう都合のいいことを画策したのがあの冒頭の「愛情テスト」の場面。 まだ権力を手元に置いた状態での「愛情テスト」に上の二人の娘は耳触りの良い言葉で答え、どこか抜けたところのある末娘はそんな姉たちの上っ面に反感を抱きます。
この悲劇の根本にあるのは、リア王が絶対だと考えていたある種の「価値観」を娘たちの誰一人として共有していないことにあり、その価値観が権力と密接に結びついていたことを肝心のリア王自身が理解していなかったことにあると KiKi は思うんですよ。 ・・・・・と同時に、この物語の背景にある時代が恐らくは結構群雄割拠な時代だったんじゃないかと思うんです。 リア王に勘当されたコーディリアはフランス王に嫁ぐわけだけど、これだってその裏にあるのはどんな思惑やら・・・・・。 だいたいにおいてイギリスとフランスが仲が良かったな~んていう話はほとんど聞いたことがないし・・・・・。
恐らく本来ならフランスをはじめとする外敵と対峙するためにも王権を3分割するな~んていうのは当時の国家君主としては間違った判断だったんじゃないかと KiKi は思うんです。 でもリアはそんなことさえ考えられず自分の安逸な老後のため(& 姉妹仲良くという夢想のため)に冒頭の「愛のテスト」に臨む段階では「きれいに三等分すること」を心の中で決めていた節があるように感じられます。
コーディリアが勘当されることにより三等分だったはずのものが二等分されたことにより、少しはマシではあったかもしれないけれど、もともとあった力を半分ずつに分けられてしまったうえに、引退老人が100人からなる軍隊を言ってみれば自分の遊興のために(そして万が一の時には戦力として)手放さないという状況が2人の娘にとっては面白いはずもなく、彼女たちはリアから戦力を奪ったうえで追放します。
2人の姉妹が極悪非道・冷血人間のように見えなくもないけれど、だいたいにおいて「姉妹仲良く分割統治」な~んていうのが理想(夢物語)に過ぎないわけで、彼女たちがリアを説得しようとする言葉の中にもある種の真実が含まれているところが目を引きます。
そしてそんな父親の苦境を知ったコーディリアは善意からフランス軍を率いてドーヴァーに上陸するわけだけど、この段階での彼女はリアの娘である以上にフランス王妃なわけです。 これはブリテン側にしてみれば侵略と呼んでもいいような振る舞いでもあるわけで、ここでもコーディリアのやっていることはどこか間が抜けています。 そうであるだけにリアの長女、ゴネリルの夫であるオルバニー公は心の中ではリアに対する娘(≒自分の妻)の仕打ちを許せないと思いつつも戦に赴かないわけにはいきません。 こうしてブリテン側が勝利することによりコーディリア & リアは捕えられ、その後あれこれあって、結局みんな死んじゃった・・・・・と。
考えてみるとこの物語、絶対権力者が陥ったある種の時代錯誤・傲慢さの為せる業とも見えるわけで、そこにこそ悲劇性があるように KiKi には感じられました。 狂人となったリアが嵐の中で彷徨う姿は確かに悲劇的だけど、道化の存在やらグロスター伯に迫害された長男、エドガーとの出会い等々があり、悲劇的でありつつもどこか喜劇的なように感じられました。 -
Posted by ブクログ
おもしろかった。
日本の現代の舞台向けの戯曲としては、小田島さんの翻訳の方がすぐれているとは思うが、やはり、大御所である木下さんの翻訳は美しい。
マクベスは今のこどもたちには難解な芝居であるとは思う。
そこをしゃちこばった脚注・巻末注ではなく、随所に散りばめられた象徴的亡霊・幻影たちに括弧つきで簡単な注を入れているのも理解の助けになる。
著者が岩波ブックレットで著した「マクベスを読む」が巻末に収載されているのもうれしい。岩波文庫という一見お堅いメディアで、これだけていねいに初心者にマクベスを解説した本はないのではないか。廉価であることもお得感を増している。
しかし、マクベスのような「ことばのクラスタ」にさらされる芝居を今の子どもたちは本で読むしかないのだろうか。わたしのマクベス諸体験は「俳優座」の神戸文化ホールでの公演であった。やはり、戯曲はまず芝居を観てから読むものであって欲しいのだが、古典のストレートプレイの公演が少なくなっている地方都市では望むべくもない夢なのかもしれないのが残念だ。 -
Posted by ブクログ
いやぁシェイクスピアさん、悪人書かせると天下一品!絶対本人悪くないとこんなの書けないよ!
そしてこの悪口の応酬ね。皆さん悪口のネタが尽きた際には是非シェイクスピアを。この作品はもう呪詛のレベルだけど。
その呪詛のクライマックスで、締めくくりにその対象の名前呼んで決めようとした所をタイミング良く相手の名前に変えて呪詛返しした上に、言い直されたら「は?」って。「は?」と来ましたよこのリチャード3世。笑った。
ガンガン邪魔な奴を殺しまくって、要所要所で演技も挟んで相手を騙くらかし、しかも上記のようにお口の達者っぷりが他の追随を許さない(皮肉の言い合いで絶対負けない)リチャード3世。あっという間に王冠を手にしましたが、その瞬間から破滅へ急降下。すごいアップダウン、そしてスピード感。
このリチャード3世の退場で薔薇戦争は終了、赤薔薇白薔薇組み合わさった紋章が作られ、時代はエリザベスも出るテューダー朝へと進みます。
漱石の「倫敦塔」を思い出しながら読んでいた。沙翁の穴に落ち込んだ漱石の白昼夢を脳裏に浮かべて本家。日本人ならではの贅沢。 -
Posted by ブクログ
ナイスです!
シチリア王が愛する妃が浮気した男の子を宿しているのではないとの妄想を抱いて、悲劇を招く前半と、その16年後の奇跡の大団円。
しかし、王妃を裁判にかけたりするので、エリザベス時代じゃないよなぁ?とドキドキしながら読んだ。
巻末の解説で1611年の作らしいとわかって一安心(出典小説はエリザベス時代らしいけど…)。
15年ぶりくらいに読んだので、ラスト以外ほとんど忘れてた。
クライマックス前まで読んでから、「子供のためのシェイクスピアカンパニー」の演劇を見た。
脚本・演出の山崎氏の解釈と、アフタートークのおかげでさらに深くこの作品が楽しめました。
ロマンス劇だけど、ちょっとした感動もある。
やっぱシェイクスピアは面白い!
解説読んで思ったこと。
故郷に帰ったシェイクスピアを成長した娘たちがアーダコーダといいながら世話をしてくれたのがポーリーナに反映しているとかないのかな?と空想すると面白い。
(H23.7 自)