ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
★4。
「メタルマクベス」と「蜘蛛巣城」のおかげで筋は知ってたけど、改めて戯曲読むと新鮮に面白かったなー。後半の、マクダフ夫人と子の場面、マクダフとマルコムの場面とかは面白そうなので映像で見るの楽しみ。
レディマクベスの死にさらっとしか触れられてなかったのが意外だった。でもこれだけさらっとだと膨らませる余地あるから、かえって色んなバージョンが作りやすいのかなーとも思うね。
新潮文庫版を読んだのだけど、中村保男さんの解説が興味深かったな。その前の福田つねなりさんのもそうだけど、ハムレットとの対比について書かれててなるほどーだった。テナントさんファンは脳裏に思い描きながら読めるからこれわかりやすくてよい。映像楽しみだー! -
Posted by ブクログ
翻訳者の福田恆存が書いたあとがき「シェイクスピア劇の演出」が印象に残った。
この中で、役者は、演じるキャラクターの心理を掘り下げて演技すべきではない、と述べている。演劇は劇場的効果が重要で、役者は観客の望むものを提供することに徹すべきだ、と述べている。すなわち、台本に書かれているハムレットの台詞を観客に効果的に届ける媒介者、と私は理解した。
私が映画や演劇に興味を持った時(若い時)、影響を受けたのはスタニスラフスキーの演技論だった。彼は徹底的にリアリティを求めて、観客が退屈しようと役者はリアルに佇むだけ、、、な感じだった。これがモスクワ芸術座であり、アメリカに渡り、リー・ストラスバーグのメソッド演技になった。福田恆存とは正反対の様に思えるが、両方必要なんだろう、とも感じる。そもそも、普通の役者の中途半端な心理分析・演技は、かえって興ざめだし、映画監督の中には、心理描写を望まない人もいる。アキ・カウリスマキも、その一人。
そもそも、この台本を読み返した切っ掛けは、アキ・カウリスマキの「ハムレット・ゴーズ・ビジネス」を観たから。演技論や演出論に対して、再び関心が沸いてきた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレシェイクスピアの描く人間模様は 時代を超えてドキッとさせられるところばかりですが、このお話はユダヤ人差別、白人至上主義がいやらしいほど!
ですが、そこは目をつぶってまずはお話の面白さを楽しみました
ヴェニスの商人アントーニオは、財産の全てをいくつもの商船に投資中。
そこへ親友パサーニオがベルモントのポーシャという美しく素晴らしい女性に求婚するため、金を貸してほしいとやってくる。ポーシャは父親からの遺産を相続し、あまたの権力者たちが求婚にやってくる。彼らと渡り合うには財がいるというのだ。
とにかく友情にかけて愛情深いアントーニオは、今は財産は船の上、ひとまず自分の信用のもと、ユダヤ人金貸しのシャイロックから金を借りることにする。保障人がアントーニオと聞いたシャイロックは、これまで受けてきた屈辱を今こそ晴らそうと、違約金代わりにアントーニオの肉1ポンドを切り取ることを条件に貸すという。
ベルモントではポーシャが 亡き父の遺言により金、銀、鉛の箱を求婚者達に選ばせていた。見事正しい箱を選んだパサーニオがポーシャと結ばれる!
ところがヴェニスでは、アントーニオの船がのこらず難破したという噂が流れ、シャイロックはアントーニオの肉1ポンドのために裁判を起こす。
ここにやってくるのがなんと男装し、若き法学者に扮したポーシャ!
と、こんな感じでいろいろ詰め込まれたストーリーなのですが、これが舞台となるときっと観客をひと時たりとも飽きさせないのでしょう
ユダヤ人の祖先は卑しい商売と言われる金貸ししかできなかったという歴史も垣間見ることができる、今となっては文学的な側面が大きい作品でもあるのです。
それもドタバタコメディですからね!すごいな
-
Posted by ブクログ
ネタバレ『リア王』は子どもの頃、お子様向けの読み物で読んだ記憶がある。三姉妹の父であるリア王が、一番優しいはずの末娘の言葉に怒り、追い出してしまう、その悲劇の顛末。…あたりは割とよくある昔話にも似たストーリーで、微かに記憶に残ってた。だが、シェークスピアのこの原作(翻訳であることは大前提として)はさらにグロスター家の父と息子たちも登場。元になった史実はあるみたいだけど、それにも増して、シェークスピアならでは(イメージです)の皮肉や性的なジョークも散りばめてある作品だった。
自分の財産を娘二人に分け与えた後、それぞれのところに代わりばんこに寄宿し世話になろうというのは、今も(というか今なら尚更?)トラブルの元。案の定、長女の元を追われ、次女からも疎まれることになる。
この作品を読んだきっかけは、この松岡和子さん翻訳の脚本で演じられる舞台を見に行くことになっていたから。(以下、舞台の感想も混じります。)結局、始まるまでに全部は読み終えられなかった。演じられた作品は大胆な演出で現代的というか前衛的なものになってた。シェークスピアの昔風の舞台をイメージしながら読んでたもので、前半戸惑ってしまったことは否めない。むしろ読んでなかった方が先入観なく見られたかもしれないという反省はした。ただ、登場人物を整理しながら読んでいたので、そこの理解はスムーズだったかも⁇予め元の戯曲を読んでいるのは悪いことではないと思うけど、そこからどんな演出がされるかはわからないから、なかなか諸刃の剣というところはある。聴力が落ちてきている年代なもんで、何を言ってるか、読んでた方が安心できるけど…。(俳優さんによって、聞き取りやすい方とそうでない方がいらっしゃったのは否めない…)
まぁ、パンフの情報くらいで、あんまり予備知識を入れない方が、今回においては良かったかな~。
読まずに見ていた最後、次々に人が死んでいく。心のどこかで救われる結末を期待していた自分に気付いた。そういえば『リア王』は四大悲劇の一つだった。
見終わってラストを読んだ。これがああなったのか…。やっぱり大胆な演出だ。正直、お金と時間があれば、もう一度見たい。というか、見落としてるところがたくさんある気がした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレハムレットの孤独と悲劇が胸に苦しく残る。
とにかく、ハムレットがずっと一人ぼっちなのが気になった。父親の亡霊から復讐をとげろと命じられるのも辛いし、母親はその場の空気に流されやすくハムレットのことをあまり考えていないように見える。叔父のクローディアスはハムレットの暗殺を命じ、学友とされるローゼンクランツとギルデンスターンも、友とは名ばかりであっさり暗殺の命を実行にうつそうとする。孤独は深まり続け、最終的には唯一の友であるホレイショーの制止も振り切って悲劇の試合に身を投じていく。
「前兆なんか気にしてはいられない。雀一羽落ちるにも天の摂理が働いている。いま来るなら、あとには来ない。あとで来ないなら、いま来るだろう。いま来なくても、いずれは来る。覚悟がすべてだ。生き残した人生のことなど誰に何が分かる。」
と述べて復讐の実行を決断し行動にうつしたハムレット。その結果により死を迎えてはじめて、ホレイショーとも、レアティーズとも、フォーティンブラスとも距離が近づいていると感じられるのが皮肉だなあ。
途中まで、ハムレットは正気でありつつ狂ったふりをしていると解釈して読んでいたけど、読み終わって改めて振り返ると、「正気でありつつ狂ったふりをしていると思い込む形で狂っている」のでは?という気がしてきている。謎めいた光をはなつ黒い宝石のような作品だった。いつか舞台も観てみたいなあ。 -
Posted by ブクログ
大昔に読んでいたが、再読。国王引退に際して国を三つに分割して娘たち(長女と次女に関しては娘婿)に渡すことを決意したリア王。渡す前に「親への愛を語れ」と娘たちに大喜利させるが、姉たちの歯が浮くようなおべんちゃらが使えない程に率直かつ純真だった末娘のコーディリアを勘当、国外追放とする。
リア王は長女ゴネリル、次女リーガンの家を行ったり来たりの余生を考えていたものの、リア王親衛隊も含めた素行の悪さ・態度の大きさもあって、2人に邪険にされ、台風の中追い出され、狂っていく。
当時どういった感覚でリア王の言動が捉えられていたのか分からないが、現代の感覚からすると親としては完全なる失格とは思う。しかし、権力の頂点に立つ人間がその権力を手放すことが如何に難しいかという視点で考えれば、今にも通じる話だ。加えて、ここには老化によって世界が閉ざされていく悲しみがあり、自らの愚かさゆえに全てを失っていく悲劇があった。
忠臣ケントがカッコいい。リア王に追い出されても(その際のセリフがいい。「ケントより謹んでお別れのご挨拶を。新しい国へ行っても古い流儀で生きてゆきます」)変装して舞い戻り、狂った老王にも付き従う。当世風に考えれば、ケントにフォーカスを当てたスピンオフ作品がきっと作られるだろう。
訳者によるあとがきに、女性嫌悪のイメージが横溢していると書いてあり、まさにその通りだと感じた。息子ではなく、娘しか持てなかったということも、王としては何か思う所があったのだろう。また、道化とコーディリアは同じ場に登場しないこともあって、この二役は同じ役者が演じたとする説もあるとも知り、それも興味深い。
ということで、準備万端な状態でショーン・ホームズ×段田安則「リア王」を観に行ったのだが、自分が全くといっていいほどこの戯曲を読めていなかったことを思い知らされるのであった。 -
Posted by ブクログ
『マクベス』はシェイクスピアが1606年頃に完成させた戯曲です。実在したスコットランド王や将軍を登場させた作品で、王であるダンカンに重用されていた野望に取り憑かれた将軍マクベスが主人公。
マクベスが王を暗殺し自ら王に即位してからマグダフ、子息マルコムに討たれるまでを描いた作品でシェイクスピアの4大悲劇のなかの最後に書かれた作品。
4大悲劇の中では一番短い作品たが、当時のスコットランド王ジェームズ一世(話し中の忠臣バンクオーの子孫)への宮中観覧用作品としたので短いと言うのが定説。劇中にもジェームズ国王に媚びたセリフが多いのが特徴と言われる。
ダンカン王を暗殺し王についたマクベスが劇中ではすぐ遺児マルコムとマクダフにより復讐される(実在は在位17年)。
魔女からいずれ子孫が国王になると予言されたバンクオーはマクベスにより殺されるが、息子は他国に逃れいずれ国王となる。
魔女の予言が厚く信じられていた頃のお話しだが、結果的に後々ジェームズ一世王の時代に王位正当性を持たせる為に好まれており、後から作り出したものとも言える。