ウィリアム・シェイクスピアのレビュー一覧
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「夏の夜の夢」の原題は「A Midsummer Nights Dream」。Mid Summer-Dayは夏至で、MidSummer-Nightsは、その前夜。翻訳された方によれば、日本での題名は通常「真夏の夜の夢」とされているけれど、真夏というと日本でイメージする夏真っ盛りの暑さと、イギリスでの夏至のころの爽やかな初夏の陽気は全然違うので「夏の夜の夢」と訳しましたとのこと。ご本人も言っておられるように「夏の夜の夢」でも、おそらくイメージに爽やかさは望めそうにないので(そうでなくとも昨今のこの暑さ)、現代通りに「夏至前夜」でも良いくらいに思う。
この「夏至前夜」は、西洋では妖精が跳梁し薬草の効き目が特に著しくなる日と言われていたのだそう。日本(アジア圏?)では冬至が特別視されることが多いのではないか?冬至は最も昼が短く夜が長く、魔の力が一番強くなる日として魔を払うために南瓜を食べたり小豆を食べたりしています。また児童文学の「『光の六つのしるし』 (闇の戦いシリーズ 1) スーザン・クーパー 」でも冬至が最も魔を抑える力が弱まる日と描かれていたように思う。逆に夏至の日に、妖精やらのファンタジーな力が強まるというのは意外。
「夏の夜の夢」では、恋人たちがパックの惚れ薬に振り回される顛末は面白い。もっとパックのいたずら心が引き起こしたものかと思っていたのだが、そういうわけではなかったとも知った。加えて妖精たちの描写が面白く楽しいと同時に、森の描写が美しく幻想的だった。 -
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ネタバレシェイクスピアによる「4大悲劇」に含まれていることは予備智識として知っていたが、じっさいに読んでみるとなるほどたしかにこれは悲劇である。しかも、これ以上ないくらいの。何しろタイトルになっている「リア王」はもちろん、その娘たち3人とも最終的には亡くなってしまう。これではあまりにも救いようがない。せめてコーディリアだけでも生き延びてほしいというのが、多くの読者の願いではないだろうか。しかし、この悲劇は元はといえば、リア王が理不尽にコーディリアを勘当したところから始まる。そう考えると、この悲劇は誰にも止める術がなく、はじめからこのような結末を迎えるしかない運命だったのであろう。「邪知暴虐の王」は、かならず除かれなければならない。だから読んでいて、ゴネリルとリーガンの謀略もそれほど酷いとは思わなかった。断罪されるべき人間が「正しく」断罪される物語である。そのため、作中の人物にとっては間違いなく「悲劇」なのであろうが、今日の感覚でいえば、自己中心的な「悪人」たちがバタバタと倒れてゆくことに対して快哉を叫ぶような、「喜劇」としての側面もあるかもしれない。
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戯曲
かかった時間90分
超有名なお話。やっぱりなによりお話が面白い。キリスト教商人とユダヤ人高利貸しの対立からくる後者の悪どい策略も、遠く離れた地の貴婦人に求婚し、3つの箱から正しいものを選ぶ話も。
解説を読むと、ライバル劇作家のマーロウの作品との比較や、ひとつの演劇集団の中で彼らに演じさせることを目的として劇作をしたことによる登場人物の魅力や作品全体の複眼的パースペクティブについて書かれていて、それもよい。
この、光文社古典新訳文庫は、文字も大きいし言葉もわかりやすいし、解説も面白いので好きだ。
ところで、遠くに友なり財産なりを行かせて、帰ってくるというモチーフは、何かの意味なんだろうな…調べてみたい。 -
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「きれいはきたない、きたないはきれい」とか "Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow" の台詞で有名なシェイクスピア四大悲劇のひとつ、『マクベス』の河合先生による訳。日本語も原文と同じように、口に出すと心地よいリズムを刻むように意識して訳されたもの。
10年以上前に「演劇集団円」というところの金田明夫がマクベス役の芝居を観て、魔女たちが「きれいはきたない、きたないはきれい」と歌っている声が今でも耳に残っている。
あらためて読んでみると、色んな人が次々に殺されていく話で、特にマクダフの息子なんか出てきてひとしきり会話したと思ったら暗殺人が登場、「嘘だ。この毛むくじゃらの悪党!」と言ったら「何だ、このひよっ子?謀叛人の雑魚め。」と言われてあっけなく刺されてしまう。「やられたよ、お母さん。逃げて、お願い!」なんて、本当に可哀そう。訳の下についている注を読むのも面白かった。門番のシーン「コミック・リリーフ」というもの(p.48)があることを知った。「エリザベス朝に広く行われていた鷹の調教において、鷹の目蓋を縫い合わせることによって鷹をおとなしくさせるという慣習が広く行われていた」(p.75)って、なにそれって感じだった。「第三の暗殺者」(p.76)についての議論や「当時、帝王切開をした場合、必ず母親は死んだ」(p.147)という話も興味深い。"The night is long that never finds the day."(p.125) という英語も覚えておきたいと思った。『ハムレット』は前に読んだし、『オセロー』は大学の時の授業で読んだので、あと『リア王』を読めば四大悲劇を読んだことになる。ただその前に河合先生の訳で他の作品も読んでみたいなあと思った。(18/04/24) -
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戯曲
かかった時間100分くらい?
リアと3人の娘。もっとも愛する末娘のコーディリアはつつましく、2人の姉のように美辞麗句で父への愛を語らなかったために父の怒りをかう。領地と地位を与えられた2人の姉はしかし、王を冷遇し、忠臣やその家来、つまり「善き者」を追放する。王は失意のあまり狂気を帯び、のちにコーディリアと再会して許しを乞い、正気を取り戻したかに見えるが、そのコーディリアも心悪しき者の命令によって殺される。リア王も再び狂気の中で死ぬ。
悲劇を成立させているものは、まず誠実な沈黙より美辞麗句を求める、賢人であるはずのリア王の愚かさ。これはもちろん老いに由来する。また、父の求めるものが分かっていながら、自身の正義に固執したコーディリア。自身の正義を貫くことが、つねによい結果を招くとは限らない。また、2人の、権力をもった愚かな姉。彼女たちは(姉は既婚者であるにもかかわらず)ひとりの私生児を争って互いに牽制し合い、リア王とコーディリアの命を奪おうとした企てが明るみに出て、けっきょく最後は死ぬ。
「善き者」と悪人、多弁と寡黙、老いと若さ、男と女、嫡子と私生児、身分を偽ること、視覚を失うこと、などなど、いらいろな軸がある。シェイクスピアすごい。マジメに読んでみたい。 -
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リチャード、あっぱれなヒール。前巻までは、頭が切れて行動力もあるニヒルな二枚目(中身)然としていたのに、主人公になるや否や冒頭からの悪人宣言、お見事!最後は小物になるところまで含めて、与えられた役を演じきった。
マーガレット、ランカスターの生霊。最年長のかなしみを纏う者。呪詛が紙面を埋め尽くすこの巻にあって、なお並ぶ者のいない呪いの名手!
リチャードに殺された者たちが亡霊となって現れ、リチャードに対して口々に「絶望して死ね!」と絶叫し、リッチモンド伯ヘンリーには「生きて栄えよ!」と祝福の言葉を贈る。この場面は舞台で観たらさぞや圧巻だろう。
かくてテューダー朝は開かれる。 -
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舞台はギリシャ・アテネ。それぞれの愛を突き通そうとするアテネの公爵たち、夫婦げんか真っ只中の妖精たち、舞台の練習に励む職人たち。
下っぱの妖精が「恋わずらいの花の汁」を塗る相手を間違えたことから、恋の矢印が入り乱れ、怒りの矛先も乱れに乱れ、大騒動へと向かっていく。ドタバタの恋模様を描いたシェイクスピアの喜劇。
ここに登場する人物たちは皆自分たちの恋心に正直で、同時に妖精たちの手違いに翻弄されていきます。
短い作品ながら複数の登場人物が登場しますが、最も印象に残ったのはヘレナです。
「取柄のない女だけど、おそばにいることだけは許して。」――ディミートリアスを一途に追いながらも想い人には見向きもされず、さらには妖精の手違いによって恋敵の恋人ライサンダーから言い寄られる。切ない恋に燃え上がる矢先に2人の男たちから心乱される、この作品で最も踏んだり蹴ったりな立場なように思います。それゆえ一番感情豊かで心惹かれるキャラクターでした。
おそらく演劇で観たら煌びやかな衣装と世界観、印象的なセリフが飛び交うと思うといつか舞台で拝見したいものです。 -
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おおロミオ、どうしてあなたはロミオなの?ってやつ。まぁどういう意味なんかなー、くらいに思ってたけど、初めてどういった文脈で使われてるかを見て、そうだったのかー、っていうね、意外とよく知らんもので。
というわけでかの有名なロミオとジュリエット。シェイクスピアは悲喜劇とかなんとか言われているけど、数冊この人の話を読んでみて、結局訳者の力量なんではないか、とか思う。今作でちょこちょこ出てくる下らないギャグ?というかダジャレ?みたいなのって絶対原文では違うはずで、それを似たようなところで日本語に直してるってのが訳者がスゲーな、と。更に出てくる人々が概ね間抜けだし、下ネタをかましてきたり、まぁ下らない。ロミオもなかなか自己中というか、まるで周りが見えていないというか、まぁ総じてみんな馬鹿っぽい。これがなー、何故か悲劇って事で今まで理解してたんかー、っていうのがね。百聞は一見に如かずてのはこのことですな。 -
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シェイクスピア四大悲劇のひとつ「オセロー」。
勇敢な将軍オセローが副官に任命されなかった不満うぃ抱く旗手イアーゴーの策略に堕ちる。イアーゴーのでっちあげたオセローの妻デズデモーナの不義を嫉妬したオセローは、愛する妻を絞め殺してしまう。
「オセロー」については、四大悲劇のひとつということ以外の予備知識は殆ど無い状態で読んだが、戯曲に対する先入観がなくなったおかげか、特に読みにくさもわかりにくさも感じることなく愉しめた。
オセローを欺くために、隠れさせたオセローに聞こえるように副官キャシオーとイアーゴーが話す場面などは特に面白かった。
愛し合っているのに、何故一言相手に訊ねて疑いを晴らさないのか。
こういうことは今も昔も変わらない。
当事者でなければ、訊けばいいのに馬鹿だなあ、というところだが、それが出来ないからこそ悩むのだ。
最も大切なひとだからこそ、最も言わなければいけないことが言えない。
勇敢な将軍であっても、愛する妻の心が離れてしまっていることを直接妻の口から聞くのは恐ろしい。このまどろっこしいような愚かさが人間らしい。
万策尽くれば、悲しみも終わる、事態の最悪なるを知れば、もはや悲しみはいかなる夢をも育みえざればなり。
過ぎ去りし禍いを歎くは、新しき禍いを招く最上の方法なり。
運命の抗しがたく、吾より奪わんとするとき、忍耐をもって対せば、その害もやがては空に帰せん。
盗まれて微笑する者は盗賊より盗む者なり、益なき悲しみに身を委ねる者はおのれを盗む者なり。(p35)
貧にして足る者は富める者(p102)
深い言葉だ。