西條奈加のレビュー一覧
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最初は宮部みゆきの描く霊験捕物帖のような物語を想像していた。
不思議な目を持つイオと酒問屋のダメ息子、央助が情緒溢れる江戸で怪異や日常の謎を解き明かしていく……と油断させといて、後半は一変。気付けば雰囲気が冷んやりとして、『遠野物語』も真っ青なガチの神域に足を踏み入れたような壮大なファンタジーだった。
睦月童たちの異能力は、人間離れしていて少年のように心がワクワクする。
でも、神憑った力は良いことばかりでなく、むしろ人間の闇をも暴き出し、もし自分がイオの前に立ったら、隠していた黒歴史が公開されてしまいそうで精神的にかなりヤバイかも。
ヽ(; ゚д゚)ノ ビクッ
『かぐや姫』や『八百比丘尼伝説』といったレジェンド達が「そう来るか!」という角度で絡んでくるのも面白いポイント。
睦月神の正体も日本の八百万神、全てのものに神が宿るという伝承を見事に具現化されており予想外の結末にまたもや驚愕。
最後は「えー、そんな終わりかた悲しすぎるよ!」切なさに胸がギュっと締め付けられるが、一筋の光に希望とあたたかさが心に残る。
読後、「もしかしたら自分の周りにも睦月の童がいるのではないか」と、思わず周りを見回してしまいそうな不思議な余韻に包まれた作品だった。
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ネタバレ目次
・よろずを引くもの
・ガッタメラータの腕
・いもくり銀杏(ぎんなん)
・山椒(さんしょ)母さん
・孤高の猫
・金の兎
・幸せの形
西條奈加にハズレはないからなあ、と油断して、シリーズの最新刊をうかつにも読んでしまった。
しかも時代物ではなかったよ。
神楽坂で履物屋を営む元芸者のお蔦さんと、その孫の望(のぞむ)が、町で起こったちょっとした事件を解決していくシリーズ。
料理なんぞまったくやらないくせに、元芸者だっただけあって舌の肥えているお蔦さんの家で食事を担当しているのが、孫である高校生の望。
彼の作るおいしそうな料理も、このシリーズの売りの一つと思われる。
けれど、読みながら「シリーズを遡ってまで読まなくてもいいかな」とも思っていた。
面白く読んではいるものの、この程度の本なら他の作家もたくさん書いているからなあ、と。
なんでこのように感じてしまうのか、つらつら考えるに、重たいものを背負っていないからではないか。
現代に生きる男子高生と、元芸者はさておき履物屋さんの前に、頻繁に重大な秘密や背負いきれない重圧を背負った人間は現れない。
身分制度があるわけでもない現代で、命の危機も逃れられない運命もさほどない。
と思ったのだけど、『孤高の猫』を読んで、また考えが変わる。
現代は現代の、どうしようもない境遇や閉塞というものがあるのだった。
『いもくり銀杏』でのワンオペ育児に疲れた母、『孤高の猫』でのSNSが暴く過去の不祥事に翻弄される家族。
やっぱり最初から遡ってみようかな。 -
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ネタバレ目次
・銀杏手ならい
・捨てる神 拾う神
・呑んべ師匠
・春の声
・五十(いそ)の手習い
・目白坂の難
・親ふたり
喧嘩ひとつしたことのない夫と、諍いひとつなかった義理の両親から、結婚三年目の日、子どもができなかったことを理由に離縁された萌。
そこには血の通った人間である萌と、実は全く心を通わせようという思いすらなかった夫家族の仕打ちに傷ついた萌は、実家が営む手習所・銀杏堂を手伝っていたの。
ある日突然父親が隠居を宣言し、萌がその後を継ぐことになった。
しかしもえにはその覚悟も自信もないのだった。
江戸時代、子どもたちが読み書きそろばんを習うのは「寺子屋」と学校では習ったが、田舎はともかく江戸では「手習所」が主流だったそうだ。
武家の子どもだけが通うような私塾もあったが、たいていは武士の子ども・町人の子ども・百姓の子どもを問わず、男女机を並べて勉強をしていたらしい。
年齢もバラバラ、生活環境もバラバラなので、勉強の進み方もそれぞれだ。
手習所の師匠は「筆子」一人一人に適した課題を与え、進捗を見極める。
大人ではあるが、萌の成長物語ではあるのだ。
離縁されたこと、手習所の女師匠として子どもたちの持つ問題を解決する手助けをすること、そして銀杏堂前に捨てられた捨子の美弥の母となること。
けれど、「筆子」の子どもたちもまた、いいのよ。
男子は12~3歳で手習所を去る。
世の中に出る前の、実践的なことをこれからは勉強するのだ。
しかし、身分制度が固定化されていた江戸時代とは言え、向き不向き、興味のあるなしはある。
自由にのびのび過ごせる最後の場所が、手習所なのだ。
武家や商家の子はともあれ、長屋に住むその日暮らしのような家の子どもも手習所に通っていたとは知らなかった。
だから日本の識字率は高かったのだな。
萌は、手習とは嵐のような世間で生きていくための「板きれ」のようなものだと考える。
船を持つものは、その板切れを櫂のように使うこともできる。
けれど、体しか持てるもののない者でも、板切れにつかまって浮いていることはできる、と。
だからこそ、家の事情などで通えなくなった子のことを思うのだ。
貧乏から脱出するためには、その板切れが必要だと知っているから。
あと、個人的に気に入っているのは、普通の手習所からは落ちこぼれてしまった子の得意を伸ばしてやる吞んべ師匠こと椎葉哲二や、大手手習所「志水館」の四代目である国村露水と安易に恋愛関係にならないところ。
シリーズ化したらそういう流れもあったかもしれないけれど、まずはきちんと子どもたちに向き合う師匠同士の繋がりというのが好い。
江戸時代も後半になってくると、女師匠の数も男師匠より多いくらいに増えているというのも、江戸時代への固定観念をひっくり返してくれて、よい。
面白かったし、勉強にもなった。